『テラスハウス』花さん自殺は、SNSじゃなくて番組事業者の問題だ

現代日本のいじめとカスケードの構造
山本 一郎 プロフィール

ネットいじめにつなげた事業者の問題

言い方として適切であるかは分かりませんが、コロッセウムのようなたくさんの公衆が集まる闘技場で剣闘士が織り成す血みどろの戦いや、巨大な害獣に無残に殺害される罪人や奴隷のように、非日常を演出する「見世物」と、それを観て熱狂する公衆との関係にも近い心象風景になります。

そういうところで「過剰なバッシングはやめましょう」「そうですね」と議論しても、おそらくは、数週間もすれば何事もなくいつもどおり誹謗中傷や言葉の暴力が飛び交うワイルドなSNSの世界に戻っていくのかなとも思います。

そうならないようにするためにも、議論としては「作り物は作り物として、どんな人にもわかるようなコンテンツ作りにしましょう」というような、リテラシーのある人にとっては当たり前のことでも啓蒙していかなければならない状況なのかもしれません。

逆の観点からいうならば「ニュース報道において異常な犯人像を勝手に導き出して、これは視聴者の暮らしている世界とは異なるところで起きた非常識な事件です」などという方向に行かないようにするしかないのではないでしょうか。

明らかにこれらはそういう情報を投げ込んで、SNSで登場人物を叩きやすく演出し、殴り返してこない人物に対する視聴者からの反応を引き出しやすくするために分かりやすく出演者のネガティブな面を演出して盛り上げ、そこで匿名性もあるSNS上でネットイジメの構造にもっていった「事業者側の、仕組みの問題」もおそらくは指摘されることになります。

 

せめて花さんの遺志や決断を尊重するのであれば、ローマの時代も現代も人間の精神性にはたいした変化はないという前提で、事業者側が実態に歩み寄るような解決策がいいのではないかと思います。

下手すると、現代日本人よりも古代ローマ人のほうが理知的だったのではという反論もあるかもしれませんが。