もう三回忌…西城秀樹の「いまだから言える話」

スターって、こういう人のことだ
週刊現代 プロフィール

五郎とひろみに挟まれて

翌'72年の3月、秀樹は最初のシングル、『恋する季節』で歌手デビューを果たす。西城秀樹という芸名も、この時決まった。キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。

ちょうど同時期にデビューしたのが、郷ひろみ、野口五郎の二人だった。「新御三家」と並び称され、ライバルとも、盟友とも言われる3人だったが、歌手としてヒットを飛ばす時期には、実は微妙な差があった。

「'72年、一番最初にブレイクしたのは『男の子女の子』でレコード大賞新人賞を受賞したひろみでした。そして、当時最年少で紅白歌合戦の舞台に立った五郎が続いた。

それぞれ、王子様然としたルックスに、抜群の歌唱力があり、キャラクターが立っていた。その二人に比べると、秀樹はいささか特徴に欠けていて、レコ大新人賞もとれず、紅白の出場も一番最後になってしまった」(歌謡曲評論家の馬飼野元宏)

 

「野口五郎、西城秀樹、郷ひろみを全角度採点」(『週刊明星』)
「ズバリNo1は誰? 野口五郎・西城秀樹・郷ひろみを徹底比較」(『女性セブン』)

当時の雑誌には、新御三家を比較する記事が並んでいるが、どれも、五郎とひろみに挟まれて目立ちづらい扱いだ。