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:ある病気の人に薬Aを与えた。そして、「治りました!」となったときに、薬Aだけで効いたと我々は絶対言わないんです。というのは、Aを与えなくても治る可能性はあるわけです。たとえば、たまたま自力で回復するタイミングで飲んだのかもしれないじゃないですか。

編集Y:ああ……まあ、そう言われりゃそうですけど。そんなことを考えるんですか。

:考えるんです。そして、アビガンに関して日本で行われている観察研究(※編注:通常の診療を通して患者の推移を見るやり方。検査のために介入を行うものは「介入研究」と呼ばれる)は、自分が見た限り、薬の経過なのか自然な経過なのか、よく分かりません。

 薬の効果を証明したい場合、科学者としてやることは簡単なんです。ランダマイズド・コントロールド・トライアル(RCT:randomized controled trial:ランダム化比較試験)といって、治療群とコントロール群とをつくるんです。アビガンを与える群とアビガンを与えない同じぐらいの病気の人。しかも1人対1人じゃなくて、必ずもう何十人対何十人などにして、どっちの群に自分が割り付けられているかも分からないようにします。予断がないようにするために。

 それで明らかに差が出た場合に初めて「薬が効いた」と言うわけです。なので、ひとつの経験として、この薬を飲んだら良くなったというのは、基本的に科学者としては、「よかったですね、その薬の効果かどうかは分かりませんけれどね」としか言えないんです。プラセボ、プラシーボ(偽薬効果)といって、普通のブドウ糖を「特効薬です」と言って投与したら、実際に元気になる方はいらっしゃるわけですし。

編集Y:そういう、介入研究を経ていない、RCTを行っていない研究の結果が、「治りました。(観察研究の結果としては)効いています」という言葉で世の中に流れ出ている。しかもこれって試験の条件さえ書いてあれば別に嘘じゃないわけだ。研究者の人は「ああ、観察研究で、ね」でスルーする。ところが我々は文字通り「効果があったんだって!」と受け止めて一喜一憂している、ということですか。

:そうです。でも薬を飲んだ人としてはもし効果があれば「効いた、あの薬のおかげで助かった」と言いたくなりますよね。そうしたら、そういう人が発信してしまうのは当然です。

編集Y:それはそうだ。患者さんは責められない。

:5月18日に日本医師会の有識者会議が緊急声明を出しているんですけど(「新型コロナウィルス感染パンデミック時における治療薬開発についての緊急提言」)、ランダム化試験を経ていない薬の承認はもう絶対にしないでほしい。印象だけで承認したり、非科学的な手法を取ったりすることはだめだということをはっきり言っています。これは当然なんです。あらゆる医者の、医者というか、科学の原則は比べることですから、比べることなしに何かを言ってしまうということはやっぱり危ないんですよね。

編集Y:「治った」=「効いた」と直結してしまう一般の人と、専門家が言う「効いた」の意味は、やはり違うんですね。そのギャップを埋めるのが、本来、我々の仕事なんですよね……。

そうだったのか!? PCR検査

編集Y:気を取り直しまして、一時よりだいぶ下火になりましたが、日本の検査体制が不十分だ、という声も大きく上がりました。

:日本でのPCR検査数は少な過ぎたのかどうか、という話ですね。

編集Y:はい。前回ちらっと前振りしましたが、新型コロナウイルスは、感染による症状が出ない人がたくさんいて、その人たちが自覚せずに出歩いてウイルスをばらまいてしまう(前回の3ページを参照)。だったら、医者が検査をするかどうかを判断するのではなく、自主的に検査を受けられるようにして、「無自覚の感染者」を減らせばいいじゃないか、そのためには今の検査体制じゃ、全然足りないぞ、という。

 議論が過熱したポイントは、「検査数が足りているかいないか」というより、「受けたい人には受けさせろ」というところだと思います。誰だって「自分が知らない間に感染して、家族や同僚にうつしていたらどうしよう」と不安になりますよね。それを解消したいという願いは個人的にすごくよく理解できるんです。

:まず、PCR検査って実際は何をやっているかというと、鼻から綿棒を入れて、喉の奥を触るんです。咽頭のぬぐい液というのを採取して、そこからRNAというウイルスの設計図の書き込まれた核酸だけを抽出します。

 RNAは不安定なので、これを一度、DNAに変換します。そして特異的なDNAの部分だけを増幅する。PCR(Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)とは、この増幅のことです。増幅して、特異なDNAが存在したことが確認されると、この人の体内にウイルスがいたと判定できる。

 と、これだけでも大変ですが、ちゃんと検体が取れていることから始まって、その検体の保管・運搬時の状況や使用する薬剤の管理、増幅の手順とか、いろいろあるわけです。

 これだけステップ数がある上に、この増幅反応はかなり特異的なものなので、検査で陽性と言われれば、たぶん「感染している」と言い切っていい。

編集Y:ああなるほど。つまり、「陽性と判断されるほうが大変な検査」ってことですね。陽性と判断しそこねる要因が山ほどあるから、それらを経て「陽性」と判断すれば、もう間違いないだろうと。

:そう。逆に、ステップ数が多いだけに、そもそもちゃんと検体を採取できていないとか、途中でもともと不安定なRNAが分解してしまったとかで、あるものを「ない」、つまり感染しているのに陰性と判断する可能性も高い。「感度」、すなわち、陽性の人を陽性だと正しく判定できる割合は決して高くないんです。だいたい70%ぐらいと言われています。こういう、陽性なのに陰性と判断された人を「偽陰性」といいます。

編集Y:陽性の人が100人いたとして、30人は「大丈夫」だと思われてしまうって、これは素人目にも大変なことじゃないですか。そんな検査にどんな使い道が……あっ、そうか。「陽性か陰性か見分ける」には向かないけれど、「陽性と疑わしい人を確定する」には向いているんだ!

:はい、ですので、PCR検査は日本においても、世界各国においても、医師が検査を必要とした人、すなわち感染している確率が高いと思われる症例に対して行うのが望ましい。これを専門用語で「検査前確率が高い」と言って、ベイズ統計につながる考え方なんですけど、もともと疑わしきに当たることで、力を発揮できるタイプの検査なんですね。

編集Y:仮に東京都民1000万人(※実際には推計1398万人です)が全員検査を受けたとしますよね。現在のPCR検査の陽性率が5%(7日間移動平均、データはこちら)ですから、仮にこれをそのまま当てはめて、50万人いたとしましょう(これはあくまで計算上の仮定です、ご注意ください)。……で、全員検査を受けても、このうちの3割が偽陰性になるわけですか。15万人の陽性の人が、自分の感染に気づけず、診療・隔離もされないことになりますね。

(こちらが分かりやすいです→ PCR検査の特性と限界:神奈川県医師会

:はい。「検査数を増やせ」と主張する人でも、ここを把握していないことがあります。検査前確率に触れず、「とにかく数を」と言いますけれども。

編集Y:やればやるほど偽陰性の人が大量に出てくるということで。

:それだけではありません。PCR検査は「特異度」が99%程度と高いのですが、母数が大きくなれば、「偽陽性」の人も大量に現れるわけです。

編集Y:あ、また専門用語が。

:「特異度」というのは「陰性の人が正しく陰性だと判断される割合」です。100人陰性の人がいたら、そのうち99人は「陰性だ」という結果が出る検査、ということです。

編集Y:1000万人の1%は10万人、仮に50万人の感染者がいるとして、全員にPCR検査をすると、正しく陽性と判断される人が35万人、間違って陽性と判断される人が10万人、陽性なのに陰性だと判断される人が15万人。うーむ。

:その仮定だと、実際の感染者数をすごく大きく取っていますから分かりにくいですね。たとえば実際の感染者が1万人だったとすると、問題はさらに深刻になりますよ。