「モーニング娘。」がコント…SMAPとの違いに感じた一抹の不安
放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(52)
「トークで笑いを取れるようになりたい」と言うSMAPの中居正広と香取慎吾の求めに応じた私は、テレビ東京の「愛ラブSMAP!」(1991~96年)に2人のコーナーを作りました。アイドルといえども司会やお笑いも勉強して、自分を磨くことが大事なことを彼らは分かっていたようです。
タイトルは忘れましたが5分から10分程度のコーナーだったでしょうか。高いテーブルに肘を突き、私が書いた台本に沿って香取がボケ、中居が突っ込むといった具合です。ほら話が多かったなあ。香取が「UFOを見た」と言えば、中居が「いつ、どこで」「ウソだろ」と追い込む。めげずに香取が「信じろ。俺の目を見ろ」と言えば「濁ってる」と中居。「ネッシーを見た」「幽霊に会った」と現実にあり得ない話を漫才のようにボケと突っ込みでトークを成立させました。
あの頃の経験が生きたかどうか分かりませんが、中居は司会の世界で成功し、第一線で活躍しているのは確かですね。
番組の休憩時間にSMAPの女性マネジャーが来て「彼らはどうですか。コントもお笑いもやらせたいんですが」と尋ねました。当時の彼らは6人。「コントの才能はあると思うけど、メンバーの数がね…」
クレージーキャッツは7人。ドリフターズは5人。コント赤信号やヒップアップは3人。2人のコンビ芸を除くと、偶数のメンバーを横に並ばせると中心軸がない。「バランス悪いんだよなあ。7、5、3人がいいんだよ」と返事をした覚えがあります。くしくも、しばらくしてメンバーが5人になりましたが。
「ドリフ大爆笑」や「お江戸でござる」のコント台本で名前が業界に浸透していた私は、再びアイドルグループの番組のコントを頼まれました。「モーニング娘。」です。SMAPのときもそうでしたが、アイドルには興味なし。とはいえ、受けた以上は全力でタレントの潜在能力を引き出してやるのが私の仕事。
テレビ東京「ハロー!モーニング。」(2000~07年)は彼女たち初の冠番組でした。
私がSMAPにコントをやらせたときは、まだ全国的な人気者になる前でしたが「モーニング娘。」はちょうど絶頂期だったと思います。そんなアイドルが、しかも女の子たちが、人に笑われるコントをやるのだろうか。果たしてうまくいくだろうか。
(聞き手は西日本新聞・山上武雄)
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海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年08月17日時点のものです