会話

#ある思い出の記 彼らに完全にボランティアでお願いしなければならなかったことである。実は当時は私も完全ボランティアであった(それについては後で書く機会もあるかもしれない)。意気に感じて奮闘していただけの話だ。申し訳ないが彼らも私と同じく当然そうやってもらうしかないと思った。つまりは純
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#ある思い出の記 粋に友人の私に対する行為として引き受けてもらったのである。友人とは言えありがたすぎる話である。彼らは文句ひとつ言うことなく、私の要望する資料を探して送り続けてくれた。時には彼らのさらに友人のてを煩わせてまで。別の機会にポケットマネーでほんのわずかの謝礼を渡したが
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#ある思い出の記 もちろんそんなもの足りるはずもない。フィンランドは日本ヨりはるかに人件費は高いのである。彼らが送ってくれたもの、とくにBT-42の車内資料は値千金であった。実はBT-42の車内資料は私の撮ったわずか3枚の写真とタミヤのパンフしかなかったのである。ただ、2000年ぐらいに床板が捨
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#ある思い出の記 てられるというとんでもない事件があったのだか。それで私の1990年の写真だけに床板が写ってるのだ。全く持って貴重な写真を持っていたものである。それでもわからない部分をフィンランド人とときにはチャットもどきに一晩中(向こうは夕刻)メールで語り合ったことも懐かしい思い出だ
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#ある思い出の記 今日はカンテレのことを書こうと思う。カンテレと言っても関西TVのことではない。フィンランドの民族楽器のことだ。いまでこそ日本中にカンテレはあふれかえっているが(笑)、当時日本にカンテレははっきり言ってどこにあるかわからないぐらいなかった。たぶんプロの演奏者(3人ぐらい)
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#ある思い出の記 の他にはどこにもなかったんじゃないか(あと楽器博物館?)と思う。だがなぜか家には当然のごとくあった(笑)。なんでも某アニメのスタッフはカンテレをどうしても手に入れたかったようだが、うまく手に入れられなかったらしい。そして最後に泣きついたのが家だった。もう漢意気に感じて
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#ある思い出の記 協力してあげていたのだから、快く貸した。当然ボランティアだからレンタル料も一切受け取らずにね(笑)。まあ聞くところによればポロロンと弾いてみたらしい。今のコロナの時代だったら消毒すればよかった(笑)。とくに感謝の言葉もなかったが、まあいいだろう。結局物事は人間関係で
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#ある思い出の記 動くのである。そういう意味ではえらいと思う。製作部の人間は縁の下の力持ちである。私もかつて日本アニメーションの制作進行だった友人がいるが、まあ報われない仕事だ。だけど極めて重要な仕事だ。彼らがいなければアニメは完成しない。結局私が当時ボランティアで某アニメの仕事
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#ある思い出の記 訂正である。ボランティアであるから仕事ではない。協力してあげていたのも、そういう裏方さんの頑張りがあったからである。だからこそこちらもそれに応えなければいけないなぁと思ったのだ。ただ、そういう人人情は薄れてきているのだろう。これは恐らくアニメの世界に限らないのだ
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#ある思い出の記 今やテレワークがトレンドである。確かにそれはそうである。メールが来れば仕事は回るだろう。いや、そうか。仕事は回るかもしれないが、私はごめんである。監修という仕事は、仕事であればだが、命令関係ではない。せいぜいが依頼である。メールで指図されて、はいそうですかと耳を
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#ある思い出の記 そろえて唯諾々と資料を出すほどお人よしではない(ボランティアであればそんな義理もない(笑))。そもそもアニメーター連中がそんなにきちんと仕事をするのなら進行が催促に回る必要もあるまい(笑)。結局は古臭い人間関係がものを言うのである。恐らくこれはどの仕事でも同じであろう
午後4:38 · 2020年5月27日Twitter Web App

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