長い引用になってしまった。
本来なら、ツイートの内容をあらためて記事のためのひとつながりの文章として書き起こすのがライターとして誠実な仕事ぶりなのだろうが、もはや私は、その作業をこなすだけの根気を持っていない。というのも、このテーマについて書くことは、私を限りなく疲弊させるからだ。
だからこそ、勇気をもって週刊文春の編集部に告発の記事を持ち込んだA子さんには最大限の敬意と称賛を表明したい。この告発が、彼女をどれほど疲弊させているのかは、想像するに余りあることだ。私は彼女を尊敬する。彼女の行動は、単に彼女が自分自身を守るために役立つだけではない。出版業界の狂った常識を世に知らしめるために、彼女が今回明らかにした経緯は、大きな意味を持っている。
同じようななりゆきで原稿料を踏み倒されたライターの話は、常に業界に流れている。私もいくつか聞いたことがある。セクハラも、日常茶飯事と言って良い。まさか、などと驚いてはいけない。出版業界は、古い体質を強く残した封建的で大時代な、愚かな業界だ。その古さは、出版という仕事を昔からあるカタチのまま現代に引き継ぐために不可欠な部分もあるのだが、それはそれとして、いつも大きな弊害をもたらしている。
彼女の告発を「チクり」「密告」「タレコミ」「言いつけ口」「売名行為」と評する輩が、今後、大量に現れるはずだが、どうか気にしないでほしい。
彼らは、出版業界における社員編集者の横暴と思い上がり(具体的には踏み倒しとセクハラと文化人ヅラ)を裏から支えてきた権力の尖兵にすぎない。
ライターは本当にひどい目に遭っている。
特に、21世紀に入ってから、業界関係者のすべてが貧窮化する中で、末端に位置するライターの地位と収入と自由度と再就職可能性は、極限まで縮小しつつある。
私自身の話をすれば、私は、1980年代にデビューした幸運なライターだった。私以外にも業界が膨張過程にあった状況下で参入した当時の書き手には、下積みの苦労を経験しないままデビューした幸運な書き手が少なくない。
というのも、雑誌が次々と創刊され、書籍の売り上げが年々増大しつつあった上昇局面の中の書き手は、さしたる実績がなくても仕事を見つけることができたからだ。
であるから、最初の雑誌に連載を持った時点では、私は、ほとんどまったく実績を持っていないブラブラ者の失業者にすぎなかった。たまたま雑誌を創刊した編集長とその周辺のメンバーが、同じゲームセンターに通う遊び仲間だったからという縁で、いきなり連載枠を与えられたカタチだ。
はじめての単著も、交通事故みたいな調子で書いたものだ。
さる銀行の電算室でパソコン(当時は「マイコン」と呼ばれていましたね)の入門書をいくつか書いていた人物に、とあるライブハウスの楽屋で、アマチュアロックバンドの対バンのメンバーとして紹介された時、
「キミ、大学出てぶらぶらしてるんならコンピュータの本書かない?」
「え? オレ、そんなもの知りませんよ」
「知らないから入門書が書けるんじゃないか(笑)」
と、おおよそ、そういういいかげんななりゆきで、この道に入ったわけだ。
何を言いたいのかというと、私のような50歳を超えたライターは、21世紀の若いライターさんたちが味わっている苦境を本当には知らないということで、だから、不況下の出版業界で苦しんでいる若いライターは、先輩を敬う必要なんかないぞということだ。
ライターにとって何が一番むずかしいかというと、実績を持たない素人の立場から脱して、最初に活字の原稿を書くためのきっかけをつかむことだ。
つまり、書くことそのものよりも、デビューのための入り口を見つけることの方が死活的に重要だということだ。このことはまた、多くのライター志望者にとって、デビューすることが最大の障壁になっていることを意味してもいる。
そこのところさえなんとかクリアすれば、あとは、実績を少しずつ積み上げながら、自分の世界を少しずつでも、広げて行くことができる。
この事態を逆方向から観察すると、ライター志望者もしくは、駆け出しのライターの目から見て、大手出版社の社員編集者は、生殺与奪の権をすべて備え持った神の如き存在に見えているということでもある。
特段に威張り散らすまでもなく、編集者は編集者だというだけで、若いライターにとっては、すでにして全能の神なのである。
私は、その最初の苦労を経験していない。
いきなり、コネと顔なじみの力だけで、しかるべき「座席」におさまった至極ラッキーな参入者だった。
ついでに申せばライターの「実力」と言われているものの半分以上は、その「座席」の力だったりする。
ここのところの話は、ちょっとわかりにくいかもしれない。
コメント47件
あ
本文に全く関係ないのですが、「ライター」という表現で、昔読んだ音楽雑誌か何かで「最近原稿の質が落ちたのは書いてる人間の肩書きが音楽評論家から音楽ライターになったからだ」というのを読んだのを思い出しました。まあ「音楽評論家」で蔵建てたのは自分
が知ってる範囲では渋谷陽一大貫憲章伊藤政則の3人しかいないですが確かに最近の音楽関連コラムって内容スカスカか自己陶酔してる気色悪いものしかない記憶が。
...続きを読む尤も、小田嶋センセイは評論家ってスタンスにはなってほしくないなあ。勿論そんな気は毛頭ないでしょうが笑
山川草木
黒川氏が自ら危険牌を切ったのではという小田嶋さんの見立てについては、私も同様な感想をもった。
辞めるに辞められない状況にあったのではないかと思うし、この先、安倍と同じ舟に乗っていてあまりいいことがあるとも思えない。
周囲の流れを読んで
うまくそれに乗ることでキャリアを重ねてきた結果として今の黒川氏があり、本人としては麻雀をやるようなつもりでやっていたら最後に振り込んだみたいな感じか。
...続きを読むさて、このあと安倍側がどうやってここを切り抜けるかが問題。どちらに転ぶのか注目だ。
箕輪氏の件については、出版界の置かれた状況がよくわかった。
新聞・テレビの体たらくは黒川氏の件で改めて浮き彫りにったが、出版界も相当ひどそうだ。
出版不況の中、因習まみれの出版界を刷新すべき旗頭的な存在が箕輪氏ということか。
ネットやITの周辺でマネーを巡って魑魅魍魎が集合している図は想像がつく。出版をマネタイズしようとしているわけか。
70~80年代にしてもすでに作家より編集者、クリエイターよりはプロデューサーという状況にはなっていたろう。
おそらく「モノ」から「マネーや情報」へと価値が移る流れの中の出来事だったのだろう。
それが21世紀となった今も、古臭い人間的欲望の基本は変わらず、紙媒体がネットに置き換えられただけということか。
本来は創作分野でもっと本質的な変化が起こらなければいけないのだろう。
テクノロジー面でいうなら、出版界がやろうとしていることはすでに
グーグルやアマゾンがもっとエレガントに幅広く徹底的に行っている。
人間のでる幕はなくなっているともいえるが、それは古くさい因習的な人間が駆逐されるという意味ではむしろよかったのかもしれない。
問題は、その上にたって、我々がどんな芸術的な営みを行い、創作環境を作っていくかということだろう。
あ
このコメントは投稿者本人によって削除されました
あ
賭け麻雀と聞いてふと石田純一氏の義父(元ライオンズ東尾氏)と元巨人の柴田氏を思い出したのは自分だけでしょう。
特に不祥事発覚後の自宅インタビュー時にトランプ柄のセーターを着てた柴田氏が懐かしいです。
ぞんざい人
>体力が戻ったら、あらためて取り組んでみたい。
↑そうしてください。
今回の記事の題材は残念に思った。
体調よくないのに無理しているんでしょうか・・・、お大事に。
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