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アメリカに続いて、各国が中国を切り離す? 「新型コロナ恐慌」後…
映画『一度死んでみた』で脚本を担当する、クリエイティブディレクターの澤本嘉光氏
『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。
今週は3月20日(金・祝)全国公開の『一度死んでみた』で脚本を担当する澤本嘉光(さわもと・よしみつ)さんが登場!
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──広告業界を志すきっかけになった映像作品ってあります?
澤本 思い返してみると、小学4年生の頃、コカ・コーラのCMが急につまらなくなって「なんでだ?」って学校で友達と話したことがあるんです。「音楽が急に変わった」「俺ならこうする」ってあれこれ分析して。
今思うと、それが広告に興味を持った一番最初の出来事ですね。ちなみに、そのときに話したのが東京スカパラダイスオーケストラの沖(祐市)なんですよ。
──同級生だったんですね! ちなみに青春時代に見て印象に残っている映像作品はなんですか?
澤本 森田芳光監督の『家族ゲーム』(83年)ですね。それまで僕が見ていたのは『スター・ウォーズ』シリーズ(78年~)や『未知との遭遇』(78年)といったメジャー映画ばかりで、邦画はあまり見ていなかった。
でも、ふらっと見に行った『家族ゲーム』がものすごく面白くて。家の中でのワンシチュエーションだし、家庭教師が子供を殴るという規模の小さい話なので、「映画って別に宇宙とか中国とかに行かなくても作れるんだ」「自分にもできるんじゃないか」と思うようになりました。
──映画館ではなく、テレビで見た作品で印象に残っているものは?
澤本 うちの親父はクレイジーキャッツがものすごく好きで、テレビで放送されるたびに見てました。サラリーマンの話だから最初はよくわかんないけど、見ているうちにけっこう好きになっちゃって、特に植木等が古澤憲吾監督と一緒にやっていたときの『無責任』シリーズ(62年)が大好き。
平均(たいら・ひとし)とか主人公の名前からしていいかげんですけど、基本いい話なんです。普通の会社に異端児が入ってきて、かき回すことで問題が解決していく構造になってるんです。
あとは『椿三十郎』(62年)と『用心棒』(61年)。黒澤明も親父の影響であるときからすごく好きになったんです。両作品とも次々と事件が起こってはテンポよく解決して、最後に大きな仕事を終えて主人公が帰っていく。この構造が好きなんです。
──『家族ゲーム』も『無責任』も同じですよね。
澤本 寅さん的な感じと言えばわかりやすいですかね? 『男はつらいよ』シリーズ(69年~)も、平和な家庭に寅さんが戻ってきて、問題が解決したら彼が必要なくなって出ていくじゃないですか。その形が好きなんです。
あと、『時をかける少女』(83年)。これは公言してはばからないんですけど、「絶対に映像をやろう」と強く思った作品ですね。まあ、今思うと原田知世が好きだったというのが大きいんですが(笑)。
──何歳頃ですか?
澤本 16、17歳ですね。ただ、その当時から「集中力が続かない」という自分の欠点に気づいていたんです。受験勉強していても15分しか持たずにお菓子を食べに行くような(笑)。
だから、2時間の映画なんか作れるわけがないと思っていたけど、同じ映像でもCMという短いものがあると気づいたんです。実際にこの世界に入ってみると、結局短くても求められる集中力は同じということに気づきましたけどね(笑)。
★後編は3月11日(水)配信予定です。
●澤本嘉光(さわもと・よしみつ)
クリエイティブディレクター。1966年生まれ、長崎県出身。東京大学卒業後、電通入社。ソフトバンク、東京ガス、家庭教師のトライなど、話題のCMを数多く手がける
■『一度死んでみた』3月20日(金・祝)全国公開
出演:広瀬すず 吉沢亮 堤真一
脚本:澤本嘉光 監督:浜崎慎治
音楽:ヒャダイン 配給:松竹
角田陽一郎×平野啓一郎(小説家)「『ロッキー』や『トップガン』の影響で洋楽少年になった」
映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』で解説を務める小説家の平野啓一郎さん
『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。
今回は現在公開中の『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』で解説を務める小説家の平野啓一郎さんが登場!
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――子供の頃に見て印象に残っている作品はありますか?
平野 幼少期はテレビで映画をよく見ていました。『水曜ロードショー』『金曜ロードショー』や『日曜洋画劇場』など、テレビでやっているのを家族がよく見てました。映画館に行って見たのは『E.T.』(1982年)とかですかね。スピルバーグが才能のある映画監督としていろんな作品を作るようになった頃に映画に接するようになりましたね。
――思春期はどうです?
平野 中学生の頃から洋楽少年になって、ハードロックやヘビーメタルをよく聴いていたんですが、なぜそういう音楽を聴くようになったかというと、小学校高学年の頃に見た『ロッキー4』(1985年)や『トップガン』(1986年)などの影響があったと思います。
あの時代のサントラって、コマーシャルなメタルが多かったんですよ。そこでギターの歪みや歌い方に慣れていて、いざヴァン・ヘイレンとか聴くようになったときに違和感がなかった。
――映画館にはご家族と行く感じでした?
平野 いえ、小学校4年生くらいからは友達とも行くことがありましたし、学校ではテレビで放送されていた作品について話すのも好きでした。例えば、ミッキー・ロークが主演した『ナインハーフ』(1986年)という作品は「ものすごくいやらしい映画が放送されるらしい」と話題になりました(笑)。
――確かにあれはエロかった(笑)。
平野 子供だったので強烈な印象がありました。そのせいもあって、10年くらい前に『レスラー』(2009年)で老いたミッキーを見て、妙に心が動かされました。
――作家になってからは映画の見方は変わりました?
平野 そうですね。例えば小説で描写するときに、無意識に映画のカットを参照していたりしますし、だからこそ、「映画が得意なことは映画でやったほうがいい。小説だからこそ効果的なことをやろう」と思って、内面描写に力を入れたりします。また、書いていて長くなりそうなときには映画のストーリー展開やテンポ感を参照して、ちょうどいい長さにできないか工夫したりもします。
あとキューブリックが好きで、特に遺作の『アイズ ワイド シャット』(1999年)はすごく感動して。なんというか立派な感じですよ。あのゴージャスでラグジュアリーな感覚とか、画面もかちっとして正確無比だし、貧乏くささが皆無。あの格調高い雰囲気に影響を受けているところはあるかなと。
――昨日、『マチネの終わりに』を一気読みさせていただいたんですが、まさにその格調高さを感じました。あとは「映像で描けないことを小説で」というのも。
平野 小説はローバジェットでできますからね。パリでもイラクでも、どこを舞台にしても、ほとんど予算をかけずにできてしまう。あとは、世の中がコロナでこういう状況になっても、小説なら家でひとつの世界をコツコツ作り続けることができるのも長所ですよ。もちろん、売るという点では物理的な可動がないと今は難しい面もありますけど。
★後編は5月27日(水)に配信予定です
●平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)
1975年生まれ、福岡県北九州市出身。99年に『日蝕』で芥川賞を受賞。現在、東京新聞、中日新聞ほかにて、長編小説『本心』を連載中
■『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』公開中(c)2020映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会 SHINCHOSHA