「こんにちは、こんばんは。おはようから、おやすみなさいまで、アリスです」
突然ですが、数年前に購入したそろそろ替えどきなスマホと新品のマイクに向かって私は笑顔を振りまいています。顔は映っていませんが。
当然、意味もなくこんなことをしている訳もなく、唐突ですが【ライブ配信】なるものを行っているのです。
画面を見れば初登録、初配信にも関わらず開始間もなく来場者の数が4となっています。
人が来るまで待つのも考えていたので一安心ですね。
『初見』と『わこつ』2つのコメントが流れる。それだけでなんか嬉しい。
「おほん、本日から配信を始めたアリスといいます。今回は雑談や今後の予定を話せたらと思っています。名前の通り人形を使った配信をして行きたいです」
名前は勿論アリスである。これ以外有り得ない。
我ながら面白みの無い無難な挨拶だが、初めはこんな物だろう。緊張はしているが声には現れていないのが救いだ。
ぼっちコミュ障な私が配信なんて、ほんとに出来るのか、ロクに話すことも決めてないのに大丈夫かと心配事はいくらでもあるが既に配信を開始してしまっているのだ。
ここまで来て逃げる訳にはいかない。
一度配信してしまえば、私の手を離れてネットに残り続ける。輝かしい配信者アリスの第一歩成功を収めてみせるぞ。
今のところ手応えは悪くない。簡単な自己紹介から始まりコメントに反応し、淀みなく進んでいる。
あっ、視聴者も7人に増えた。なんと無く悪くない気がする。
『声かわいいね』『それコスプレ?』
『青いワンピースが眩しい』『人形て何?』
「声可愛いですか?嬉しいです。ありがとうございます。えっと、半分私服のコスプレです。光は反射してないですよ〜。人形と言うのは、えっと、後で出てきますのでお楽しみに!」
反応が返ってくるが早い。私もそれなりの速度で文字入力は出来るけど、こんなに直ぐ打てないな。
『人形劇でもするのかな?』『これは美少女』『珍しいな』『←てか古くね』『コスプレ配信者か』
「ふららんさん。随分察しが良いですね。正解です。人形劇を主にやろうと思ってます。実際の人形を操って演じる人形劇ですよ。
ペスさん。人形劇は古くないです!時代に合併せて進化を続けてますから、今の人が見ても楽しめますよ」
人数が少ないので一人一人コメントをくれた人の名前を呼んでみる。
見ず知らずの女の子とは言え、女の子に名前を呼ばれるのは何か嬉しいと思う。学生時代不意にクラスの女子に名前を呼ばれるとドキッとした覚えがある。
数少ない最初の視聴者様だ。大事にしていかなくては。
『まぁ見るか』『人形劇かー』『そんな事より顔出ししよ』『頑張れ〜』『これは貧乳』
くっ。予想はしていたけど掴みは悪い。
だけど見てなさいよ。このアリスの能力。【人形を操る程度の能力】の力を。指や腕の動きを使って糸で動かす人形とは訳が違う。【魔法】で動く人形だ。
見て驚くがいい。
「今日は最初に言った通り雑談メインですので人形劇はしませんよ。ですが私自慢の人形を紹介します。【上海】です」
頭の上に浮かしていた上海人形をカメラの目の前に降ろす。
少し驚かしちゃえ。
『うおw』『なんか出た』『画面が目玉』『やめれ』『コーヒー溢した』『ビビリ乙』
よしよし。いい気味だ。
「はい。こちらが私自慢の上海人形です。ほら上海。ご挨拶して」
糸を通して上海にお辞儀させる。
執事の様に左手を前にして腹部に当て、右手は後ろに回し腰からしっかり上半身を下げる。
パーフェクト。我ながら素晴らしい動きだ。可愛らしい人形の動きとは思えない。少なくとも現代の人形では不可能な筈だ。
「本日劇は出来ませんが、上海の魅力を伝えることは出来ると思います。存分にご覧下さいね」
【人形を操る程度の能力】を遺憾なく発揮して上海を操る。回り、跳ね、そして飛ぶ。いつか見たフィギアスケートをイメージする。
滑るように、跳ねるように、舞を魅せるように。
机の上から空中へ。
画面から外れないよう注意し、空間を最大限使って飛びまわる。
やりきった。
ふと気付くこと5分程経過していた。
集中するあまり無言で上海を動かし続けてしまった。これは大丈夫だろうか。恐る恐るコメントを見ると…。
『888888』『正直人形を舐めてた』『CG?合成?』『生配信だぞ無理だろ。マジ素晴らしかった』『どうやって動かしてんだ。空飛んでたぞ』『これは期待の新人』
『凄かったです』『息飲んだわ…』
視聴者は30人になっていた。
二桁に乗れたというのが感慨深い。
予想以上の好評価。訝しむコメントをあるが、称賛のコメントが殆どだ。あぁ。ヤバイな。これ。嬉しい。同仕様もなく嬉しい。口元が動いちゃう。絶対緩んだニヤケ顔してるよ。
「それでは本日はこの辺で終わりたいと思います。【ツイッテー】も始めたのでフォローしてくれても、その…い、いいんですよ。
ご視聴ありがとうございます。またねアリスでした」
『ツンデレかw』『あざとかわいい』『ツンデレアリスで拡散しよう』『貧乳人形娘』『またねー』
上海に手を振らせて華麗に終わる筈が、最後の最後にやらかした!。噛んで焦って、挙げ句ツンデレみたいなセリフを言ってしまった。
これ以上はコメントを見ても恥ずかしくなるだけだ。
慌てて配信を切る。
事故が起きない様にマイクのコードを引き抜いた。
突発的に始めた事もあって、配信時間は20分程でしか無かったがここ数年で一番緊張した。心臓がバクバクと脈打っている。
当分慣れそうにない。
そもそも慣れるまで続けれるかも微妙だ。1時間、2時間と配信を続けている人は凄すぎる。以前のつまんない話をダラダラしやがって、なんて考えていたのが恥ずかしい。
しかし、【外に出たくない】以上そう簡単に辞める訳にもいかない。自分を出す場は人間にとって必要不可欠なのだ。引き篭もりの経験からそれは間違いない。
アリスの魅力をみせる事ができるのもいい。外には出たくないが、アリスの可愛いさは沢山の人にみせて自慢したい。
それにもしかすると、この配信が貴重な収入源になる可能性も僅かだが無くはないのだ。
「そうよ。私はもう外になんて出ないんだから。外で働くなんて以てのほかよ。私の居場所はここ。この住み慣れた家の中で上海と一緒に暮らしていくの」
自分に言い聞かせる。
アリスになってメンタルが弱くなった気もするが、元々が無職の引き篭もりのメンタルなのだ。誤差の範囲だろう。
あの日の事は早く忘れてしまおう。それがいい。アリスになって初めて外出したあの日。
自分で選んだ可愛らしい服を着て、鏡とにらめっこしながら精一杯の化粧をして、意気揚々とお出掛け…なんてしなかったのだ。
あの日は、密林から届いた商品を整理している間に日が暮れてしまったんだ。それから、お風呂に入り鏡の前でワインを飲みながら寝落ちしてしまったんだった。
そうそう、あの日のアリスは可愛かった。
赤ワインと酔って赤らんだ顔が何とも言えない色気を出していたな。
うん。そうだった。そうだった。
私ったら何を言ってるのかしら。
こんないい思い出を忘れるなんて、どうかしていたわ。
ーーーしかし記憶というのは、忘れよう、忘れようと考えれば考える程、忘れられなくなる物だ。
こんな事を考えている時点で、記憶は強く強く脳に刻まれていく。
案の定、そんな事を考えている内にあの新たな【黒歴史】が生まれた日の記憶が鮮明に蘇って来るのであった。
「………」
【ライブ配信】いつの間にか大人気。
【人形を操る程度の能力】操れる人形は今のとこ1体。
【魔法】実は既に少し使える。
【上海】金髪に映える赤いリボンがチャームポイント。可愛い。
【ツイッテー】大人気SNS。アイコンはアリスの胸元に抱かれた上海人形。
【外に出たくない】分かる人は引きこ…否、インドア派。わかるってばよ。
【黒歴史】思い出してはいけない。だが忘れる事はもう出来ない。