「僕はちょっと…」いかりや長介さんに盾突き、会議室凍り付く

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(29)

 「ゲバゲバ90分!+30」で放送作家の道を歩み始めた私。1982年、28歳のデビュー。その後、ゲバゲバの仲間たちが紹介してくれたおかげで担当する番組が増え、コピーライターの仕事を減らし、テレビの世界を本業にしました。

 多くの放送作家は、ラジオ番組に投稿する「はがき職人」からコツコツと始めたり、大御所の付き人から勉強したりするケースが多かったようですが、私は違いました。「素人なのに、いきなりバラエティー演出の鬼才とコントの天才に認められ、売れっ子放送作家たちと一緒にゲバゲバの仕事をした海老原」と評価を受けました。コネもなく、面白いと思ったことをバカ真面目に書いただけなのに、ロケットでいきなり芸能界の成層圏に到達した心境でした。

 ゲバゲバでの仕事が、新人ながらどこへでも行けるパスポートとなり「ドリフ大爆笑」の仕事が舞い込みました。この連載の最初にザ・ドリフターズとの絡みを話しましたが、本当にきつかった。コントの打ち合わせで不機嫌なドリフのメンバーと付き合い、5~6時間、ほとんど沈黙。ネタに駄目出しを食らったことも数知れず。重圧に耐え切れずに体調を崩し、担当から外れた仲間もいました。今なら「ブラック企業」でしょうが、それが当たり前の世界でした。

 リーダーのいかりや長介さんに意見したこともあります。長さんが、たる酒をひしゃくで売ろうとした男2人のコントをしたときです。運ぶ途中で1人が1杯飲む。相方に払うお代は、釣り銭用に用意していた硬貨。そのうち相方も「おれも」と、同じ硬貨が行ったり来たりする内容。長さんは「これどうよ?」と放送作家たちに問いました。

 他の放送作家たちは「いいですね」って返事。でも私は「どうですかね。僕はちょっと…」って答えました。そのネタは落語の「花見酒」だからです。私の意見に、会議室はシベリア寒気団に覆われたように凍り付きました。長さんも機嫌を損ねて、番組スタッフは「気持ちは分かるけど、長さんに盾突くなんて」と。オリジナルのコントを作りたい私は譲れません。若いと言われればそれまでですが。

 でもドリフの仕事は本当にありがたかった。知名度が上がりますから。そんなドリフでの私の仕事を知る若手芸人から電話がありました。「エビさん、助けてください」

 タカアキでした。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月20日時点のものです

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