ごごナマ「藤田弓子」1968年の朝ドラ「あしたこそ」でヒロイン。79年の「マー姉ちゃん」以来、母親役で数々…


出典:『ごごナマ「藤田弓子」1968年の朝ドラ「あしたこそ」でヒロイン』の番組情報(EPGから引用)


ごごナマ「藤田弓子」[字]


ゲストは女優の藤田弓子さん。1968年の朝ドラ「あしたこそ」でヒロイン。79年の「マー姉ちゃん」以来、母親役で数々のドラマ出演。伊豆に住み劇を主宰する今に迫る。


詳細情報

番組内容

ゲストは女優の藤田弓子さん。1968年の朝ドラ「あしたこそ」でヒロイン。79年の「マー姉ちゃん」以来、母親役で数々のドラマ出演。伊豆に住み劇を主宰する今に迫る。▽母が見つけた富士山の見える家で夫とふたり暮らし。夫の脚本を藤田さんが演出。年末の公演に向けて稽古中の劇団を探訪。▽噂の真相。声優デビューを競ったあの大スターとは?仰天の酒豪伝説。酔うと超人に?▽「朝ドラ」初のカラー放送の舞台裏。

出演者

【MC】船越英一郎,美保純,阿部渉,【ゲスト】藤田弓子,【出演】ヒデ


『ごごナマ「藤田弓子」1968年の朝ドラ「あしたこそ」でヒロイン』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ごごナマ「藤田弓子」1968年の朝ドラ「あしたこそ」でヒロイン
  1. 藤田
  2. 船越
  3. 阿部
  4. 本当
  5. 美保
  6. ヒデ
  7. 一緒
  8. 映画
  9. 当時
  10. 元気
  11. 仕事
  12. 大変
  13. 朝ドラ
  14. 弓子
  15. 小百合
  16. ラジオ
  17. 今日
  18. 最初
  19. お母様
  20. お話


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摂子≫桜を見るとね
毎年思い出すの。

阿部≫連続テレビ小説
「あしたこそ」で

ヒロインデビュー。
藤田弓子さんが今日のゲストです。

朝ドラ初のカラー作品は
試行錯誤の連続だった?

はる≫気をつけて行ってきてね。

阿部≫10年後に出演した朝ドラ
「マー姉ちゃん」。

ヒロインを支える肝っ玉母さんが

当たり役に。

≫女性チーム、よーい、スタート。

藤田≫看護婦さん、制服。
≫白衣!

阿部≫「連想ゲーム」
紅組キャプテンとしても活躍。

74歳を迎えてなお
元気でパワフル!

伊豆での暮らしをおう歌する
藤田さんの今に迫ります。

船越≫それでは藤田キャプテン
よーい、スタート!

ではお伝えします。

日本国内でのIR・統合型

リゾート施設への参入を

目指していた中国企業の関係者が

海外から現金を不正に持ち込んだ
とされる事件に関連して

東京地検特捜部は、

自民党の秋元司衆議院議員の東京
江東区にある地元事務所や

衆議院第一議員会館にある

秋元議員の事務所の捜索に
乗り出しました。

環境大臣などを歴任した自民党の

望月義夫衆議院議員が、けさ
亡くなりました。

72歳でした。

望月氏の死去に伴って衆議院

静岡4区では来年4月に補欠選挙
が行われる見通しです。

望月氏は静岡県旧清水市の
市議会議員や

静岡県議会議員などを経て

平成8年の衆議院選挙で初当選し、

合わせて8回当選しました。

この間、

国土交通副大臣や

自民党の行政改革推進本部長など
を歴任し

第2次安倍改造内閣で環境大臣と

して初入閣しました。

環境大臣時代には福島県内の除染
で出た土などを保管する中間貯蔵

施設について

保管を始めてから30年以内に

福島県外で最終処分を完了する
ことを定めた法律の成立に

取り組むなどしました。

望月氏は衆議院の災害対策
特別委員長のほか

自民党岸田派の事務総長も務め、

派閥の会長である岸田政務調査
会長を支えてきました。

関係者によりますとことし秋ごろ

から体調を崩し
病院に入院するなど療養していた

ということです。

望月氏の死去に伴って衆議院

静岡4区では来年4月に補欠選挙
が行われる見通しです。

きょう午前10時過ぎ、福岡発
羽田行きの全日空246便が

離陸してまもなくエンジンで
トラブルが起きて、福岡空港に

緊急着陸しました。
けが人はいませんでしたが

この影響で滑走路が30分余り
閉鎖され

ほかの便にも遅れが出ました。
国土交通省や全日空が当時の

詳しい状況や原因を調べています。

政府の未来投資会議が開かれ、

来年夏の新たな成長戦略の策定に
向けて中間報告を取りまとめ

ました。

それによりますと新たな分野への
投資を促すため

大企業とスタートアップ企業が

共同で研究開発を行う際の
ガイドラインを策定すると

しています。
またインターネット技術の進展で

働き方が多様化していることを
踏まえ

フリーランスを選択できる環境を
整える必要があるとして

実態を把握したうえで
労働法制上の保護や規制の在り方

などを検討するとしています。

このほか高齢ドライバーの
事故防止策として

自動ブレーキなどを備えた車に
限定した免許制度の創設を検討し、

今年度中に結論を得ることや

金融とITの融合を受けて一度に

100万円を超える送金サービス
を銀行以外の事業者にも認める

ための法改正を行うことなども
盛り込まれています。

安倍総理大臣は検討を本格化
させるよう関係閣僚に指示し

ました。

アメリカのトランプ大統領が

ウクライナ疑惑を巡る権力の乱用
と議会への妨害で弾劾訴追

されました。
弾劾訴追は一般の刑事事件の

起訴にあたるもので、

これを受けて、有罪か無罪かを

決める弾劾裁判が年明けにも議会
上院で開かれることになりました。

弾劾訴追された大統領は
アメリカ史上3人目です。

船越≫「ごごナマ」
本日のお客様は

女優の藤田弓子さんです。
よろしくお願いいたします。

今もVTRで

純ちゃんに
出していただきましたが。

「連想ゲーム」。

美保≫すごいですね
機関銃のように。

船越≫楽しかったですけれども
いつもどうやって

ヒントを
お考えになってたんですか?

藤田≫問題だけ書いてあるので
まずは自分が連想するんです

その言葉で。

一番分かりやすいのから
先に言っちゃうと

おもしろくないんです。

2~3個考えたうちから
ちょっと遠回りのほうが

おもしろいんですよね。

どうしても勝ちたいときは
すぐ直のものを考えて

出すんですけど。

船越≫キャプテンにもあれは
台本がないんですね。

ご自身でキャプテンも考えると。
藤田≫だから前の日お酒飲めない。

船越≫実は私は今放送中の
「赤ひげ2」でも

最終回で
ご一緒させていただきました。

お世話になりました。

そのお話は後ほどたっぷり
伺いたいと思います。

阿部≫今日のお客様
藤田弓子さんへの

ご質問、メッセージ
どしどしお寄せください。

では、今日のトークテーマです。

「女優・藤田弓子さん
パワフル74歳 元気の源」

いつも明るい藤田さんに

人生を楽しむ秘けつを
伺ってまいります。

美保≫途中から
年齢止まってますよね。

藤田≫頭の中身も
止まってるかもしれない…。

阿部≫スタジオに
お入りになったころには

パーッと明るくなりましたもんね。
船越≫今日は赤い服で。

藤田≫もうすぐクリスマスだし。

阿部≫藤田さんの原点から
お話を進めていきましょう。

「連続テレビ小説『あしたこそ』
ヒロインデビュー!」。

初めての出演のドラマが
初主演という。

ヒロインに選ばれたときは
どんなご心境でした?

藤田≫劇団文学座の
研究生だったんですけど

オーディション受けまして

決まったと言われて
その前が「おはなはん」とか

「旅路」とか
始まったばかり。

すごい視聴率でしたけれども
あんまり実感はなかったです。

ただこれから1年間で。しかも
初めてカラーというのがあって

足かけ3年
正味1年7か月かかったんです。

船越≫これが朝ドラ初の
カラー作品だったんですよね。

美保≫カラーに初めてなったから
スタッフも大変。

阿部≫1968年から放送された
連続テレビ小説「あしたこそ」。

橋田壽賀子さんが手がけた
最初の朝ドラで

初めて現代を舞台にした作品です。

摂子≫お向かいの桜、きれいね。

あんな大騒ぎして行った
大学だったけど

行ったかいあったのかな?

ふみ≫人生に、むだなことなんて
一つもないって、お父さん

いつもおっしゃってたじゃないの。

阿部≫売れない作家の娘・摂子が
進学、就職、結婚など

人生の転機を
持ち前のバイタリティーで

切り開く姿が共感を呼びました。

≫また忙しい1日が始まる。

主婦と作家の2役の毎日だ。

今日も精いっぱい生きようと
摂子は思う。

あしたのために

あさってのために

そして、遠い遠い未来のために。

船越≫純ちゃんが
ぽろっと言ってましたが

きれいですよね。

藤田≫私?いやいや…。
まん丸ですね、ずっと。

時計代わりって今も言いますけど
そんな言い方されましたから

朝、何回見ても
飽きない顔をというのと

元気で丈夫そうな人っていうこと
だったんじゃないかと。

船越≫過酷な撮影でしょうからね。

阿部≫朝ドラ初の
カラー作品ということで

具体的には、どんな試行錯誤が
現場ではあったんでしょうか?

藤田≫例えば照明なんかが
どのぐらいの温度で

どのぐらいの色にすると
どういう色になるかというのも

全く分からない状態で、役者も

衣装着て立ってみても
そのとおりには映らなかったり。

ここにちゃんと止まってください。

半歩でも外れたら

カメラの中に人間が入って
消えちゃったりする。

あとは火なんかが出たら
全部焼きついたみたいになったり。

それは何度でもやり直した。
時間もかけました。

船越≫今とは
テクノロジーが違いますから。

美保≫夕日のシーンとか
違いますよね。

あとは昔のお化粧が

ドーラン化粧をしてる人は
困ったんじゃない?ナチュラルに。

藤田≫やっぱり
塗らなければいけなかったんです。

塗らないと
ちゃんと顔らしい色にならない。

ですから、メークさんとかも

ワンカットずつ
もう1回これ!とか。

衣装さんもこれ着てあれ着てとか
そんな感じでした。

阿部≫当時は白黒の放送も
多かったですから

そのバランスも大変でしたよね。

藤田≫皆さんおうちでは白黒で。

阿部≫そんなカラー化に伴って
ヒロインとして

求められた能力が
こちらだとおっしゃいます。

「元気印!
体がとにかく丈夫!!」。

それだけ体力勝負だった
ということですね。

藤田≫私が
倒れちゃいけないというか

丈夫だから
選ばれたんだと思いますけど。

みんなそうだけど
朝ドラのヒロインは

元気で丈夫じゃないと
務まりません。

船越≫1年7か月って
気が遠くなるような。

美保≫体力づくり
してたんですか?

藤田≫もともと丈夫というか。

骨しっかりしてますよ。
小柄なんだけどね。

走り回ってました。
昔から声も大きかったし。

阿部≫途中でさすがに
疲れたなというとき

ありませんでしたか?
藤田≫ない。全然大丈夫。

おもしろくて、おもしろくて
それこそ、「あしたこそ」で

あしたこそ、こうだと思いながら
毎日おもしろくて楽しくて。

でもね最初、受かったときには

主役っていう実感がないと
申し上げたんですけど

スタジオで収録してるとね

撮ったのを映して見るでしょ
モニターで。

そのときにちょうど見てたら
こういうふうに

放送しますというので
まず出演者の名前が出るでしょ。

いきなり藤田弓子って
1人で大きな字で

藤田弓子って出たの。

私!と思って。
そのあとに東山千栄子さんとか

フランキー堺さんとか

そうそうたるメンバーが
私よりあとに出てくる。

この方、新人とか
この方、ベテランって

出るわけじゃないし。

そう思ったときに
すごい大変なことをやるんだって

初めて思いました。

船越≫オーディションを
受けられたときには

もうこれは私が受かると
思われたんですか?

藤田≫年齢的にちょうどいいかな
とは思いました。

高校生から大学行って
そして30ぐらいまでって

ところだったんで
いろんな人見てたら

私より上の人もいるとか思って。
でも、やりたいと思いました。

阿部≫主演でありながらも
当時の撮影って

立ち位置から
立ち会われたそうですね。

藤田≫最初に
カメラが何台かありますね。

そのカメラの調整っていうか
同じように

色とか合わせないといけない。

それで、最初のうちは
ある有名なタレントさんの

写真を置いて
4台が並んで

スイッチングしたりして
やってたんですね。

何か月も。そしたら
その方がプロの方だったので

ギャラの請求がきたらしくて。
写真なんですけど。

美保≫肖像権みたいな。

藤田≫弓子ちゃんやってって
私が座ることになりました。

最初に4台くらいのカメラに
ちゃんと座って映るという。

そこから始まりました。

船越≫カラーガールって仕事が
そのあとできたぐらいですから。

最初に色を調整してたんですね
昔は。

阿部≫撮影中には驚きの出会いも
あったそうですね。

藤田≫みんな
びっくりなんですけれども

前の昭和天皇が
ご夫妻で皇后陛下と一緒に

お二人で
お見えになるということがあって。

スタジオですけど
お歩きになりそうなところを

全部照明を、危ないですから。

下に赤いじゅうたんを敷いて
私たちはセットのところで

私のお母さん役の
中畑さんと2人で

お待ちしてたら
向こうのほうからNHKの偉い方

先頭にして歩いてらっしゃって
そのNHKの方が緊張してらして

手と足が一緒になって
歩いてらして。

こっちで吹きそうに
なってたんですけど

そのまま目の前にいらして

ほとんど
吹きそうだったんですけど。

いきなり摂子さんって
呼んでくださって。

役名なんです。
見ててくださってた。

船越≫昭和天皇は必ず朝ドラを
ご覧になったって

おっしゃいますもんね。
藤田≫皇后陛下はせっちゃんって。

見てますよって。

声をかけていただいたんです。
本当にうれしかったです。

美保≫それは、ものすごく
モチベーション上がりますね。

藤田≫五十何パーセントとかって
視聴率で。

船越≫最高視聴率55%とかって。

藤田≫2人に1人は
見てるってことですもんね。

船越≫赤ちゃんまで入れて
2人に1人ですからね。

その「あしたこそ」に出演して
得たものというのは

一体どんなものだったんでしょう。

藤田≫プロという仕事というのが
いくら私、若いとか、新人とか

そんなことは通用しなくて
とにかく、ここへ来て

役をいただいたらプロとして
仕事しなければいけないという

プロ意識ですかね。

ですから、休んだり
したことはないし、それからも。

阿部≫お父様役の中村さんが
いろいろと

面倒を見てくださったそうで。

藤田≫中村俊一さんが

劇団なかまを主宰していて
お父さんの役で

作家の先生なんですけど
早くに亡くなっちゃう

役だったんです。
でも、亡くなったあと

ずっとスタジオに来てくださって
私とお母さん役の人とか

スタッフとか
みんなを仲よく

ちゃんと一緒にやれるように
いつも、いくぞ!って言って

お食事に
連れて行っていただいたり

お話したり、お茶飲んだりする
機会を作ってくださった。

ずっと終わるまで来てくださった。

船越≫中村さんも演出家でもあり
俳優さんも

おやりになってらっしゃる
新劇をけん引された方ですよね。

藤田≫テレビ、映画もそうだけど
スタッフがあり

その中の1人として
役者は出ているけど、それを

忘れちゃいけない。とにかく
一緒に作っていくものだからって

ずっと言ってくださって。

そのことが、いついつまでも
私に入っております。

美保≫みんなで作ってるっていう。

今はみんな
帰っちゃいますもんね。

怒られちゃいますもん。
若い人誘えないです。

パワハラみたいで。

私は芝居で説教しないですけど

私の世代はされたほうなんですよ。
私なんかは、若いとき。

泣かされました、飲みに行くと。

それはいやだなって思ってて
私は下には

しないようにしてます。

仲よくしたいのに
たまにちょっと怖い人がいると

よくそういうのありました。

藤田≫あなたが若いとき、私
野に置け、美保純って

言ったことがあるの。
なぜかっていうとこのままがいい。

みんながあんまり手を
つけたりしないほうがいいよって。

このまんまがすてきって。
美保≫ありがとうございます。

阿部≫そして転機が
やってくるんです。

「連続テレビ小説
『マー姉ちゃん』

新境地“肝っ玉母さん”」。

放送から40年たっても
今も出演者、スタッフとも

仲よくされているそうですね。

藤田≫1年に1回か2回
毎年、ずっと会ってます。

本当に仲よしだったんです。
阿部≫この「マー姉ちゃん」

漫画家・長谷川町子さんの
お姉さんをモデルに

「サザエさん」誕生までを
家族の目線から描いたドラマです。

ヒロインのマー姉ちゃんを
熊谷真実さん

次女のマチ子さんに
田中裕子さんです。

藤田さんは女手ひとつで
3人の娘を育てる

肝っ玉母さんを熱演しました。

はる≫泣かないでちょうだいよ。

少なくとも
ヨウ子が寝とるこのうちの中で

そんな顔だけは
しないでちょうだい。

マチ子≫だって…。

はる≫病気のあの子が
あんなにけなげに

頑張っているのですもの。

私たちが
涙を見せたらどうなるの?

マリ子≫お母様。

はる≫いいですね

このうちの中で
決してヨウ子のことで

涙は見せないでちょうだい。

阿部≫実はこのとき
まだ藤田さんは

33歳でいらっしゃったんですね。

船越≫役柄よりも10歳以上
若かったわけですよね。

藤田≫そうですね。

33歳でお母さんなんですけど
肝っ玉母さんというけど

あすを思い煩うことなかれと
癖で、よく言ってたって

どんとこいみたいな
お母さんだったんですね。

でも、今思い出したんですけど
このとき私、一番成長した。

なぜかっていうと
熊谷真実ちゃんと

田中裕子ちゃんの2人が
抜群の才能と人間性と

そろった2人が

いつもいつもそばで私のことを
きらきらした目で見てくれた。

この人、どんな人?
どんなことしゃべる?

どんなお芝居するんだろうって
いつも見られてるってことで

人って成長しますよね。

あのときが一番成長しました。

それで、中村さんに
教えていただいたように

終わったらみんなで飲み行こう
食べ行こうって言って

みんな疲れたから
早く寝かそうと思うんですけど

寝かすだけじゃだめだと思って
寝るよりやることがあると言って

今の若い子たちは

なんでもいいから

ゴーゴー踊ったり。

船越≫当時ディスコが大ブームで
ディスコにも行かれたって

聞いたことがあります。

船越≫ここの総局長だった方も
ロッカーに

運動靴と「マー姉ちゃん」の
Tシャツ作って

終わるころになると、それを着て
お母さん今日、どこ行くの?って。

阿部≫まさに
ONE TEAMですね。

船越≫ONE TEAMの中の
お母さん役だったんですね。

それが僅か33歳ですよ。

阿部≫元気なお母さんの
イメージがこの作品で

できたという感じですよね。

藤田≫ちょうど20代は
朝ドラの「あしたこそ」も

やったこともありますし

どうしてもかわいいとか

若い役ばかりしか…。

声も高い感じだったので

一生懸命、低い声が
出ないかと思って、この役を

やらせてもらえたおかげで
「さびしんぼう」とかにも

出会えたわけで、大転機ですね。

阿部≫演じるにあたって
ご自身のお母様を意識されたり?

藤田≫母と
ずっと生きていましたので

母が本当に元気で
好奇心いっぱいで

本当それこそ
肝っ玉母さんでしたね。

阿部≫その関係について
藤田さんは

「一卵性母子!?」と
おっしゃっているそうです。

それだけ似てると。大きな影響
受けられたということですね。

藤田≫物事への好奇心の
持ち方ですね。

母は25歳で未亡人になり、父が
早くに亡くなったものですから

母と私と
2人暮らしになったわけですが

本当に2人になったことを
やった!と

思ってるわけじゃないんですけど
いろんなところに私の手を引いて。

近くに映画館が6軒あったんです。
麻布十番とかにあって。

その映画館、全部見て
野球を全部見てみたい。

それから、いないときは
ラジオ聴いて、ジャズ聴いて

落語を聴きにいってと。

船越≫ハイカラな、教養が深い
お母様だったんですね。

藤田≫母は芝で生まれて
神田で育った人ですから

そういうところで囲まれてたんで。

いろんなこと見たい、行きたい
食べたいって。

阿部≫野球選手は男子より
詳しかったとお聞きしました。

藤田≫小学校で私
パシフィックリーグの人まで

全部言えたんですよ。

今は忘れちゃいましたけど
東映フライヤーズとか

いろんな名前を全部言えました。

船越≫そうは言っても
藤田さんがお生まれになったころ

戦後まもなくでございますけどね。

藤田≫ちょうど
小学校入ったころから

アメリカが戦争してたはずなのに
おもしろいもの

いっぱい入ってきました。

そんなこと忘れて
私は私で

おもしろい映画、映画大好きで

映画館に入り浸ってました。
船越≫でも、お母様は

ご苦労されながら
そういう時間を藤田さんのために

お作りになられたわけですね。
藤田≫母は時代もありますけど

船舶関係の会社にいたんですけど
絶対に残業しない。

朝ごはんと夕ごはんは
絶対娘と食べます。

2人しかいない。

だから削って仕事して…。

私は娘との時間のほうが
大事ですって

それで帰ってきてくれて。

船越≫すばらしい、そのころまだ
男女平等雇用の時代じゃ

ありませんからね。

美保≫仕事も速かったですね。
残業しないっていうのは

倍速でやってて
ばしって終われたから。

藤田≫小さなちゃぶ台に
差し向かいでごはん食べるでしょ。

だから、母はちゃんと帰ってきて
急いで作ってくれたりして。

江戸の人は特に、旬のものとか

そういうのを欠かさず
出してくれたし

私はいつも食べながら

本当にありがたいって
気持ちが分かって

産んでくれてありがたいし
父が亡くなったあとも

こうやって働いていてくれて
本当にありがたいと思ってて。

絶対この人は私の味方ってことが
基本的にあるから。

みんな周りの人が
グレるんじゃないのとか

バスに乗って通学すると
だめよなんて言われたり。

母は孟母三遷ですから
学校のそばへそばへ

引っ越しちゃうんですよ。

電車通学とか
バス通学させないって。

阿部≫そんな大切なお母様
亡くされて

22年だそうですね。

最後までお元気だったそうですね。

藤田≫そうですね。
心臓が急に止まりました。

阿部≫そこまではずっとお元気で。

藤田≫前の日なんかも
一緒にすき焼き食べて

そのときもう結婚してたので
主人と3人で食べてたら

なんか、このすき焼き
味が薄いわねって言ったんです。

そんなことない
むしろ濃いんじゃない?なんて

言いながら。次の日に
血圧がだいぶ高かったみたいで。

心臓がもたなかったみたいです。

船越≫最後まで一緒に
お暮らしになったんですね。

藤田≫ずっとべったり。

船越≫今、お母様の年を
ちょっと追い越しましたけど

改めて今、お母様に対して
思うことはどんなことでしょう?

藤田≫本当に今は小さいときから
ありがたいってことと

本当によくぞいろんなものを
見せてくれたと思う。

やっぱり役者になったというのも
小さいころから映画を見ていて

それは好きだったってことは
ありますよね。

それから、いつも言ってたのは
漫画も小さいころは見ていたし

すごいですよ
貸本屋なんかも行っちゃうし。

映画だって学校で
これ見なさいってものより

ほかにおもしろいものあると
思ったら見ちゃうし。

でも、母はいいと。
何見てもいい。

私の目が届かないから
何でも見ちゃうでしょ

私が除いてもって。その代わり
本当にいいものっていうものを

見る目を養ってくれって。

これはよくないってものと
いいものを

悪いものも見ないと
分からないかもしれないからって。

いいって、漫画なんかも
見たらおもしろいじゃないって

言ってくれる母です。

漫画だからだめってことは
ないじゃないですか。

♪~(コーナー音)
ヒデ≫ウワサの真相!

よろしくお願いします。

阿部≫今日はうまくいきましたね。
ヒデ≫リハにリハを重ねて。

視聴率55%

おとりになったということで

さすがだなと思ったんですけど
僕も実はおととし

体脂肪率を28%までとりました。
グッと上がりました。

藤田さんは
朝ドラのヒロインとして

デビューなさったわけなんですが

なんでもラジオの
声優さんとしてのご経験も

過去におありだと
聞いているんですが

本当でしょうか?

藤田≫ウフフ…。

ヒデ≫ということで
こんなうわさ入手しました。

「ラジオドラマデビューを
吉永小百合さんと競った!?」。

これはいつごろのお話に
なるんでしょうか?

藤田≫小学生のころです。

ヒデ≫20~30年前?

藤田≫半世紀以上前です…。

ヒデ≫例えば
どういうお話をいただいての…。

藤田≫ラジオを1人でいるときは

よく聞いていまして
あるラジオで

今度「赤胴鈴之助」っていう

少年少女向けのラジオをやります。

それに出演する
男の子1人と女の子1人を

募集します。やりたい人いたら
どうぞ応募してくださいと。

おもしろそう!
ラジオ局見てみたいと思って

勝手に5円で

はがき買って出したの。

そうしたら
いらっしゃいって言うから

1人で行って、1次試験
こんなところでやるんだって見て。

弓子ちゃん、1次試験
受かりましたよ。

2次試験もいらしてって
1人で行って

いよいよ今度は最終審査。
最終審査に残って

男の子1人、女の子1人。
お母さん連れてきてくださいって

さすがに言われて、母に
勝手なことやってごめんなさい

行ってみたかったんだけど

親連れてこいって言うけど
来てくれる?って言ったら

うん、いいわよって。

母があまり簡単に言うから
お母さんも

ラジオ局見てみたいんだなって。

船越≫最後まで残ったのが
吉永さんと藤田さんだったと。

それも知らないで
最終審査に通されて

応接室に。

母と2人でぱっと入ってみたら
中に絶世の美少女。

絵から抜け出したような
あの小百合ちゃんだったんですよ。

だから私と母と2人して

帰りましょうか
うん、帰りましょう。

2人で本当に帰ろうとしたの。

そうしたら局の人が
弓子ちゃん!

これね、ラジオですよ!ラジオ!

ヒデ≫お声のみということですね。

やはり当時から吉永さんは

もう輝いていらっしゃった?
藤田≫めちゃくちゃかわいかった。

ヒデ≫当時のお写真ですね。

藤田≫本当に、小百合ちゃんは

ちょうど
昭和20年の3月生まれで

1学年上なんですけど
しっかりしてたし

本当にきれいだった。

とにかく1人だって言うから

帰ろうとしたら、というわけで

もう1つ役を作りますからと。

役が本当は、道場の娘
さゆりって役だったのね

だから、小百合ちゃん。

もう1つ役を作った。
しのぶちゃんっていう役。

結局、男の子も2人
女の子も2人になり

3年間ラジオに出てたの。

船越≫小百合さんも藤田さんも
両方落とせなかったと。

だから原作にない役を
作っちゃったと。

藤田≫絶世の美少女と
声だけはいい。

美保≫十分かわいいですよ!
船越≫大人気になるわけですよね。

「赤胴鈴之助」は。

ヒデ≫剣道だけに一本とったと。
お仕事をということで。

藤田≫でもね、そのときから
大人の人は小百合ちゃんのこと

将来、何やるの?って言うと
小百合ちゃんが

はい、女優さんになります
って言うと、そうでしょうね…。

ついでに私にも
弓子ちゃん将来どうするの?って。

はい、中学行って高校行きます。
そうでしょうねって。

ヒデ≫でも、本当の
当時の夢というのは

なんだったんですか?

藤田≫私、絵描くの好きだったし

ラジオとか好きだったんですけど
映画は大好きですけど

女優さんというのは
小百合ちゃんみたいな人が

なるんです。
そういうふうに思ってました。

ヒデ≫今は大女優さんに
なられたということで。

藤田≫高校を卒業するころに
小百合ちゃんみたいじゃなくても

必要な役ってあるなって
ちょっと分かったなって。

ヒデ≫こちらのうわさ本当でした。

続いて

お体、丈夫だということですけど

でもちょっと心配になってしまう
うわさがございます。

「ガラスを
人の形に突き破った!?」。

こんな漫画みたいな話
ありますか?

イメージ、こうですよね。

船越≫えー!ガラスでしょ?

「サザエさん」の4コマ目でも
見たことないですけど。

きれいに。

藤田≫京都の撮影所の真向かいに
定宿にしてたお宿がありまして

そこで大親友だった

太地喜和子さんと、そのお宿に
新館ができたとかで

2人で一緒に泊まって

渡哲也さんからお酒もらったから

いいお酒、なんて
2人でガンガン飲んでました。

そうしたら、お帳場っていう
別館のところがあるんですけど

そこから来たお手伝いさんが

弓子さん、電話ですよ
男の方からって言われて

ちょっと行ってくるねって

わーって行って。

そして、新館へ行く間に

防音とか、なんかのために
扉があったんですね。ガラス戸。

ヒデ≫きれいに
磨かれていたということですか。

藤田≫そこへあるということを
すっかり忘れて

駆け抜けてそのままダーン!
後ろでガチャン!

お手伝いさんが
ギャーッて言ったような気がする。

そのまま駆け抜けて
あら?私ガラス戸

駆け抜けたかしら?って。

ヒデ≫こんなチャーミングな
藤田さんからは

想像しがたいということで
当時を再現してみようかなと。

このようなものご用意しました。

大変恐縮なんですけども。

藤田さんは扉の向こう側に
行っていただいて

皆さんはこちらのほうに。

再現というか、また
やっていただくことに

なるんでしょうか。
私が電話が鳴ったら出ます。

そして先ほどのように
弓子さん、お電話ですよ!それも

男の方からですよみたいなことを
言います。そしたら

ドーンと
来ていただきたいと思います。

それではまいりましょう。
(電話の音)

ヒデ≫はい、こちら
ごごナマ旅館です。

はい、いらっしゃいますよ。
少々お待ちください。

弓子さん、弓子さん!
男性の方からお電話ですよ!

藤田≫はーい!

美保≫めっちゃすごい!

うわー!

ヒデ≫新喜劇ですよ、これ。

よくやらせたね、こんなこと!

船越≫ありがとうございます…。

ヒデ≫断っていいんですから。
すみません…。

船越≫でも当時、おけがは
なされなかったんですか?

藤田≫あとでよく見たら

厚みが1cmくらいあって

針金の入ってるガラス。
美保≫これだって痛いですもん。

藤田≫だから上から
バラバラにならなかったから。

船越≫けがも
されなかったですか?

藤田≫無傷です。

そのまま電話のところまで行って
はい、はいなんて言ったら

彼じゃなくて。

すみません今、私ガラス戸
駆け抜けたみたいだから

じゃあねって。
その人、何が起きたの?って。

ヒデ≫きれいに人型になってたと。
こんな感じだったんですか?

藤田≫本当にそうでした。

ヒデ≫相当なトップスピードで
抜けないと…。

ということで
このうわさ、見事本当でした。

ありがとうございました。
以上、ウワサの真相でした。

船越≫太地喜和子さんといえば

酒豪で、当時の番付で横綱で

そして、藤田さんが
大関という時代でしたよね。

藤田≫ついこの間
その番付、出てきましたよ。

持ってくればよかった。

阿部≫藤田さんの元気の源を
伺っていきますが

74歳になられた今

日々元気がみなぎっている理由。

みずから立ち上げた
市民劇団の座長として

定期的に
公演をされているんですね。

静岡の伊豆で

劇団を主宰されています。
20年以上になるそうですね。

そして、こちらが劇団のお名前。

藤田≫いず夢(む)といいます。

伊豆という字をひらがなにして
「む」を夢にして

なんとかism
何々主義みたいな意味で

「伊豆の夢」って意味で。

高校生から
七十何歳までいます。

すごい、いろんな人が。

船越≫これは普通に
お仕事をされていたり

学生さんだったりですね。
藤田≫そこがおもしろいですね。

阿部≫ご夫婦で
やられてるんですよね。

藤田≫主人が
「ゲバゲバ」とか書いていた…。

阿部≫河野洋さんですね。

「紅白」や
「シャボン玉ホリデー」も。

船越≫当時、ほとんどの今でいう
バラエティー番組には

河野さんのお名前が
ありましたよね。

藤田≫河野洋って

一緒に仕事することになって

持ち前の好奇心で、どうしたら
おもしろいこと

考えられるんだろう
こんな普通の人に見えるけど

頭の中に
何が入ってるんだろうと思って

ずっと目が離せなくなっちゃった。
阿部≫藤田さんが

演出をされていると。
稽古の様子です。

劇団の稽古場は
廃校になった小学校。

藤田≫こちらでございます。
分校跡、ここほら、教室というか。

すごいでしょ。

阿部≫使うのは
かつての講堂です。

来月の公演に向けた
稽古が始まると

藤田さんの目つきが変わります。

≫それこそが
一所懸命ということじゃ。

まさに一つの所に
命を懸けるのじゃ。

藤田≫それを
見てる人にも分かるように

一つ所にっていうか
本当は、一生懸命って

みんな覚えてるでしょ。

そういう言い方もあるんですけど
もとは、一所、一つ所

だから、一つ所に命を懸けるって。

こうじゃない?こうかな。

親指と…ちょっと立てて

ここと、ここ。

阿部≫市民劇団といえど
細かい所作にもプロの目線で

演技指導をしています。

藤田≫その前の
なんとかでございます

ってときはね。

立ち上がるときは

逆に、しっかり高くなって
いかにって。

阿部≫隣の教室をのぞくと…。

藤田≫ご覧ください、これ。
衣装部屋です。

阿部≫さらに、藤田さんの
ご自宅にお邪魔すると…。

阿部≫舞台で使う
衣装のデザインは

藤田さんみずから考えています。

藤田≫楽しいなって思います。

阿部≫時間ができると
衣装作りも自分で手がけます。

藤田≫ミシンもやりますけど…

出来上がりが、きっと
ミシンのほうがいいんだろうけど。

細かくいろいろ考えながら。

もとは、いただいた着物とかを…。

阿部≫今度の衣装は
着物をリメークして

作っているんだそうです。

藤田≫こういうふうに使うんです。

袖を
こういうふうに作っちゃったの。

こういうデザイン。

私は、こういう役は…

私も出るんですけど
私は、こういう美しいの着る役は

あまりやりません。

阿部≫窓から見える富士山
これが藤田さんの原動力です。

船越≫こうやって
地元の方々と一緒に

舞台を作る。どうですか?
おやりになって、20年。

藤田≫一番いいのは
東京に行くと仕事で

オンになるじゃないですか。

オフの中で、趣味劇団っていう。

そこで来てくださる方たちと

一緒に20年もいると
親子みたいな感じになったりして

何より、みんなが仕事や実生活を
それぞれ持ってる人たちで

お芝居も
ものすごくおもしろいし

話を聞いていてもおもしろいし

すてきな人ばかりなんです。
入れ替わりますけど

学校行ったり、結婚したり。

すごくいい時間を
過ごさせてもらってます。

船越≫伊豆なんですけど、最初は
東京にお住まいでしたよね。

いつごろから?

藤田≫もう30年ぐらいに
なるかな。もともと母が

東京大好きで神田で育った母が
東京は今に仕事や経済の

中心になるでしょ。
だから、ここはそういうところで

人間が
住むのにふさわしいところが

あるはずだって
東京も昔はそうだったと。

本当に母ぐらいの人たちの東京は
すてきだったじゃないですか。

人情もあり。

だから探してくるとか言って
勝手に探してきたのが

ここなんです。

一番のポイントは私が現役で
生涯女優やりたいから

通えるところ。

新幹線が、もうちょっと
増えるらしいからとか言うし。

案の定。今、35分で
三島まで行けちゃいますよね。

ヒデ≫今、地方に住む人
増えましたもんね。

阿部≫純さん、どうでした?
ロケーション、富士山も見えて。

美保≫行きたいです。
小さい部屋空いてないかな?

藤田≫いらっしゃい。
本当に来る者は拒まず。

美保≫地酒を持って。
藤田≫お酒は山ほどあるから。

手ぶらで。

ヒデ≫ガラス割らないように
してくださいね。

藤田≫食べ物も
もちろんおいしいですけど

水がやっぱりすごいですね。

富士山の伏流水というのは
富士山から

流れてくるだけじゃないんですね。

宝永の大噴火で、1回灰が降った

船越≫ミネラルたっぷりという。

僕は三島の高校
通っていましたから。

藤田≫本当、富士山いいですよね。

富士山を見てるだけで本当に幸せ。

阿部≫そして、いず夢ですが

年明けに公演があるそうで
どんな内容ですか?

藤田≫高校生が3人
タイムスリップして

頼朝が流されてて
頼朝が北条正子さんたちと一緒に

挙兵したころなんですね。

そういう時代に
タイムスリップしちゃって

大変と思ったら
今度は違う時代になっちゃったり

いろんなところに
タイムスリップしちゃう。

最終的には
見てる方も

ここの歴史が分かるという。

違う私たちが。
すごい勉強しました。

この町については。

阿部≫もちろん
藤田さんもご出演されると。

どんな役ですか?

藤田≫エンヤサッカ、ホイ!って
いろんなことをしゃべる

役なんですけど。

船越≫お芝居を見れば
楽しいだけじゃなくて伊豆地方の

歴史も学ぶことができるという
お芝居なんですね。

♪~(コーナー音)

船越≫この音が鳴ったので
船越のクエスチョン5。

船越≫今年の10月に中国で
舞台をおやりになったので

この質問だったんですね。

藤田≫「ペコロスの母に
会いに行く」という

映画にもなりましたけど

原作があるものなんですけど
85歳の認知症のおばあちゃんが

どんどんなっていくんですけど
60歳のハゲというか

頭のするするの息子との…。

船越≫なんとこの頭が
ちょっと薄くなってる方

田村亮さんですよね。
藤田≫あの二枚目の。

船越≫かつらをかぶられて。

藤田≫だんだん認知症になって
いろんなこと分からなくなって。

息子の頭ツルツル触ると
たまねぎみたいで

息子って分かるみたいな。
だから頭が

ああであることが大事なの。
船越≫藤田さんは

まだ若くて元気だったころの
お母さんと、そして認知症に

なってしまってからのお母様と。
藤田≫ちょうど認知症に

なりかかってからです。
だから85歳ぐらいから

始まっています。
美保≫これは中国語

しゃべる役なんですか?
藤田≫それはしゃべりません。

中国に公演に行きました。北京で。
でも中国語じゃないです。

船越≫日本語で北京の方たちに
見ていただくと。

藤田≫スーパーインポーズ
みたいに

出ればいいんですけど。
内容的にはみんな

分かっていただけたので
みんな共感を得てね。

特に中国の方は1人の人が6人を

今、背負わなきゃいけない。
一人っ子政策で。

自分の親、両親
お嫁さんの親、両親

おじいちゃん、おばあちゃん
6人背負うそうです、大変です。

船越≫現地に行って驚いたことは
ほかにもありましたか?

藤田≫ずいぶん昔もいろいろ
旅でも行ってたんですけど

昔の面影はないですけど

私たちが思ってる中国とは
全然違うと思います。

船越≫昔、新劇はよく中国での
公演が多かったですよね。

藤田≫でも、どんどん
行ってますね、中国は。

阿部≫こちらのお写真は
あの有名なところですか?

藤田≫万里の長城です。
とてもじゃないけど歩けませんね。

すごいですね、ここ。

美保≫中国映画とか、すごい
盛り上がってるじゃないですか。

藤田≫日本ももっと映画とかに
お金使ってもらいたいですね。

船越≫小林綾子ちゃん
田村亮さんですね。

阿部≫お皿の数が
すごくないですか?

美保≫食べすぎですよ!

船越≫このあとはきっと
紹興酒だったんでしょうね。

藤田≫よく飲み、食べました。

船越≫そして老化防止で
やってらっしゃることがある。

こちら、イエスでした。
何をおやりになってるんですか?

藤田≫主人も
80になりましたので

とにかく認知症に
ならないようにっていうので

2人とも映画が好きなので
一緒にいるときは

外国の映画をよく見てます。
出てくる役者さん

片っ端から名前言っていく。

日本の映画は
ほとんど私が全部分かるけど

洋画となると
主人が絶対、全部分かって

悔しい!負ける!
ほら、あの…とか言いながら。

美保≫去年の映画で

あの中のゲームの
どういうシステムかって言う人が

いたんですよ。
チェスみたいな。そこまで…

すごいとか。映画の見方が。

詳しい人はゲームのルールまで
解説してくれるんですよ。

旦那さんは
そういうタイプ。

船越≫映画で俳優さんの名前を
思い出していくのは

いいトレーニングですね。
やろう、今後。

お墓には入りたくない、イエス。
どういうことなんでしょう?

藤田≫私は子どもがいない
ということもあって

子どもがいる人は
お父さん、お母さんの思い出とか

先祖のこととか
大事にしなきゃいけないから

私は面倒をかける人がいないので

どうにかきれいに
終わらないといけませんね。

主人は散骨って決めてて
どこどこと、どこどこって。

そんなあちこちに
まけって言うの?って。

海でって。

船越≫海がお好きで
いらっしゃるんですね。

美保≫土に混ぜると
怒られそうだし。

藤田≫父も母も
土に入れたんですよ。

ちゃんと入れて、水を入れて

全部、土にかえして。

これがいいわねって
母も言ったくらい。

船越≫新潟のほうとか
そういう風習がございますよね。

そして、もうお酒は卒業した。
ノーですね。

そりゃそうですね。
卒業する必要ありませんよね。

藤田≫飲めるうちは
飲んでいったほうが

いいと思います。
船越≫楽しそうなお写真が

あります。
阿部≫クリスマス。

藤田≫もうすぐ、うちも
またやります。

船越≫これは、ご自宅で。

たくさんお見えに
なるんですね、パーティー。

藤田≫もっと来ると思います。
20~30人。

夫がターキー焼いて。

阿部≫ごちそうですよ、これ。

美保≫やっぱり
赤いろうそくですね。

船越≫藤田さん、お料理も
得意でいらっしゃるんですよね。

美保≫幸せそう。
お酒も飲めて。

船越≫そして最後

変な質問だこれ。
船越との共演は大変だった。

おかげさまで
ノーを出していただいて

ありがとうございます。

藤田≫本当に
船越さんってすごいね。

スケールが大きくて。
立派な役者さんですね。

船越≫お恥ずかしい限りです。

阿部≫BS時代劇「赤ひげ2」
最終回があす放送されます。

朝ドラで話題沸騰中の
あの人も登場します。

阿部≫藤田さん演じるおつたは
病で失った孫娘に代わり

男の世話を焼こうとしますが…。

新出≫このままでは
労咳(ろうがい)になる。

おつた≫労咳?病を治さなきゃ!

およね≫どんなわけがあるか
知らないけど

あんたは悪い人じゃない。

≫あの人には
あの世に行ってもらう。

半七≫治してくれるのか?

新出≫お前が諦めなければ
わしらも諦めない。

阿部≫「赤ひげ」の撮影は
いかがでしたか?

藤田≫暑くて大変でしたね。

でも、本当にいろいろ
気を配ってくださってね。

みんな床ですから大変ですよ。

ずっと座ってるの。

美保≫ひざつくから。
くるぶしとか赤くなりますよね。

藤田≫立てなくなりました。

そこでずっとやっていらっしゃる
大変だなと思いました。

阿部≫そして「スカーレット」の
八郎さんこと

松下洸平さん。

藤田≫洸平君はこのときから
色っぽい。色香がある。

船越≫お芝居に対する姿勢も
すごい真摯で

気持ちよかったですね。

藤田≫出るところに出てますね。

船越≫松下洸平君と
藤田さんの中に

いろんなものが
通い合っていくわけですね。

阿部≫ご期待いただきましょう。

船越≫ぜひご覧ください。

阿部≫今夜のおすすめ番組です。

堤≫佐野勇斗が
温泉ニャンコにほっこり。

回るブタに
あれを盗んじゃうワンコ。

石澤≫地球人類の謎に迫る
好評シリーズ。

≫宇宙の人気番組「新銀河紀行
~驚異の地球文明~」。

柄本≫あの…楽しいです。
石澤≫んー?

阿部≫ワンコやニャンコなど

全国のキュートなもふもふが
大集合する

今夜の「もふもふモフモフ」は
寒い冬でもほっこりしちゃう

ホカホカぬくぬくスペシャルです。

温泉地に暮らすもふもふを訪ねる
コーナーでは

俳優・佐野勇斗さんが
阿蘇の秘湯とも呼ばれる

熊本・わいた温泉郷へ。

温泉旅館に住むおかみニャンコや
お気に入りの場所なのか

ほとんど動かないニャンコとも
触れ合います。

さらに、全国で活躍する
もふもふを紹介するコーナーでは

宝くじ売り場にいる看板猫
マコちゃんを紹介。

マコちゃんをなでると
幸運が訪れるといわれていて

これまで当せんした金額は
なんと総額29億円!

リアル招き猫。

堤真一さんの愉快な
ナレーションでお届けします。

船越≫お財布も
ホカホカになっちゃうと。

美保≫みんな欲が絡んじゃって。

船越≫「ごごナマ」
来週はご覧の方々をお迎えします。

月曜日は北島三郎さん
水町レイコさん。

親子でいらっしゃって
いただきます。

いろんなお話が
伺えそうでございます。

そして、火曜日は柴田理恵さん。

昆布料理をご披露いただきます。

お正月ですから。水曜日は

本音トークでおなじみ
あのYOUさんが

皆様のお悩みにずばっと
お答えいただけるそうです。

そして、木曜日は
アンコールスターシェフ。

上柿元勝さん笠原将弘さんの回を
私たちと一緒にご覧いただきます。

阿部≫メッセージご紹介します。
50代女性の方。

子どものころ
「マー姉ちゃん」が大好きで

楽しみに見ていました。
藤田さん演じていたお母さんが

あすを思い煩う事なかれと
口癖のように言っていて

優しくて強い包容力のある
話し方に、小学生でしたが

今でも迷ったりくよくよしたとき
思い出しています。

ほかにも
たくさんいただいています。

船越≫今日も
あっという間の1時間でした。

おもしろい話を
ありがとうございました。

またぜひおいでください。
「赤ひげ」も

楽しみにしていただきたいと
思います。


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