NYTimes
松尾一郎氏が発見したN.YTimes 1948年12月24日の記事:「paper cups

 ◇「東京裁判」を正当化するための偽善的記者会見

 検証③でも書きましたが、「処刑後の記者会見が行われたのは東大の文学部印度哲学課研究室(花山師の本来の職場)」で、「狭い研究室にはニュースカメラも運びこまれて、内外の報道関係者であふれ返っていた」状態でした。

 この記者会見そのものがGHQ(渉外局)の指示で計画されたものであり、GHQ渉外局幹部から、「ドクター(花山師)の会見では、政治的な話題はなさらないでください。外交のこと、労働組合関係のことも微妙ですからご遠慮なさってください」と注意されていた旨が『教戒師花山信勝と死刑戦犯の記録』(p.272)に記されています。

水島総
【直言極言】デマゴギストの嘘を完全論破する(21:37~)

 この動画の中で水島総氏が映画制作時の裏話を説明していますが、まさにこの記者会見が「政治的配慮」を強要され、事前検閲を経た状況下で行われたことの証明です。
 以下を見てもわかる通り、国内メディアの報道姿勢も同様で、占領下の日本において委縮し消極的であったのは当然ともいえます。

〔当時のプレスコード〕
プレスコード
プレスコード

 今回、新たに提示された「死刑執行手順書」についても、2013年に永田憲史教授が発見するまで、米国国立公文書館収蔵の文書の複写(マイクロフィッシュ)が日本の国会図書館に存在することすら知られていませんでした。

教誨師は絞首台の下まで付き添う

 検証③において「※花山氏の回想録と連合国側の元高官(シーボルト氏)らの証言、米国国立公文書館の記録は一致しており」と書き、 検証⑤において「米国国立公文書館収蔵のGHQ報告文書の中に、「教戒師は処刑台の下まで付き添い、見届けるものとする」旨の記述がある」と書いたのも、この資料が筆者の手元にあったからですが、この世紀の発見ともいえる大スクープを国内メディアが一切報じた形跡がないことをもってしても、国内メディアに今なお内在する構造的問題が窺い知れます。

※筆者がこの永田憲史教授の画期的な発見の事実を知ったのは、米国の新聞記事や情報サイト↓からでした。
永田憲史 
永田憲史教授:
「今回発見された文書については、連合国最高司令官司令部が保持していた真正なものとして考えることができる、そして、その大半は、日本政府(法務部;当時)作成の文書であり、資料としての価値は極めて高い。

 実は今回発見した文書群は二つあり、その一つが連合国最高司令官総司令部参謀第2部(G2)が保管していたものであり、原本が作成又は保管された時期は1950年1月乃至1951年2月と表記されている262枚である」
(『GHQ文書が語る日本の死刑執行』(永田憲史)より)

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19、20に注目

検証① 検証② 検証③ 検証④ 検証⑤ 検証⑥ 検証⑧につづく

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