一面山里発、コロナ時代の生き方 三重に移住の元宇宙飛行士秋山さん
日本人初の宇宙飛行士で知られる元TBS記者秋山豊寛さん(77)は、三重県大台町に移り住み、農業を営む。人里離れた土地で土と向き合う日々を送る秋山さんの目に、新型コロナウイルスの影響で抑制的な日々を送る「現代人」の姿はどう映っているのだろう。話を聞きに自宅を訪ねた。 五月中旬、初夏の日差しを浴びながら、秋山さんがブロッコリーを昼食用に収穫していた。自宅前に広がる約二百五十平方メートルの畑で、エンドウやキャベツなど二十種類ほどを育てている。今は家族と離れ、一人暮らし。「これくらいの畑がちょうどいい」。自慢の畑は近くの山にすむサルに狙われている。「あいつら昨日も来てたよ。見つけると、パチンコで追い払うんだ」と笑った。 三十年前、秋山さんは地上から四百キロ離れたソ連(当時)の宇宙ステーション・ミールから地球を見下ろしていた。「太陽が地球に影をつくっていくさまを見ながら、人の時間の概念も宇宙から見たらこんなもんなのかと思ったよ」 「時間に縛られない」が、モットーだ。コロナ禍で引きこもりがちな人が増えたことに「考える時間がたくさんあるって結構なことじゃあないか」と問いかける。自身は元テレビ局の社員だが、「人の時間で生きてる感じがして嫌なんだ」と自宅にテレビはない。たまにラジオに耳を傾けながら、農作業と読書にいそしみ、晴耕雨読の毎日を満喫している。 ついのすみかに紀伊半島の山間地を選んだのは「原発から遠いから」。五十三歳でTBSを退職し、福島県でシイタケ栽培を始めたが、二〇一一年の東日本大震災で被災した。「『原子力村』の専門家たちは原発は大丈夫って言ってたよ。今回も同じ。俺たちは専門家の言葉に疑問を抱かないといけない」と警鐘を鳴らす。 現代人は「富をつくることを優先し過ぎている」という。「豊かさは人それぞれだけどさ。俺なんて、農作業の合間に日光浴していたらもう極楽、極楽なんだよ」と畑を見やる。 緊急事態宣言の解除が全国に広がる一方で、気の抜けない日々が続く。「多くの人は解除を待ち望んでいただろう。でも、本当はみんな、どっかで気付いているんだよ。富をつくるためにそぎ落としていた『余裕』の中に、大事なものがあるってことにさ」 (鎌倉優太) <あきやま・とよひろ> 1942年、東京都世田谷区生まれ。国際基督教大卒業後、TBS入社。ワシントン支局長などを務め、90年に特派員としてソ連(当時)の宇宙ステーション・ミールに滞在。95年に退社後、福島県に移住。東日本大震災で群馬、京都で避難生活を送り、2017年12月、三重県大台町に移住した。著書に「原発難民日記」「来世は野の花に 鍬(くわ)と宇宙船2(ローマ数字の2)」など。 PR情報
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