一方、海外ではアイドル的な人気を誇る歌手や俳優が恋人と手つなぎデートをしているところをパパラッチされても、「ファンを裏切るな!」などとボロカスに叩かれない。どんなに熱烈な女性ファンがいても、所帯を持てば普通にパパトークをする。
つまり、日本の芸能人というのは、「ファンを喜ばす」ということが何をおいても優先されているので、「異性を好きになる」「結婚する」「出産する」などの基本的人権が大幅に制約を受けているのだ。
では、こういう人権侵害のような状態が当たり前となっている人たちに、政権批判をすることが許されるだろうか。許されるわけがない。
自身の恋愛や結婚でさえ気軽にネタにできない人たちなのだから、「政府がけしからん」とか、「どこの政党を支持しているか」なんて話題を口にしたら、「身のほどを知れ」とボコボコの袋叩きに遭うのは必然なのだ。
政権批判する芸能人に見える
ビジネスモデルの違い
そして、この差別をさらに助長しているのが、(2)の「人気芸能人ほど「中立」であるべし」という思い込みだ。
昭和のスターと呼ばれるような一流芸能人は、政権批判などしないで自分の仕事に邁進していた。政治的発言をするのは、食いっぱぐれた二流芸能人が世間の注目を集めるため――。そんな思い込みから、政権批判する芸能人に厳しく当たる人たちもいるのだ。
ただ、これは一流、二流という芸能人の品格の話ではなく、実は芸能人のビジネスモデルに起因する問題なのだ。
たとえば、今回のツイッターデモには多くの有名芸能人が参加したが、現在放映中の連続ドラマやバラエティ番組にレギュラーで出演していたり、CMにバンバン登場して「テレビで見ない日はないね」と言われたりするほどの「人気芸能人」は多くない。