干された若手芸人、逆境の中「高卒だからってなめんなよライブ」

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(32)

 とんねるずのライブは本番を迎えました。1983年、会場は東京・渋谷のスペイン坂にあった「渋谷TAKE OFF7(テイクオフセブン)」。とんねるずと同じ時期に「お笑いスター誕生‼」に出演したコロッケ、警官ネタの小柳トム(後のバブルガム・ブラザーズ)も来ていました。

 若い2人のライブだからオープニングは格好良くダンスシーン。曲はベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」。暗転に曲が流れ、明るくなって2人が軽やかなステップを踏んで登場すると、拍手、口笛、歓声、奇声で客席はいきなりヒートアップ。まだコントを1本もやっていないのに。あとは何をやっても大受けでした。

 全部で10本のコントを書き、演出をして、ステージ設定などの監督を務めた私でしたが「ライブの絵」は6割ぐらい描ければいいと思っていました。あとの4割は演者との共同作業。彼らが見事に化学反応を起こし、思い描いたもの以上に仕上がったのです。

 とんねるず自作のコントは貴明が作り、憲武が膨らませています。誤解されているかもしれませんが、真面目な性格が貴明で、自由奔放なのが憲武です。彼らについて傲慢(ごうまん)だとか、横柄だとかと活字にされたことがありますが、私にとっての2人は、先輩を立て、後輩に優しい律義な人間です。体育会系の帝京高出身はダテではありません。

 ライブはこの年、2回行い、いずれも大盛況でした。2人が所属事務所を通さずに友人の結婚式で司会をして、怒った事務所からテレビ出演を禁止されたのがきっかけですが、最近騒がれている「闇営業」とは違います。反社会組織を相手にするどころか、社会的に迷惑を掛けたわけでもなかった。でも事務所は筋を通さなかったとして処分を下したのです。

 彼らが素晴らしかったのは、謹慎を甘んじて受け、ステージでコントに磨きをかけたことでした。逆境を乗り越えたのです。謹慎が解けた2人は他の事務所に移り、歌のヒットもあって一気にブレークしました。それからは日の当たる道を歩みました。

 あのときのタイトルは、確か「高卒だからってなめんなよライブ」。もう一つ思い出しました。舞台を手伝ってくれた脚本家見習いの大学生がいました。色白で眼鏡を掛け、真面目そうなたたずまい。

 確か「ミタニ」っていいました。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月24日時点のものです

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