沿革 |
 |
<開業まで>
昭和30年代後半、高度経済成長期を迎えて、神戸市の北部から三田地域においては、大規模団地の開発計画が進捗し、同地域には約40万人の人口が定着する見通しであった。この地域の輸送を担ってきた神戸電鉄では、複線化等の輸送力増強策を実施していたが、これを上回る需要増が予測されたため、何らかの抜本対策を講ずる必要に迫られていた。このような状況に対し、昭和44年(1969年)、運輸大臣の諮問機関である都市交通審議会は答申第11号として、「箕谷付近より三宮付近に至る新線整備」の必要性を答申した。
これを受け、関係者間で検討が進められ、昭和53年 (1978年)には協議が具体化し、神戸電鉄、阪急電鉄と地元経済界による北神急行線建設委員会が設置された。路線を整備するにあたっては、膨大な建設資金の調達方法と運営主体が課題となったが、資金については日本鉄道建設公団の民鉄線建設方式、いわゆるP線制度を活用して進められることとなった。これは、民間事業者だけでは不可能な大規模な投資を伴う新線建設や輸送力増強工事を、同公団が実施し、これを事業者が譲り受けて25年間の割賦で償還するという制度であり、その利子補給についても兵庫県並びに神戸市の協力を得られる見込みとなった。また、運営主体としては、神戸電鉄、阪急電鉄および地元経済界の出資により、「北神急行電鉄株式会社」が設立されることとなり、昭和54年(1979年)6月19日に発起人会が、10月29日には、創立総会が開催されて当社が誕生した。
一方、路線は種々の検討、協議を経て、谷上から布引(新神戸)間とし、神戸市交通局と相互直通運転を行うこととなった。当社は、列車相互直通運転に関する覚書を同局と調印のうえ、鉄道敷設免許申請書を大阪陸運局(現近畿運輸局)に提出した。昭和55年(1980年)3月15日に免許を取得し、工事施行についても12月1日付で認可を得て、本格的な建設工事に着手した。
<最先端の鉄道として開業>
建設工事は、トンネルの南側を鉄道建設公団が担当し、その他を当社が担当して実施した。この工事は当時、民鉄最長となる7kmを超える長大トンネルの難工事であったが、7年余りの歳月と700億円を超える工事費を要して竣工した。さらに、安全性と信頼性を確保するためのATC(自動列車制御装置)、ATO(自動列車運転装置)や列車無線装置、ITV(列車監視装置)等最新の鉄道保安システムを導入するとともに、ワンマン運転等、効率性にも配慮した最新鋭の鉄道運行システムを導入して、昭和63年(1988年)4月2日に開業した。
当社線は、谷上駅において神戸電鉄有馬線と連絡し、北摂三田・北神地域と都心を直結し、さらに新神戸駅では山陽新幹線とも接続した。谷上から三宮間の所要時間は従前の神戸電鉄線経由の約40分が10分となる等の大幅な時間短縮を実現し、地域に大きな便益を提供することとなった。また、谷上駅は、神戸電鉄線を移設して従来の地上駅から7階建てのSHビルを擁する高架総合駅に生まれ変わり、面目を一新した。
平成元年(1989年)11月11日から神戸市営地下鉄線の混雑緩和のため、5両連結運転から順次6両連結運転に変更し、12月28日には全て6両連結運転となった。
<開業後のあゆみ>
沿線の住宅開発の遅れやJR福知山線の利便性が格段に向上したこと等により、開業後の利用者数は、敷設免許時の想定輸送需要を大幅に下回ったうえ、建設費の償還負担が膨大であったため、当社は債務超過状態となり、不安定な経営状況が続いた。
平成7年(1995年)1月17日に阪神・淡路大震災が発生したが、被害は谷上車庫を中心に軽微な損害にとどまり、点検後の翌18日から谷上~新神戸駅間の運転を再開することができた。阪神間を結ぶ鉄道は3ヶ月に亘り寸断されたままとなったため、阪神間を往来する多数の方に当社線、神戸電鉄線、JR福知山線経由を利用していただき、災害時の迂回ルートとしての存在価値が広く認識された。
平成11年(1999年)4月1日からは、地域の住民の移動時の運賃負担を軽減するため、兵庫県及び神戸市の地域政策として運賃低減助成制度が導入され、谷上から新神戸間の運賃を350円とし、80円の運賃値下げを実施している。
しかしながら、平成13年度には金融情勢の悪化により、市中金融機関からの当社への融資継続が困難となったため、地域に不可欠な輸送サービスを安定的に継続すべく、国土交通省、兵庫県、神戸市、神戸高速鉄道等の協力の下、親会社の多大な支援を得て、平成14年 (2002年)4月1日より、民鉄業界初の上下分離方式を導入し、経営の健全化を計った。すなわち、当社は主要な鉄道施設を神戸高速鉄道(株)に譲渡し、その線路を使用する第2種鉄道事業者として運行を継続していくこととなった。
この間、当社は利便性の向上に取り組み、平成5年(1993年)の運賃改定時には乗継割引制度を導入、平成11年(1999年)10月1日からは「スルッとKANSAI」に参加し、関西共通磁気乗車券システムを導入した。 平成13年(2001年)6月23日には、谷上駅において神戸電鉄との乗換ホームを新設し、ドア・ツー・ドアによる乗換を実現し、平成16 年(2004年)10月1日には、駅構内にエレベーターを新設してバリアフリー化を図っている。さらに、平成18年(2006年)10月1日からは、ICカードシステム“PiTaPa”を導入し、平成19年(2007年)9月1日には2社線連絡が利用できるIC定期券を導入した。
<近年の動き>
環境に優しい公共交通の利用を促進する観点から、平成17年(2005年)3月にはパーク&ライドを促進するエコ駐車場の開設を行った。
谷上駅は、六甲山や丹生山系の登山道起点の駅としても親しまれているが、ハイカー旅客の誘致を進めるとともに、その利便性を向上させるため、平成17年(2005年)8月、谷上駅ホーム上に『山の家~ロッジ谷上~』を開設した。また、10月からは当社線と神戸市交通局を利用する大人1人につき小学生以下2人までを無料とする、エコファミリー制度を導入した。
平成18年(2006年)2月には、「神戸空港」開港を記念した当社初の企画乗車券を発行し、同年9月には兵庫県で開催された「のじぎく兵庫国体」を記念して企画乗車券を発行した。また、平成20年(2008年)4月には「開業20周年」記念乗車券を発行した。
さらに、従前より小学生の車庫見学会及び、中学生対象の地域学習プログラム「トライやる・ウィーク」の対応などを行い、同年8月からは、高校生のインターンシップ(職場体験)も受け入れ、地域に根ざした取り組みを深めている。
なお、当社は開業以来、運転無事故であり、その安全性については高い信頼と評価を得ているが、平成18年(2006年)10月からの改正鉄道事業法の施行を受けて、安全マネジメント体制を構築し、更なる組織的な安全運行の継続に向けて努力している。
|