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 テレビタレントの例を引くと、ずっと直感的にわかりやすくなると思うので、以下、芸能人の「実力」の話をする。

 芸能人の「実力」は、そのほとんどすべてを「知名度」に負っている。で、その「知名度」の源泉となるのは、メディアへの露出度で、メディアへの露出量を担保するのは、そのタレントの「実力」ということになっている。

 ん? この話はいわゆる「ニワトリとタマゴ」じゃないかと思ったあなたは正しい。

  1. 知名度があるからみんなが知っている
  2. みんなが知っているから愛される
  3. 愛されるからタレントとしての実力が認められる
  4. タレントとしての実力があるから出演のオファーが来る
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 つまり、最初に誰かのおまけでも何でも良いからテレビに出て顔を売れば、その顔を売ったという実績が自分の商品価値になるということだ。
 ライターも実は似たようなものだ。商業誌に連載を持っているからといって、そのライターがとびっきりに文章の上手な書き手であるわけでもなければ、人並みはずれて頭が良いわけでもない。正直なところを述べれば、一流の雑誌に書いているライターの中にも、取りえのない書き手はいくらでもいる。

 それでも、一度業界に「座席」を占めたライターが仕事を失わないのは、業界の編集者たちが「◯◯誌に書いている」という実績を重視する中で、「実力」と称されるものが仮定されているからだ。
 行列のできるラーメン屋の構造と同じだ。誰もが行列のケツにつきたがる。そういうくだらない話だ。

 そんなわけで、キャスティング権を握っているテレビのプロデューサーや、編集権を手の内に持つ雑誌の編集者は、言ってみれば、タレントやライターの「実力」を自在に生産・配布する利権そのものなのである。

 長い原稿になってしまった。
 本当は書きたいことは、まだまだこの3倍くらいある。
 別の機会に書くことになるかもしれない。
 体力が戻ったら、あらためて取り組んでみたい。

 当面の結論として、私はとりあえず、出版社の未来には絶望している。

 絶望というより、うんざりしている。
 出版エージェントだとか、オンラインサロンだとか、ユーチューブのチャンネルだとか、箕輪氏の周辺には、出版という古くさい業態を、新しいマネタイズのチャンネルとして再定義せんとするニヤニヤ顔の野心家たちが群れ集まっている。その様子に、私は強烈な嫌悪感をおぼえている。

 出版業界の古さには良い面と悪い面がある。

 出版業界の新しい試みにも期待できる面と明らかにうさんくさい面の二通りの印象を抱いている。

 報道が本当ならば、箕輪氏は、出版業界の古い体質が容易にぬぐいきれずにいる醜さと、出版をアップデートしようと新しい人々が共通してその身のうちに備えている薄汚さを併せ持ったクズの中のクズだと思っている。

 A子さんと箕輪氏の間に何があったのかは、この先、文春砲の第2弾になるのか、あるいは裁判という経路を通じて明らかになるのかはわからないが、いずれ、天下の知るところとなるはずだ。

 この原稿では、事実関係の細かいところを追うことはあえてしなかったが、ともあれ、私は、天才編集者を名乗る人間が、一方では、出版のマネタイズを近代化する方法を提案しているように見せかけながら、他方では、およそ前近代的な奴隷出版の手口でライターを使役していたことが、今回の事件の本質だと思っている。

 長い原稿になってしまった。

 私はとても疲弊している。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?

現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
「ア・ピース・オブ・警句」が書籍化です!


ア・ピース・オブ・警句
5年間の「空気の研究」 2015-2019

 同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。

 私たちはあまりにもよく似た事件の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍磨させられてきた。

 それが日本の私たちの、この5年間だった。
 まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。

 別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。

 ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)

 人気連載「ア・ピース・オブ・警句」の5年間の集大成、3月16日、満を持して刊行。

 3月20日にはミシマ社さんから『小田嶋隆のコラムの切り口』も刊行されました。