前回までは、国債を中心に日本財政の現状を確認してきました。今回からは、いざ「日本の財政を取り巻く問題」についてみていきましょう!…と言いたいところですが、すみません、もう少し待ってください。日本について見る前に、1991年に崩壊したソビエト連邦(ソ連)と、その後のロシア連邦の混乱について紹介します。
全体主義体制のもと、
特権階級だけが富を使い放題
20世紀のはじめに成立したソ連は、紆余曲折の末、1991年の12月25日、ゴルバチョフの大統領辞任に伴い崩壊しました。
ちょうど偶然この日にソ連を訪れていた知人(日本人)によると、当時の首都モスクワは、次のような状態だったそうです。
「私はソ連が崩壊した日に、たまたまモスクワに行く用事があった。
空港は真っ暗で、電気はついていなかった。
私はロシア語が全く読めないので心細かった。
バスを降りたら物売りがわーっときた。
何十人も突進してきて怖かった。
身なりはひどく、生活は困窮しているようだった。
街中にはモノがなにもなかった。
まともな店を探し続け、やっと見つけたが、ソ連の通貨であるルーブルは受け取ってくれなかった。
仕方なくドルで払った。 カラカラの天気で、雪も降っていなかった。ホテルに着いた。
トイレはぼろぼろで、便器の蓋はなかった。
娘はまだ小さくて、どう用をたせばよいのかと泣いたため、便器の上に立って用をたせと言ったことを記憶している。」
崩壊する前から、ソ連には深刻な問題がありました。
まず、ソ連政府はひどい財政難でした。この原因は、ソ連が長年にわたり軍拡を続け軍事費がかさんでいたことや、企業や一部の個人に多額の補助金を出していたことなど、たくさんあります。帳簿上はうまく行っているようにみせかけていましたが、実態は火の車でした。
また、ソ連共産党による全体主義体制が続いていました。このような全体主義体制はたいてい、特権階級と一般市民の間に、大きな格差を作ります。今の北朝鮮が良い例ですね。北朝鮮では、金正恩をはじめとする政府高官に近い人ばかりオイシイ思いをしています。
ソ連も北朝鮮と同様、党や軍などの特権階級が、国家の富を独り占めにしていました。このような特権階級に一般市民が入るのは、ほぼ不可能でした。
こうなると、一般市民はやる気と希望をなくし、仕事をサボるようになります。皆がそうなってしまうと生産性は上がらず、国の経済全体がダメになっていきます。生産性は低く、近代化も遅れ、自由主義・資本主義を唱えるアメリカや西側先進国との経済格差は、ますます開いていきました。
このように、ソ連の経済は長年にわたり腐りつつありました。にも関わらず、ソ連政府は軍事費や補助金を相変わらず出し続けていました。こんなことをしていると、当然、いきづまります。そんなときにゴルバチョフが出てきて、ソ連を立て直そうと改革に挑戦したものの、紆余曲折あって失敗しました。
結局、1991年の12月25日、ソ連は崩壊します。その後、エリツィン大統領が率いるロシア連邦が成立しました。
では、崩壊前後、経済面ではどんなことが起きたのでしょうか。さまざまなことが起こった中でも特筆すべきは、ソ連崩壊後、もともと起きていたインフレがさらに加速したということです。
そもそも、インフレとはなんでしょうか。ひとことで言うと、その国で使われるおカネの価値が下がることです。モノの値段もたいていあがります。たまに値段が下がるモノもあるので一概にはいえないのですが、たいていのモノの値段は上がるので、インフレのときはモノの値段が上がると考えてしまってもいいでしょう。「インフレ=おカネの価値が下がる。たいていのモノの値段は上がる」と覚えてください。
また、モノの値段が上がることを、物価が上がるといいます。どれだけ上がったかという割合を、「インフレ率」や「物価上昇率」などと言います。
話を戻すと、1992年のロシアのインフレ率は、なんと約2500%でした。たとえるなら、1個100円だったコンビニのおにぎりが1年で2500円になってしまったり、250万円あった銀行預金が1年で10万円になってしまうような感じです。想像すると怖くなりますね。
参考までに、1993年、94年、95年も、ロシアのインフレ率はそれぞれ900%、300%、200%くらいありました。単純計算すると1992年から1995年までで、物価が1000倍以上になったことになります。1個100円だったコンビニの菓子パンが、1個10万円になったような感じです。すごいですね。
ソ連崩壊後、医療制度が廃止されて
バタバタと大量に死んでいった
では、なぜこの時期にロシアでこんなにもすさまじいインフレが起きたのでしょうか。
最大の原因は、ソ連時代に生み出された膨大な財政赤字です。ロシア連邦は自分たちはソ連の継承国だと宣言したので、ソ連の債務も引き継ぎました。一般的に、膨大な借金があると国家の信用力は低くなります。
また、新たに成立したロシア政府が急激な経済自由化を行ったことも一因です。ソ連はもともと、中央政府が生産設備を独占していました。ソ連崩壊後、ソ連時代に作られた生産設備は、格安で民間の企業に払い下げられました。その人たちは、生産設備を実質的に独占できたので、価格を吊り上げていきました。
当然、モノは足りなくなり、物価は上がります。何十年もバリバリのソ連式経済体制のもとで暮らしてきた人々の中には、うまく立ち回ることができず、ひどい目にあう人が続出しました。市場メカニズムも十分うまく機能せず、大混乱が起きました。
貨幣の価値が下がると、当然モノも買いにくくなります。モノが足りなくなると、ますますインフレが進みます。これらの原因を背景に、ロシアではものすごいインフレが進んでいきました。
また、このほかにも、ソ連崩壊後のロシアを痛めつける原因はいくつかありました。
たとえば、この時期、運悪く原油などの資源価格も低迷しました。ロシアの主産業は、いまも昔も、原油や天然ガスなど天然資源の輸出です。資源価格が下がると、景気は悪くなります。
そうなると、税収は減り、財政難が加速していきます。財政難になると、予算の執行がいい加減になったり、公務員の給料がカットされたり、わいろをもらったり裏金をちょろまかす公務員が増えたりします。これらは当然、社会全体に悪影響を及ぼします。
また、年金・医療などの各種社会保障制度が、財政難を背景に、廃止ないし大幅カットされました。いちおう年金や医療のシステムはあったものの、これも財政難から支給水準は低いものでした。年金だけではとても暮らしていけるレベルには遠く、医療にいたっては入院してから手術するまで何ヵ月も待たされるような状態でした。
ソ連時代、質は低かったものの、医療は基本的に無料でした。それが財政難により廃止されたり、大幅カットされたりしました。そうなると、お金のある人はまだしも、お金がない人は医療を受けられなくなります。
これによって、ソ連崩壊後、主に貧しい高齢者や病人を中心に、数百万人の人が死にました。年金が足りず、貧乏でお金もない人は、医療サービスのお金を支払えませんし、薬も買えません。結果、ソ連時代に年金や医療などの社会保障で生きながらえていた人たちは、ソ連崩壊前後の数年間で、バタバタと大量に死んでいったのです。
参考までに、ソ連時代の1986年からロシアになった1994年にかけて、男性の平均寿命は65歳から58歳へと7歳も低下しました。わずか10年たらずでこれだけ減ったのです。いかにソ連崩壊前後に人がたくさん亡くなったかがわかります。
