揚げ物ではなかった「とんかつ」誕生秘話

豚肉の炒め焼きが遂げた画期的な進化とは

2011.06.10(Fri)澁川 祐子

 <鶏や牛、犢(こうし)、豚の肉をコロッケと同じやうなころもをつけて揚げたもので、一番皆様のお口に馴染んでゐるのは、豚肉(ぶた)のカツレツつまりトンカツでございませう>

 登場から10年ほどで、とんかつはすっかり庶民の舌に慣れ親しんでいたと言えよう。

 かくして、文明開化とともに伝わった「コートレット」は70年近い年月の間に、「カツレツ」という洋食になり、さらには「とんかつ」という和食へと、華麗なる変身を遂げたのである。

「大カツレツ」を豪快にいただいた

 今回、原稿を書くにあたって「煉瓦亭」へ走った。「煉瓦亭」には何度か行ったことがあったが、うっかりしたことにポークカツレツを食べていなかったのだ。

 閉店間際に店に入ると、ポークカツレツは売り切れだという。だが、「大カツレツならありますよ」と言われた。一緒に行った人を道連れに、思い切って大カツレツを注文してみた。国文学者の池田弥三郎が『私の食物誌』(1965年、新潮社)の中で、「大カツ」と題し<食い盛りのわたしたち学生を大いに満足させた>と述懐している、あの煉瓦亭名物である。

 煉瓦亭ではカツレツを売り出した当初、これをお腹いっぱい食べようと2人前、3人前と頼む若者が後を絶たなかったという。ならば、特大のカツをつくってしまおうと、売り出されたのが名物「大カツレツ」である。

 出てきたカツは、笑ってしまうくらい大きかった。「わらじカツ」の通称にふさわしい、ゆうに2枚分はある大きさ。キツネ色の衣にフォークをざくっと刺して、豪快にいただく。2人でシェアして、お腹いっぱいである。衣で肉のボリューム感が倍増する。

 だからこそ、肉が贅沢品だった時代に庶民の舌を虜にしたのだろう。若き日の池波正太郎は、この大カツレツを3枚平らげたことがあるというのだから、恐るべき食欲だ。

 一方、とんかつの元祖といわれる「ぽん多本家」のカツレツは、煉瓦亭に比べると上品な味だ。黄金色のカツを箸でつまむと、薄桃色の分厚い肉の断面が現れる。サクッとしたきめ細かい衣の食感に、やわらかな肉の弾力。さらさらなソースが、カツの味を引き立てる。衣が荒く、脂身の多い煉瓦亭のカツとは、まったく別物だった。

 洋食屋のポークカツレツに、とんかつ屋の厚切りカツ。蕎麦屋に行けばカツ丼があり、パン屋にはカツサンド、カレー屋にはカツカレーもある。ご当地カツとしては、名古屋の味噌カツが有名だ。

 食欲をそそる、油の匂い。衣のはじけるパチパチという音。キツネ色したカツに、みずみずしいキャベツの緑。サクサクの食感。そして、口の中で広がる油と肉のうまみ──大変身を遂げて登場したとんかつは、いまやいろんな味に姿を変え、人々の五感を刺激し続けている。

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