電脳筆写『 心超臨界 』

明日死ぬかのように生きよ
永遠に生きるかのように学べ
( マハトマ・ガンジー )

不都合な真実 《 改竄、偽造、情報操作は朝飯前 》

2020-05-18 | 04-歴史・文化・社会
 「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
    そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
  ( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f
    ( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼▼▼ 緊急情報 ▼▼▼
★【水間条項TV】5月9日・10日に武漢と東京・大阪直行空路・航路新たに開通
★【レコード・チャイナ】武漢から日本へ、水運と航空の直航貨物輸送ルートが続々開通
★【ANA Cargo】5月貨物臨時便のお知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
《 いま注目の論点 》
地球環境視野に教訓生かせ――ジャレド・ダイアモンド
規律と秩序で感染拡大防げ――藤原正彦さん
「樋口中将 日本守った」――北海道で広がる評価
感染症の「有志情報同盟」構築を――島田洋一さん
中国礼賛の価値や戦略改める時――楊海英さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


習近平が視察した武漢の「火神山医院」は、急ごしらえで建設した仮設病院だが、ここに強制収容される感染者は、死にに行くようなものだと恐怖の心理に取り憑(つ)かれた。反政府の華字紙は、「火神山医院では毎日数百人が死亡している」と内部情報を伝えた。なにしろ数千人が虐殺された1989年6月4日の「天安門事件」を「なかった」ことにした中国共産党である。


◆改竄、偽造、情報操作は朝飯前

『「コロナ以後」中国は世界最終戦争を仕掛けて自滅する』
【 宮崎正弘、徳間書店 (2020/5/1)、p8 】

中国が嘘の演出と、でっち上げの「事実」を強要するのは有史以来のことで、その典型が歴代中国王朝の「正史」である。

だから南京大虐殺という架空の事件を捏造(ねつぞう)して日本に戦争責任を転嫁した。そのうえで日本軍と戦った国民党は「偽軍」となり、洞窟に逼塞(ひっそく)していた共産党が抗日戦争に勝利したなどというフィクションをでっちあげた。

習近平が視察した武漢の「火神山医院」は、急ごしらえで建設した仮設病院だが、ここに強制収容される感染者は、死にに行くようなものだと恐怖の心理に取り憑(つ)かれた。反政府の華字紙は、「火神山医院では毎日数百人が死亡している」と内部情報を伝えた。

なにしろ数千人が虐殺された1989年6月4日の「天安門事件」を「なかった」ことにした中国共産党である。

1990年代、河南省では政府の売血奨励でエイズ感染が拡大、国連は100万人以上の患者としたが、中国の発表は「2万2517名」だった。この縮小宣伝(せんでん)原理から言えば、中国の感染はすでに100万人、死者は1万人を軽く超えているという推測が成り立つだろう。

台湾は軍隊の化学医療チームを動員し、水際作戦を展開した。日本では緊急対策会議に肝心要の自衛隊の担当部署幹部さえ呼ばれていない。なんという彼我の差! 欧米は軍を動員してあたかも戒厳令下にあるというのに。

まずいと思ったのか、中国は医療特殊チームをイタリアに派遣し救援のイメージを作ろうと懸命になった。スペインとセルビアにも派遣した。

次に武漢市民の慰撫(いぶ)作戦に出た。

その重責を担ったのが、孫春蘭(そんしゅんらん)という中国現代政治でトップの女性だ。現職の政治局員であり、国務院副総理である。

彼女は共産主義青年団のメンバーで、改革派とされるが、2012年に政治局員に選ばれて以来、注目され、同年には張高麗に代わって天津市長を兼務。また令計画失脚直後には統一戦線部長にも抜擢された(統一戦線部は世界中に謀略を展開する司令部)。

孫春蘭は「働く女性」の象徴ともいえ、国民から人気がある。だから武漢に派遣された。3月5日、武漢の住宅地を孫春蘭が視察し始めると、住民がわっと集まり、拍手するのかと思えばまったく逆で罵声が飛んだ。

「今頃何しに来た」

「お前らの無能が災禍を広げたんだ」

2020年1月23日、武漢が封鎖される8時間前に、共産党幹部らには事前通達があって、およそ50万の武漢市民が逃げた。早朝に発表を聞いた武漢市民は、すでに町が封鎖されており、逃げ場のないことを知った。

李克強(りこくきょう)首相がマスク姿で武漢を視察し、医療関係者を慰問したのは1月26日だった。2月になって習近平は武漢ではなく、かなり安全な北京の住宅街を視察して、アリバイ工作をしたが、ネットには「習近平よ、武漢へ行け」との書き込みが溢れた。

それまで震えが止まらなかったのか、北京の奥の院でじっとしていた習近平。3月に予定されていた全国人民代表大会(全人代)は無期延期、中国共産党第19期中央委員会第5回全体会議(五中全会)も見通し立たず、ネット上は習近平批判が氾濫(はんらん)(すぐに消されるが)。日本への国賓としての訪問も延期となって、日本国民をいたく安堵(あんど)させた。もし実現していたら日本は世界中から非難されただろうし、天皇陛下は防護マスクをつけて謁見されたのだろうか。

全体主義の中国共産党からみれば、日本各地で連日のように行われていた習近平国賓来日反対の集会、デモ、そして意見広告などは「理解しがたい、世論を取り締まれ」と日本の関係者に愚痴をこぼした。表現の自由のない国だから、日本のような事態は考えにくのだろう。

3月10日になって習近平は湖北省武漢に忽然(こつぜん)と出現した。

突貫工事で建設した医療センターを訪問(火神山医院)、関係者を慰問した。テレビ会議で医療現場とつないで医師らと会話し、町を歩いて商業施設などを訪問し、「市民と対話」など無理やりの演出、その政治演技は誰もが見破れるものだった。アパートの住民は無理やりの笑顔で手を振る芝居を強要されたが、アパートの要所要所には警官が配置されていた。あとで、この「住民」は北京から派遣された演劇団員らしいことが分かった。

中国のネットでは「今頃何しに来た?」と批判の渦だったが、こうした批判はすぐに削除され、世論は完全に操作されている。

中国は意図的に「中国発コロナ」の印象を消すために、イタリア、イラン、独仏そして米国における被害を大袈裟(おおげさ)に伝える。しかしよほどの不人気を悟ったのか、中国共産党は不満の対象をすり替える作戦に転じた。

4分の3の労働者は職場復帰し、中国の経済再生の拠点である各企業の生産ライン回復は間近と報道させ、2020年4月8日には武漢の封鎖を解いて地下鉄も動かし始めた。すると初日だけでも6万6000人が武漢から新幹線などで逃げ出した。

中国人の特性を思い出せば、逆さまの情報操作は定石、常套手段である。

1938年6月、日本軍に追われた蒋介石(しょうかいせき)軍は河南省の開封(かいほう)と鄭州(ていしゅう)のあいだの花園口で黄河の堤防を爆破して奥地の西安へ逃げた。決壊した堤防の下流域は大洪水となって被害は安徽(あんき)省、江蘇省にまで及び、農作物壊滅、水死で最低60万人、最大100万人が死んだ。災害救援に当たったのは日本軍だった。

蒋介石の右腕だった何応欽(かおうきん)将軍は「あれは日本軍がやった」と回想録に書いた。1937年の日本軍の南京入城に際して、南京大虐殺はなかたのにあったと言いつくろって「記念館」を造った。南京では日本軍が入城したところだけ安全で、シナ人が大量にこの日本軍のもとへやって来た。虐殺はあり得なかった。1989年の天安門事件そのものが「なかった」ことにしている。

中国共産党の悪質な宣伝を、中国国民が見抜けるようになった。すると、こんどは外国人記者の追放という措置に出た。外国特派員の動静を見張り、通信を傍受し、記事を執拗に周到に監視し、いつも文句をつけ、時に脅かし、それでも中国の要求通りの記事を書かないと国外追放。これが「言論の自由のない」中国のやり方である。

2020年3月17日、中国外交部は米国のニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、ワシントン・ポストという有力3紙の米国籍の記者に対して、中国本土とマカオ、香港における取材を認めず、2020年度のビザ更新をしない、つまり「さっさと出ていけ」という反動的措置を取った。

「正しい報道」をするメディアは中国には要らないというわけだ。

トランプ政権は対抗策として、米国にいる人民日報、新華社など160名の記者を100名に減らせと減員の要請を始めた。

こうした経緯から明らかなように、武漢コロナに関して感染者数も死者数も操作されていることは明白。生産現場でラインが復活している事実はないし、そもそも欧州でルノー生産停止で、1万8000人が自宅待機、トヨタも欧州の主力工場ばかりか、米国の7つの工場も休業とした。世界的な製造業の休業と需要減のなかで中国の工場だけが以前通りに稼働できるはずがない。

16日夜、海南島の文昌衛生発射場から打ち上げられた中国の新型人工衛星(長征7号)は打ち上げに失敗した。2017年にも「長征5号」の打ち上げに失敗している。

武漢コロナに消沈した庶民の精神環境を、ロケットを見せつけ、国威発揚によってすり替えようとした試みが失敗したことになる。

文昌基地は酒泉、西昌、太原衛星発射センターについで4番目の打ち上げ基地だが、前述3つは内陸部にあって、周囲が山岳地帯だから軍事機密を保てるが、大型ロケットを打ち上げられない。理由はロケット製造が天津であり、遠距離鉄道輸送に限界があった。そこで天津港から海南島の港へ直送すれば、大型ロケットの実験ができる。2007年から建設が開始された。かつて海南島の山岳地帯には日本軍のレーダー基地があった。

ともかく大型ロケットの打ち上げ失敗は、何かを象徴してはいないか。
この記事についてブログを書く
« 悪魔の思想 《 竹内好――シナ... | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事