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Posted by TI-DA at

2014年04月17日

幸せの味


◼︎人はなぜ食べるのか?
-生命を維持する、または子孫を残すために必要な栄養素を摂るため。

-ストレスを解消するための娯楽として。

食べるという事は楽しくて、美味しくて、健康を維持できるという要素を含んでいなければなりません。

◼︎では大手メーカーは食品をどういう哲学の元で作るのでしょうか?

ただ安く作り儲かればいい!
食べた気になればいい!
食感や質感、匂いが本物に似てればいい!

つまり、本来食物に適さないような危険物を上の経営哲学の元、せっせとマーケットに送っているのです。

消費期限がより長く、より甘く、より柔らかく、とろふわしてて、よりサクサクANDカリカリしてればそれでいい。一年経っても、未開封なら出来立ての味が楽しめます!ってなんのこっちゃ!

その食味と食感を追求するために、死ぬほどとんでもない添加物を材料に混入させる!

消費者の私達が食べた後、肥満になり、糖尿になり、癌を患い、心臓発作を起こし、子孫に障害が出ても関係ないのです!

大手食品メーカーは、決して健康増進産業ではない!断言します。
たとえ、ポリフェノール入り!とか抗酸化物質入りとか宣伝してても、それを上回る薬剤を大量に入れては本末転倒です。

それがマクドナルドであり、日本が世界に誇る味の素です。

私達は、なぜ食べるのか?
それがしっかり染み込めば、食品業界が如何にヤバイか?気づくようになると思います。

以下は、くみちゅう みんちゅうさんの記事より⬇︎

カルディなどに行ったら、イギリスの国民的お菓子「Walkers」のショートブレッドの原材料表示を見てみて。
原材料「小麦粉・バター・砂糖・塩」のみ。
たった5つ!

そして、グリコのポッキーやきのこの山の原材料表示を見てみて。
まず添加物だけで、書ききれないぐらいびっしり。
とにかくパッケージ裏がびっしり・・。
まずバターすら使ってない。
変な植物油脂か化学物質のマーガリン、ショート二ング。
「植物油脂」と記載して騙してるよねー、有害なトランスファット。

小麦粉と砂糖とバターと塩だけの手作りなんて、日本の食品メーカーからしたら会社をつぶす覚悟でやらなきゃならない革命レベル。
バターと砂糖がコストかかりすぎて使えないから、加工油脂と人工甘味料は必須・・。
そして小さな店の小さなパン屋さんやお菓子やさんはどんどんなくなっていく・・。

でも、「Walkers」で分かるとおり、
粉と塩と砂糖と良質な油脂さえあれば、おうちで作れるってこと。
簡単に。低コストで。

沖縄で「ちんすこう」の作り方を教えてもらいました。
粉と砂糖と塩と油だけです。

・薄力粉 100g
・きび砂糖 50g
・油 50g
・塩 ひとつまみ

これを混ぜて、親指のような細長い形に成形したら、170℃に予熱したオーブンで25〜30分ぐらい焼くだけ。
本当に単純な材料で、簡単で、安上がりで、おいしいお菓子が30分で出来るんです。

好みできな粉やすりごまを混ぜたり、アレンジ自在♪

焼き上がりは柔らかくくずれやすいので、天板の上で完全に冷めるまで待ちます。
冷めると固くなります。
これ、イギリスのショートブレッドの配合・分量と全く同じ!
バターじゃないだけで。

沖縄とイギリスの不思議な関係を見つけてしまいました(笑)

沖縄ではラードを使いますが、ラードに抵抗ある人は手近にあるオイルで作れます。
オリーブ油でも菜種油でも、グレープシードオイルでも、ココナッツオイルでも同じように焼けます。
(なぜ焼き菓子にラードやバターを使うのか。
植物油は不飽和脂肪酸で、飽和している動物オイルに比べて加熱に弱く、酸化・変質しやすい、不安定な分子構造。
加熱しないドレッシングなどには最適ですが。
でも飽和脂肪酸の動物油も摂り過ぎを考えると、どっちもどっち・・ってやつ笑。
一価不飽和のオリーブオイルが比較的安定してるけど、オリーブの香りがついちゃうしー。)

私は最近、ココナッツオイルと黒砂糖の組み合わせが好きです。

お菓子は体には必要ないし、健康のために食べるものではない。
でも、「お菓子」であるからには楽しむためのものでありたい。
ひとつのクッキーで心をなごませて、幸せな気持ちにさせるものでありたい。

それが身に心に、滋養となるものであればなおいいですけどね。

ま、とにかく。自分の目でみて、つくるおやつは、たのしい。
まちがえなく、しあわせの味がします。  


Posted by KEIJI at 08:39

2014年04月14日

選挙

清々しい愚痴をこぼしたいと思います!

毎回選挙がある度に投票しましょう!とか国民の義務です!なんて言って、職場でも強制的に選挙に行かせているのに、当選したご本人達は、棄権とか欠席とか仮病とかできていいよね!

私達国民の悲鳴と願いと努力の結晶である『代表に贈られる当選』を、国会に入った途端、党利党略、私利私欲のために使ってしまう議員が、多少なりともいるんだから、選挙区によっては無駄死に(死票)と言っても過言ではありません。

国民投票法が成立間近ですが、この際、国会を廃止して、全部国民投票にかけてはいかがでしょうか?

もちろん、AKB選挙で盛り上がるような人も多いので、しばらくは、今よりもめちゃくちゃになりますが、その先には、生まれかわった新生日本が、誕生していること間違いなしです。
国民も痛い思いをして初めて悟ります。

『政治とは、私達の生活と同意語』であり、人生そのものです。私達がどんなに働いても、今の経済システムでは報われることは絶対にありません!絶対に行き着くことのない蜃気楼を見させられているのです。

国民の多数がそれを悟り、対岸の話ではなく、当事者意識を持って初めて政治が変わり、愛する国が変わるのです。

もう一つベターな方法は、国会を廃止して、全国47都道府県知事だけで決定しちゃうというもの。

それぞれ勝手に改選するから、毎年のように、選挙の洗礼を受け、国民の声が反映しやすいと思います。

いずれにしても、現状維持よりはずっと希望があると思いませんか?

  


Posted by KEIJI at 15:34

2014年04月10日

浮浪者から学ぶホスピタリティー

浮浪者から学んだホスピタリティ

僕が今よりもう少し若い時に、公園に座り込んで話した事があります。

浮浪者の中には、追い払われる人と迎えられる人のタイプがある事を知らされた。

追い払われるタイプは、自分の都合の良い時に効率良くキッチン裏の残飯置き場に来て、食い散らかすだけ散らかして、『今日は大したものがなかった!』と悪態をついて帰る人。

当然、自己中心的で、もらう立場なのに他人との関係の重要性を軽視している。

迎え入れられるタイプは、姿を現さないと店の人が心配するほど、定期的に回って来て、掃除をして帰る。店の人と顔を合わせれば、しっかり挨拶し、臭いや身なりなど、可能な限り不快な思いをさせないように配慮している。

こういうタイプの人は、残飯には違いないが、店の人が折箱に入れて待っていてくれる事もあり、店側とある程度の関係が構築されている場合が多いとのこと。

店側も、店の裏口に遠慮なくスルスル入って行く特権階級の人達から、ライバル店の様子を聞かせてもらえるという貴重な機会を得る事もあるという。

味が落ちたのは、腕の良い料理人が辞めたからだとか、出入り業者が変わった、お客が減ったとか増えたとか。

この話って、対岸の話で終わらせたらもったいない!

これが、営業マンの話だったら?
政治家の現実だったら、どれだけ成績に影響することか?

選挙の時だけ愛想よく、街頭に立ち演説をするなど政治活動を真面目にする政治家は、間違いなく前者の浮浪者。

道路工事の誘導員、役場職員、警備員、高速道路の職員、ゴミ収集職員、土木建設作業員、医療関係者、掃除用員、教育関係者などなど、ほとんど笑顔や挨拶は重要でないと考えている人が業界にいますね。

みんながマクドナルドみたいに挨拶始めたら、どれだけ人を感動させるか!

僕は新潟の高速道路で、仙台と山形のタクシーで、あり得ない場所でのホスピタリティに触れて感動しました。

『物を売らないで、自分を売れ!』と良く言われます。つまり、物やサービスを売らないで、心を売れ!という事だと解釈しています。

ちなみに、売国奴になれ!ということではありません。笑

『あなた!が言うからやります!買います!』と言われたら、どんなに嬉しいだろうか?

そのためにも、他人事を如何に自分事として捉えることができるか?

それが当事者意識を持つ事であり、喜怒哀楽を供にするという『共感力』を持つ事だと、僕は師匠達に何回も言われています。

何回も言われるという事は、できていないということ。

そこで、有名な本をご紹介!
まだ読んでいない方がたくさんいらっしゃる事に驚きましたが、それは感動した私達の宣伝不足。

または、僕みたいな人格破滅型が推奨するから、逆効果を生んでいるのかなぁ?

結局、『何を買うか?じゃなく、誰が勧めるものを買うか?』ですね!
痛い!

◼︎大久保寛司著 『考えてみる』
⚫︎高野登著 『サービスを超える瞬間』

僕が勧めるから読まないと思った人、日頃の言動でつまずかせてごめんなさい。

でも、師匠達は、弟子を選べないのです。弟子達が勝手にフォローするから、着いてくるな!と言えないだけです。笑

添付画像は、今流行りの?無農薬めちゃくちゃ混植栽培。

人参、かぶ、トウモロコシとレタスがあり得ない組み合わせで仲良く育っています。



あり得ない理由は、通常の栽培では、農薬の種類や散布回数、肥料施肥タイミングがすべてズレるために、こんな事すると共倒れになるからです!

でも、もし、農薬を使用しなかったとしたら?肥料も追肥ではなく、土作りから頑張っていたとしたら?

創造力は無限ですね!
  


Posted by KEIJI at 11:20

2014年04月04日

従うとは?

最近、少し成長してきた依田くんのなが〜いボヤキを聞いて下さい。いや、読んで下さい!か?笑

『従う』または『従わせる』事は、つまり、ある特定の意図を持った人物が、子供、生徒、社員、またはペットや家畜など特定の対象を自分の思った通りに動かす事だと考えています。

『従う』ことなしに、家族も組織も統制が取れないという人もあれば、『従わせる』行為自体が、アメかムチを使用する強制力がある以上、持続的でないという人もいます。

殴る、蹴る、怒鳴る、叱る、その他、職を失うとか、給料が下がるなど、身体的、心理的な圧迫に加えて、経済的な要素が含まれている『ムチ』

逆に、従えば昇給、昇格、社内での名誉的な待遇向上、お食事、ブランド物などの贈り物など、直接欲に訴える『アメ』と言う手法もあります。

どちらも持続的でないと言ったのは、このアメとムチの要素がなくなった途端、緊張や意欲が減退し、本来のパフォーマンスが発揮されないからです。

下り坂の会社が、有能社員の離職や謀反で一気に転げ落ちるのはそのためでしょう。




日本では、この重要で複雑な課題をこれまで考えなくても十分やってこれた。それは、封建制度があったからだと考えているので、福沢諭吉の『天は人の上に人を作らず、、、』と言う名言の普及とともに、そして、敗戦後のアメリカの統治政策の浸透とともに、少しずつだが確実に、『従順』という価値観が廃れてきたような気がします。

昔は、生まれながらにして、カーストという階級があり、皇家や武士として生まれた者以外が、例外を除いて、ステップアップすることなどあり得なかった。

つまり、お上の『権力』に対して疑問を持つことすら許されず、盲目的に従うという事が美徳とされ、それが私達のDNAに刷り込まれてきた。

未だに、海外のどこの国にもいるような革命的なリーダーが日本に出現しないのは、その芽生えを自制する精神と、それを封じ込める社会があるからだと思います。

ところが、最近、在日外国人だろうが、同和だろうが、金さえあれば、政党の党首を思いのままにコントロールし、社会の裏も表も掌握する権力者が出現し始めた。昔の呪縛を破ったという意味では、社会的な平等を謳歌しているとは言えますが、それによって、金、権力、名誉、その他の暴力的な力があれば、はい上がって人を支配できるという間違った価値観が蔓延してきたのも事実だと思います。

そこは、アメとムチだけを使って従わせる極限の世界。この大事なテーマに、答えを見出すことなく、死んでいった権力者は多い。



『従う』という意識が各人に存在するだけで、学級崩壊や犯罪などの社会問題が激減することは断言できるでしょう。

だから、如何に従わせるか?が永遠のテーマとして、外交から結婚、教育、育児、ペットのしつけに至るまで研究され、本が飛ぶように売れてきたのです。

『この子、言うこと聞いてくれないんですぅー』って言うバカ親を見ると、ものすごく腹が立つ。それは、その親と子供がバカで居続けるというレベルでなく、それがドンドン社会に出てきて、国の在り方に大きな影響を及ぼすからだ。

非常に高い志を持ち、愛する国のために何か貢献したいという人と、前出のバカ親は、投票の場において、同じ一票でしかない。

バカ親が多数を占める現在、政治家も、バカが喜ぶバラマキ政策を断行せざるを得ない部分があります。

戦時中の神風特攻隊で国に命を捧げた祖先達は、金がもらえるから、上司が恐いから、命令に従ったのか?

命令以前に、この素晴らしい国を、家族を、天皇陛下を護りたい!という強い愛情に裏打ちされた自己犠牲の精神があったからではないのか?

自殺者を出してブラック企業と言われている会社は、何もワタミだけではありません。

そういうところは、自己犠牲ばかり社員に説いて、社員から愛される事を何もしていない。

どちらが先か?と聞かれれば、それは『愛』なんじゃないかな?と少し成長した僕は思うのです。

じゃあ、『愛』とはなんぞや?となると、殴る、蹴る、怒鳴る、叱るも含まれるから、重要で複雑な課題だと考えているのです。


  


Posted by KEIJI at 18:13