中立的な観点の方針の大幅改訂に関して、調査投票を実施中です。投票期間:6月4日 00:00 (UTC) まで。
この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)

つるの剛士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
この存命人物の記事には検証可能出典が不足しています信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります2012年7月
Ambox warning yellow.svg
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい検証可能性に基づき除去される場合があります。
この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。
つるの たけし
つるの 剛士
つるの 剛士
本名 靍野 剛士
生年月日 (1975-05-26) 1975年5月26日(45歳)
出生地 日本の旗 日本福岡県
身長 178 cm[1]
血液型 B型[1]
職業 バラエティタレント
歌手音楽家
俳優
ジャンル バラエティ
テレビドラマ
映画
活動期間 1992年 -
配偶者 既婚
事務所 太田プロダクション
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ
ウルトラマンダイナ
アタシんちの男子
映画
ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち
大決戦!超ウルトラ8兄弟
大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE
ウルトラマンサーガ
バラエティ
クイズ!ヘキサゴンII
さんまのSUPERからくりTV
備考
羞恥心アラジンリーダー
テンプレートを表示
つるの 剛士(つるの たけし、1975年5月26日 - )は日本バラエティタレント歌手音楽家俳優本名靍野 剛士(つるの たけし)[2]福岡県出身[1]太田プロダクション所属。

来歴

福岡県北九州市門司区生まれ[4]。父親の転勤により、その後5歳までは広島県広島市[5]、6歳から12歳の途中まで大阪府高槻市[6]、その後は東京都練馬区で育つ[7]。2008年から神奈川県藤沢市に在住[8]。2012年4月、「ふじさわ観光親善大使」に就任した[9]
幼少期から父親にクラシックギターを習う[10]。中学生のときは吹奏楽部に所属し、ホルンを担当した[10]。一方でロック洋楽に傾倒し、高校からバンド活動を行う[8][11]
子供の頃から様々な動機で芸能界に興味を持つ。高校2年生のときに東京宝映に入団し、再現VTR出演やエキストラの仕事をする[12]。同じく高校時代に同級生の坪田塁と劇団キティママ社を旗揚げし、小劇場での公演を行う[13]
1994年7月、テレビドラマ『青春の影』に出演。主演の河相我聞と意気投合し河相宅に居候時、河相がパーソナリティーを担当していた深夜ラジオ番組『河相我聞のG1グルーパー』内で「つるちゃんの幸せデリバリー」という1コーナーをノーギャラで担当した[14]。そのときに関係者から太田プロダクションを紹介され、同社に所属となる[15]
1997年から1998年まで放送された『ウルトラマンダイナ』の主人公のアスカ・シン役で知名度を得る[16]
2001年から2005年まで深夜ラジオ番組BPR5000』でラジオパーソナリティを務めた。深夜という時間帯に不相応なハイテンションさで2時間の生放送中1万通を超えるメールやFAXがくるほどの人気番組となり、最終回ではつるの自身も感泣した[17]
2003年9月にスタイリストの女性と結婚[18]。この頃は俳優業より、ラジオパーソナリティのほか情報番組・バラエティ番組・レポーター業など、タレントとしての活動が中心となる。一方で音楽活動に取り組んでおり、バンド・太陽の衝動チップチューンユニット・8○boyzzなどで活動[要出典]
2007年から『クイズ!ヘキサゴンII』に解答者として常連出演するようになり、おバカタレントとしてブレイク[16]。後に同じく常連解答者の上地雄輔野久保直樹と共にユニット・羞恥心を結成。2008年2月、番組から派生した舞台『ヘキサな二人』に主演、2002年のキティママ社活動休止以来6年ぶりに坪田塁(脚本・演出を担当)と仕事をする[13]。3月、以前にも出演した『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』で優勝する(これ以降も二度優勝し、後にこの番組がソロデビューのきっかけのひとつだったと話している[19][20])。
2008年4月、羞恥心がシングル「羞恥心」でCDデビュー。ユニットのリーダーとして活動するほか、個人でもバラエティ番組のほか、テレビドラマや映画『大決戦!超ウルトラ8兄弟』にアスカ・シン役で再び出演するなど俳優業も活発化する。
2009年4月22日にポニーキャニオンからカバーアルバム『つるのうた』でソロデビュー。以降もソロ歌手として活動する。同年10月29日に国立代々木競技場第一体育館にてソロライブ『クイズ!ヘキサゴンII presents つるの剛士感謝祭〜つるの恩返し〜』を行う[21]。2011年1月8日、日本武道館にて単独コンサート『ドリームジャンボつるの祭り』を行った[22]
「おバカタレント」というキャラクターの一方でブレイク以前から育児番組を担当していたり、ブレイク後にベストファーザー賞を受賞するなど、「父親であること」がタレント活動につながっている。2009年7月に自身のブログで翌2010年1月から2か月間の育児休業をとると発表[23]。2009年12月31日に行われた「ヘキサゴンファミリーカウントダウンコンサート」終了から休業に入り、2010年3月1日に開催された自身主催の「タレントフィッシングカップ2010シーバストーナメント」をもって活動再開とした(ただし、この間も自身のブログの更新は行われていた)[24]。以降、積極的に育児に関わる男性「イクメン」の代表的な存在のひとりとして扱われるようになる[25][26][27]。近年では、自身のTwitter上での発言が度々話題になっている[28][29]

受賞歴

2008年
  • 第1回バースファミリーアワード2008『ステキな家族賞』
2009年
2010年
2011年
  • イクメンオブザイヤー2011[27]
2012年
  • FuntoRide!Meeting2012「第2回ベストファンライダー賞」[30]

人物

芸名の“つるの”を平仮名にしたのは、「自分でも漢字で書くのが難しい字[31]を使うので書けないし、面倒なので」[32]、「昔よく“きりの”と呼ばれることが多かった」という理由から。本名を“鶴野”と表記する場合もある[4][31]
アントニオ洗礼名[33]を持つクリスチャンであることを公言している。
芸能界入りを目指したきっかけは「テレビが好きで目立つことが好きだったから」で、堀ちえみおニャン子クラブの大ファンであった[7][34]。ほかに、「子役としてテレビに出ていたクラスメイトがいた」[7]、「好きだった子にいかに振り向いてもらえるかを考えたことが発端」[35]などと語っている。
中学校の吹奏楽部では部長を務めた。吹奏楽コンクール都大会に出場し、金賞を受賞した経験を持っている[11][36][37]
趣味は、ギターベースピアノトランペットのほか、イラスト・釣り・将棋バイクサーフィンなど[1]背筋力が180kgあることを明かしたこともある[38]
中学時代からスラッシュの大ファン。2010年4月に行われたイベントでスラッシュと共演した[39]
スリップノットの熱狂的ファンだと公言している。2008年にアルバム『オールホープ・イズ・ゴーン』がリリースされた際、宣伝部長に就任した[40]
釣り番組MCを務めたほか、2009年から芸能人・著名人の釣り大会『タレントフィッシングカップ』を主催し、年に数度開かれる企画となっている[24][41]
将棋は、スカイパーフェクTV!囲碁・将棋チャンネルにてレギュラー番組を数本持っていた。『ハチワンダイバー』にプロ棋士の役でゲスト出演し、スピード対局(1分将棋)のノーカット撮影をこなした[42]。『さんまのスーパーからくりTV』では「つるの剛士・芸能界将棋王への道」という自身のコーナーも設けられた。また、『JT将棋日本シリーズ』にも、将棋好きな芸能人代表で詰将棋クイズやトークショーに参加し、プロ公式戦のゲスト解説も行った。2012年5月29日、『将棋フォーカス』の収録終了後に、三段(アマチュア)免状が贈呈された
0%
10%
20%
30%
40%
50%
60%
70%
80%
90%
100%