第一章 「オリジナル創作」が流行らない理由……「オリジナル創作を流行らせる」ための基本的な考え方を身につける

〇序論


 「オリジナル創作」は流行る。何故ならほぼ全ての創作者が「オリジナル創作」を作りたいからだ。現在二次創作をしている者も、現在創作活動をしていない者も、本当は「オリジナル創作」を作りたいと思っている。でなければこの論文が開かれることはない。

 「オリジナル創作」を流行らせる。何故なら「オリジナル創作」をする文化が整っていないからだ。敷居が高すぎる、発表する場がない、オリキャラの素材が作れない、これらが全て「オリジナル創作」を悩ませている。ならばもっと簡単にする、注目の場を作る、オリキャラの素材を配布する、この「創作支援」の文化を作ることで解決する。

 「オリジナル創作」を意図的に流行らせる。何故なら「オリジナル創作」の文化を築くためには「人の集まり」が必要不可欠だからだ。「オリジナル創作」の簡単な動画を作る、簡単なオリキャラ素材を作る、創作活動をしている投稿者に「オリジナル創作」を宣伝する。この3つの活動を続けることで必ず「オリジナル創作」は流行る。

 この序論を読んだ方は、どうか今からできる小さな活動をしてほしい。論文を読んでみる、「オリジナル創作」をしてみる、誰か一人に宣伝してみる。あなたが踏み出す一歩が、「オリジナル創作」の一大ブームを巻き起こすのである。



〇転載・要約文の掲載可能 リンクフリー ※内容の改竄かいざん・作者の詐称禁止




※人によってはやや過激な内容に聞こえるかもしれません。


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    ●「オリジナル創作」に対して持たれるイメージの「高尚さ」

    ~低クオリティでも「オリジナル創作」と呼ぶことができる~

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 まず「オリジナル創作」と聞いて皆さんはどういったイメージを持つだろうか? 思い浮かべてほしい。「オリジナル創作」の作品とは一体どういったものなのか?


 ……どうだろうか? それぞれの読者の中で様々な創作のジャンルがよぎったと思う。小説、漫画、音楽、イラスト、動画劇場、自作ゲーム、それからオリキャラのTRPG、オリキャラのMMD、オリキャラの解説・講座……

 どれ一つとして間違ったものはない。他の様々な創作物をイメージした読者もいるだろうが、全て「オリジナル創作」である。「オリジナル創作」とはそれだけ広大なジャンルであり、どんな創作者でも携わることができる自由なカテゴリーなのである。

 しかしここで不思議な現象が起こる。皆さんには先ほどイメージした「オリジナル創作」を思い返してほしい。その作品とは具体的にどんな内容だっただろうか?

 

 小説であれば長編の感動ストーリー、動画であれば何Partにも渡るドラマ劇場、イラストであればプロが描いたような美麗イラスト、自作ゲームであれば何人ものキャラが登場する大作RPG……

 皆さんはとても大きなスケールの「オリジナル創作」を思い浮かべたのではないだろうか? この論文の読者はそれぞれ立場が異なる多様な人物たちだろう。それにも関わらず、共通して壮大な「オリジナル創作」のイメージを持ったのである。子供の落書きのようなものを「オリジナル創作」として思い浮かべた者は一人もいないはずだ。実際に私が持つ「オリジナル創作」のイメージも、とてもスケールが大きなものである。では何故我々はこれほど大きな空想を抱いたのだろうか? それが自分が本当に作りたい「オリジナル創作」だからである。

 「オリジナル創作」の着想とは、万人にとって「高尚な」イメージになる傾向がある。「凄いアイデアを思いついた!」、「完成したら絶対ウケる!」、そうした想いに駆られ「オリジナル創作」をやりたいと思う人たちは大勢いる。それが実現されればどれほど素晴らしいことだろうか。しかしその大きな理想を抱くことは、同時に彼らを苦しめる大きな障害ともなっているのである。

 まず本題に入る前にネット界の数少ない「オリジナル創作」と呼べる創作物、皆さんも何か一つ思い浮かべるとしよう。


 ……どうだろうか? おそらくそれも「名作」と呼ばれるものを思い浮かべたはずだ。その製作者の方もおそらく最初に壮大なスケールのイメージを抱いたことをきっかけに「オリジナル創作」を始め、ついにはそれを実現したのである。そしてネットでたくさんの評判を得て、とても充実した気持ちで満たされただろう。他の見ている人たちにも憧れを抱かれ、「自分もオリジナル創作をしたい!」という気持ちを起こさせる契機きっかけとなっただろう。しかしここで問題が起こる。憧れの名作のような「オリジナル創作」をやりたいと思った人たちが、ほとんど挫折してしまうのだ。着想を練り、素材を集め、ソフトの使い方を学ぶ、そのどれもが途中で投げ出されてしまう。創作者らはとても意欲に満ちていたはずだ。なのに何故そんなことが起こってしまうのか? それは≪名作≫のオリジナル創作を作ろうとしたからである。

 憧れの創作者の方とは、実際には人知れず膨大な苦労を重ねた方である。その「オリジナル創作」を作るため、着想を何度も練り直し、膨大な数の素材を作り、多種多様なソフトの使い方を勉強した。つまり人並外れた努力をし、「オリジナル創作」に心血を注ぎ続け、さらにもっと注ぎ続けることで、やっとその創作物を完成させたのである。それは創作活動を目指す私としても極めて尊敬の念を抱くものだ。しかしながら普通の人たちにとっては、彼らと同じように頑張って頑張り続けるということがほとんどできないのである。時間がなく、やる気がなく、様々な雑務に追われ、『名作』を作ることがどれだけ大変なことかを思い知る。そしてそうした創作者たちは思う、「自分には「オリジナル創作」なんてできないんだ……」と。ついにはそのまま「オリジナル創作」自体を諦めてしまうのである。

 このように自分が今持つ「オリジナル創作」のイメージを実現できる人はほんの一握りしか存在せず、そのため同時に「オリジナル創作」が「敷居の高いもの」だというイメージが世の中でも蔓延まんえんしている。このことにより創作者たちは「オリジナル創作」をためらってしまっているのである。皆さんも同じ考えを持っているのではないだろうか? しかしここで注意してほしい。「オリジナル創作」自体が全くできないというわけではないということを。

 幼稚園に通っていた頃を思い出してほしい。おそらく皆さんのほとんどが何か訳のわからない落書きのようなイラストを描いた経験があるだろう。もしその「落書き」を他人に見せたとしても、「何これ?」と一言言われて終わりだろう。しかしその落書きのようなものも本人からしてみれば一生懸命に描いたものであり、おそらく頭の中のアイデアを出すこと、つまり「創作」すること自体を楽しんでいたのである。他人の目のことなど気にせず、自分の頭の中を表現することだけに夢中になっていた。それは彼にとってオリジナリティに溢れた「作品」なのである。つまりそれも「オリジナル創作」と十分に呼ぶことができる創作物なのである。

 他人から見ればその「落書き」は「低クオリティ」な作品だろう。しかしここで皆さんに再認識をしてほしい。「オリジナル創作」とはハイクオリティと呼ばれる作品だけが当てはまるものではなく、「低クオリティ」と呼ばれる作品も当てはまるものだということを。つまり「オリジナル創作」の定義とは本来とても幅広いものであり、誰でも受け止めてくれる自由なカテゴリーなのである。例え顔しか描かれていない下手と呼ばれる絵でも、10秒ぐらいしかない一発ネタの動画でも、そこにオリジナル性があるなら全て「オリジナル創作」なのである。「オリジナル創作」は誰にでも始められる、誰でも作ることができる、そうした広大で自由な文化なのである。

 

 まずは「オリジナル創作とはどんなジャンルでもいい・どれだけクオリティが低くてもいい」。この共通認識を皆さんにも持っていただきたい。この寛容な考え方こそが、「オリジナル創作を流行らせる」ためにとても重要な基本概念なのである。


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    ●「オリジナル創作」の発表の場のなさ・認知度のなさ

    ~ハイクオリティでも評価されない「オリジナル創作」~

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 「オリジナル創作はどれだけクオリティが低くてもいい」。その認識は既に皆さんの間で持ってもらえただろう。しかしながらいくら我々が寛大な考え方をしていたとしても、実際に投稿してしまうと現状「クソ動画」・「荒らし」などとニコニコユーザーに思われてしまう可能性は否めない。まだ「オリジナル創作」とは許容性のある文化だと認知されていないからだ。それに皆さんのほとんどは成人していると思われるが、やはり「自分の創作で人に評価されたい」という社会的承認欲求があることは事実である。純粋にただ創作活動を楽しめていたのは子供の頃だけであり、大人になってからの創作活動は目的が入り混じったものである。創作者により様々な理由があるだろうが、我々に共通することはただ「創作をする」ことではなく、「創作をして発表する」ことなのである。「オリジナル創作をして人から見られたい」、これは万人に共通する確固たる欲求なのである。しかしながらここで全ての「オリジナル創作者」がぶつかる最大の障害が現れる。それは「オリジナル創作をしても全く人に見られない」という問題だ。

 現在ニコニコ動画では、ランキングを見ればわかる通り主流となっているのは流行のアニメやネタであり、既存の人気コンテンツの二次創作ばかりである。そうした動画はまず「人気」を理由として動画を再生されやすく、キャラクターなどの創作用の素材を集めやすい。そしていわゆる「ウケる」鉄板ネタというものが固定化されており、それさえやっておけば再生数やコメント数が稼げてしまう。つまりこのテンプレに便乗すれば簡単に「評価」されている動画を捏造することができるのである。あまつさえそういった動画は結局そのネタしか使ってはならないという雰囲気が漂っており、「作品」のマンネリ化が蔓延はびこっている。同じものばかり見てきた視聴者もその動画が面白いから見ているのではなく、「パブロフの犬」のようにただ条件反射的に再生してコメントしているだけにすぎないのである。そうした二次創作などが本当に好きで見ている人もいるだろうが、ほとんどの人はただランキングにあって目についたから再生しているだけなのである。

 一方で今のニコニコでは「オリジナル創作」を発表しても誰にも見られることがない。ランキングで「オリジナル創作」に該当する動画も一握りほど存在するが、そういった動画は投稿者の方が地道に動画投稿や宣伝活動を繰り返してやっと見られるようになったものであり、普通の人にはまず真似できない。例え新人の方が「オリジナル創作」のハイクオリティ動画を投稿して一時的にランキングに乗ったとしても、投稿活動を続けなければあっさりと消えてしまうのだ。そもそもどれだけハイクオリティな「オリジナル創作」を投稿したとしても、全くランキングに上がるもことなく他の動画に埋もれてしまうのが常なのである。結局ランキングとは動画のクオリティよりも認知度の高さのほうが圧倒的に重要であり、「オリジナル創作を流行らせる」という目的においてはハイクオリティ動画を投稿しても効果が薄いのである。


 「ハイクオリティでも『オリジナル創作』は評価されない」。まずはこの現実を皆さんにもしっかりと受け止めてほしい。その上で「『人を感動させること』と『流行を起こすこと』とは全く別次元のテーマである」、このポイントもしっかりと意識して区別してほしい。その二つの目的を達成するためには、全く正反対の行動をしなければならないのである。

 


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    ●「人気コンテンツ」とは「質」ではなく「数」で決まる

     ~何度も見かけることででっち上げられる「面白さ」~

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 先に宣言をしておく。私の考案する「オリジナル創作を流行らせる」方法とは「汚い手」と呼ばれるものだ。クオリティの高い「オリジナル創作」を目指している方は「これってホントにやっていいの?」と思うかもしれない。

 それでも私は「オリジナル創作を発表して、人から評価される」文化を作るためにはやるべきだと考えている。例え強引な手を使ってでも「創作性のあるクオリティの高い作品」がきちんと評価される土壌が築かれるなら、創作者にとっても、ニコニコ視聴者にとっても、そして私自身にとっても喜ばしいことだろうと考えている。

 私は私自身が「オリジナル創作」を発表して評価を得たいがためにこの論文を執筆している。

 


 「視聴者とは『パブロフの犬』である」。まずはこの言葉が持つ意味をしっかりと考えてほしい。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。ランキングなどを見ると流行ネタや人気ネタなどの動画を何度もサムネやタイトルで見かける。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。最初は面白くなさそうだから無視をする、そして実際大抵の場合はクオリティのないつまらないものだ。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。けれど毎日ランキングを見るといつも同じ流行ネタ・人気ネタばかりが溢れ、更にそれに関連した動画も増え続けている。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。ランキングとは形式的には「面白い」動画を載せるためのものであり、つまりランキングの動画は「面白い」という刷り込みが視聴者たちの頭の中にある。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。多くの視聴者たちはそれが間違いだということに既に気づいているが、潜在的な意識の中では「ランキングの動画は面白い」という思念が絡みついており、それは取り払うことができない。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。だから流行ネタや人気ネタが例え面白くないとわかっていても何度も接触するうちに、遂にはランキングにあるから「面白いもの」だという考えが生じてしまうのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。そしてその視聴者は結局その動画が「気になる」からクリックをしてしまう。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。コメントについても同様であり、テンプレコメントを何度も見ていると最初は何とも思っていなかったはずのに、それがだんだんみんながしてるから「面白い」と感じるようになってしまう。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。そしてそのコメントが流れるコンテンツ自体も「面白いもの」だと判断してしまうのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。そうなった結果視聴者は動画が上がる度にそのコンテンツが「面白い」から何度も見てしまうようになり、結果的に流行ネタや人気ネタなどのつまらない動画がいつまで経ってもランキングに居座り続けるのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。

 結論してニコニコ動画における「面白い」コンテンツとは、「オリジナル創作者」たちが求める「質」によって評価を得ているわけではないのだ。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。何度も見せつけられることによって「面白い」と思い込まさせられる「数」の力によって評価を拡大しているのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。つまりニコニコで流行や人気を得るためにはコンテンツの「質」はほとんどどうでもよく、コンテンツの「数」がいかに大きいかが重要となってくるのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。即ち「オリジナル創作を流行らせる」ために我々「オリジナル創作者」たちがやるべきことは、質の良い「オリジナル創作」を作ることではなく、低クオリティでも大量に「オリジナル創作」を作ることなのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。例えある一つの「オリジナル創作」動画が面白くなかったとしても、ニコニコで大量に「オリジナル創作」の動画が視聴者の目に何度も触れていれば、視聴者には「オリジナル創作が流行してる! 人気が出てる!」という思い込みが発生し、「オリジナル創作」コンテンツは「面白い」と認識するようになるのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。そのため「オリジナル創作」のタグを検索したり、「オリジナル創作」を自分も作りたいと思うようになったりして、「オリジナル創作」コンテンツに毎日触れ続ける「オリジナル創作民」が生まれるのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。そうした人物を意図的に大量に作り出すこと、それが「オリジナル創作を流行らせる」ために我々「オリジナル創作民」がすべき第一の目標なのである。「視聴者とは『パブロフの犬』である」。


 さて、ここで皆さんに問いたい。今「視聴者」にどんなイメージを持っているだろうか? 考えてみてほしい。













          「視聴者とは『パブロフの犬』である」


           そう思ったのではないだろうか?


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         ●「全人類は『パブロフの犬』である」

      ~「流行」とは「洗脳すること」と同じである~

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  先ほどの質問が投げかけられた時、皆さんの頭の中で「視聴者とは『パブロフの犬』である」という共通した認識が生まれたはずである。それはなぜだろうか? それは先ほどの文章の中で、私は同じキーワードを何度も読ませることによって読者に「意図的に統一された認識を刷り込ませる」ことをわざと狙って細工したからである。ショッキングな言葉で言ってしまえば「洗脳」の技術を論文の中に施していたのである。

 読者の中には途中から私の狙いに気づいた方もいるだろう。しかしそうした方も「視聴者」のイメージを尋ねられた時、「視聴者とは『パブロフの犬』である」という想念を止めることができなかったはずだ。それだけ「洗脳」の技術とは強力なのである。

 「洗脳」とは全ての人類が持つ「条件反射」という本能的な性質を過分に利用した「動物を操る技術」である。人間とは理性的な生き物だと言われるが、実際には「動物」としての本質の方が遥かに占める割合が大きいのである。性的なコンテンツを見かけたら目を奪われ、腹の立つコメントを見かけたら罵倒の言葉が浮かぶ。行動を抑えられるか抑えられないかの違いがあるだけで、全く「反応」すること自体が起こらない人はほとんどいないのである。エロサムネやスキャンダル、これらが低クオリティでも再生数を稼げてしまうのは人間の抑え込みがたい本能の性質を利用しているからだ。「流行アニメ」がPVやCMを何度も繰り返し流すのは、視聴者の『パブロフの犬』という本能の性質を利用するがためであり、そのアニメを見るように「洗脳」しているのである。

 「『流行』とは『洗脳』である」。この認識をまずは皆さんにも強く意識していただきたい。「『流行』とは『洗脳』である」。つまり「オリジナル創作を流行らせる」ためには視聴者を「洗脳」することが重要なのである。「『流行』とは『洗脳』である」。


 ……では、具体的に「オリジナル創作を流行らせる」ために視聴者を「洗脳」するにはどうしたらいいのか? 前項の論題で低クオリティでも「オリジナル創作」の動画を大量に投稿して、視聴者に「面白い」と思わせる「数」の重要性については既に皆さんにも理解していただいているはずだ。しかしこれだけだと、単に「オリジナル創作をしている人がいる」という認識しか生まれず、「オリジナル創作が流行ってる! 自分も乗ろう!」と「オリジナル創作民」が新たに生まれることがないのである。つまり視聴者に「オリジナル創作が流行ってる!」という思い込みを起こさなければならないのである。では、実際にどうしたらいいのか?


【オリジナル創作を流行らせる会】 


という単語を動画タイトルの一番前につける。

これを「オリジナル創作民」たちが全員で実行することである。


 

 次項・第二章より「オリジナル創作を流行らせる」ための具体的な方法について解説していく。

 ……その前にまず、ここで皆さんに質問を投げかけたい。今「視聴者」にどんなイメージを持っているだろうか?














          「視聴者とは『パブロフの犬』である」

 

 おそらくほとんどの方が同じ答えを思い浮かべたはずだ。それだけ「洗脳」とは誰も逃れることができない絶大なパワーを秘めているのである。「オリジナル創作を流行らせる」ためにこの「洗脳」の力を利用することがいかに重要であるか、改めて皆さんにも再認識してほしい。



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