繰り返しになりますが、ネットやコンテンツなどで何かを一度発表したら、それに対して批判を受けるのは当然起きることで、それはもう、どんなものであっても起きます。
中傷や批判をされることそのものにイライラしても仕方がないんですよね。それよりも、大事だと思ってくれる人、好きな人、この人は優れていると思える人など、自分にとって優先順位の高い人からの意見をしっかりと聞く方が大事です。
演出によってエピソードを切り取られ、おそらく本当の人格でもなく、また未熟でもあった花さんの人間性をSNSでこっぴどく批判する人、中傷する人の悪意を真に受けて冷静ではいられなくなった、死にたくなるぐらいに傷ついた、そして本当に死を選んでしまったというのは、とても残念でならないのです。
悲しいことだけど、そういうバッシングをされるような事柄というのは、表現者においては往々にしてあるものであって、そういうある種の「黒歴史」は自分の大切な人のために乗り越えて、そこに自分なりにやりたいこと、能力を発揮できること、評価されることでどんどん「上書き」をしていくことが大事であると思うのですよ。
何をしても、賛同も批判もある。だけど、批判されるからといって何もせずに立ち止まるようでは、悪意のある人の思うつぼです。批判は好き放題させておき、それでも賛同してくれる人たちと手を取り合いながら、彼らが泣いて悔しがる実績を、どんどん上書きしていけばいい。批判されることを怖れるのではなく、批判されて立ち止まってしまい、新しい生産的な何かに手が付けられなくなるのが怖いのです。
犯罪を犯したのでもない限り、いや、犯罪を犯して罪を償ったのだとしても、本人の人生は本人のものであって、大事な人たちと共に人生を全うしていくことが、誰もが晒され得るネット社会を生きる知恵であろうと思います。