【卒業生インタビュー】(株)納豆 代表取締役社長・宮下 裕任さん
(2009年大学院理工学研究科博士前期課程修了)
本気で人生を賭けてやれば、自分は変わるかもしれない
水戸といえば、納豆。こんな伝説が残っている。源頼朝の祖先にあたる源義家が永和3(1083)年に陸奥守に就任し、後三年の役として知られる清原氏の内紛に介入すべく奥州へ向かう途上、当時宿駅のあった渡里の里(水戸市)に宿営した。そこで家来が馬の飼料に作った煮豆の残りを藁で包んでおいたところ、自然発酵して糸を引くようになっていた。試しに食べてみると、これが美味い。義家に献じると、大変喜ばれ、以来、将軍に納めた豆であることから、「納豆」と名付けられたという。
「ファイナル・ファンタジー」などのTVゲームの映像が3Dになった頃、「そういう勉強ができるかな」と、工学部のシステム工学科(当時)に入学しました。コンデンサーや回路などをメインに、研究室ではプログラミングを主に研究していました。大学院の就活時にリーマン・ショックが重なりましたが、幸い、米国のIT製品の総合代理店業務などを行うNTTアドバンステクノロジに就職が決まりました。
採用は技術職。でも、入社日に「営業をやりたい」と志願しました。主にネットワーク構築を担当しました。ちょうど、 Facebookが日本に来た頃ですね。入社一年目の同期の中では、ダントツで1位の営業成績を残しました。
実は、社会人としてのスタート・ダッシュには、大学院生の時の経験が生きています。大学院最初の年に指導教員の白石昌武先生(現名誉教授)から「国際会議の議長をやらないか」と依頼があったんです。茨大生主催の茨城大学学生国際会議(現在の茨城国際会議)の第4回開催の時です。僕のそれまでの学生生活って、何も残っているものがなくて、「本気で人生を賭けてこれをやってみよう」と、過去4回の会議のなかで1番の成果を挙げることを目標に掲げて引き受けたんです。
自分では「チョロQの原理」って言っているのですが、このまま!このまま!と貯めておいて、何かのきっかけで手を離したら、スパーン!と行くじゃないですか(笑)。学部時代の空虚さに反動して勢いづいた姿が、まさにこの国際会議の時の僕自身だったんですね。
刺激になったのは、会議当日、ディスカッションなどをしながら海外の学生たちと過ごした交流の時間。みんな優秀で「世界には素晴らしい人がこんなにいっぱいいるんだ」と痛感しましてね。将来、グローバルな環境に身を投じて、どこまで行けるか試してみたいと思ったんです。6年半勤めたNTTグループでの仕事は、その始まりでした。
30歳までに海外で仕事をすると決めて、いよいよという頃に、水戸を盛り上げるために何かワクワクするようなことをやりたいと、有志で集まった仲間たちと納豆の魅力をSNSで配信する「納豆男子」をオープンしました。「納豆に何を入れるの?」という話で盛り上がって、「じゃあ、納豆のトッピングを真面目に議論してみよう!」と配信したら、大好評。最終的に122種類のトッピングを配信して、開設3ヶ月で1万5000くらいの「いいね!」があり、全国で個人のSNSで4位くらいまで駆け上がったんです。
ちょうどその頃、ジェトロ(日本貿易振興機構)と在日タンザニア大使館が、ジャパン・パビリオンとして、アフリカのタンザニアで開かれる商業祭に日本企業の出展を募っていたんです。そこで「アフリカの人に納豆を食べてもらうというのは、面白いかも!」と、いつものノリで申請したら、「個人での参加は無理」と言われてしまって(笑)。茨大出身のアフリカ人のエンジニアのお父さんが色々と手を尽くしてくれたりして、なんとか申請に漕ぎ着けたのですが、蓋を開けてみると、住友商事、パナソニック、ソニー、ブリジストン...錚々たる日本企業のブースの並ぶ中に、「納豆男子」ですよ。みんな大爆笑。会期中5日間で1000人に納豆を配りました。タンザニアの大統領も試食してくれました。
誰もやってないことにトライするっていうのは、扉を開くというか、何か感動的な経験になりますね。アフリカでの納豆普及から帰ってきたら、納豆男子に出資を申し出てくれた企業があって、びっくり。「人生って、こんな感じで変わって行くんだな」と驚いたものでした。
世界中の食卓に納豆を届けるぞ!
「納豆男子」開設から半年後。2015年にNTTを辞め、 KDDI香港で仕事を始めた宮下さんは、「納豆男子」との二足の草鞋で、中国系と日系の金融機関のソリューション営業に勤め、海外で働く夢を実現した。しかし、1年で退職。帰国には新たな目標があった。
香港での経験は、僕の人生を大きく変えたし、大きな自信になりましたね。20代で頑張ってきたこと、努力してきたこと、英会話で費やした費用、全部戻ってきた気がします。でも、新しい目標ができたんです。水戸に納豆のお店を出すことです。
全国納豆協同組合連合会に登録されている事業所は、およそ600社。そのうちの30社くらいが茨城にあります。「納豆と言えば、水戸」と茨城の人は思っていますが、美味しい納豆屋さんは、結構、全国あちこちにあります。そんな美味しい納豆を結集した専門店で水戸を盛り上げようというのが、お店のコンセプト。2018年に会社を立ち上げ、翌年の「納豆の日」(7月10日)に「納豆スタンド"令和納豆"」を開店しました。
店舗はビジネスホテルのビル2階で、席数は20席。みんなで作り上げていこうと思い、未完成なくらいのシンプルさでオープンしました。昼は全国から取りそろえた納豆10種類と茨城県産のトッピング具材10種類から選択できる「納豆ご飯セット」を松・竹・梅・極松で用意しています。夜は、納豆料理のほか、納豆を食べて育った「納豆牛」や「納豆豚」の料理など、納豆をテーマにした30種以上の料理や地酒などをそろえています。
資金は、クラウドファンディングで募りました。アイディアがあっても形にできない人たちを巻き込むことが地方創生につながるという強い思いがあったので、思い切って「一緒にやりませんか」と呼びかけてみたんです。支援者へは「納豆一生無料パスポート」を贈呈。これが売れに売れまして(笑)。茨城県内で歴代2位、利用したクラウドファンディングサービスでは全国5位の資金調達となりました。
消費者にとって1万円を投資するというのは、大きな行動です。何をしたいのか、どういう事業をやりたいと思っているのか、ちゃんと僕らの思いを伝えようと努めました。開店当初はものすごい混雑で、8月には2000人以上のお客様が来店されましたから、少なからずクレームもありました。苦情は避けられないのがこの世界ですが、統計的には異例の少なさで、「応援していますからね」という声はもちろんのこと、多くのサイレントカスタマーみたいな人たちに見守られていることに、むしろ励まされています。
会社の方針としては、世界中の食卓に納豆を届けることが目標です。「197か国に納豆を届ける」...、人生かけて成し遂げたいですね。水戸に世界を牽引する納豆のバイオ会社を作るのが、僕の夢であり、希望です。
実は、(2019年)8月末に、カリフォルニアにある納豆メーカーを買収したんです。昨年実績で、年間12万個、月1万個納豆を作って販売していた会社です。前経営者は、実は日本人だったのですが、「今までどんな営業をされてきたんですか」と訊ねたら、何もやってこなかったとおっしゃるんですよ(笑)。やってこないで、この実績でしょ。凄いですよね。これからの可能性を考えると、胸がわくわくしてきます(笑)。
プロフィール
宮下裕任(みやした・ひろただ)
1984年水戸市生まれ。茨城大学大学院理工学部研究科博士課程前期修了。 2009年にNTTアドバンステクノロジ入社後、海外製品の法人営業及び新規顧客開拓に従事。 2015年に納豆男子を結成し、業界初となる日本産納豆のアフリカ大陸進出を実現。KDDI香港を経て2018年に株式会社納豆を設立、翌2019年4月1日から6月19日にクラウドファンディングで開業資金を調達。リターンの1つ「納豆ご飯一生涯無料パスポート」が話題となり、1000人を超える人々から1246万円の支援を受け、同年7月、水戸市内に納豆ご飯専門店「納豆スタンド "令和納豆"」を開店した。
(取材・構成:茨城大学広報誌『iUP』編集チーム)