ミレニアルズトーク Millennials Talk

「生産性がない」「同性愛は趣味」と言われて 石井リナ×合田文

  

左:合田文 右:石井リナ

女性向けエンパワーメント動画メディア「BLAST」を運営するBLAST Inc.のCEOであり、SNSコンサルタントでもある石井リナが、ミレニアル世代を掘り下げる連載「石井リナのミレニアルズトーク」。ミレニアル世代の中でも1990年前後に生まれた人間は、現在27歳前後。社会に出て数年たち、ネットネイティブで育った柔軟な感覚で様々な新しい働き方に取り組んでいる。 中学時代にガラケーを持ち、インターネットとともに育ってきた環境のミレニアル世代たちは、どういった価値観をなにによって形成してきたのか。バブル世代とジェネレーションZのハザマに生まれ、双方のハブとなり得る存在のミレニアル世代を深掘る。 塩谷舞氏をゲストに招いた前回に続き、今回セクシュアリティやジェンダーの多様性についての事業を行う「Palette」の事業責任者の合田文(あや)さんとミレニアルズの価値観を探っていく。 自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌で、同性カップルを念頭に「子供を作らない、つまり『生産性』がない」などと主張した問題に対して、「“みんな違って、みんないい”が実現できる社会をつくりたいと、改めて感じました」と語る合田さんとともに、性的指向や性自認、恋愛的指向について考えた。

杉田議員の差別的主張で露呈した、日本の“構造的無知”

石井リナ(以下、石井):杉田議員の発言に対して、私はめちゃくちゃ怒りましたね。悔しかったし、悲しかった。運営しているメディア「BLAST」でもセクシュアルマイノリティについて積極的に取り上げているけれど、その他にも、私には何ができるんだろうと。 彼女はTwitter上で「発言を切り取るな」という趣旨の発言をしていたので、問題になっている番組もすべて目を通した。そのうえで、彼女がセクシュアリティを選択できるものと捉えている姿勢に疑問を抱いたし、ジェンダーギャップについての知識が欠けているために理解できていないのだと感じた。 子どもを産むかどうかで人の価値を判断するなんて信じられないし、「生産性」という発言の意図も、全くもって理解できない。辞職してほしいと願っているけれど、でもそれで終わりではないし、これからどうしていくかを考えていかないといけない。政治にももっと関わらないといけないと、初めて感じる危機感があった。

左:合田文 右:石井リナ

左:合田文 右:石井リナ

合田文(以下、合田):私は今のところ、性自認(Gender Identity)は女性だけど性別関係なく恋愛をする人間なので、「LGBTQ+」に該当します。杉田議員に言わせれば「生産性のない」人間になるかもしれません。 ただ私、あの発言は妥当ではなかったと思うけど、怒ってはいないんです。なぜなら、彼女の無知は、彼女だけのせいではないから。あのような差別発言をしてしまう思想は、彼女が1人で培ってきたものではない。様々な価値観に揉まれて醸成されたのだと思います。 多くの傷ついた人たちのために謝罪して欲しいとは思いますが、彼女を議員の職から降ろすことはゴールではないと思っています。

石井:あやちゃんは、LGBTQ+の理解を促す「Palette」事業部の責任者をしていて、日頃からセクシュアルマイノリティに関する情報に接する機会が多いと思うんだけど、どこに問題があると感じている?

合田:日本でも同性のパートナーシップが認められている自治体はあるけど、まだ8都市だけ。何年連れ添ったカップルでも家族」とは認められず、病院で死に目に立ち会えないなどという問題もあります。そもそも日本は、肌の色も、髪の毛の色も、同じ人がほとんどです。私の推測に過ぎませんが、そもそも逸脱者を認めにくい文化であることが、こうした問題の根源にあるのではないかなと。

石井:政府として、現状が問題であると考えていない印象は否めないよね。そのために、あのような発言が、国会議員から発せられてしまう。

「マジョリティ」も「マイノリティ」もない

石井:問題の火種になった『新潮45』には、『「LGBT」支援の度が過ぎる』とある。でも、パートナーシップを認めている都市は8つしかない。差別されていないと話すけれど、実際に命を落としたり、自死を選択している人たちも多い。もっと理解を広げていかないと、セクシュアルマイノリティの人たちへの“見えない暴力”はなくならないよね。

合田:私も同感です。私のパートナーは女性ですけど、よく「彼氏はいるの?」と聞かれるので、どうしても答えにくくて。その度に説明をするけど、「私って透明人間なんだな」と思うんです。概念としてLGBTQ+は認知されているけど、多くの人は、そのリアルを知らない。ただ、“自分ごと化”するのは簡単じゃないのも分かります。また、安易に“自分ごと化”しようとすると、また違った危険性も出てくるんです。たとえば、LGBTQ+を理解する上で、「上から目線」になってしまうケースがある。 体の性と心の性に違和感がなく、異性愛者であると、自分を「普通」だと解釈してしまうことがあると思います。すると、「普通か普通じゃないか」を区別するようになってしまう。そうやって「こういう人がいてもいいよね」と考えてしまうことは、ある種の差別的なニュアンスもはらんでしまう可能性があるんです。

  

石井:でも少し前までは私も、杉田議員がいう「普通」な人間だと思ってた。今思えば恐ろしいことだけれど。ただ、きっかけがあって私自身もマイノリティだと感じるようになったんだよね。 BLASTのインタビューで、同時に複数のパートナーシップを結ぶ「ポリアモリスト」の方にインタビューをしたことがあって。その方が「私はほれっぽくて、人を好きになりやすいんです」と話してたの。私は逆に、人に恋愛感情を抱くことが少ない。ポリアモリストの彼女が“セクシュアルマイノリティ”だとするなら、私も“セクシュアルマイノリティ”だなと自然と思ったんだよね。 その後、調べてみたら、あまり恋愛感情を持つ機会の少ない「グレーロマンティック」や強い絆や信頼を感じたときに恋愛感情を抱く「デミロマンティック」という言葉に出会って「ああ、これだな」って。

合田:多分、「マジョリティ」や「マイノリティ」という言葉は要らないんです。性別が男性で心が女性だったり、性別も心も女性で、女性が好きな人もいます。「心と体が女性で恋愛対象が男性」だと普通…ってことはないじゃないですか。マジョリティとマイノリティを分かつ境界線なんてあいまいで、あってないようなものだと思います。

石井:私は、自分のことを「グレーロマンティックもしくはデミロマンティックで、対象方向としては、パンロマンティックでヘテロセクシュアル」かなって最近思っているんだけれど、「抹茶ティーラテのオールミルク、ライトホットで!」っていう、スタバのオーダーみたいだな、と(笑)。性的指向(Sexual Orientation)、性自認(Gender Identity)、恋愛的指向(Romantic Orientation)の組み合わせはたくさんあって、そのどれもが間違いじゃない。フラペチーノにクリームを増量するとか、何もカスタマイズしないとか、チョコチップ追加するとか色々あるじゃない? そのくらい、本当はみんな違うものだと思う。

    

合田:うん、うん。各々が好きなように、自由にオーダーして「私はこうだ」と言えることが健全だし、良いと思う。

性的指向や恋愛的指向はインフォメーションにすぎない

石井:性的指向や恋愛的指向は、自分のインフォメーションにすぎないと思う。「○○出身」とか「A型」とかそれくらいの一側面だと。

合田:その点、言葉ができたのは本当に良かった。LGBT以外にも、「デミロマンティック」、「アセクシュアル(他者に対して、恒常的に性的欲求を抱かない)」など、表現する選択肢ができたことで、自由に自分を表せる社会になりつつあります。あとは言葉を浸透させていくことが、私たちの役割なんじゃないかな。 LGBTQ+の人たちの苦労の一つが、「親の期待に応えられない」こと。「孫の顔が見たい」という声に、応えられない事実に苦しむんです。でも、親の世代から時代は変わり、ミレニアル世代では多様性に対する理解も徐々に進んできている印象です。変化する社会に合わせ、人の在り方も変わっていって当然な気がします。

  

石井:事実婚や選択式シングルマザーなどが増えているように画一的な「恋愛」「結婚」「家族」のあり方に捉われないことも私たち世代の特徴かもね。より良い方法があるなら、私たちはそちらを選ぶし。以前のルールに対しても「それが本当にいいのかな?」って一度立ち止まって考えている気がする。

合田:そうだね。杉田議員の発言があり、今日の対談があり、私は改めて「みんな違って、みんないい」が実現できる社会がつくりたいと思うことができました。 性的指向や性自認、恋愛的指向は、境界線で区別されるものではなく、グラデーションになっていると思う。 ひとりひとり、個性があって当たり前。だから、人と違うことに苦しむ必要はない。誰もが自信を持って自分を語れる社会をつくりたいなって思います。

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<対談を終えて・石井リナ>

杉田議員の発言を聞き、私は悲しさで胸が痛んだ。そして本日の対談を受け、「差別発言の対象」とされた彼女が、「杉田議員を怒っていない」と声に出した瞬間に、また胸が痛んだ。 違いを受け入れることは、「言うは易く行うは難し」かもしれない。ただ、社会には、マイノリティも、マジョリティも存在しない。つまり、違いを認め合うことなんかよりも、違いがあることが当たり前だと、認識を改めることが、私たちがすべきことなのではないだろうか。

  

(文:小原 光史、写真:なかむら しんたろう)

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