上条が当時を懐かしむ。
「他の仕事で広島を訪れたら、地元の歌謡喫茶で秀樹のバンドがプレイしていた。別に、ドラムが上手いとは思わなかったけど、ルックスが抜群でね。『面倒見てやるから東京に出てこいよ』と伝えました」
大好きな音楽で生きていけると思った西城は、意を決して、両親に上京の意思を告げる。案の定、父は激昂した。
「そんなもんで、食っていけると思うのか!」
父は西城の手足を縛ると、押し入れに放り込んだ。見かねた母・靖子が助け出し、父に内緒で東京に送り出したという。
当時、西城はまだ高校1年生、家出同然の上京だった。
「原宿の喫茶店から『俺、東京に出てきました』と電話してきたので迎えに行くと、ド派手な黄色のスーツを着ていて、びっくりした。きっと、初めて東京に出てくるんだからナメられちゃいけないと思ったんでしょう」(上条)
西城は、そのまま上条の住むマンションに居候する。あてがわれたのは、三畳もない広さの板の間だった。デビュー前の西城は、ここで人知れず修業の日々を送る。
「リズム感と腹式呼吸を身につけさせるために、マンションの屋上で、毎朝縄跳びを300回やらせました。一度、回数をごまかして、180回くらいで降りてきたことがあった。
小さなマンションだから、サボると音でわかる。それで、引っ叩きました。以降は立派なもんで、何をやらせても一切手を抜くことはなかった」(上条)