しかし、それだけならその現象はこの国において特段に新しいものではない。何故なら、かつて日本による植民地支配を経験し、決して広いとは言えない朝鮮半島の分断国家として成立したこの国は、これまでも多くの危機を経験し、それを乗り越えて来た経験を有しているからである。
「団結すれば生き残る事ができるが、ばらばらになれば死しかない」。初代大統領の李承晩がそう訴えた様に、韓国の人々は大きな危機に直面する度に、強い民族主義的感情を動員して団結してこれを乗り切る事で、自らの国家と社会を維持してきた。そして危機を乗り越える度に彼等の自らの民族と国家に対する自信は強化され、民族主義の高揚が齎された。
たとえば1987年の民主化後の歴史からその例を挙げるなら、まずは97年に始まるアジア通貨危機がある。深刻な通貨危機の中、IMF(国際通貨基金)の指導下、過酷な構造改革が強制された韓国では、当時の4大財閥の1つであった大宇財閥が解体され、現代自動車で知られる現代財閥も分割されるなど、過酷な改革が行われ、多くの失業者も発生した。
しかしこの改革の結果、2000年頃までには韓国経済は危機を脱出することに成功し、新たに「IT先進国」としての発展の道を歩む事になる。
2008年のリーマンショックでは、一時は深刻な状況に陥ったものの、当時の李明博政権が早い段階から自ら構造改革を実施した事で、韓国は他の先進国に先駆けて、危機から脱出する事に成功した。この成功はオバマ米大統領の一般教書演説で取り上げられるなど、世界各国で称賛され、国際社会における韓国の評価は急上昇した。
だからこそこの2回の経済危機を脱した後、今回の文在寅のそれと同様、金大中と李明博の支持率は大きく上昇し、一時的にせよ当時の「最高記録」を記録する事となっている。
そしてこの様な経済改革の成功を受けて行われたのが、両政権の活発な外交攻勢だった。
それは金大中政権においては北朝鮮の金正日との間の歴史的な第1回南北首脳会談であり、また、李明博においては2010年11月にソウルで開催されたG20(20か国・地域首脳会合)でのアピールであった。
危機からの脱出に成功した高揚感の中で行われたこれらの外交イベントは多くの韓国の人々を満足させ、その民族主義的な感情を更に大きく高揚させる事となった。