83年、とんねるずからSOS ノーギャラでも「やってやるよ」

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(30)

 1982年に放送作家デビューした私は、順調に仕事を増やしました。中でもフジテレビ「ドリフ大爆笑」のコントを手掛けたのが大きかった。70~80年代はザ・ドリフターズの全盛期でしたから。TBS「8時だョ!全員集合」と並ぶドリフの看板番組が「大爆笑」です。コント台本の執筆者の一人として、ほかの芸人たちにも知られるようになっていきました。

 83年だったと思います。ある日、自宅の電話が鳴りました。若手芸人コンビのタカアキからです。「エビさん(私のこと)、助けてください」。いつもは快活な彼の声が悲愴(ひそう)感を帯びていました。こんな事情でした。所属する事務所を通さず、友人の結婚式の司会をコンビで受けた。これを知った事務所が激怒し、テレビに出演できなくなってしまった-。干された若手コンビは石橋貴明と木梨憲武。そう、とんねるずです。

 謹慎している間に「復活できる日までライブをやって芸を磨きたい」と。その心掛けはよし。「自分らのためにコントを書いてもらい、演出も頼みたいんです」「誰に?」「エビさんに」「ギャラは?」「ありません」「ただ働きかって」「はい、お願いします!」「バカ野郎! やってやるよ」

 帝京高(東京)を出て、お笑い芸人の登竜門、日本テレビ「お笑いスター誕生‼」でグランプリを獲得した2人。出演番組が増え、ブレーク寸前でした。テレビ局の廊下などで会うと、きちんとあいさつをしてくれます。体育会系(貴明は野球部、憲武はサッカー部)で礼儀正しい2人でした。

 知り合ったきっかけは、私が脚本を書いた東八郎さん主演の公開コメディー。それに端役で出ていた2人はドリフが大好きで私の名前を知っていたのです。

 深い付き合いこそありませんでしたが、わざわざ自宅に電話してまで頼んできたわけですから、よっぽど切実であり不安だったのでしょう。わかります。やっと人気が出かかったのに、これで消えるかもしれないのだから。電話の向こうから、笑いに懸ける貴明の情熱が伝わってきました。情熱には情熱を持って応えるのが九州男児です(笑)。

 私も、ドリフのような「王道」のお笑いではない、新たなものをやってみたかったので、とんねるずと思いが共鳴しました。

 育った環境が複雑だった私は、人を簡単には信じません。でもこのときは違いました。「窮鳥(きゅうちょう)懐に入(い)れば猟師も殺さず」-。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月22日時点のものです

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