そしてそのような中、彼らが意識し、また自らとの比較の対象にする国々も変わっている。90年代以前、自らの発展の1つのモデルとして日本を強く意識した韓国の姿は既にない。
事実、冒頭で一部を引用した就任3周年の記念演説でも文在寅は――その間に元徴用工問題や輸出管理問題を巡って激しい対立があったにも関わらず――日本について何も触れていない。
そこで明らかなのは、文在寅が言う「われわれが見習いたかった国々」そして「われわれを見習い始めた国」が日本ではない、ということだ。
何故なら皮肉なことに、韓国では日本は依然として新型コロナウイルス対策における韓国の成功を認めず、独自の道を歩み続けている国だと考えられているからである。
ここにおいて彼らが意識しているのは、新型コロナウイルスの直撃を受け、大きな被害を出した欧州諸国であり、また同盟国であるアメリカである。そして彼らが韓国の対応を評価しつつあることに、彼らは自らが「先進国となった」ことに対する自信を深めている。
もちろん、韓国の新型コロナウイルスを巡る状況は今後も予断を許さない。世界経済の低迷が、輸出に大きく依存するこの国の経済に影響を与える事も不可避である。
しかし、重要なのはこの様な文在寅政権の自信に満ちた姿勢が単に新型コロナウイルス対策に成功した事による一過性のものではなく、韓国人が着実に自らの国際的評価に対して自信をつけつつある事の結果でもある、という事である。
背景には彼らの成長があり、それに裏付けられまでの経験が存在する。2010年と2020年の彼等自身の自己評価の変化はその結果であり、だからこそ今後、それが大きく逆戻りする事は考えにくい。