行楽日和の青空と
「遊べません」の紙が貼られ
ロープとテープでぐるぐる巻きにされた
遊具とのコントラストは、
現下の状況を確認させる強烈な象徴だ。

2月末のいわゆる「要請」以降、
T.P.S.も「1部屋に1組」授業の徹底など
種々の対応に追われる日々を過ごしている。

教育現場も家庭もこれまでは
「休校期間をいかにして乗り越えるか」
ということに心を砕き力を尽くしてきたが、
そろそろ私たちは
「条件付きで再開される学校生活」について
考えなければならない。

新規感染者ゼロかつ無症状感染者ゼロ
の完全終息まで
休校延長することはないので、
学校はいわゆる「withコロナ」の状況下で
再開されることになる。

文科省や自治体が
学校再開についての指針を出し始めており、
それによれば
今年の運動会も文化祭も修学旅行も
部活の試合もコンクールも
全て中止だ。

音楽・家庭科・体育の授業も
実技や実習は実施困難。

そして夏休みも冬休みも
短縮となる見通しである。

措置の目的も必要性も理解できるが、
子どもたちは本当に気の毒だ。

この春を楽しみに
一所懸命に勉強をがんばり
受験を乗り越えた子たちがいる。

学生生活最後の大会で結果を出そう
と決意を固めていたはずの子たちがいる。

「学びを止めるな」が叫ばれているが、
学校教育のスケジュールが停止している以上
学習の遅れは原理的に存在しない。

ワンフレーズに駆り立てられて
冷静さを失い
本質的な思考を奪われてはならないと思う。

スローガンというのは
いつも何かを隠蔽しているものだ。

次に始まる学校生活は「あの日々」とは違う。

多くのことを諦めて学校は再開し、
多くのことを諦めながら
その後の日々を過ごしていくことになる。

そのことについてこそ、
私たちはよく考えなければならないと思う。