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追悼
更新日:2020年2月28日 / 新聞掲載日:2020年2月28日(第3329号)

追悼・坪内祐三
偉大なる〈記憶の人〉
『週刊読書人』明石健五

坪内 祐三氏(2005年撮影)
坪内祐三さんに初めて原稿を依頼したのは、一九九九年夏の終りのことだったと記憶している。『中上健次発言集成6』(第三文明社)の書評をお願いするために、直接電話で連絡をとった。即座に快諾してくれたが、実際に掲載された記事の冒頭には次のようにある。

「私は中上健次について、たとえ短い文章であってもこれまで何か書いたことはないし、書こうと思ったこともない。そんな私のもとに、なぜ『週刊読書人』編集部は、この『中上健次発言集成』完結編の書評を依頼して来たのだろうか。/実は私が中上健次の密かな愛読者であることを知っていたのだろうか」(『読書人』一九九九年十一月五日号、以下同)。


今となっては、なぜ中上健次の本の書評を、坪内さんに依頼したかは定かではない。ただ、満更ピント外れではなかったことは、以上の引用箇所からもわかる。

翌年、坪内さん編集の『明治の文学』(筑摩書房、二〇〇〇年~〇三年)が刊行されはじめたのを機に、インタビューをさせてもらった。それ以前に、酒場では何度かお会いする機会に恵まれたこともあり、会えば挨拶をするぐらいの付き合いにはなっていた。

『一九七二』(文藝春秋、二〇〇三年)を上梓された際も、長時間にわたって話を聞くことができた。確か早稲田大学の中央図書館にある喫茶室だった。四歳年上ということもあって、自分より少し前を歩く「兄貴」の世代であり、坪内さんの書く文章には、どれも親近感を抱いた。同じく東京生まれの東京育ちということが関係しているのかもしれない。なんとなく同じ空気を吸いながら、時代を過ごしてきたという共通感覚があった。

坪内さんは、偉大なる〈記憶の人〉であると、常々感じていた。ひとつだけエピソードを紹介する。ある時、新宿の文壇バーで飲んでいる際、映画『東京裁判』の話になった。すると坪内さんが間髪入れず話しはじめた。

「日航のジャンボ機が墜ちた日、あの映画がテレビで放映されたの覚えてる? ニューステロップが、ずっと画面に流れてたんだよね」。

坪内さんの話を聞き、自分も同日同時刻、そのテレビ放映を自宅で見ていたことを思い出すことになった。夏の暑い日の夜、家族四人で麻雀をしていた。〈記憶の人〉であることは、記憶を〈喚起〉させる力を持つ人でもあるのだ。そんな逸話はいくらでもある人だったし、『一九七二』はまさにそういう書物だった。その点では〈歴史家〉なのである。

元興行師でありプロデューサーの康芳夫さんとも、紙面で二度ほど対談をしてもらった(「世界を手玉に取った男」二〇〇五年五月一三日号、「戦後東京の歴史の中で」二〇〇七年四月二七日号)。児玉誉士夫の下で働いていた吉田彦太郎の話になると、「吉田のヒコちゃん」と呼んでいたことを思い出す。ご家族のどなたかと親交があったという。

対談後は、毎度何軒かの酒場をハシゴした。決して編集者に払わせることはしない人だった。そう言えば、早大の非常勤講師を務められていた頃、講義後の学生との飲み会に何回か参加させてもらったことがあるが、三〇人ほどの学生に対しても、ひとり「五〇〇円」しか徴収していなかった。その場で坪内さんは、学生たちからのどんな質問に対しても、真面目に答えていた。そうした中から、少なくない教え子が、出版の道を志したと仄聞している。偉大なる〈教師〉でもあったのだ。「〈文壇ケツバット〉っていう連載どう?若い小説家の性根を叩き直す」なんて言っていたこともあった……。

そして飲んでいても、いつの間にか、「オレはここで」と言って、別の店にひとりで向かっていく人だった。その後ろ姿が今でも忘れられない。ちょっと猫背ながらも、颯爽と夜の街に消えていく。神藏美子さんの写真集『たまもの』には、自宅を出て遠ざかっていく坪内さんの、印象的な後ろ姿をとらえた一枚があったように思う。

酒と相撲が好きで、古本と明治の文学が好きで、若い人たちが好きだった坪内さん。近年はある「事情」があって、疎遠になってしまったけれど、「兄貴」安らかに。(あかし・けんご=『週刊読書人』編集長)


★坪内 祐三氏(つぼうち・ゆうぞう=評論家、エッセイスト)。一月十三日、急性心不全により死去。六一歳。
一九五八年、東京生まれ。雑誌『東京人』編集者を経て、評論・執筆活動を開始。〇三年~一五年、文芸誌『en―taxi』を責任編集。〇一年『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』で講談社エッセイ賞受賞。著書に『ストリートワイズ』『靖国』『古くさいぞ私は』『人声天語』など。多くの雑誌に時評やエッセーを連載中だった。


【関連記事】2001年4月27日号 「坪内祐三さんの出版と快気を祝う会」レポート 公開中

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