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【ドラニュース】

速すぎる投球テンポ…「サイン振りかぶりながら見た」 球速130キロ前後で111勝 達人の“間合い力”

2020年5月19日 12時1分

渋谷真コラム・龍の背に乗って[強竜列伝・松本幸行]

1974年の日本シリーズで好投する松本幸行=後楽園球場で

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 2012年冬。現役時の仲間をたどっても消息不明だった幻の左腕と、ついに会えることになった。待ち合わせは大阪市の鶴橋。扉を開ければカランコロンとベルが鳴るレトロな喫茶店に、松本幸行はやってきた。

 「どうも、松本です。お! それヅラでっか?」。僕の横に先輩記者がいた。大事なことだがカツラではない。それどころか、あまり生えてない人に向かって、出会って3秒後にこう言った。

 これが松本が会得した「間合い」なのか。ストレートの球速は130キロ出るか出ないか。それなのに通算111勝、74年には20勝を挙げ、リーグ優勝に導いた。武器は「ちぎっては投げ」と形容された投球テンポ。完投した73年5月21日の大洋戦(富山)の1時間22分は、ここ50年では球団最短試合である。「サインは振りかぶりながら見た」という極意は、大阪・大商大高時代に身に付けた。

 「1年のときに腰を痛めてね。(治療しても引かなかったが)返球を捕って、すぐに投げたら痛くなかった」

 高校では3年連続夏の大阪大会初戦敗退。テンポは速いが球は遅い。ただ松本にはもうひとつ武器があった。通算の奪三振率3・12で与四球率2・09。3球費やす三振も少ないが、4球浪費する四球はもっと少ない。抜群の制球力のルーツは屋台を作る職人だった父親にあると言う。

 「名工としてテレビに出たこともありましてね。僕も小さいころから手伝ってました。小さなハンマーで細い鉄の棒をたたくんだけど、真っすぐ打たないと曲がってしまう。厳しいおやじでよく怒られたもんです。あれで集中力が身に付いたと思う」

 冒頭のヅラ発言であっけにとられたが、場は和む。それではと「球が遅かったエピソード」をしつこく聞き出そうとすると、一瞬だけ怖い顔になった。「素人に『俺が投げた方が速い』って言われると頭にきた。じゃあ、おまえが投げてみい、とね」。投球も会話も主導権は渡さん。空気も距離感も決めるのは俺だ…。やはり間合いの達人だと思い知った。

 酒とギャンブルが大好きで、野球で稼いだカネはすべて使ったと笑っていた。そもそも、かつての仲間も誰ひとり消息を知らなかったのは携帯はおろか、固定電話もないからだ。松本は言った。「一匹おおかみだったからね」。群れず、こびず。しかし、孤独だとは感じさせない顔だった。

松本幸行さん

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 ▼松本幸行(まつもと・ゆきつら) 1947(昭和22)年6月5日生まれ、大阪市出身の72歳。左投げ左打ち。大阪・大商大高から社会人のデュプロを経てドラフト4位で1970年に中日入団。74年に20勝(9敗)を挙げ最多勝を獲得し、20年ぶりのリーグ優勝に貢献した。80年に阪急へ移籍。オールスター出場3度。

 

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