つるの剛士
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つるの たけし つるの 剛士 | |
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本名 | 靍野 剛士 |
生年月日 | 1975年5月26日(45歳) |
出生地 |
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身長 | 178 cm[1] |
血液型 | B型[1] |
職業 |
バラエティタレント 歌手・音楽家 俳優 |
ジャンル |
バラエティ テレビドラマ 映画 |
活動期間 | 1992年 - |
配偶者 | 既婚 |
事務所 | 太田プロダクション |
公式サイト | 公式プロフィール |
主な作品 | |
テレビドラマ 『ウルトラマンダイナ』 『アタシんちの男子』 映画 『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』 『大決戦!超ウルトラ8兄弟』 『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』 『ウルトラマンサーガ』 バラエティ 『クイズ!ヘキサゴンII』 『さんまのSUPERからくりTV』 | |
備考 | |
元羞恥心・アラジンリーダー | |
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来歴
福岡県北九州市門司区生まれ[4]。父親の転勤により、その後5歳までは広島県広島市で[5]、6歳から12歳の途中まで大阪府高槻市で[6]、その後は東京都練馬区で育つ[7]。2008年から神奈川県藤沢市に在住[8]。2012年4月、「ふじさわ観光親善大使」に就任した[9]。
子供の頃から様々な動機で芸能界に興味を持つ。高校2年生のときに東京宝映に入団し、再現VTR出演やエキストラの仕事をする[12]。同じく高校時代に同級生の坪田塁と劇団キティママ社を旗揚げし、小劇場での公演を行う[13]。
1994年7月、テレビドラマ『青春の影』に出演。主演の河相我聞と意気投合し河相宅に居候時、河相がパーソナリティーを担当していた深夜ラジオ番組『河相我聞のG1グルーパー』内で「つるちゃんの幸せデリバリー」という1コーナーをノーギャラで担当した[14]。そのときに関係者から太田プロダクションを紹介され、同社に所属となる[15]。
2001年から2005年まで深夜ラジオ番組『BPR5000』でラジオパーソナリティを務めた。深夜という時間帯に不相応なハイテンションさで2時間の生放送中1万通を超えるメールやFAXがくるほどの人気番組となり、最終回ではつるの自身も感泣した[17]。
2003年9月にスタイリストの女性と結婚[18]。この頃は俳優業より、ラジオパーソナリティのほか情報番組・バラエティ番組・レポーター業など、タレントとしての活動が中心となる。一方で音楽活動に取り組んでおり、バンド・太陽の衝動、チップチューンユニット・8○boyzzなどで活動[要出典]。
2007年から『クイズ!ヘキサゴンII』に解答者として常連出演するようになり、おバカタレントとしてブレイク[16]。後に同じく常連解答者の上地雄輔、野久保直樹と共にユニット・羞恥心を結成。2008年2月、番組から派生した舞台『ヘキサな二人』に主演、2002年のキティママ社活動休止以来6年ぶりに坪田塁(脚本・演出を担当)と仕事をする[13]。3月、以前にも出演した『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』で優勝する(これ以降も二度優勝し、後にこの番組がソロデビューのきっかけのひとつだったと話している[19][20])。
2008年4月、羞恥心がシングル「羞恥心」でCDデビュー。ユニットのリーダーとして活動するほか、個人でもバラエティ番組のほか、テレビドラマや映画『大決戦!超ウルトラ8兄弟』にアスカ・シン役で再び出演するなど俳優業も活発化する。
2009年4月22日にポニーキャニオンからカバーアルバム『つるのうた』でソロデビュー。以降もソロ歌手として活動する。同年10月29日に国立代々木競技場第一体育館にてソロライブ『クイズ!ヘキサゴンII presents つるの剛士感謝祭〜つるの恩返し〜』を行う[21]。2011年1月8日、日本武道館にて単独コンサート『ドリームジャンボつるの祭り』を行った[22]。
「おバカタレント」というキャラクターの一方でブレイク以前から育児番組を担当していたり、ブレイク後にベストファーザー賞を受賞するなど、「父親であること」がタレント活動につながっている。2009年7月に自身のブログで翌2010年1月から2か月間の育児休業をとると発表[23]。2009年12月31日に行われた「ヘキサゴンファミリーカウントダウンコンサート」終了から休業に入り、2010年3月1日に開催された自身主催の「タレントフィッシングカップ2010シーバストーナメント」をもって活動再開とした(ただし、この間も自身のブログの更新は行われていた)[24]。以降、積極的に育児に関わる男性「イクメン」の代表的な存在のひとりとして扱われるようになる[25][26][27]。近年では、自身のTwitter上での発言が度々話題になっている[28][29]。
受賞歴
- 2008年
- 第1回バースファミリーアワード2008『ステキな家族賞』
- 2009年
- 国際フィッシングショー クールアングラーズアワード2009
- 第28回ベスト・ファーザー イエローリボン賞 芸能部門
- ベストヒット歌謡祭2009 新人賞アーティスト賞
- 第51回日本レコード大賞 企画賞『つるのうた』
- ゴールドディスク大賞 企画アルバムオブザイヤー
- 2010年
- 2011年
- イクメンオブザイヤー2011[27]
- 2012年
- FuntoRide!Meeting2012「第2回ベストファンライダー賞」[30]
人物
芸名の“つるの”を平仮名にしたのは、「自分でも漢字で書くのが難しい字[31]を使うので書けないし、面倒なので」[32]、「昔よく“きりの”と呼ばれることが多かった」という理由から。本名を“鶴野”と表記する場合もある[4][31]。
芸能界入りを目指したきっかけは「テレビが好きで目立つことが好きだったから」で、堀ちえみやおニャン子クラブの大ファンであった[7][34]。ほかに、「子役としてテレビに出ていたクラスメイトがいた」[7]、「好きだった子にいかに振り向いてもらえるかを考えたことが発端」[35]などと語っている。
将棋は、スカイパーフェクTV!の囲碁・将棋チャンネルにてレギュラー番組を数本持っていた。『ハチワンダイバー』にプロ棋士の役でゲスト出演し、スピード対局(1分将棋)のノーカット撮影をこなした[42]。『さんまのスーパーからくりTV』では「つるの剛士・芸能界将棋王への道」という自身のコーナーも設けられた。また、『JT将棋日本シリーズ』にも、将棋好きな芸能人代表で詰将棋クイズやトークショーに参加し、プロ公式戦のゲスト解説も行った。2012年5月29日、『将棋フォーカス』の収録終了後に、三段(アマチュア)免状が贈呈された
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