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この人だあれ? 謎の皇女と前斎院

 2020/05/26(Tue)
 えー、大変長らくご無沙汰しておりました千尋です。ここ2年程色々ありまして、すっかりブログも放置状態で大変失礼いたしました。
 今年に入ってようやく少し落ち着いたので、ぼちぼち賀茂斎院の調査も再開していたのですが、今回のコロナ騒動で例に漏れず仕事の方が色々混乱状態、斎院の調査も図書館が利用できなくなってこれまたお手上げという状態でした。
 ともあれ、ここへ来てようやく感染もある程度落ち着いてきたようですので、久々に斎院サイトの更新に踏み切りました。元々それほどITに強いわけでもなく、いまだにHTMLを手書きで地道に書いているような管理人ですので、お見苦しい点がありましたら申し訳ありません。
(ちなみに千尋は通常FireFoxなのですが、Chromeの表示が凄い状態になっていたらしいことに先日やっと気が付きました…)

 さて、今回の更新は主に二点ありまして、一つは後三条天皇の皇女のこと、もう一点は25代斎院禎子内親王の呼称についてです。


1.後三条天皇の皇女のこと
 前から気になっていたのですが、後三条天皇の皇后であった馨子内親王(17代斎院)には夭折した女宮がいたとされています。しかしこの皇女は「いた(らしい)」ということ以外は殆ど何もわかっておらず、どうにもお手上げでした。
 ところが今回、改めて『帥記』を読み直していて、謎の「若宮」という人物の存在に気がつき、もしかしてこれがそうなのかな?と思ったのです。
 詳細はサイトに述べましたが、この「若宮」は後三条天皇即位直後(治暦4年(1068))、内裏にいたことがわかっています。しかしこの頃は天皇の子供といえども、皇后所生子以外は内裏で成長することは殆どなかった時代です。また「若宮」という呼称から見ても、当時16歳の貞仁親王(のちの白河天皇)やその同母姉妹とは考えにくいのです。念のため『後三条天皇実録』も調べましたが、この「若宮」についてはどこにも触れられていませんでした。(※ただし『白河天皇実録』は今回のコロナ騒動の影響で未調査のため、もしかすると白河天皇の方に入っているかもしれません)

 またもうひとつ、『春記』にはこの「若宮」とは別に、後三条天皇の東宮時代に生まれてすぐに亡くなった「女二宮」の記録があります。この皇女については生母が「御息所」としか書かれておらず、これだけでは馨子内親王と藤原茂子のどちらかわからないのですよね。
 しかし改めて『栄花物語』を読み直したところ、まさに幼くして亡くなった『女二宮』についての記述があり、母親は茂子となっていたのですね。今まで読んだ注釈等では、第二皇女の俊子内親王は77歳まで長生きしているので間違いだろうとしか書いていなかったため、うっかり見落としてそのまま忘れていたようです。
 しかし『後三条天皇実録』はさすがというか、「皇女某」として俊子内親王とは別にしっかり記載してあったのです。そうか、つまりこれが『春記』の女二宮と同一人物なのかと、やっと納得しました。

 というわけで、後三条天皇の皇女は4人(聡子、俊子、佳子、篤子)とされていますが、正しくは6人だったろうと思われます。ただ馨子内親王所生の皇女については生年不明ですが、恐らく聡子、女二宮、俊子、佳子、篤子、(馨子の)女宮という順序だったのでしょう。


2.25代斎院禎子内親王の呼称について
 コロナ騒動で図書館が軒並み休館になる少し前、たまたま『兵範記』を借りていたのですが、原文を読んでいて仁平3年(1153)の記事に「東山前斎院」という見慣れない呼称を見つけました。
 はて、こんな名前の斎院はいたかしら?と慌てて手持ちの資料を調べましたが、該当人物は見つからず。時期的に言って、一緒に名前の出てくる統子内親王(28代斎院)以外では禎子内親王かソウ子内親王(27代斎院)が確実に存命だけれど、これだけではどちらなのか(あるいは別な誰かなのか)さっぱりわかりません。
 ところがさらに読み進めて行くと、「令參東山前齋院給、<枇杷殿齋院也、>」という一文に遭遇。何だ、枇杷殿斎院ということはつまり禎子内親王のことかと、呆気なく判明したのですが、こんな呼称があったとは今まで知りませんでした。
 ちなみに後で『兵範記人名索引』を調べてみたら、しっかり「東山前斎院→禎子(慎子)内親王」と記載がありました。これでやはり間違いないなと確認できたものの、何しろかの『平安時代史事典』でもまったく取り上げられていなかっただけに、正直完全に盲点でした…


 というわけで、斎院に関しては基礎的な所は一通りさらったつもりでいたのですが、実は意外な見落としが色々あるらしいと改めて痛感させられた二点でした。一方でこういう思いがけない発見があるのもこの調査の醍醐味の一つで、他にもまだまだこんなことがあるかもしれないなと、次が楽しみです。

 ところで実をいうと、今年は久々に5月4日の御禊を見に上賀茂神社へ行こうかと計画しておりました。残念ながらコロナの影響で葵祭そのものが御禊も行列も中止となってしまいましたが、どうか一日も早く日本も世界も感染が収束して、平和に暮らせる日が戻ってきますように。


「斎王代御禊」

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(2017年5月4日、下鴨神社にて)

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