検察の在り方検討会議   第7回会議 議事録 第1 日時  平成23年2月3日(木)  自 午後1時32分                      至 午後5時 7分 第2 場所  法務省第1会議室 第3 議題    1 研修制度等についての説明  2 「検察の使命・役割(総論)」についての議論  3 「検察官の倫理」についての議論  4 今後の議論の進め方について  5 その他 第4 出席者 千葉座長,石田委員,井上委員,江川委員,郷原委員,後藤委員,佐藤委員,嶌委員,高橋委員,但木委員,龍岡委員,原田委員,宮崎委員,諸石委員,吉永委員 第5 その他の出席者 黒岩法務大臣政務官,事務局(神,土井,黒川) 第6 説明者 法務総合研究所 堀研修第一部長,刑事局 田野尻参事官 第7 議事 ○千葉座長 予定の時刻となりましたので,検察の在り方検討会議の第7回会合を開会させていただきます。   本日も御多用の中,御出席をいただきましてありがとうございます。まず,事務局から配布資料の説明をお願いいたします。 ○事務局(黒川) 皆様のお手元にお配りしております資料のうち事務局で用意させていただいた資料は4点でございます。資料1は本日の議事次第,資料2及び3は研修制度等の御説明の際の資料,そして,資料4は今後の議事進行の案でございます。   また,皆様のお手元には本日の議事などに関連して委員の皆様から御提出いただいた書面をお配りしております。   次に,委員から御要望いただいていたものとして,「省庁改革関係の資料」と題する資料をお配りしております。この資料には6省庁において過去に公にされた改革策等に対する提言などがつづられております。なお,前回の会合でお配りいたしました検察官に適用される倫理に関する法令等の資料につきましては,本日,委員の皆様に御持参をお願いしたところですが,お手元にございませんようでしたら,余部がございますのでお申し出ください。 (堀部長,田野尻参事官入室) 1 研修制度等についての説明 ○千葉座長 それでは,議事次第1の研修制度等についての説明に移らせていただきます。   検事に対する研修には,法務総合研究所が実施しているものと,法務省が主催し,又は最高検察庁等と共催しているものとがあるとのことでございますので,本日は法務総合研究所の堀嗣亜貴研修第一部長,法務省刑事局の田野尻猛参事官のお二方に御出席いただきました。御説明の後に質疑応答の時間を設け,御説明はそれぞれ10分程度,質疑応答も10分程度で,合計30分間を予定させていただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。   なお,田野尻参事官には,検察官に適用される倫理に関する法令等についても付言していただく予定でございます。   それでは,最初に堀部長から御説明いただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 ○堀部長 それでは,法務総合研究所研修第一部長の堀から御説明を申し上げます。   私ども,研修第一部では検事の研修を担当しております。私はその責任部長ということになりますので,私が御説明に上がりました。   まず,お手元に用意させていただいた資料でございますが,説明用のペーパーが1枚ございまして,その後に関係の資料を付けております。関係の資料は,研修の根拠となっております要綱,これから御説明いたします研修の種類ごとの実施要領,最新の研修の日程を資料として用意させていただきました。   まずは,1枚目のペーパーに基づきまして,御説明を申し上げます。研修の種類としては三つございます。各研修の目的・内容等につきまして,まず概略の御説明を申し上げます。一つ目の「新任検事研修」,これはロースクールを出て1年間の司法修習を経て実務経験がない状態で任官してまいります全くの新任の検事に対する最初の導入研修でございます。目的は,ここに書いてございますように,検事としての基礎的知識・能力を修得させること,それから,広い視野と識見を養うための基礎的啓発を行うことでございます。   下にスケジュールがございますが,12月下旬から3月末までの約100日間,研修しておりまして,現に今,第63期の新任検事に,この新任研修を行っているところでございます。本日の御説明でも,現に行っているこの新任検事研修の内容等についても適宜御説明申し上げたいと思います。   主な内容でございますけれども,大きな柱が二つございます。一つ目が内外の講師による講義ということでございます。それから,二つ目が多数の事例教材,これは無罪事件を含めますけれども,これを用いた捜査・公判の演習。これは少人数セミナー形式の演習でございます。これを二つの柱としております。   一つ目の内外の講師による講義でございますが,今般の研修からピックアップいたしますと,例えば※のところにありますように「事実認定概論」,それから「無罪事件・科学捜査」,これは特に昨年12月24日に公表された今般の事件に関わる最高検の検証結果の説明,それから,足利事件等を踏まえた講義を含みます。これは最高検総務部長,最高検検事が講師となって,約6時間15分を予定しております。   それから,「講話」とございますけれども,これは,元検事長の弁護士,東京地検検事正,法務総合研究所所長,研修第一部長は私でございますが,この講話を用意しておりまして,一部は既に了しております。   それから,「被害者・遺族の声」については東京都の被害者支援センターの方を講師としてお願いしておりますし,「DNA型鑑定」については警察関係からお願いしています。このような内外の講師による講義を一つの柱として用意しております。   それから,二つ目の多数の事例教材を用いた捜査・公判演習ですが,先ほど申しましたように,班別の少人数の演習形式でございます。ざっとイメージをつかんでいただくために,この新任検事研修の日程を御参照いただきたいと思います。大変に字が細かくて恐縮でございますが,スタートが昨年12月22日でございます。ずっと日程が書かれておりまして,最後が本年3月31日ということでございます。   今年,既に終わった分でございますけれども,1月4日辺りから,基本的な教材を使いました手続の流れに沿った研修をスタートしておりまして,例えば,この1月4日の課題(入門(強盗致傷)),(勾留請求,捜査事項等)とありますけれども,この辺りから勾留請求の段階での記録を見た検討・起案をスタートいたします。それから,1月6日,7日の辺りで,勾留請求,弁解録取書手続の模擬の演習を含んだ流れで進んでいきます。   それから,1月11,12,14日辺りで,勾留の延長段階,更には終局処分,起訴するのか不起訴にするのかというようなところまで進みまして,最後に決裁,起訴するなら起訴の決裁の段階まで演習として進めてまいります。   それから,1月17日,20日辺りになりますと,今度は起訴された後の保釈意見の対応,あるいは冒頭陳述の準備等のコマに進んでまいりまして,さらに1月24日,25日辺りで証人テスト,あるいは証人尋問,被告人質問等々,さらに1月28日に論告ということで,手続の一連の流れに沿った形で演習を織り交ぜながら進めていくということです。例えばの話で御紹介いたしますと,そういうことでございます。   それから,それ以外に2月3日,4日というところに班別演習(重点強化(詐欺)),(取調べ),とございますが,これは詐欺事件,具体的には無銭飲食の事件ですが,これに関しまして,例えば私ども教官が被疑者の役になりまして,新任検事に実際に取調べ練習と言いましょうか,イメージをつかませるために,取調べの実際のやり方を模擬でやらせるということをやるコマでございまして,こういうコマをいろいろな形で取り交ぜながら3月まで組んであるということでございます。   この中には,「多数の」と書いてございますが,全部で23の事例がございまして,そのうちの三つは無罪事件でございます。無罪事件のうちの一つは,既に最高検の検証結果も出ております氷見事件の記録を用いた教材でございます。   以上が,新任検事でございます。   次は2番目の検事一般研修でございますが,これは任官後おおむね3年前後の検事を対象としております。この目的は,ここに書いてありますように,検事として必要な一般的教養を高めるとともに,捜査・公判等検察実務に関する基礎的な知識・技能を修得させることにあります。3年目で一応の経験を経ておりますけれども,いろいろな形で,更に基礎的な知識・技能を修得させる。その部分を補っていくという形でございます。これも同様に内外の講師による講義,それから事例研究,事例教材を用いた捜査・公判演習ということになっておりまして,年に2回,各18日間,新任検事研修の100日と比べますと短くなっておりますけれども,実施しております。   それから,三つ目が,検事専門研修でございまして,これは任官後おおむね7年ないし10年目の検事を対象としております。7年目ないし10年目でございますので,相当の経験を積んできておりまして,この目的としましては,財政経済事件・汚職事件等の知能犯関係事件及び公安・労働関係事件を中心とし,その他最近の犯罪情勢等に鑑み,捜査・公判上の特に検討を要する事件につき,中堅検事として必要な捜査・処理及び公判運営に関する高度の専門的知識・技能を修得させるということでございます。   要するに,かなり専門分野に特化していくという形でございまして,これも内容としましては大きく二つで,内外の講師による講義,それから事例研究,事例教材を用いた捜査・公判演習ということになります。講義の内容がここに※でピックアップしておりますけれども,「無罪事件研究と最新の科学捜査」は当然のことといたしまして,例えば脱税事件,独禁法違反事件,金融商品取引法違反事件,企業犯罪,選挙違反事件,公安労働事件等,かなり専門的な分野別の捜査・処理に関する講義等が含まれてきております。   これも年に2回,各10日間,更にまた短くなりますけれども,実施している状況でございます。私からの説明は以上でございます。 ○千葉座長 ありがとうございました。引き続きまして,田野尻参事官に御説明をいただきます。よろしくお願いいたします。 ○田野尻参事官 刑事局参事官の田野尻でございます。私からは最高検と法務省が共催しております研修と法務省が主催しております研修につきまして,お手元に資料3としてお配りいただいている資料に基づきまして,御説明をさせていただきます。   まず,最高検と法務省の共催で実施している研修としましては,「新任支部長検事セミナー」,「新任決裁官セミナー」,「検察運営セミナー」の三つがございます。   「新任支部長検事セミナー」は,任官後おおむね15年程度までの経歴を有し,近い将来地方検察庁支部の支部長に就任すると考えられる検事を対象として実施しているものでございます。地方検察庁の支部長検事として必要な能力・素養の修得・かん養を図ることを目的としている研修でございます。   期間は3日間でございまして,具体的な内容につきましては,この資料の後ろに「第3回新任支部長検事セミナー日程」を付けさせていただいております。これは昨年の3月に実施したものでございます。   この研修におきましては,決裁制度の意義,支部長検事に求められる決裁の心構えや決裁の在り方などを中心としまして,そのほか,外部講師によるマネジメント講座,東京地検総務部副部長による検務事務や東京地検交通部副部長による交通事件の決裁に関する講義,副検事・検察事務官が求める支部長検事というテーマでの副検事,検察事務官との座談会などが実施されております。   次に,「新任決裁官セミナー」でございます。こちらは,任官後おおむね15年程度以上の経歴を有し,近い将来,地方検察庁の次席検事・部長等に就任すると考えられる検事を対象として,地方検察庁の次席検事・部長等として必要な能力・素養の修得・かん養を図ることを目的としております。   期間はこちらも約3日間でございまして,具体的な内容は「第1回新任決裁官セミナー日程」と題する横組みの資料を御覧いただきたいと思います。   こちらにつきましても決裁制度の意義,中間決裁官に求められる決裁の心構えや在り方等を中心としまして,そのほか同様になりますけれども,外部講師によるマネジメント講座,検察行政や検務事務等の講義,座談会等を実施しているところでございます。   次に,「検察運営セミナー」ですが,こちらは,地方検察庁のトップである新任の検事正を対象とした研修でございまして,検察の長官として必要な行政的識見及び管理能力の修得を図ることを目的としております。   この期間も3日間でございまして,具体的な内容につきましては,「検察運営セミナー日程」を御覧いただきたいと思います。   こちらでは,マスコミ関係者やメンタルヘルス研究関係者による講義,検察行政,裁判員裁判及び刑事立法の動向等に関する講義,検察運営についての座談会等を実施しているところでございます。   次に,法務省が単独で主催している研修としまして,「外部派遣研修」,「弁護士職務経験制度」等について御説明申し上げます。   資料3の2ページ目の(4)以下になります。「外部派遣研修」は,任官後おおむね6年から15年程度の検事を対象とした研修でございまして,一定期間,公益的活動を行う民間団体や民間企業に検事を派遣しまして,多様な方々との交流及び意見交換の機会を持たせることにより,幅広い視野,識見のかん養を図ることを目的としております。   期間は,派遣先により異なりますけれども,1か月から1年程度となっております。具体的な研修内容につきましては,基本的に派遣先にゆだねているところでございますが,業務体験等を通じまして,可能な限りいろいろな方々と交流できるような内容としていただいているところでございます。この研修は平成14年から始まりまして,各年度別の派遣庁,派遣人数,派遣期間につきましては後ろに付けております「検事外部派遣制度実施一覧」のとおりとなっております。   先ほどの「検察運営セミナー日程」の次の資料が「検事外部派遣制度・実施要項」でございまして,その後ろに派遣の人数を記載した資料を付けさせていただいております。ここ数年は毎年3名を派遣しております。   次に,資料3の2枚目で,(5)になりますけれども,弁護士職務経験制度について説明します。これは任官後おおむね5年程度の検事を対象とした研修でございまして,弁護士としての職務を経験することを通じて,検察官としての能力及び資質の一層の向上並びにその職務の一層の充実を図ることを目的としております。   弁護士職務に従事する検事は,受入先となりました弁護士法人等との間で雇用契約を締結いたしまして,検事の身分を離れて弁護士登録を受け,原則として2年間,弁護士業務に従事しております。   お手元の資料に,「検事の弁護士職務経験に関する運用要領」を付けさせていただいておりますが,これは法務省と日弁連との間の検事の弁護士職務経験制度の運用について合意した内容を記載したものです。この制度は,平成17年度から始まりまして,これに従事しております弁護士事務所の所在地等につきましては,この運用要領の次に付けております「検事の弁護士職務従事職員一覧」に記載したとおりで,東京,大阪に検事を派遣しております。   次は,資料3の2ページ目の一番下の(6)になりますけれども,「情報システム専門研修」でございます。こちらは,任官後約10年以内の検事を対象とした研修でして,コンピュータ・ネットワークやセキュリティシステムの基礎的な仕組みとサイバー犯罪で利用される技術的手口を理解するとともに,ログの解析等の捜査手法の基礎知識を修得して,サイバー犯罪の捜査に不可欠な能力の養成を図ることを目的としております。期間は5日間で,具体的な内容につきましては,「平成22年度情報システム専門研修日程」と題する資料を御覧いただきたいと思います。   これに記載されているとおり,研修の委託業者にサイバー犯罪,あるいはコンピュータ・ネットワークに関する基礎知識についての講義,あるいは検事,警察官による捜査・公判に関する講義等を実施しております。   次に,資料3の3ページ目で,(7)「医療関連事犯担当検事研修」について御説明を申し上げます。これは,医療行為に関する専門的知識を必要とする中堅検事若しくは将来これらの捜査・公判に携わることが見込まれる検事を対象とした研修でありまして,医療行為に関する専門的知識を修得させ,医療事故及び医療関連の問題点を含む事件の捜査・公判遂行能力の向上を図ることを目的とする研修です。期間は5日間で,その具体的な内容は,先ほどのコンピュータ関係の次に実施要領と日程表を付けています。   こちらでは,大学病院等の医療機関の見学,医師等から医療行為の現状等の説明,臨床医学の具体的問題に関する検討会の傍聴等を実施しているところです。   このほか,在外研究としまして,人事院が主催する「行政官長期在外研究」,「行政官短期在外研究」,法務省が主催しております「検事在外研究(米国大学院コース)」,「若手検事在外研究」等を実施しているところです。また,人事院主催の行政研修にも検事を派遣しているところです。   次に,前回の検討会で配布されました資料4になろうかと思いますけれども,こちらの「倫理等に関する法令等」と題する資料に基づきまして,検察官に適用される倫理等に関する法令等につきまして,その概要を御説明させていただきます。   検察官の倫理に関する規程等の現状でございますけれども,検察官は,一般職の国家公務員ですので,国家公務員法の服務に関する規程が適用されるとともに,国家公務員倫理法や国家公務員倫理規程が適用されます。   具体的には前回の検討会の資料4−1になりますけれども,国家公務員法上の各種の義務規定,例えば信用失墜行為の禁止,職務専念義務などの服務に関する規定が適用されます。また,資料4−2になりますけれども,国家公務員倫理法に基づき,一定の役職以上の職員に係る贈与等の報告,株取引等の報告,所得等の報告等が定められております。   また,資料4−3の国家公務員倫理規程でございますが,こちらでは利害関係者との間における禁止行為,利害関係者以外の者等との間における禁止行為等が定められておりまして,これらが検察官にも適用されます。   そして,国家公務員法における懲戒処分に関する規程につきましては検察官にも適用されますので,国家公務員法の規定により,国家公務員法等の規定に違反した場合,職務上の義務に違反し,又は,職務を怠った場合,国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合には免職,停職,減給又は戒告の処分を受ける可能性があります。また,国家公務員倫理法又は国家公務員倫理法に基づく命令に違反した場合の懲戒処分の基準につきましては,資料4−4の人事院規則22−1に規定された基準により処分されることになっております。   法務省の職員の職務に係る倫理に関しましては,資料4−5になりますけれども,法務省職員倫理規程が規定されておりまして,捜査・公判に従事している検察官について,捜査を受けている被疑者,公訴の提起を受けている被告人,刑の執行を受ける者,被疑者等の弁護人,代理人等がその利害関係者とみなされております。   また,資料4−6になりますけれども,不動産取引等に関する報告において,検察庁に勤務する副検事を除く検察官のうち自己又は家族の居住用以外の不動産取引を行った者は,国家公務員倫理法では求められておりませんけれども,こちらの規定により,毎年職員が勤務する検察庁の長に不動産取引報告書を提出することとされております。さらに,株取引等の報告につきましても,国家公務員倫理法に規定された報告対象とされている職員以外の者も報告が必要とされております。私からの説明は以上です。 ○千葉座長 ありがとうございました。ただ今の堀部長及び田野尻参事官による御説明の内容に関しまして,御質問のある方はお願いいたします。 ○石田委員 法総研についてお伺いしたいと思います。カリキュラムを拝見いたしますと,基本的には検察官としてのノウハウと言いますか,技術的あるいは専門的な知識についての研修が主であるというふうに理解いたしました。研修ですから当然のことだと思いますが,そこの中でいわゆる検察官倫理といったものについては,どのような扱いをされ,どのくらいの時間が取られているのでしょうか。この資料を拝見しますと,ちょっとざっと見ただけで申し訳ありませんが,5枚目の22年度の新任検事研修日程では12月24日の金曜日14時10分から14時40分まで公務員倫理というカリキュラムが組まれているようです。公務員一般の倫理とは別に検察官としての特有の倫理,いわゆる検察官倫理といったものがやはり重要な地位を占めるのではないかと思います。弁護士会などでは定期的にかなり時間をかけて弁護士倫理の演習なども行われていますが,検察官倫理がどのような教育が行われているのか,あるいはどのような教材を用いて行われているのかということについてお教え願いたいと思います。 ○堀部長 科目の名前として検察官倫理という科目は設けておりません。先ほど御説明いたしました講話,これは法務総合研究所所長,あるいは東京地検検事正,あるいは研修第一部長の私のコマでございますが,基本的に今回の最高検の検証結果も踏まえまして,二つのことを,特に今回の新任検事研修では教えようとしておりますし,現に教えているところでございます。   一つは,正に先生がおっしゃったところと通じるところだと思いますけれども,検察官の職務執行はフェアでなければいけないという点です。悪しき当事者となってはならないという言われ方もされます。そういうことを踏まえまして,要するに公益の代表者であって,国民の皆様方に責任を負う立場であるので,厳正公平,不偏不党というようなことは当然のことでございますけれども,誰に見られても恥ずかしくないようなフェアな職務遂行をまず心掛けようと。特にこの新任検事研修では基本的な心構えとして,再三教えているところでございます。   それから,ちょっと局面が違うかもしれまんが,さっき申し上げたグループ別の演習型のコマの中で,例えば決裁を受けるときに,きちんとした形で積極証拠,消極証拠を正確に報告して,上司の決裁に臨むということは当然のことだと,これは当たり前のことだと思いますけれども,改めて今般の検証結果を踏まえて,その辺りも個別のコマで指導しているというところでございます。 ○江川委員 さっきのカリキュラムを見たら,犯罪被害者や遺族の声を聞くというのは出ていたんですけれども,えん罪被害者の声を聞くというのが出てないような気がするんですが,そういったことはやらないのでしょうか。弁護士の話を聞くことはあるのかもしれませんけれども,やはりえん罪によって人生や家庭,人間関係がめちゃくちゃになってしまったという人たちの話を聞くということは非常に大事なことだと思うんですけれども,その点についてどうお考えでしょうか。 ○堀部長 現状のカリキュラムではそれはございませんが,今,正にいろいろな御指摘を受けまして,来年度以降の研修日程等の見直しを行っておりますので,その中で考えていきたいと思います。 ○嶌委員 先ほど,石田委員がお尋ねになりましたけれども,研修内容はどちらかと言うと捜査の在り方とか技術とかそういったようなことが中心のように思いました。今,検察の在り方が問われているわけですが,検察は最強の捜査機関と言われ,そして世間は検察というのはものすごい力,権力を持っていると思われているときに,やはりその権力行使に当たって,どのような心構えが大事か,自ら律する気持ちも必要かと考えます。これは単なる国家公務員法で定めているような倫理,これはしてはいけない,あれをしてはいけないという倫理ではなくて,やはり力を持った人間がもっと謙虚でなければいけないとか,何かそういった教育をやはり一番最初に教え込むということも重要なのではないかと感じました。これを見ていると,どうも捜査の技術の修得だとか,鑑定など捜査・取調べのための研修に重点が置かれているような感じを感触として持ちました。 ○後藤委員 取調べについての研修があると思うんですけれども,その中で例えば供述心理の専門家とか,あるいは面接技法の専門家の話を聞くという機会はあるのでしょうか。 ○堀部長 現状ではありません。ただ,先ほど申し上げましたように,いろいろな見直しをこれからいたしますので,その過程で考えていきたいと思います。   一つだけよろしいでしょうか。取調べの演習のやり方ですが,教官がその被疑者なりの役をやって,調べも模擬ですけれどもやらせてみる。それから,実は研修員同士,新任検事同士で一方を被疑者役にさせまして,それで調べをさせる。そうすると調べを受ける側がどういう気持ちになるのかということも実体験としてさせまして,したがって相手の気持ちをよく考えて,それで相手の立場なり,考え方をよく探っていくということはどういうことなんだということは体験させるような試みをしております。 ○江川委員 取調べの訓練に関してなんですけれども,そうやってロールプレイをやるのはとても一つのやり方としてはありだと思うんですけれども,例えば,実際に行われている取調べの様子を録音したりビデオに撮ったりして,それを題材にして,こういうところが良いとか,こういうところが悪いとか,そういうようなことというのはおやりにならないのでしょうか。あるいは実際にやったら非常に役立つし実践的だと思うんですけれども,いかがでしょうか。 ○堀部長 御指摘いただきましたので,そこも考えてみたいと思います。 ○千葉座長 それでは,時間の制約もございますので,ここで質疑を終わらせていただきたいと思います。もし,更に質問したいということがございましたら,事務局の方にお伝えいただければできる限りまたお答えのお返しをするというふうにしたいと思います。   堀部長,田野尻参事官,ありがとうございました。 (堀部長,田野尻参事官退室) 2 「検察の使命・役割(総論)」についての議論 ○千葉座長 では,これから個別の検討事項についての議論に移りたいと思います。   前回の会合におきまして,私の案といたしましてお配りした「今後の検討事項」と題する資料のとおり,一つは検察の在り方の総論としての「検察の使命・役割」,そして2番目に「検察の組織とチェック体制」,3番目というか3コマ目としまして,「検察官の人事・教育・倫理」,4コマとして,「検察の捜査・公判活動の在り方」。こういう柱に整理させていただくということで皆さんにもおよそ御了解をいただきました。   そして,これらの4本柱の検討の順序につきましては,皆様からいろいろな御意見をいただいたところでございますが,冒頭の検討事項としては,やはり検察の在り方の総論という意味でも「検察の使命・役割」,これを御議論いただくことがよろしいのではないかということで,これも皆さんに御了解をいただいております。   そこで本日は,まずは,「検察の使命・役割」という総論的な部分につきまして,御議論いただくことといたしております。また,全体のスケジュールを考えますと,できることから早めに検討していきたいと存じますので,お時間があるようでございましたら,検察の使命とも関わりが深いと思われる議事次第3の「検察官の倫理」についても御議論いただけたらと思っております。残りの時間で今後の議論の進め方について,今一度整理させていただきたいと思っておりますので,どうぞよろしくお願いいたします。   本日の会合も4時半頃までを予定しておりますので,途中午後3時10分から20分頃を目途に休憩をとらせていただくという形で進められればと思っております。   御発言に当たりましては,委員の皆様お互いに御様子をうかがっていただくなどして,適宜発言時間などできるだけ簡潔にいただくことを是非よろしくお願いいたします。活発な相互の御議論ができることが大切だと思いますので,御協力をよろしくお願いいたします。   それでは,まずは前半,検察の在り方の総論として,「検察の使命・役割」について御議論をいただきたいと思います。いかがでしょうか。 ○吉永委員 皆様の専門的かつ高度な御議論が展開されますと,ひとりの国民としての私は発言しにくくなるだろうと予想しまして真っ先に手を挙げさせていただきました。   これまでの会議の内容や先週の村木さんのお話を振り返りながら,検察は何のためにあり,何を正義として存在しているのかをまず考えてみました。で,個人の権利や公共の利益を守り,国民に法に守られている安心感を与えるために存在するという結論に達しました。それらが守られない出来事が起きたときに,検察が果たすべき役割は,真相の究明と人権の保障の二つの柱なのだろうと思います。住宅でも柱が細くなったり,どこか1本シロアリに食われても徐々に建物を支えられずに倒壊するように,検察という組織もこの二つの柱がしっかりと同じ強度を保って存在していないと歪みが生じ,やがて存在理由を疑われるように崩壊していくものと思われます。   今回の事案に関して言えば,二つの柱のいずれか,あるいは両方に,恐らく両方が劣化した結果,あり得ない事態が至る所に起き,守るべき個人の権利も公共の利益も守れす,真相の究明も結局は曖昧になって,国民の信頼を失ったものと思われます。   真相を究明する力が正しく発揮されず,国民の利益よりも検察の威信を守るために自分の都合の良い真相に導こうとすると,もう一つの柱である人権の保障をないがしろになります。しかし,人権の保障が手続や方法論に強く傾くと,アメリカのウィリアム事件のように真相の究明というもう一つの柱に傾きが生じるのではないかと思います。検察を支える二つの柱は,実は相反するものを抱えていて,そのバランスをしっかり保つことで,存在意義が保たれるのだろうと思います。   歪みを正し,どちらの強度も高める方向の改革が望ましいと私は考えております。   次に,この会議でもしばしば取り上げられた取調べの在り方ですが,逮捕・勾留して取調べによる供述を得ることは,推定無罪の人に心身の苦痛を強いることであるという自覚が全くないということに驚きました。真実を究明し,真実に迫るために供述を得るのではなく,検察が望む供述を得るために,逮捕,勾留,取調べを道具として使うという方法は本末転倒であり,決して許されるものではない。これを看過したら暴走を生み,えん罪で苦しむ人を生み出し,守るべき国民を苦しめるという重大な本末転倒を来たし,国民の信頼を失うのは当然の帰結だろうと思います。   村木さんの場合は,御本人が強い意思を持たれ,明晰な分析力があり,御家族や弁護団で支えられたからこそ,最後まで屈せずに自力で無罪を勝ち取ることができた稀有な例であり,普通の国民は検察によって人生を奪われ,著しい人権侵害が行われる。   検察官は,被疑者や被告人の痛みに常に思いをはせ,自分の判断や行動が相手の人生を左右し,人権侵害の当事者になる権力を持っていることを自覚するべきなのに,そういう自覚が欠落していたとしか思えません。   検察官になったら当然身に付いていると考える甘さや,国民の上に立っているかのような錯覚やエリート意識では,検察のあるべき姿,その使命を維持することができない。個々の検察官の倫理観や自覚を構築し,常にその原点に立ち返る努力をするべきで,この点の意識改革も必要かと思います。   以前,現代の子どもたちが苦しむ生活習慣病の取材をしていたとき,お医者さんが1枚のハンカチを広げてこんな話をしてくれました。ハンカチの四隅は,免疫と自律神経とホルモンと心で,それぞれのバランスがとれているとハンカチは形を保てる。それで初めて人間の身体はうまく機能できるというものです。もし一つの角に過度な力がかかったり弱まったりすると,全ての角が引っ張られてハンカチが歪むように,人間の身体も正常に機能しなくなる。この話は,検察という組織に当てはまるのではないかと考えます。四隅の状態をしっかり見極め,弱い部分は強化し,強く出っ張り過ぎたところは矯正し,四隅のバランスをしっかり保つことで正しく機能できる組織に立て直す。そういう方向で改革を進めていけば,国民の信頼を取り戻していければと私は思っています。 ○嶌委員 今まで何回か議論を聞いていて,全体の雰囲気としては,ここでは捜査の在り方,あるいは可視化,録音,取調べの在り方等に早く議論を進めた方がいいのではないかという雰囲気があるような感じを僕は何となく受けていました。しかしながら,僕は検察の理念というか,今後検察がどうあるべきかという基本をやはりきちんとしておかないと,いくら捜査や取調べの在り方を改善したから今後検察は大きな問題を起こしませんよと言っても,なかなか国民に理解されないのではないかと思います。   私は,司法の専門家でも何でもありませんけれども,40年以上メディアに関わってきて,一体こういう事件を国民が今どういうふうに見ているかと考えますと,かつても検察に対する不満・不信はあったわけです。しかし,それはどちらかと言うと,金丸事件などのときに,検察庁の看板にペンキをぶっかけられたということがありましたが,それは捜査をもっと厳しくやれといった意味である種,叱咤激励するというか,捜査が手ぬるいじゃないかという不満・不平だったと思います。   しかし,今回の検察への不信とは,ある程度信じていた検察が証拠を改ざんして,むしろえん罪をつくるというそんなことまでしていたのかというところにやはり愕然とした驚きがあって,これは今までの検察の不信とは質を異にするような大きな課題なのではないかと思います。   そういうことを考えますと,一体この検察というのは社会に対してどういう役割を負っているのか,もう一度ここで検察の基本的な理念を考え直すことが大事だと思います。今までよく検察の正義という言葉が使われてきました。国民は検察には正義があると,巨悪を追及するんだと思ってきたけれども,そこも含めて,一体検察というのはどういう理念や哲学に基づいて,この役所は存在しているのかということをやはりきちんと最初に言っておかないと,いくら今後こうした不信を招く不祥事を起こしませんと,手段だとか方法論だけを言ってもなかなか国民の気持ちには入ってこないのかなという感じがするわけです。   それは,もうちょっと具体的に言うと,やはり90年代,冷戦が終わって,20世紀と21世紀はやはりかなり変わってきているわけです。大きく言えば,20世紀型の制度だとか,慣行,ビジネスモデル,やり方だとかそういったものが非常に旧体質的なものとなってきている。そして21世紀型の新しい価値観というものが,今,世の中にどんどん広がってきている。それがある意味で言うと,大きな力を持っていて,ここ数日起こっているエジプトの騒乱にも発展しているわけです。   国内を見ても,企業社会は,ここ20年間ぐらいコンプライアンスなどいろいろな面で波に洗われているわけです。そのほか,大学も同じような目に遭っているし,独立行政法人だってそういう目に遭っています。中央官庁もそういうことに遭ったから国家公務員倫理法を作ったわけです。それどころではなくて,野球界も同じような目に遭っている。今は,相撲界だって問題になっているし,それから,歌舞伎界だって問題になっています。つまり,ありとあらゆる組織が,公開性,説明責任,透明性,環境重視等,この21世紀の新しい価値観というところと照らし合わせながら,今,組織の新しい在り方が求められているのかなと思います。   それをコンプライアンスだとか,企業憲章とかいろいろな形で自分たちはこんなふうにします。これからこういう社会に対して責任,役割を果たしていきますという形の宣言をしながら,生まれ変わる,再生しようとしているのが今の社会の現実なのかなと思います。だから,それは単に今までの不信があったということだけではなくて,その組織が持つ意味,どういう社会的な責任を果たすのかということをもっと明確にするような時代に僕は入っているのかなと感じがします。   恐らく,今後の大きな柱というのは最近よく言われているように,公開性を重視するとか,透明性を持つとか,あるいは説明責任能力,説明責任を果たすとか,人権の問題をきちんと考えるとか,あるいは,環境問題を視野に入れるのも大きな新しい価値観になってきている。もっと大事なことは人間及び組織としての品性というのか,そうしたことも,今,恐らく問われつつあるのかなと感じます。そういうことを考えたときに,国家公務員法,倫理法,これはこれでいいんですけれども,僕は国家公務員法ができるときに余り賛成じゃなかったんです。僕は反対の小論も書きました。それはかつてクラーク博士が札幌農学校を作るときに学校の校則を作ると言って,日本の先生たちがいろいろな校則を作ったけれども,クラーク博士はそんな細かい校則は要らない,ただ一言あればいい。それは何かと言ったら,「Be Gentlman,紳士たれ」,その一つの校則でいいんだと言ったそうです。何かそういうようなことが今,求められているのかなと思います。   日本は倫理,校則を作ると,何々をしてはいけない,といった「してはいけません」という話ばかりが出てくるけれども,そういうものをいくら作っても何となくモチベーションが湧いてこないし,尊敬もされないのではないか。僕はそういう意味で言えば,ここにも書きましたけれども,検察憲章みたいな,そんな長いものではなくてよくて,5条か6条ぐらいあればいいと思いますけれども,これからの検察は社会に対してこういう役割を果たしていきますよ。そして同時にそれを読むことによって,そこで働く人たちも誇りを持てるようなそういうような,モチベーションを高めるような内容の憲章を作る。それに基づいて捜査の手段とか可視化なども含めてこういうふうに改めていきますとした方が良い。そういう大きな宣言みたいなものがなく改革手段だけを書いても,僕はなかなか国民にピタッと入ってこないのかなという感じがします。   そして,もう一つ,法務省からいただいた資料を読んでいて,幾つか思ったことは,今の社会というのはIT化,グローバル化社会になってきている。それらに対して,全く無縁ではいられないわけです。いただいた参考資料を見ますと,例えば意見書にも書きましたけれども,検察庁,検察官の使命,社会的役割というようなところには公益の代表者,そこには場合によっては公正や正義のために被告人が有利になるような上訴もし,場合によっては無罪又は公訴棄却の論告をするというようなことも検察の役割ですよ,とあります。検察の正義とは何かということに対しても世界の検察首脳サミットで議論されている。それからもう一つ,これも感じ入ったことですけれども,刑事訴訟における検察官の関心というのは,事件に勝つことだけではなくて正義がなされることにあるんだと,だから,検察官は有罪を確保しなければならないのと同時に,無実の者が苦しまないように,二重の目的に仕える法の従者なのであるという判例がアメリカの最高裁で出ているとありました。つまり検察官に不利な証拠であっても,社会の正義とか公正とか,そういうためにはすべての証拠を出さなければいけないとある。これからの検察の在り方の中ではそうした考え方も重要なことになってきているのかなというふうに思います。   くだらない話ですけれども,僕はよく小説を読みますが,江戸時代の小説を読む,あるいは映画なんかを見ると,あの当時は封建社会で極めて残酷な拷問などをやっているように見えるんですけれども,小説をよくよく読んでみると,大きく東京都庁みたいな下に町奉行というのがあって,その下に与力がいて,その下に岡っ引きだとかいろいろな十手持ちがいる。当時は,奉行が裁判官であると同時に検察的な役割,あるいは行政的な役割を持っているわけです。しかし,弁護士というのはいないわけです。そうすると奉行は相当の慎重な判断をして判決をしないと,江戸市民のお上に対する信頼を失うわけです。小説を細かく読んでいると,いつもは読み飛ばしていたんですけれども,この検討会議に入ってから,そういうのを読んでいると,優れた与力はやはり無罪の人をどうやってなくすかということに相当慎重に証拠を集め,犯人がもう死ぬ気になって無罪でも有罪でもどっちでもいいと投げやりになっていても,与力の心証が無罪だと思ったら,最後まで証拠を集めて,そして判決の出る2日前に真の犯人をあげるということをやっているわけです。   それを読んでいて思ったことは,多分お上の信頼というものを得るためには,ただ裁けばいいということではなくて,権力を持っている側も本気になって真実を追求しなければいけないということが,江戸時代の社会にはかなりあったのではないかと印象を受けました。そういうシンボルとして,大岡越前守とか遠山の金さんとか,ああいうような人たちが出てきているのだろうと僕は思います。   やはり権力を持っている側が相当謙虚になって,そして犯人を罰するということだけではなくて,もしかして違っていた場合には,本当の犯人を捜すとか,そういうような真摯な考え方を持つことが僕は大事なのではないかと思います。   僕なんかもよく知りませんでしたけれども,何となく世間一般は裁判所があって,そして検察が被疑者を追及して,弁護士がその被疑者を守るという三角形構造になっていて,弁護士と検察の意見を聞いて,その上で裁判官が判断するというふうに世間は捉えているのではないかなと思います。しかし,検察官とは最近の欧米の国際的なスタンダードだとか,かつての江戸時代の小説とかそういうのを読みますと,検察官は決して被疑者の悪を追及するだけではなくて,もう少し高い見地に立って,やはり社会の公正だとか,あるいは真実をきちんとその証拠に基づいて追求していくとか,また弁護士とは違った意味での大きな高い役割を社会に対し担っているのではないかという感じを改めて受けました。   そういう意味で言うと,検察官の本当の在り方というのは何なのか。あるいはよく言われている検察の正義とは何なのかということを,もう一度きちんと議論したほうがいいのではないかと思います。   最近,ハーバードのマイケル・サンデルという教授が,正義とは何かという講義をして話題になっていますけれども,これも90年代,あるいは20世紀の正義と21世紀の正義が変わってきたということを大きなテーマに捉えて学生たちに論争を求めているわけです。今,正義の価値観も変わりつつある過程の中で,検察も無縁ではないんだという発想をとることが極めて重要なのではないかと思いました。そういう意味で,最初の頃は検察の使命とか検察の役割とか検察のミッションとか検察の正義とか,そういうことを議論するのは何か時間の無駄なように思われたかもしれませんが,恐らく今後この在り方の提言を発表していくときには,そこのところがしっかりしてないと,国民の心にはストンと落ちていかないのではないかと改めて印象として持ちました。 ○佐藤委員 今,お二人の御発言を伺って,私も同感でございます。今から申し上げることもそれと軌を一にするように思います。お手元に1枚紙のペーパーを配布させていただきましたので,それに即して申し上げたいと思います。   私は,今回のことについての問題,つまり検察の役割・使命という本日のテーマであります総論に関わるという意味でありますけれども,第1にその問題の所在,それから第2として問題解決の方向,第3として対処案,この3点について申し述べたいと思います。   まず,問題の所在でありますけれども,この会議の設置の契機となりました事件の根底にある原因は何かということを考えますと,次の2点を指摘することができると思います。   一つは,先ほどもお話がありましたけれども,事案の真相を究明するという任務が検察にあるわけけれども,今回は,そのことよりも検察が描くストーリーの「立証」とストーリーの頂点に立つターゲットの逮捕・起訴・有罪の獲得を企図して独自捜査を実行していたと認められるのであります。そして,その検察の独自捜査とその公訴に関する検察目的が歪んでいると言わざるを得ない。そういう実態がある。これが一つの根底にある原因ではないかと思います。   二つ目は,検察事務は検察官が独任制官庁であることを前提としつつ,「検察官同一体の原則」によって上司の指揮監督に服して執行されるとされてきました。指揮監督の方法は,そこの括弧書き(進行管理,決裁,承認,調整,命令)に書いたとおりであります。このような構造の指揮監督というのは曖昧なものにならざるを得ない。そういう本質を有していると言えると思います。しかし,上訴すなわち控訴,上告の提起,裁判の執行監督,公益の代表者としての権限行使につきましては,この指揮監督は有効に機能していると私には認められます。しかし,特捜部による独自捜査と当該事件の公訴提起については,捜査権と公訴権の二つを主任検事ないし特捜部が一元保有していることとあいまって,検事正・地方検察庁としての,また検事長・高等検察庁及び検事総長・最高検察庁としての指揮監督は曖昧にして不十分となっているということを指摘することができると思います。   なお,ここに抜けておりますところの独自捜査事件以外の事件についてはどうかと申しますと,その公訴につきましては,大半は上訴の提起等と同様に,有効に機能していると思いますけれども,ときに曖昧さ,不十分さが出るものがあるという意味において区々になっていると認められます。   次に,そのような原因,根源的な根底にある原因の解決の方向でございますけれども,行政事務の執行とそれに対する指揮監督と言いますのは,当該行政機関,行政組織の目的・任務に照らして行われるべきところであります。しかしながら,検察官及び検察庁につきましては,それぞれの事務内容は明らかになっておりますけれども,その目的・任務は甚だ不明確であります。この際,これらを明確に定めて,検察官の職務遂行並びに上司検察官及び検察庁の長の指揮監督の基準とすべきであると考えます。これは別途検討することとなっております検察官倫理の指針となるべきものであろうと私は思います。   最高検の報告書では,「検察権行使に関する原則・心構えを長官会同,研修で徹底する」とありますけれども,それは運用に関することでありまして,その前提となりますところの基本原則がはっきりと定められなければならないと思います。   さて,そこで私が考えます第3の対処案でありますけれども,検察の基本法でありますところの検察庁法を次のように改めるべきではないかと思います。検察庁法第1条でありますけれども,現行規定は「検察庁は,検察官の行う事務を統括するところとする。」とあるのみでありまして,先ほど吉永委員が御指摘されました「何のために」というのはこの検察庁の基本法に書かれておりません。そこで,例えばの案でありますけれども,第1条を「検察庁は,検察官の行う第4条及び第6条に規定する事務を統括し,もって公共の秩序を維持するとともに個人の権利を保護することを任務とするところとする。」と改めて,その目的・任務を明確に定めるべきではないかと思います。   ここに第4条と言いますのは,御存知のように検察官は刑事について公訴を行い,裁判所に法の正当な適用を請求し云々と,検察官の職務が明確に規定されております。第6条におきましては,その第1項で検察官はいかなる犯罪についても捜査をすることができると,捜査の根拠を明確に規定しております。この4条,6条に明確に定められている検察官についての条項を第1条で引用することによりまして,今,申し上げました,もって以下の検察庁の任務,すなわち「公共の秩序を維持するとともに個人の権利を保護することを任務とする」と合わせて一体的に規定し,検察の基本法の第1条で検察庁そして検察官の任務を闡明(せんめい)すべきではないかと思うのであります。   ただ,この公共の秩序の維持,あるいは個人の権利を保護するという任務,この表現が的確であるかどうかについては皆様にまた御意見をいただくべきでありましょうし,法務省においてもなお深めていただきたいと願望いたします。 ○石田委員 お手元に私の「検察権の行使とその抑制についての私見」というペーパーをお配りさせていただいておりますので,それに基づいて私の意見を申し上げたいと思います。   検察の役割・使命という総論的な議論は今後の具体的な議論の基本となるべきものと考えます。これは,今まで皆さん方がおっしゃったとおりだと思います。そこで私はこの問題を検察権の行使とその抑制という観点から若干意見を申し上げます。   まず,従来検察庁において検察権の行使は,どのように捉えられてきたかという点について触れてみたいと思います。   証拠改ざん問題を契機に,検察の在り方がようやく検討されるようになりました。そして,この検討会議も設置されました。しかし,検察権の行使をめぐる問題を考える契機はこれまで幾度となくあったと言わなくてはなりません。その主要な事案の一つが1993年,平成5年ですが,ある著名な特捜事件の捜査の過程で起きた検察官の暴行事件です。これは東京地検特捜部に静岡地検浜松支部から応援派遣されていた検察官が参考人を聴取した。その際,参考人に対して暴行を加え,負傷させたという事件でありました。この事件は,検察官が供述調書を作成するためにいかに強権的な取調べを行っているかを示す典型的な事案でありました。   この事件は,皆さん御存知のように,刑事訴追され,平成6年6月1日にこの暴行した検察官に対する特別公務員暴行陵虐致傷事件につき,東京地方裁判所が判決を言い渡しております。このときの裁判長は今の最高裁の長官をされている竹崎さんでした。この判決は暴行の内容について,次のように判示をしております。   「強大な権限を背景に無抵抗な参考人らに対して,長時間壁に向かって立たせるなどの理不尽な要求をし,かつ多数回にわたり執ような暴行を加え,肉体的苦痛はもとより精神的にも大きな屈辱感を抱かせたもので,悪質,卑劣な犯行である」と判示されております。なお,この判決の引用は当時の新聞記事によっておりますので正確でないかもしれません。後でも触れますけれども,今日の準備のために,この事件の資料を事務局に求めましたが,何も残っていないということでした。このこと自体が驚くことですけれども,それはともかく,傷害を負わせるということではないにしても,長時間壁に向かって立たせるとか,あるいは罵詈雑言を浴びせるという取調べがこうした形で行われているということは,私の経験からしてもこれに限ったことではなくて,あるいは我々弁護士間では常識に属する事柄であるといっても過言ではありません。   しかし,この事件は,一過性のものとしてマスコミもそれほど取り上げることもなく,何らの総括もされることなく忘れ去られてしまいました。判決はこのような取調べをした検察官の動機について,「かねてから希望していた東京地検特捜部に応援として派遣され,世人の注視している重大事件の捜査に携わることになった気負いと功を焦る気持ちから,自己の期待する供述を性急に求めるあまり暴行に及んだもの」と認定しております。   この事件は東京地検特捜部で起きた事件であったという意味においても,今回の事件にも匹敵する事件と言わなければいけません。したがって,当時の時点で組織問題としても十分な検証がなされてしかるべきでした。しかし,この事件は当事者に対する懲戒,刑事訴追が行われただけで,基本的問題の検討は行われませんでした。むしろそれどころか,本件は一過性の特異な事件として扱われてしまっています。この事件の直後の平成6年の7月25日に当時の検事総長が日本記者クラブで「検察の当面の課題について」と題して講演をされております。その講演の速記録が検察庁のどういう部門か分かりませんが,そこで出されている雑誌「研修」の556号に掲載されております。その中で,当時の検察庁の考え方が端的に表れております。ここでこの問題について,検事総長は次のように触れられておりました。「あらゆる点を検討しましても,今回の事件は,常軌を逸した,極めて特異な事例であり,後に申し上げるように,取調官としての適性に問題があったものと言わざるを得ないのでありまして,ある社の社説で批判いただいたような,検察の組織の内部に今回のような犯罪につながるがごとき体質は全く無いと考えております。」。このように発言をされております。   そして,同じこの講演の中で自白を得ることの必要性と題して,次のように述べられております。「特に,贈収賄事件,選挙違反事件,大掛かりな経済事件など,共犯者が多く,しかも密室で行われる犯罪などについては,被疑者から真実の自白を得なければ,事件の真相を解明できないことも事実であります。捜査官は,実体的真実を明らかにすることにより社会正義の実現と法秩序の維持をするために,自白の獲得に情熱を傾けているわけであります。」と述べられております。   このような考え方の背景にあるものは,いわゆる糾問的検察官司法という思想と言うことができると思います。検察官は司法官,法の番人であるという思想。そのためには刑事的手続のあらゆる場面で司法官としての役割を果たすべき存在という思想であります。この考えは,次のような認識として述べられております。「国民の検察に対する要望が捜査の徹底化であり,弾劾的捜査構造観の帰結である。あっさり調べて大らかに起訴し,無罪が多くなっても構わないという立場を検察がとることを絶対に許さないからです。検察官が強力に捜査を糾問的に展開するほか,公判から刑の執行に至るまで全ての刑事手続の段階で検察官が主導権を有するという糾問的検察官司法の基礎というか原因は,旧法を受け継いだ現行刑事訴訟法の条文にあると言われていますが,もちろん法的根拠はあるにせよ,直接的原因は,そのような検察官司法を国民が望んでいるからだと言わざるを得ないのです。」   これは1995年7月に東京高検の検事長を歴任された藤永幸治さんが日本刑法学会で講演されたものを引用したものであります。その出典はこのレジメに書いたとおりです。   現在の検察庁には基本的にはこのようないわゆる糾問的検察官司法の思想があるものと考えられます。そして,このような糾問的検察官司法の発想が今回の事件の根底にあると私は考えております。したがって,検察の構造的な改革の基本というのは,このような糾問的検察官司法の発想からの脱却でなければなりません。その理論的な分析というのは,刑法や刑事訴訟法の研究者の皆さん方の専門分野で,私が理論的に申し上げる能力も余裕もありません。ここでは私の考えの概要を提示させていただきたいと思いますが,私のこの意見も究極的にはミランダルールとか,刑事訴訟法学者の方々の論考からの示唆を受けているところであります。   私の意見の根底にあるものは,検察権というのは基本的には国民の負託に由来するものであるという点であります。つまり言葉を変えて言えば,検察権は検察官によって国民の代理ないし,あるいは代表して行使されるものであるということであります。書生臭い議論であると言われるかもしれませんが,やはり検察の在り方を考える上では,この議論の出発点はここにあると思います。   このように考えますと,検察権を行使する検察官とその相手方である被疑者,被告人は対等な当事者として扱われなくてはならないということになります。それは,捜査・公判と全ての刑事手続の過程において,被疑者,被告人を検察権の行使の客体ではなくて,一方当事者として認めるということであります。そして,検察庁法第4条が検察官を公益の代表者としているのは,検察官に国民の負託に応えて正義を行うべき義務を負わせていることを意味しています。したがって,その倫理規範,行為規範といったものが,社会が法曹に求める常識に根ざしたものではなくてはならないと考えます。そして,組織原理もこのような観点に立って考えなければなりません。   このような刑事手続における当事者主義,捜査の側面からしますといわゆる弾劾的捜査観と言われる観点からすれば,検察権が適正に行使されているかどうかは,常に国民のコントロール下に置かなければなりません。そのための仕組みが考えられなくてはなりません。   また,このことは検察官は政府,政治権力の利益のために存在するものではないということを意味しています。検察官が独任官であり,一定の身分保障がされているのはその故であると言うことができます。検察権の行使の抑制を当事者主義の観点から考えた場合には,その具体的,実質役割を果たすのは,弁護権ということに帰着すると思います。糾問的思想からの脱却というのは,検察権とこの弁護権が対等であるとの観点から,構造を点検することが必要であると思います。   これらのことから,現在抱えている様々な問題について,一定の結論を導き出すことができますが,私はここでは,今問題となっている調書裁判との関係についてのみ供述調書に過度に依存した現状における検察権行使の抑制はいかにあるべきであるかという点に触れておきたいと思います。   調書裁判は,今さら指摘するまでもありませんが,次のような経過をたどっています。まず,見立てに沿った供述,自白調書を作成するための取調べを行う。次に,このような取調べによって作成された供述調書への証拠能力を付与する。これは任意性,特信性の問題です。そして,最後に,供述調書への信用性の検討が行われるというものです。これまではこの最後の自白の信用性の判断をいかに厳密に行うかという,いわば事実認定の適正化による裁判所のチェックに重点が置かれておりました。これが言うところの精密司法です。多くの裁判官が御苦労されたところであり,これが一定の役割を果たしてきたことは事実であります。   しかし,このような抑制にとどまっている限りは,供述調書依存型の検察権の行使からの脱却を図ることはできないと考えます。供述調書中心の検察官捜査の根本的な改革は従前までの糾問的な発想ではなくて,取調べや任意性判断の過程でも当事者主義的な発想に転換することが必要だと思います。   そのためには,一言で言いますと,検察権のリアルタイムの外部検証が求められると考えます。そのためには,第1に捜査過程における弁護権による抑制システム,具体的には弁護人依頼権,取調べに対する弁護人の立会権,大きく言えばデュープロセスの保障という問題です。2番目に供述調書の任意性,それから特信性立証を客観化すること。具体的には取調べが問題とされた場合にはその反証は録音,録画など,客観的な証拠に制限することによって,明らかにしていくというようなことが考えられます。   第3に,検察権の行使というのは,国民の負託に由来することを基盤とした当事者主義にかなった検察官の識見,あるいは倫理,行為規範の確立をするということが図られる必要があると考えます。具体的な各論は改めて他の機会に述べさせていただきたいと思いますが,本日は検察官の役割という観点から以上のような意見を述べさせていただきました。 ○但木委員 4委員の方のお話は本当に身にしみて,そのとおりであると思います。私は,今回の事件というのは大きく時代が転換してしまっている,その転換に追い付けないでいるというのが,現在の刑事訴訟法の在り方ではないかというふうに思います。   村木さんがおっしゃったことは,「改ざんについてはそれほど驚かなかったが,多くの人たちの供述が全部一つにそろえられているということについては,非常に恐ろしいことだと思った。」ということでございました。私も今回の事件が非常に深刻なのは,検察官が調書をそろえてしまうと,あたかも事件ができてしまう。それを国民から見た場合には,これだけではないのではないか。別の事件でも同じようなことがなされているのではないか。こういうふうに思われることが極めて重大な問題であると思います。つまり検察の正当性の根拠は,もちろん国民の負託・信頼であります。この信頼が大きく傷付いたということは,我々は深刻に考えなければいけないし,やはり根本的なところを論議しない限り,検察の次の時代は来ないのではないかというふうに思っております。   話は140年前に戻りますので,やや恐縮ではございますが,明治5年に司法職務定制というのが定められました。その中で,「検事は裁判を求むるの権ありて,裁判をするの権はなし。」,「検事は法憲及び人民の権利を保護し,良を助け悪を除き,裁判の当否を監するの職とする。」,「検事は衆のために悪を除くをもって務とする。」,「孤弱婦女の争いにおいては,殊に保護に注意し,貧富,貴賎,平当の権利を得て,枉屈無からしむ。」という規制が置かれています。これは140年間,実はこの原則は全く変わらないというふうに思います。やはり衆という言葉を使われているということに御注意いただきたいのですが,決して国のためとか天皇のためとか法律の正義のためとか書いてない。衆のためと書いてある。やはり本来検察権というのは公益のため,衆のために行使されなければならない権限であります。   昭和34年の,最高裁決定でありますが,検察官が公益の代表者として裁判所をして,真実を発見させるため被告人に有利な証拠をも法廷に提出することは怠ってはならないことは国法上の職責であるというものであります。つまり検察官は訴訟している最中においても公益の代表者としての行動をとらなければならないというのが,この最高裁の決定であります。そういう意味では,検察官の処分の根底は公益性にある,やはりそう思わざるを得ません。   実は,この司法職務定制で一番最初に「裁判を求むるの権」というのが書いてあります。これは,公訴権と先ほどから言われている権限でございます。検察の基本的に大事な権限はこの公訴権であります。公訴権というのは,捜査が適法・適正になされているかどうか。それによって収集された証拠が有罪を獲得するに十分であるかどうか。その事件を起訴する価値があるかどうか。これらの判断をする権限であります。   特に,戦前におきましては,検事は犯罪があると思料するときは,犯人及び証拠を捜査するものとするという規定がございます。この規定によりまして,検事は司法警察官を使って犯罪を捜査していたのであります。そのために,思想検事と特高警察という非常に強大な権限を生む素地をつくってしまいました。戦後,その大きな悲劇を防止するために警察と検察の権限を分離いたします。そして,警察官は犯罪あると思料するときは犯人及び証拠を捜査するものとするという規定が刑事訴訟法に設けられたのであります。   ですから,警察官が犯罪を捜査して,検察庁に送ってきた事件について,検察官が果たすべき役割は公訴官としての役割が中心となるべきであります。公訴官が果たすべき役割というのは公平,公正,平等であるということであります。公益の代表者としてその権限を行使しなければならないのであります。   もちろん,検察官にも先ほど佐藤委員からございましたように,検察庁法上もまた刑事訴訟法上も検察官は捜査をすることができるという規定がございますけれども,それは公訴官として必要な捜査をすることができるというのが非常に大きなウエイトを占めています。そのほかに検察官が独自に捜査をすることができるという規定として大きな意味を持っているわけですが,これについては実は非常に大きな問題が初めから伏在しております。これは何かと言うと,公訴官としての検察官と捜査官としての検察官が一体として存在するということであります。つまり警察の送致事件について言えば,捜査する警察,第一次的に捜査している警察と,公訴を提起するかどうかを判断し,公訴を維持しなければならない検察官が区別され,検察官は,言ってみれば警察の捜査をチェックする機能を有する公訴官としての役割の色彩が非常に強いわけです。ところが,特捜部の場合,言うまでもなく捜査部という名前が付いておりますように,そこは捜査を中心にしているところであります。それが公訴権と捜査権を同時に持っている。つまり捜査したものがそのまま公正,平等に判断しろということでやってまいったわけであります。   しかし,今般の事件を見てみますと,証拠を収集する者と最終結論を出す者が全く同じ人間であるということが持っている危険性を感じざるを得ません。やはりそこは改善していく,どういうふうにするかはこれから皆さんと御論議いたしたいですが,これについてはやはり権限を分けてはっきりと捜査する者と公訴権を行使する者とは分けなければならないのではないかと私は思っているわけであります。   もう一つ申し上げたいことは,時代であります。昔は,検事と裁判官と弁護士と被告人以外の人がいない法廷が普通でありました。つまり傍聴人がいないところで裁判が行われてきたのであります。それだけ信頼を得ていたと言ってもいいのでありますが,しかし国民の直接的な目を意識しないで刑事裁判が行われてきたということも否定し難いところであります。   それによって何が行われてきたかと言うと,やはり調書裁判というのが行われてこざるを得なかった。そして,検事が真相を解明するよりも調書を作って裁判に提出することの方に重きを置いてしまう傾向が長い間に育ってしまったということが今回の件の非常に不幸な原因であったと思います。最高裁判所が累次の判決あるいは決定で,弁護人の接見の権利を拡大してまいりました。昔は,ある程度の日にちを空けて,しかも15分というような短い接見時間しか認められなかった実務が,いまやほとんど自由に接見できるように変わってまいりました。これは裁判が取調べにおいて,真実が出てくるならばそれでいいとする時代が終わって,やはり取調べにおいても一定の弁護人による援護が行われていなければならない,それによって真実究明の方が若干の滞りがあるとしても,なお被疑者の権利を守る方が重要だという価値判断が最高裁のそうした累次の判決・決定に出てきていたのではないかと思っております。それは,実は捜査構造が現在のままでいいのかどうかという非常に大きな問題を伏在させているというふうに思っております。   どういう時代にこれから入っていくのか,捜査構造の問題についてはまた後日皆さんとお話をしなければならないということでありますが,私は本日は,二つのことを申し上げました。一つは検察官というのは公平,公正,公益の代表者としていつも行動しなければいけないということと検察の独自捜査において捜査官たる検察官と公訴官たる検察官が同一人であるということがやはり一つの問題としてあるのではないかということ,もう一つは,大きく時代が変わって,国民が直接裁判に参加し,あるいは国民が傍聴に来て,国民監視の下で刑事裁判が行われる時代がやってきた,そういう時代に対応して,裁判の構造も捜査の構造も変わっていかなければいけないのではないか,そういう時代の非常に大きな岐路の中にあるというふうに思っているということです。非常に長く,申し訳ありませんでした。 ○千葉座長 ここで10分間の休憩をさせていただいて,その後再開し,また皆さんから御発言をいただきたいと思います。 (休憩) ○千葉座長 それでは,休憩後の論議を再開してまいりたいと思います。 ○郷原委員 ちょっと井上先生とダブっているところもあるかと思いますけれども,検察庁法の枠組みを含めて,検察の役割・使命がはっきりしないというところの理由みたいなものを含めて考えてみたいと思います。   お手元に「検察の使命・役割」についてと書いてある1枚紙がありますが,それから前回お配りした私が書いたもの,「検察の組織の特殊性と法的枠組み」,この最後の方に先ほど嶌委員もおっしゃっていた環境変化に対して検察が適応できてない事情等も含めて考えてみたものを書いていますので,またお時間があったらお読みください。この1枚紙に沿って考えてみたいと思います。   検察庁というところは,何を目的としているかはっきりしない組織だというのは,要するに権限は検察官個人の権限とされていて,主任検察官には権限行使の独立性というのが認められて,その一方で,検事総長,次長検事,検事正による指揮監督権というのが与えられていて,それによって検察官同一体の原則が維持されているわけです。この関係なんですけれども,指揮監督権を持っているから起訴意見で持ってきた主任検察官に不起訴にしなさいという命令ができるかと言うと,これは基本的にはできない。最後まで主任検察官が起訴だと言い張ったときには,それを命令してそれを不起訴にさせることはできない。この場合は,事務引取移転権を行使して,上司が事件を処理するか,あるいは誰か他の検事に割り替えるということで,最終的には組織としての一体性を維持しつつ,その権限行使は主任検察官が行うというような仕組みができています。これが検察官の権限行使の独立性と検察としての一体性を巧みに結合させた仕組みと言っていいのではないかと思います。   そこから,検察というところは,そういう仕組みの中で,組織として外部から干渉を受けない。独立して判断している限りにおいては,それが適切な判断だという考え方が出てくることになります。結局,そういう枠組みが維持されている限り,その中で決定したことについては間違ってないという考え方が生まれるわけです。本来,行政組織である検察がそういうふうにして,中で完全に完結した判断ができるというのは本来おかしいわけです,内閣から全く独立した判断ができるというのは。検察法上は,法務大臣の指揮権というのが14条に定められていて,本文では一般的な指揮監督権として一般的な法令解釈とか一般的なある種の事件についての処理方針等が示されて,具体的な事件については検事総長を通してのみ指揮することができるという規定があって,これをどこまで広く解釈するのかということが非常に曖昧に定められています。   ということで,最終的には検察庁法14条を通じて行政組織として内閣が国民に対して責任を負うという建前を維持しつつ,実際には,事実上,検察権の行使は検察の組織の内部で行えるという建前が維持されてきたわけです。ですから,それが検察の組織としての独立性を,社会的には,事実上はずっと維持することになったんですが,それが一面で,組織内の独善みたいなものにつながり,組織の中で一応認められていることだから間違ってないという考え方が逆にいろいろな弊害をもたらしつつあるというのが,ある意味では先ほど嶌委員がおっしゃっていた環境変化に適応できない検察ということの原因もそこにあるのではないかという気がいたします。   それともう一つ,社会的に検察の権限が世の中からどう見られているかということに関して,検察は飽くまで行政組織ですし,行政機関ですし,その判断というのは行政庁としての判断のはずなんですが,なぜかこれが司法判断というふうに多くの国民から見られています。これが一体なぜなんだろうかと考えてみますと,それは実際のところ,事実上の司法判断が検察官によって行われている。要するに,99%の有罪率が確保されている中では,検察の判断が最終的に間違うということはほとんどないということと同時に,もう一つの大きなことは,世の中がそれでは犯罪者という烙印をどこで押すんだろうかと考えると,やはり大きな事件であれば逮捕されるというところだと思います。逮捕によって世間の評価はガラッと変わります。その逮捕をする権限というのは,検察が独自捜査で強制捜査をするときであれば検察の判断です。警察が逮捕してくる被疑者であれば,警察の判断ですが,これも重大な事件であれば,検察官がその後に勾留しないとこれはもうせっかく逮捕しても意味がありませんから,大部分は事前に警察が検察に対して事前相談をして,検察庁のゴーサインが出ているから逮捕するという場合が多いわけです。そう考えると検察の判断というのは,起訴することはもちろん,逮捕するということに対しても極めて重要な判断権を持っているということです。そうすると犯罪者の烙印を押す権限というのは,事実上検察の権限のように考えられ,それが何となく検察の判断は司法判断のように考えられてきたということにつながっているのではないかと思います。   問題は,こういう枠組みの下では,何か問題が発生したときに,それではその問題というのが組織のどういう目的との関係で問題なのか。自分たちはどういうふうにその問題を受け止めないといけないのかということがなかなか分かりません。   具体的にこういう価値を大事にしないといけないという倫理とか規範がもともと存在してないのも,もともとこの組織が枠組み中心の考え方であることが原因だと思います。   そして,もう一つ重要なことは,先ほど申しましたけれども,外部の環境変化への適応が非常に難しいということです。枠組みだけを維持しよう,維持しようという考え方がずっと続いていくと,自分たちは外部とは違う世界のように思えてきます。90年代以降,あらゆる組織のコンプライアンスということが徐々に求められるようになって,大きく分けて三つのことが求められるようになりました。ガバナンス,情報開示義務,そして説明責任です。この三つに関して,検察の従来の考え方はほとんどそれを切断できました。ガバナンスという面で言えば,誰の意思に基づいてこれをやっているのかということになると,大体正義というところで止まってしまいます。法と証拠に基づいて適切ということで止まってしまいます。そして,情報開示に関して言えば,大体は刑事訴訟法47条とか,そういう捜査の秘密とかということを口に出せば,基本的には検察の活動についての根拠を示すという情報開示が止められる。   そして,説明責任に関して言えば,これまでは裁判に対して,立証責任は負うけれども,世の中に対する説明責任というのは負わないというのが基本的に検察の説明責任について当たり前とされてきました。そういったことが,今回の不祥事のような,いろいろな問題を引き起こしてきた背景にあると考えられるのではないかと思います。   そこで,やはり今回の問題を機に,検察の組織の在り方を根本的に考え直すとすれば,この組織の独立性中心,この枠組み中心の考え方をどう改めていくのかということをまず考えなければいけないのではないか。   まず,そういう面で考えますと,先ほど申し上げました行政組織としては,本来は最終的には法務大臣の権限を通して,法務省という組織が「検察に関すること」という刑事局の所管事項を通じて検察をバックアップし,そして法務省が社会に開かれた組織として,検察のその自己完結的で閉鎖的な性格をカバーする役割を本来担えるものなのではないか。残念ながら,それがこれまでは検察が何か主で,法務省というのは検察の属国のような存在でした。独自の機能を果たすことができなかったのではないか。   そういう意味で,今後,検察が今までのような組織から社会に開かれた組織に転換していくためには,まず一つは,検察が所属する組織である法務省との関係についての見直しも必要だと思います。そういった中で,今,社会が,検察に対して求めていることをいろいろな分野ごとに一つ一つ明らかにしていって,その価値観を明確にしていくということを考えていく必要があるのではないかと思います。 ○後藤委員 大学の教員の話は抽象的だと言われるかもしれないのですけれども,私は検察官というのはどこの国でも難しい立場に置かれていると思います。それを分析的に三つの対立的な座標軸で三次元的に位置付けてみたらどうだろうかというのが私の考えです。そこで書面は,「検察官の役割を考える三つの座標軸」と題しました。   一つ目の座標軸は,これまでのお話で出ているように捜査官であり同時に公訴官であるという役割の対比です。刑事訴訟法は,明らかに検察官に両方の役割を与えています。そこで,捜査と訴追,公判活動をどちらが重点かという問題が起きます。これまでのところは私の見方では,捜査の方にかなり大きな比重が置かれていたと思います。つまり検察官は,捜査官としての役割を重視していたと思います。その原因はいろいろあるでしょうが,例えば刑事訴訟法の伝聞例外のところで,検察官が作った供述調書は非常に優遇されているというような仕組みがその背景にあったと思います。   その結果として,検察官にとって捜査に対する批判的な見方が困難になったという面があるのではないかと思います。最初から独自捜査をする特捜事件では,最も顕著にその問題が現れるのだと思います。しかし,検察官はもともと捜査官として育てられているわけではなくて,法律家として育てられているわけです。そうすると法律家としての独自性が発揮できるのはやはり公訴官の側面だと思います。つまり公訴官の方へ現状よりも重心を移すことで,法律家としての独自な役割をよりよく発揮するという方向に動く,移動するべきではないか。これが最初の座標軸です。   2番目の座標軸は,当事者性と公益の代表者という対比です。今の訴訟法では,検察官は被告人の処罰を求める原告官としての役割を持っています。しかし,それが公益の実現になるためには刑法が正しく適用されなければいけないわけで,無実の人を有罪にすることは検察官の目的ではないはずです。その意味で客観性が要求される。そういう複合的な役割が検察官にはあります。   これまでは,私の理解では,客観性の方がかなり強調されていた。少なくとも建前としては強調されていたと思います。それを強調すると裁判官に準じるような準司法官であるという検察官の役割のイメージが出てきます。そこから検察官は間違ってはいけないという無謬性が期待されるという心理が生じます。そのことが検察官にとって,失敗が許されないので,後戻りができなくなるという心理的な拘束として働いていはしないかというのが私の問題意識です。   先ほども御指摘があったように,起訴された事件での無罪判決の率は非常に低いです。他方で,検察官が起訴猶予にする事件の率は非常に高いです。そのために,大抵の場合,被疑者の運命は検察官のところで決まることになります。そうすると起訴されても無罪と推定されるという無罪推定の原則が実感を伴わない建前論になってしまう。その結果,刑事司法全体の中で検察官が過大な役割を負うという結果になっているのではないかと私は考えます。   そこで検察官はそもそも裁判官の代わりではないということをもう一度確認するべきではないでしょうか。検察官は当事者だから当然行き過ぎることもある。だからこそ明確な職業倫理によってそれを規制することが弁護士以上に必要だと私は考えます。当事者性を前提とする方向に考え方を動かした方がいいのではないかと思います。   それから,3番目の座標軸は,独立性と一体性という対比です。これは独任制官庁という原則と検察官同一体原則とが併存しているという構造です。つまり対外的には1人で行動できるけれども,組織内では上命下服の関係ということです。   先ほど,郷原委員がおっしゃったように上級の者は部下の検察官にこういうふうにしろという命令はできないかもしれないけれども,その命令に反することはできないという意味では,上命下服の関係が明らかにあるわけです。私の理解では,これまでは決裁制度などによって,この内部的に統制するという方向が強調されていたように思います。それが本当に有効に機能しているかどうかはまた別の問題ですが。   意識としては,統制の傾向が強かったと思います。つまり一体性が強調されるということです。そのために個々の検察官が法律家としての自立性を発揮できず,いわば組織に埋没してしまうということが起きる。つまり組織の方向性に対して,異を唱えることができにくくなる。そういう心理構造をもたらしてないか。それに対して,法律家としての自立性をもっと強化するということがむしろ必要ではないかと私は考えます。ただこれが,今言われている決裁制度を強化すべきだという議論と対立するのか整合するのかというのは私自身もまだ結論が出せてないところでございます。   ということで,検察官というのは恐らくどこの国でも非常に特殊な難しい役割を担っている。その中で,現状よりもむしろ公訴官であり,当事者であり,法律家として自立性を発揮するという方向に重心を移していく方がよいのではないかというのが私の今現在の意見でございます。 ○龍岡委員 既に多くの委員の方から歴史的な観点を含めて貴重な御意見を伺いまして,非常に共感するところが多いところですけれども,私なりの意見を述べさせていただきたいと思います。   まず,公訴官としての検察官について述べさせていただきたいと思います。後藤委員からもお話がありましたけれども,今回の事件,あるいは事態を見ていきますと,検察官が検察の使命・役割の基本を改めて考え,認識を共通にすることが強く求められているように思われます。現行法上,検察官は捜査官としての一面と公訴官としての一面を兼ね備え兼有し,公訴官として訴追するという大きな権限をほぼ独占的に保有しているわけであります。   今回の事件についての最高検の検証結果報告を見ていきますと,いわゆる独自捜査にある意味では典型的に現れる検察官のこの二つの重い権限を兼有し,同時にその役割を果たしていくことの問題点が露呈され,いわば捜査官としての見方が公訴官としての見方を圧倒し,公訴官としての目が機能していなかったように思われます。このように見ますと,但木委員の,検察官は公訴官であるべきか,捜査官であるべきかの問題提起は非常に重要な提起でありまして,十分議論がされるべきであると思います。   私は,検察官は公訴官としての役割に相当の,場合によっては軸足を置くぐらいのウエイトを置くべきではないかと思います。かつて「検察官よ,法廷に戻れ。」といった議論がされたことがあります。今回の事件を見てみますと,改めてこの点について議論し,検察官自らが捜査官としての役割とともに,公訴官としての役割を重視する方向へ意識の転換を図っていくことが必要であるように思われます。もちろんこのようなことは捜査官としての権限を放棄したり,軽視せよということではないわけです。検察官が捜査官としての権限を付与されているのは,単に警察の捜査をチェックするというだけではなく,事案の真相を自ら解明する権限が付与されることによって,公訴官としての役割機能を十全に果たすためであると考えるべきではないかと思います。   その意味で,捜査の権限は重要でありまして,適正・妥当な権限行使は検察の使命であると言えます。今回の件に関わった検察官が,法律専門家として,証拠関係から法律問題に至る事件の全般を総合的に見る公訴官としての役割こそ検察官に課された,むしろ基本的で重要な使命であると強く意識していたならば,今回の事件や事態は起こらなかったのではないかと思われます。   関連して敷衍(ふえん)しますと,検察官は検察庁法4条に規定されているように,公益の代表者として,その権限を行使するべきものとされている一方で,当事者主義の訴訟構造において,一方の対立当事者としての立場にあります。この両者は,当事者として訴訟活動を通じて,前者の権限を適正かつ十分に行使することが要請されるという関係にあるものと考えられます。   被告人・弁護人と対峙する当事者として主張・立証責任を尽くすことによって,公益の代表者としての役割を的確に果たしていくことが期待されているものと言えると思います。   ところで,私が,この会議で,今回の事件の根源的な問題背景は何かということを問題にしてきましたのは,対処的療法とともに原因的療法が論じられなければならない。その必要が大きいということを感じているからであります。この点に関して,もう少し私なりに整理していきますと,今回の問題は,やはり検察官の意識の問題にたどりつき,検察官の意識改革の必要性の問題に帰着するように思われます。   今回の最高検の検証結果報告書から,担当検察官のほか,上司決裁官たる検察官に,客観的,公正・冷静に事件の真相に迫る意欲はどの程度あったのか,この事件の処理に公訴官的な観点から指揮指導する姿勢や意識がどの程度あったのか,そして,更に他の観点,例えば一つの船に乗っており,目的方向は一つであるとしても,方向性や進路の決定に当たっては,反対意見を軽視し,押さえるのではなく,議論を尽くしていくことを受け入れるような人的環境があったのか,これら点が疑問に思われるわけですが,そのことから,その原因は何か,人事的評価や上司決裁を過度に意識する風土・風潮,組織としての体質の問題は絡んでいないかなどの議論をし,検討する必要があるように思われるわけです。これらを議論することによって,より今回の事件や事態の根源的な問題の所在に迫ることができ,検察の在り方としての方向性が自ずと明らかになっていくのではないかというふうに思うわけです。   これらの検討と指摘が今後の検察官の意識の在り方,検察という組織の在り方に大きな指針,方向性を与えることになるのではないかと思います。司法制度改革の論議の中では,検察の在り方については,余り議論されなかったように思われます。刑事司法の重要な担い手である検察について,改めて検察官一人一人が自らの問題として検察の在り方の原点に立ち返り思索し,広く意識改革をしていくことが期待され,これが検察の信頼回復につながっていくのではないかと考えています。 ○井上委員 お手元に簡単にまとめた3枚紙をお配りしていますので,それに沿ってごく簡単に要点だけをお話します。これまでに御発言があった皆さんと,同じような考え方のところとやや異なるところがあります。   まず,1番目の○ですが,皆さんのこれまでの御意見でも,今回の事態については根源に立ち返って考えるべきだとか,構造的問題に踏み込んで考えるべきだという御指摘があったわけですけれども,その中身は,委員によって随分違っているように思います。それが何を意味するのかを整理してかからないと,ばらばらな議論で終わってしまうと思われますが,その際の視点として,小さなところからどこまで大きく話をしていくのか,どの辺に問題があるかという観点から,二つの軸を・で示してみました。その後の☆は,議論を拡げていくに当たってこういう注意が必要だろうというふうに,自分も含めて考えていることを注記したものです。   もう一つの○は,今回の問題は制度とか法の問題なのか,運用あるいは実態の問題なのか。両方にまたがるということもあると思うのですけれども,それによって対応の仕方が違ってくるのではないかと思います。   以上をさわりとして,本日の本題の「検察の使命・役割」については,最初の○で,現行の制度あるいは法の下でどういう位置付けがなされているかを略述しました。ここでの一つのテーマは,組織として検察庁の目的あるいは使命・役割と検察官の使命・役割が同じなのかどうか,その異同はどこにあるのかということであり,佐藤委員が触れられたところです。前回のヒアリングで村木さんが言われていたように,他の行政機関の場合は行政機関全体の目的・使命というものがまずあって,それを下ろしてきて個々の職員の使命とか職務・責務を考えるというのが普通なのですが,検察庁については,現行法上,そういう考え方にはなっていないし,そういうふうに考えると不適切なところがあるのではないかと思われます。   現に検察庁法1条には検察庁は検察官の行う事務を統括するところとしか書かれておらず,他方,検察官の役割については4条,6条に明記されており,そこから積み上げていって,組織全体の使命・目的あるいは職務を位置付けるという構成にしているわけですが,それにはそれなりの意味があるのではないかと思います。   それと国家行政組織法上の位置付けとしても,検察庁は法務省の外局ではなく,同法8条の3にいう「特別の機関」として法務省設置法14条1項により設置されているという位置付けなのですが,外局というのは,当該省の所掌事務ではあるけれども,実務量が膨大なのでひとまとまりとして切り出したものであるのに対し,「特別の機関」というのは,事務に特性があることから違う位置付けにするものであり,検察事務は法務大臣・法務省から独立性を保たなければならないという特性を有するので,この「特別の機関」として位置付けられたと解説書などで説明されています。そういうことからすると,検察官の職務とか役目と検察庁の使命・役目というのは,別個のものではなく,検察官を中心にそれを補助する人を含めて,検察官一体の原則の下に,全体として検察官の使命あるいは役目を有効・適正かつ円滑,効率的に行っていく組織だというふうに捉えるのが現行法の位置付けではないかと思えるわけです。   それは,佐藤委員が,組織の目的が明確でないと言われたことと必ずしも矛盾するわけではなく,しかし結局は検察官が何のためにいるのか,その職務は何なのかということとその組織の目的というのは同じではないかというふうに私は思っているということです。   それでは,その検察官の使命・役割あるいは検察の使命・役割というのは何かということですが,いろいろな国やいろいろな時代の制度を比較してみますと,国とか時代によって様々です。ですから,論理必然的にこういうものでなければならないというものではないわけで,そういう意味では,日本の制度についても変えていく余地は当然あるのですが,ただ現在の位置付けというものは,いろいろな要因の組合せによって導かれてきていたものであり,そのことに照らしますと,一般的,抽象的に,こうでないといけないとか,理念的にこうだといった議論をするのは,適切ではないと思われます。   今回の事態をもとに,どこが問題なのかに焦点を当てて,それを変えるとすればどう変えるべきなのか,そして,変更ははまだどこに影響していくのか,どういうものと連動していくのかという議論をしないと生産的ではないと思いますし,拡散した議論になってしまうのではないかと思っています。   資料の中でそのような要因を例示していますがに挙げているのは,これだけではなくて,ほかにもいろいろな要因があると思います。例えば,独立性については歴史的な経緯というものが大きくて,その反省の下に今の法務大臣指揮権についての仕組みが作られているわけですので,そういう背景を無視することはできないだろうと思います。先ほどから何人かの方が触れられた社会的な状況の変化というものもここにも当然入ってくると思います。ただ,それがどういう意味で,今回の問題と結び付いているのか,絞って議論していかないと非常に拡散した議論になってしまうのではないかと思います。   そういう中で,私は今回の問題を考えるに当たり,最低限2点,キーとなることがあるのではないかと思ってます。その一つは,検察官の客観義務とか,あるいは人によっては「準司法官性」と言われるものです。なぜ,検察官は客観的あるいは中立的に職務を行使しないといけないのかということです。この点を刑事手続に関連する職務との関係で言いますと,戦前まではいわゆる職権主義の刑事手続構造であり,そこにおいては,検察官も裁判官も目指すところは同じで,真相を解明して真実に基づいて裁判を行う,それについての協働関係というか役割の段階的な分担関係,そういう位置付けだったので,検察官の客観義務あるいは準司法官性というものも,そこからストレートに導き出し得たのです。   ところが,戦後,当事者主義の手続構造,つまり基本的には民事訴訟と同じ原告と被告が対抗し,その上に立って中立の裁判所が裁判するという関係に立つというふうに変わった。そうすると検察官は一方当事者に過ぎないのではないか,一方当事者に過ぎないはずなのに相手方である被告人,弁護人,特に弁護人ですが,その義務より高い倫理性あるいは客観性が要求されるのはなぜなのかということが問われることになる。それに答えないといけないだろうと思うわけです。   無論,弁護人にも要求される倫理というものがあって,例えば,証拠を偽造したり,ねつ造したり,隠滅したり,積極的に偽証を教唆するようなことは当然許されないと考えられているのですけれども,自分が弁護している人が真犯人だと分かった場合,それを積極的に明らかにしなければならないか,また明らかにしていいかというと,これはやってはいけないわけです。これは依頼人に対する誠実義務とか,依頼人の権利・利益を守る義務というところから出てくるわけですが,検察官の場合,どうしてそういう弁護人の場合と同じではいけないのかということが問われるわけです。   現に,典型的な当事者主義を採っているアメリカでもイギリスでも,検察官は単なる当事者,あるいは一方の利益の主張者ではなく,minister of justice,正義に奉仕する人という意味だと思いますが,あるいはquasi−judicial officer,準司法官であって,その使命は,有罪を勝ち取ることではなく,正義を実現することにあると,いろいろな規程とか,あるいはものの本に一様に書かれています。それでは,当事者主義の下でも,なぜ検察官はそういう中立性あるいは客観性というものを要求されるのか。ここが一つのキーポイントだと思います。   石田委員が言われたように,当事者対抗の構造の中で,相手方である弁護人が検察官の権限行使を抑制していくというのも一つの在り方だとは思いますが,検察官自身にやはり高い倫理性,中立性,客観性というものを要求することにやはり独自の意味があるというのが私の考え方です。ここは後藤委員の御意見ともちょっと方向が違うと思います。   そして,それは,法制上も求められていることというか,求められる基盤があるのではないか。つまり,単に郷原委員が言われるように検察官が起訴すれば有罪率が高いとか,逮捕されると世間から有罪の烙印を押されてしまうことから,それらの判断が司法判断のように見えるため,検察官の準司法官性ということが言われているのではなく,近代以降の弾劾主義の刑事手続では,検察官が起訴しなければ裁判は開始されないし,どういう起訴をするかということも裁判を大きく決定付ける。そういうことから検察官の職務ないし権限行使は司法作用に密接に関わるということで,行政官ではあっても,客観性とか中立性が要求されるということなのではないか。そこに,英米などでもそういうことが強調される,一つの重要な根拠があるのではないかと思っています。そのことから,さらにまた,公益の代表者,検察庁法にも書かれている,公益の代表者とされる場合の「公益」というのは何ぞやということも考えられるべきで,それが公の機関であるということから来るとすれば,他の行政機関も国民の利益あるいは国益とか公共の利益の実現のために働いているわけですので,同じなのか。違うとすればどこが違うのかということを考えてみますと,ペーパーに引用した文献を手がかり「法と正義の実現」というふうに書いたのですけれども,くだいて言えば,あるいは吉永委員が一番最初におっしゃったようなことかもしれませんし,あるいは佐藤委員が言われたように,公共の秩序の維持と個人の人権・権利の擁護ということになるのかもしれません。そういうところにやはり特性があるのではないかと思っています。   もう一つは,これはもっと具体的な話なのですけれども,検察官による捜査の意義とか機能,あるいはそこにおける検察官の役割・責務というのはどういうものなのかということをやはり突き詰めて議論しないといけないと思います。言い換えますと,それは警察等の捜査機関による捜査の場合と同じなのかということです。   皆さんも既におっしゃったように,警察等の捜査機関からの送致送付事件の場合には,公訴官としてそれをチェックしたり,確認する,不十分なところは補充する。そういうことが検察官による捜査の趣旨だろうと思いますが,これに対して,検察官の独自捜査の場合,それとどこが違うのかということです。   その前提として,検察官として独自捜査をする権限はあるわけですが,それを行使する必要性とかメリットは果たして,そしてどこにあるのかを考えてみますと,一般に言われているのは,広範性,法律性,専門性とか,あるいは政治的独立性ということだと思います。この点は,警察その他の機関だって同様の性質は持っているという意見もあるかもしれません。ただ,そういう警察等の一般の捜査機関と比べて,検察がわざわざ捜査をするということの意味あるいはメリットはどこにあるのか。言われているような機能がどれだけ維持されているのかということが問われていて,これは特捜部の存廃ということに直結する議論ですが,この点については,私自身は,国民的な視点からすると否定し得ないと言うか,国民の期待というのはなお非常に強いものがあるのではないかと思っています。   それを前提にすると,問題としては,独自捜査のときの検察官の役割というものをどういうふうに考えていければいいのか。さっき皆さんがおっしゃったように,捜査官と公訴官という二役が混在していて,責任感というか役割意識が捜査官としての役目に傾きすぎていて,公訴官としての役割意識が非常に薄い,というのもその問題です。   ここのところは,その二役の分別を考えるべきかどうか。但木委員は考えるべきだという御意見ですし,区別しないでも高橋委員が言われたように,横からのチェックを含めて考えるべきだということになるのかもしれません。   それと排他的な関係に立つわけではないのですけれども,その場合でも,捜査官の部分が残るわけですけれども,そこでの検察官の役割とか使命が警察等の捜査機関の場合と全く同じなのか。この点については,皆さん恐らく同じだという想定で公訴官としての役割を強調しようという御意見であったわけで,私も公訴官としての役割を強調するのは大事だと思うのですけれども,しかし,先ほど申しました検察官に本来的な客観性,中立性の要請というのは捜査の場面でも強調されるべきではないか。警察などとはやはりちょっと違うような意味での役割・役目を負った法曹としての検察官が捜査をするわけですから,通常の捜査機関とは違う意識あるいは責務があると考えるべきではないかというふうに思っています。   一番最後に,外国のものを引用しておりますが,このアメリカ法曹協会の基準にはそういうことが盛り込まれている。その両面が盛り込まれているのではないかというふうに思ったものですから,引用しておきました。 ○原田委員 井上先生の高邁なお話の後に雑駁なお話をして申し訳ないと思うのですが,総論の議論が非常に重要であることは,村木さんがおっしゃったように検察のミッションというものはどういうものであるかをはっきりしなければ全体がはっきりしないということがあるので,それは僕は十分に重要だと思います。ただ,総論の議論は各論に反映して初めて意味があることです。我が国では,総論には賛成するけれども,各論には反対するという文化がありますので,果たしてこの総論でおっしゃっていることがどこまで意味しているのか,これが重要だと思います。   例えば,今日のコンセンサス的な考え方は,捜査官の立場から公訴官の立場へ軸足を移す,あるいは公訴官に徹底するという御意見がコンセンサスに近いのかなという感じは持ちました。これは何を意味しているか,どの程度までを射程にして考えておられるのか。個々の方の意見というのではなくて,議論として,そこの幅がはっきりしないとこの議論は余り意味がないのかもしれないと思います。井上さんが今おっしゃったように,中身,あるいはそれぞれの方が思っている中身が相当違うのかもしれないなと思いました。   例えば,この議論の帰結は,一つは捜査の弾劾化ということになって,糾問化を避けるべきだということになりますから,弁護人の立会い,それから全面可視化ということも当然視野に入ってきます。それから,起訴基準を緩めることもテーマになるでしょう。要するに,今までの実務は若狭さんがおっしゃっていたように,私の印象でも検察官は起訴,不起訴は相当慎重です。起訴してしまうと今度は一転して何がなんでも維持しようとします。起訴するかどうかを非常に限定的に考えるものですから,無罪率が1%弱だということで,裁判所も含めて批判されています。これに対して白か黒かを裁判で明らかにしてもらうために起訴しますという起訴基準の引下げということまで意味してくるとなると,日本では起訴された人の社会的な打撃が激しく大きいですから,果たしてそれでいいのか。こういう問題が当然出てまいります。   それから,起訴した後に,問題があれば起訴を取り消すということを当然行うべきです。公訴官に徹底されるならば。更には一審で無罪になったら,控訴は控えるべきです,限定的にしか控訴すべきではないでしょう。それは第一審を尊重するということからです。   今,申し上げたことは,従来の法務・検察にとってはどれも受け入れ難いことばかりだと思います。それをどこまで許容することをお考えかを抜きにして,総論として公訴官に移行すると言ってみても,これは次からの各論の最大のテーマになるのですけれども,そこのところに僕は不安を持っています。   例えば,起訴を緩めるということに限っても,これは相当な問題があると思います。起訴を緩めるということは先ほど言ったような弊害を招きますから,どうしてもやはり今までのように起訴をするには事案の真相究明をするために,言葉は悪いのですけれども,徹底的に捜査せざるを得ない部分があると思います。自白ということも必要な部分があると思います。そういう捜査というのを,これからは警察の捜査の批判者だけで済むかと言ったら,そうではないのではないかと思います。起訴の基準というものを緩めない以上は,捜査も緩めないとせざるを得ない。そうすると,検事がいくら独立官庁だとは言っても,決裁の強化とか監察制度とか横からのチェックとか,こういう方向での実質化を図っていかないと,自由に検察官が判断していけばいいという方向にはならないような気がします。   そういう点では,抽象論は皆さん賛成で,私も大いに賛成ですけれども,具体化したときにどこまでお考えになるのか。これを抜きですと,しかも一例を挙げたのは,起訴の基準を下げることだけでもこんなにあっちこっちにどんどん影響してくる問題であるわけです,井上先生が最初に指摘されたように。だから,何かを切り離してこれだけという問題では実はないので,その点はコンセンサスではあると思うのですけれども,果たしてどこまでそれを取り入れた各論を持っていかれるのか。それと総論とは別だとおっしゃるなら僕が最初に皮肉として言ったように,日本の物事をまとめる文化だと思うので,それ自体には反対しません ○高橋委員 また,司法の外部の人間が久々にちょっと発言をさせていただきます。私も外部の人間なりにずっとこの検討会議に入ってから勉強をいろいろしてきたんですが,私は感想として持ちましたのは,今回の事件だけではなく,いろいろな問題が起きてきた背景というのは,一つはどなたか何人の方も言われておりましたように,もともと日本の司法というのがよく言われる供述中心で,実体的真実を究明するということをよしとする部分があって,恐らくそれというのは本を正せば,日本人の心の中では,マスコミでいつも思うんですが,心の中は闇だと,解明されていないとか,本当のところはどうなんだと言いますけれども,やはりその前提というのは,日本はやはり基本的には悪人も最後は真人間になって,悪かったと言ってあれするか,あるいはもう観念して,すみません,私がやりましたと追い込める。ある種の物事を損得で考えずに,人情的に取調べの中で,自白を引き出すことによって実体的真実が分かって,本当に心の中が分かって初めて正義が実現できるという国民の期待みたいなものに応えざるを得なかったという部分も多分にあると思います。マスコミもまたそういう論調をしますから。英米的な機能主義とは非常に違うものだと思います。   しかしながら,だからこそ可視化しなかったということがあると思います。そんな私的な取調べを可視化されたらできないじゃんという前提で,でもそれを前提の司法だったのではないかと。ところが,世の中残念ながら一つはもうそんな心を開くのではなく,損得勘定でしかものを考えないという人が増えてきた。いわゆるグローバルスタンダードです。社会全体の,あるいは聞き込みしても,隣の家なんか知りませんというコミュニティになってしまったとか。あるいは一方で,今度は郷原委員がよく言われますけれども,全然違うタイプの経済事犯のようなものが出てきて,昔のようなそういう発想そのものが全然なじまないにも関わらず,密室で行える犯罪だから経済犯罪は自白がないと立証できないという無理がずっと重なって,一方でロッキード事件で検察がすごいと言われながらも,さっきの話ではないですけれども,金丸事件ではペンキを投げ付けられ,検察審査会ができるとどんどん強制起訴が出てきて,検察は何をやっているんだと。検察は無能じゃないかというプレッシャーも一方でものすごく世論からかかってくる中の板挟みの中で,悪く言えば密室の取調べをいいことに捜査の仕方が特異に発展してしまった。   そういうふうに対応して来ざるを得なかったというふうに,世の中からある部分を検察自身が追い込まれてきて,結果としてえん罪をつくって,自分たちで自分たちの首を絞めてしまったという部分も私は多分にあるような気がします。ここで思うんですけれども,やはり司法の方々とお会いして,お話をお聞きしてすごく思うのは,やはり申し訳ないんですけれども,問題解決指向が薄い方々なんだなと,はっきり言って。つまり正義を追求する。正義も二つあります。例えば社会正義としては悪いことをやった人間は必ず罰しなければいけないというのも正義ですが,えん罪をつくってはいけないというのも大変重要な正義です。それぞれの正義を検察側,弁護側がそれぞれ別の正義をぶつけ合って,そのせめぎ合いの中でバランスがとれるという司法という発想なんでしょうけれども,そもそも何で正義を追求しなければいけないかと言うと,私は極論すると正義というのは手段に過ぎない。全部がそうだとは言いませんけれども,ある部分,特に経済事犯のようなものは,正義なんかは手段に過ぎないので,何が目的かと言うと,もともと犯罪を抑止ししたり,再発防止することですよねと。かつ,犯罪を犯してしまった人間を更生させることですよね。   例えば,検事が起訴,不起訴を決めます。こいつは反省している。きっと更生するよ。罪もこのぐらいだからというジャッジメントで不起訴とやるわけです。起訴猶予とかするわけですよね。でも,その人は果たしてどんな心的印象を得て,どんな心を持った人がどんな反省の仕方をすると,あと1年後,3年後に再犯率がどのくらい高いかというデータをどれだけ実証的なデータを基に,的確な判断を科学的にしているのかどうかというものは何もないわけです。ですから,結局はそこは正義だという話になります。正義ではなくて,もっと成果を出してください。それは再発防止であり,本人の本当の更生である。   本来の目的のためにどうするのかと言うと,一番端的に言いますと,痴漢だと思います。痴漢は絶対に今の捜査手法でやっていけば,検挙主義でいけば必ずえん罪を生みます。男からすればえん罪は絶対に勘弁してほしい。一方,女性からすれば,あんなものを野放しにしていいのかと検察を責めるわけです。ところで,今の捜査手法の中でせめぎ合ったって,結局何の問題解決にならない。要は,えん罪を出さずに痴漢を抑止するためにはどういう手法がいいのかということを司法の人たちは誰も考えようとしない。これは社会が求めていることに対して,それは司法の責任ではありません。行政がやってくださいという話でいいのかということをすごく感じます。   ですから,この会議でもやはり検察がそんなことやってはいかんと言っているけれども,そのせめぎ合いで世の中が変わっているにもかかわらず,法律もいろいろなものも何も変わらないで無理が来て,無理が通れば道理が引っ込んで,こういう事態になってきたのに,それを放っておいて,やはりもっと厳しくしろと言うだけで,今度は正義からのもう一方の期待に検察が応えられる組織はどうなるんだろうかという議論も一緒にやっていくというのは問題解決指向だろう。だから,どっちの力を強めるべきかという話がすごく多いんですけれども,こっちの力,こっちの力。いや,両方できるだけ両立できるようなことを考えましょう。みんなで知恵を出してという問題解決指向でいろいろな立場の方が知恵を出して,少しでもいいアイデアをこの検討会議で出せたらいいのではないかな。こんなふうに思いました。 ○宮崎委員 今日は総論ということで,余り総論を言うと,いろいろな各人・各様の総論があるので,議論が結局拡散して,具体策としてどうまとめるのかというところに話が行かない恐れがあるのではないか。こういう具合に思いながら聞いておりました。   もちろんここでコンセンサスが取れればいいのですが,例えば原田委員は,先ほど公訴官に専念すべきというコンセンサスがありそうだと言うけれども,私は全く逆で,少なくとも公訴官に専念せよという議論は余りないなと思いながら聞いておったわけであります。総論というのは,各解決策を導き出すためには極めて重要かと思いますが,そういうことを念頭に置きながらも,議論を拡散させないために,それでは具体的にどうするか,その中で総論にどう反映させるのかの議論をやはりしておいた方がいいのかなと思いまして,今日,お手元にお配りしておりますように,検察官倫理についてペーパーを用意したわけです。   結局,今回の事件を通じて,明らかになった最大の問題点は,村木さんもおっしゃっておりますし,また多くの皆さんがこれはコンセンサスがあるかと思うんですけれども,捜査機関が密室で供述調書を作り上げて,無実の市民を罪に陥れることができるという今の仕組み,検事調書が自由自在にとれるという状況だと思います。これを是正するということがこの会議の課題ではないかと思っています。   その課題解決のためには取調べの可視化とか,証拠開示の適正化など,制度として導入する以外にないのだと思っています。今まで最高検の検証を読ませていただきましたけれども,取調べ自体にどういう問題があるかというのは検証すべき手段がないわけで,そこを放置して決裁権をどんどん上に持っていったところで,問題は解決されないと思っています。   しかしながら,これらの制度をつくりましても,やはり証拠開示をうるさいからもう還付しちゃったとか,偽装しちゃったということがありますように,必ずやその制度を適正に運用しないでおこう,回避しようという動きがあるわけです。そういう制度をサポートするための倫理をやはり議論しておくということもまた,これは必要だろうと思っています。   我々も弁護士職務基本規程という倫理規範を持っているわけであります。   そういう観点から言いますと,制度をつくりましても,それを適正に運用するということのための検察官倫理というものが極めて重要だと思いますし,それに対する教育や研修が手厚くなされることはもちろんですけれども,規則違反に対して何らかの制裁措置が設けられるような制度,本来の取調べ内容が検証できるような制度導入とは別に,倫理違反についても制裁措置が設けられるべきであろうと思っています。   ここで皆様方のコンセンサスだろうかと思いますけれども,公判での有罪獲得だけでなく,公益の代表者として,真実の発見と正義に仕えるべきが検察官の基本的な役割の一つであると考えておるわけです。それをやはり徹底すべきだと。倫理規程においてもそれを徹底した倫理規程を作るべきだと思っていますし,倫理規程はいろいろ広範な範囲に及ぶと思いますけれども,今回の事件に即して言うならば,取調べの可視化さえすればいいんだというのではなくて,やはり下に三つ書いてありますように,被告人の有罪立証を妨げる無罪方向の証拠又は被告人の罪責を軽減するような証拠を隠蔽してはならないとか,嫌疑のない公訴提起及び嫌疑のないことが判明した後の公訴維持の禁止でありますとか,取調べ提出済み証拠が虚偽であったことが判明した場合の回復措置等,こういうような倫理規程が必要だと思っております。   今回,我々に託された役割を果たすためには,そういう制度改善の提言とこういう倫理についての確認が必要ではないかと思っていますし,また実効性を確保するための検察査察制度というものを検討されてもよいのではないかと考えております。 ○諸石委員 今日の皆様の御意見を伺って,大変印象深く,と言いますのは,それぞれのお立場というか物の考え方が違う委員が同じことをおっしゃっているということがあるなと思いました。この検察の在り方を改革していこうと思ったら,いろいろなことを考えていかなければいけない。相当に本質的な問題からやっていかなければいけないということが分かった。改めて私は認識いたしました。   この検討会議というのが,最初に大阪地検特捜部のびっくりするような事態に端を発したので,検察はこんなことをやっていたのか,検察はこんな悪いことをしていたのか,検察に対する国民の信頼は地に落ちたぞという,十把一絡げで検察バッシングというか,そういうようなところからスタートしたという面があったのですが,それの解決の妙案としては可視化だけだということに短絡しかねないなという危惧を持ったわけであります。こういう議論をしていると,現行の制度・運用にそれぞれのプラス・マイナスがあり,それぞれの理由があることが分かります。制度改革をするならば,その改革にもまたプラス・マイナスがあり,特に移行時にはいろいろな問題が起こります。それを過渡期だからと言って,混乱があり,誤りがあっていいというわけではないとしますと,その範囲とか順序だとかタイミングだとか,そういうものを十分考えて,間違いのない改革をやっていく必要がある。これは抽象論で済まない。具体的な改革のスタートにならなければいけない。例えば,可視化はいいと多分皆さんおっしゃる。それによる弊害がどうなるか。それによって任意の供述が減ってくる。それで有罪率が下がる。起訴できなくなるということが広く起こり得る。それに対して,検察にどこまでの新しい武器を与えていいか。そういう議論まできっちりと視野においた改革をしておかなければいけないと思います。その意味で,これから限られた時間の中で,必要ないろいろな項目について,少なくとも議論の対象とそれぞれに対する方向付けを明確にしていきながら議論を進めていきたいなと思います。 ○高橋委員 肝心なことを最後に言い忘れたんですが,ということで,私が思いましたのは,やはり刑事事件として扱うことによって解決すべき社会的問題とそうでないものがある。やみくもに刑事事件として扱うことで解決しようとするというのはやめるべきではないかということ。つまりこれは検察の役割はどこなんだということを再認識して,再定義していただく必要があるということです。   端的に言いますと,今回の話もそうですし,一番最近の事例で,福島の産婦人科の問題もそうですけれども,例えば,私は個人的に言えば,JR西日本の問題もそういう気がするんですが,ああいう問題を刑事事件として検察が力を入れて扱うことによって解決すべき問題なのか,再発防止を重視して,そちらの方で徹底的に,例えば民事なり,あるいはほかの方法でやるべきなのかということを考えたときに,何か今の検察は何でもやりたいことはやれるという部分もあって,そのときに問題解決指向が弱いと,それによって問題解決するという指向がないのに,端緒があると一気に大玉が取れそうだと行ってしまうという傾向があると思うので,そもそも何のために検察が起訴するのかということの根本は社会の問題の解決なわけですから,それに我々が刑事事件として起訴するのが一番良い方法なのかということをどこかで考えるという仕組みを検察の中に是非入れていただきたいと思います。 ○郷原委員 私も全く同感でして,高橋委員がおっしゃっているように,飽くまで検察の権限行使は少なくとも社会や経済との関わりの中で,サブシステムなんだという考え方を持っていかないといけないと思います。純粋な刑事司法,伝統的な犯罪に関しては,その検察中心に世の中が回っていくような考え方でもいいんですけれども,やはりこの刑事罰を使って,何をどうしていくのかという発想が必要だと思います。   今,何でもかんでも刑事罰で解決しようとしているということの問題を指摘されたんですが,逆に例えば法律の執行の一つの手段として罰則適用が必要なものについて,ちゃんと罰則を適用しているかと言ったらそうではないんです。もう個々の検察官のところに何々法違反で告発をしてくださいと言っても,そんなものは「忙しい,やってられない。」と言われたら,おしまい。もう全部そういったところに個々の検察官の判断に委ねられているという部分があります。   それを違法行為が横行していて,この分野だけ非常に危険な行為がはびこっている。それに対する一つの対処方法として刑事罰が必要であれば,それを適用していく一つの基本方針を作って,そういった方向で検察が権限行使していくということも必要だと思いますし,全く同じことが言えると思います。 ○江川委員 前も言いましたけれども,ここの会議の役割というのは,検察に対する国民の信頼を回復するということでありまして,そのためにああいう村木さんが巻き込まれたような事件を二度と起こさない具体的な方向性というものを打ち出すことであります。ですから,ここで確認すべき総論というのは,そのために必要な範囲内ということでいいのではないかと思います。と考えると,最初に吉永委員が言われたような真相解明,人権擁護,あるいは嶌委員がおっしゃった内容,フェアネスに関わることだと思いますけれども,そういったこと。あるいは高橋委員が今おっしゃった検察の活動というのは社会や人々の幸福のためにあるんだということを確認して,そしてそれ以外のいろいろな論点がありましたけれども,それは今後の検察の在り方を考える上で,こういうような視点あるいは議論の仕方というものが提起されたというふうに整理しておけばいいのではないかと思います。   そして,先ほどの真相解明,人権擁護,フェアネス,あるいは人々や社会の幸せのためにという大きな目的のために何をなすべきか。あるいはいかにあるべきかという倫理の問題に行く。あるいは制度の問題に行くのではないかなというふうに思いますので,こういったところでそろそろ倫理の具体的な話をしたいなと思って,よろしければその話を,私も意見を述べたいと思います。 ○千葉座長 今日は,皆さんからそれぞれ御意見をお出しいただきました。今,皆さんから大変深い御議論,あるいは考え方をお示しをいただいたのではないかと思います。ただ,一方,確かにこの会議に与えられた使命ということ,それは具体的に検察の改革のメニューを示すということでもあり,この総論的な理念とも全く切り離せるわけではありませんけれども,そういうことを念頭に置きつつも少し具体的な議論の方にも歩みを進めていかなければいけないかなと思っております。   また,そういう際に,この総論と検察のいわゆる在り方というものを振り返りながら,また御提起や御議論をいただくということがむしろ意味があることなのではないかと思います。   今日,それぞれの皆さんから御指摘をいただいた視点や,あるいは問題点というのは,これからのこの検討会の議論のみならず,さらにこれから少し長期にわたって刑事司法の在り方とか,社会の問題解決の在り方,こういうことを考えるに当たっての大変大きな基礎になるものではないかと思います。   そういう意味で,大変貴重な御議論をいただいたということで,取りあえずこの辺りで,この総論の議論を一区切りさせていただければと思いますけれども,よろしゅうございましょうか。 3 「検察官の倫理」についての議論 ○千葉座長 また,議事の第3番目に予定しております検察官の倫理でございますけれども,今日,少しそれにも触れていただいたところもございますが,今からこれを更に具体的にというには時間が難しいのかなと思います。次回以降に十分に整理して御議論いただくということもあるかなと思います。 ○江川委員 できれば少し案がある人は意見だけでも述べて,次回にまたそれを深めるというわけにはいかないでしょうか。 ○千葉座長 今日も時間を4時半を目途にということで,皆さんにお知らせさせていただいておりますので,今日,もしどうしても一言頭出し,あるいは問題を提起しておきたいという強い御意見の方がございますれば,皆さんのお時間の御都合等がよろしければ,結構かと思いますが,いかがですか。 ○井上委員 これからも長く続くものですから,毎回時間をかなり緩やかにすると,結構疲弊していくと思います。むしろ一つの項目については集中的に議論した方がいいので,一部の方の意見を今日聞いて,それをまた我々は用意してない者は1週間ぐらいかけて考えて,あるいは2週間かけて,そこで議論するというのは効率が悪いと思います。決して止めるわけではないのですけれども,時間の観念も必要ではないでしょうか。 ○江川委員 時間の観念で言えば,やはり発言時間は1人何分以内とか,そういうふうに決めていただくということもありではないかと思います。つまり今日は倫理まで行くということが一応事前の話だったわけですから,そのつもりで私は臨んでいたんです。しかし,総論で思い切り皆さんがお話しになりたいということで,静かに聞いておりましたけれども,やはりこういうふうに長引いて,せっかく二つのテーマを決めてあったのに,一つはまた後にということになると,結局は肝心要の捜査・公判についての時間がどんどん押されていくということになりかねないではないかと,それを懸念いたします。 ○千葉座長 今,江川委員からも御指摘がありました。それから,井上委員からもきちんとした議事運営をという御指摘でもあったかと思います。きちんとルールと予定したことを守るようにと,それぞれ共通の御指摘であろうかと思います。 ○井上委員 発言時間という点については,私も反省するところがありますが,みんな等しく意識したほうがいいと思います。1回当たりの発言時間ばかりでなく,各委員の発言回数やトータルの時間を含めて,やはりみんなが平等に議論できた方がいいので,その点は心掛けないといけないと思います。 ○千葉座長 私も余り何分でというのもいささかなじまないと思っておりますので,極端な時間制約ということは避けたいと思いますけれども,その辺は皆さんに,みんなが発言し,そして議論ができるように御協力いただきたいと思います。今日につきましては,今,井上委員からもお話がございましたが,できるだけ一つのテーマ集中をする方が皆さんの御議論も中身が濃いものになっていくのではないかと思いますので,できれば倫理について少しまとめた形で,後日,皆さんに御準備をいただいて,議論をさせていただくということの方がよろしいのではないかと思いますが,いかがでしょうか。 ○江川委員 でしたら,本当に発言時間というのは,やはりきちんと守るという形で,例えば1人3分以内として,3分になったら「チン」と鳴らすというぐらいのことはやはりやっていいと思います。例えば,NHKの日曜討論なんかは1分経つと真ん中に赤いのがつくんですが,そういうのがもしあればそれを出していただく。それ以内に話し切れない部分は書面に出すようにするのが適切なのではないかと思いますので,そこの時間管理は厳しくやっていただきたいと思います。 ○千葉座長 時間管理について,皆さんに注意喚起を私からも申し上げたいと思いますので,江川委員の御指摘,私も念頭に置かせていただきたいと思います。 ○諸石委員 江川委員の御意見に全く賛成でございます。やはりこれだけの大勢の貴重な時間を使うわけですから,発言する場合には,多岐にわたる問題に対して取りまとめてひとまとまりの意見を述べなくてはいけないような特別の場合は別にして,例えば1人3分とか,それから回数についても1度発言した人は,未発言の発言希望者がひとわたり発言し終わった次でないと発言できないとか,そういうかなり厳しいルールを作れという御指摘には,私も賛成でございます。 (黒岩大臣政務官退室) ○千葉座長 時間的なこと,それから発言はできるだけ偏らないということについてはこれから私もより一層念頭に置きつつ,進めさせていただきたいと思います。   それでは,倫理につきまして,今後の議論の中で少しまとめてまた皆さんに御議論をいただくという形にさせていただきたいと思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。 4 今後の議論の進め方について ○千葉座長 それでは,今の問題とも関わりますが,今後の議論の進め方,議事次第4について進めてまいりたいと思います。前回の会合で,私の案といたしまして,今後の議事進行について題する資料を配布させていただきまして,検討事項についての1巡目の議論の順番等をお諮りさせていただきました。委員の皆様から様々な御意見をいただきまして,前回の会合での皆様の御意見を踏まえた進行案を改めて作成させていただきましたので,お手元に進行案を配布させていただいていると思いますので,御参照いただきたいと思います。   前回の会合で,委員の皆様から特捜部の存廃等の検察の組織についてどう考えるかによって,捜査・公判や人事の議論に大きな影響が出るので,まず組織の在り方について議論することが大前提となるという御意見もございました。また,2月10日の午前中には組織人材育成関係の野田先生ともうお一方からヒアリングを行うということが決定いたしておりますので,それとの関係から考えて,2月10日につきましては,検察の組織とチェック体制について御議論いただくということが適当ではないかと思います。   また,委員の皆さんからは捜査・公判の在り方についてなるべく早く議論に入るべしと言う御意見もございましたので,今日の議事進行の反省も念頭に置きながらではございますけれども,2月10日には併せて検察官の人事・教育についても御議論をいただき,そして2月17日には前半で検察官の人事・教育・倫理についての残りの御議論をいただき,検察の捜査・公判活動の在り方についての検討予定を繰り上げてこの2月17日の後段で,捜査・公判活動の在り方についても御議論をいただいたらどうかと考えております。その上で,2月24日には最高検が2月頃にお出しになるとされております取調べの録音・録画の試行に関する検討について御報告がいただけるのではないかと思われますので,それをも踏まえて,丸一日を当てて,捜査・公判の在り方について十分な時間をとって検討していただいたらどうだろうかということを考えております。   このような議事進行について取りまとめをさせていただいたところでございますが,これで御理解をいただきますれば,このような日程で進めていきたいと思いますが,いかがでしょうか。もし何か特段御異論がございますようでしたらお出しいただきたいと思います。 ○宮崎委員 基本的にはこういう形で御配慮いただいてありがとうございます。ただ,これ,捜査・公判活動の在り方で2月24日が終わりますとまた最初のところの総論から議論するとかそういう趣旨ではないですよね。1巡目がこれで終わったので,2巡目はまた最初からと,こういうことではないですよね。ちょっと確認を。 ○千葉座長 これについては,ここまでで柱を立てました部分について御議論いただき,更に必要な議論の問題点が出てこようかと思いますので,何について更に議論を深めるかということを,またこの議論の内容を整理して,皆さんと御協議させていただくということにしたいと思います。同じことをぐるっともう一度という趣旨ではございません。   それでは,まず2月につきましてはこのような日程で議論を進めさせていただきたいと思いますので,それぞれまた皆さんでいろいろな取りまとめ,考え方などをまた頭に描いていただければと思っております。   では,最後にヒアリングについてお諮りしたいと思います。   前回の会合では,2月10日の会議におきまして,午前中に組織,学習などの分野の御専門の野田先生のほかに,もう1名,組織論関係の方からのヒアリングを行うことについて皆さんに御了解をいただきました。その人選につきましては高橋先生にもお心当たりがあるということでございます。 ○高橋委員 一言だけ言わせていただきますと,野田稔さんが組織論の権威でもあり,かつミドル,いわゆる中間管理職やリーダーシップの問題,組織内の人材育成の問題をいろいろお話しいただけると思うんですが,もう一方の,こういう今回のテーマでもありますので,コンプライアンス,コンサルティングをずっとやってきた人間で秋山さんという人がおられまして,彼は端的に言いますといろいろな企業で不祥事が起きて,大問題が起きたような組織に入っていって,どうやってそれを組織的にそういうことでない組織に変えていくかということを専門にやるコンサルティング会社の社長として長年活動しておられる方なので,そういう不祥事の起こる組織をどう変えるのかという話を。   秋山進さんという男性の方ですけれども,実はもともとニューヨークの市長であったジュリアーニさんが始めたコンサルティング会社でグローバルなコンサルティング会社に勤めておられた方です。コンプライアンスで,組織,いろいろな話があると思いますけれども,単なる個人の一人の不正の問題から組織的な問題まで行っている場合といろいろな段階があるので,それによって全然対応が違いますよというような過去の事例からの組織的な問題への対応です。このお話が専門でございますので,その話をしていただけると。偽造じゃないですけれども,それこそ過去も,例えば実験データを偽装して売上げを立てた民間企業とか,そういうようなのがたくさんございますので,共通点もあろうかと思いますので,そういうお話をいただけるのではないかと思います。 ○千葉座長 高橋委員から御紹介あるいは御推薦をいただきました。今,秋山進先生のヒアリングはどうかというお話で,私たちにとりましても大変参考になるお話をお聞きできるのではないかと思います。皆さんの御了解いただければ秋山先生のヒアリングをさせていただくということにしたいと思いますが,よろしゅうございましょうか。 (一同了承) ○千葉座長 このヒアリングについて皆さんの御了解をいただいたということで,これは次回に実施させていただくとさせていただきたいと思います。 ○宮崎委員 進行ですが,組織とチェック体制というのは内容は特捜部の存廃,それから最高検検証報告書に挙がっておりましたチェック体制,稟議システム,このことを主に議論するという受け止めでよろしいのでしょうか。準備の都合上,少し確認をさせていただきたいと思います。 ○千葉座長 それで結構だと思います。確かに,その次の人事とか,そういうことも絡むところは当然あろうかと思いますが,基本的に宮崎委員の御指摘された問題で結構でございます。 ○宮崎委員 それでこの組織とチェック体制について議論して,後半で検察官の人事・教育・倫理について併せて議論するという理解でよろしいのでしょうか。 ○千葉座長 そうですね。ここは明確に分かれるかどうかというのははっきりとは申し上げられませんが,基本的には組織とチェック体制,それを議論いただいて,そして後段で人事・教育・倫理という議論をさせていただくということにしたいと思っております。 ○宮崎委員 このヒアリングを受けた後で,高橋委員から人事・教育などについてのプレゼンがあると理解しておいたらいいんですか。 ○高橋委員 今,準備中でございます。横からのチェック体制の話と人事,教育はすごく絡むので,全部一遍にお話しできる時間はないかもしれませんが,書面としては両方含めた全体のものをできれば来週,ボリュームが相当になりそうなので,何日か前にできればメールで送らせていただいて,できることならちょっと目を通していただけると,しゃべる時間が少なくて済むかなというふうになるかもしれませんし,その内容は同じ書面で2回,3回に分けて発言させていただくということになるかもしれませんが,そんな感じで考えておりますので,何しろ提言だけではなくて,なぜそう考えたのかという解説もないとやはり皆さん方にお分かりいただけないといけないので,どうしてもちょっと文章的な分量が長くなりますけれども。 ○千葉座長 それでは,次回につきましては,宮崎委員からも御質問がございましたけれども,この組織とチェック体制,そして人事・教育・倫理ということで,午後が大変長丁場になりますが,御予定をいただきたいと思います。 ○宮崎委員 検察官の人事・教育というのは,主に何をテーマにするというイメージなのでしょうか。高橋委員のプレゼンが今日あったら分かりやすかったんですけれども,皆さん方の共通した問題意識,課題というのがあるのでしょうか。 ○千葉座長 これについては,皆さんからも御意見が出ている部分もあろうかと思いますけれども,いろいろな倫理規程のようなものが必要ではないかという御指摘があったり,あるいは教育や研修の在り方も皆さんから御意見やあるいは今の実状などもお聞きしているということもございますので,そういうところなどが大きな問題点になると思います。   また,当然,人事というのはなかなか難しいところがあろうかと思いますけれども,皆さんから何か御提起あるいは御意見,こういうものをお出しいただければまた議論の対象にさせていただきたいと思います。 ○高橋委員 参考までに一言だけ。私が例えばイメージすることで皆さん方が研修とか人材育成でイメージされることはもちろん入るんですけれども,それ以外で恐らく重要になるだろうなと思うことの一つは,例えばリーダーシップです。今回も明らかに上層部のリーダーリップが不適切だった問題があるので,人材育成と言うと何かイメージはあるんですけれども,リーダーシップ開発はどうするんだという問題もあるでしょう。それから,もう一つは,本当に適切な人が評価されて適切な枢要なポジションに行っているんですかという人事の登用の問題とか,何をもとにちゃんと登用がうまく適切にされているかという検証,どうするのかとか。あるいは,本当にこれはあれですけれども,今みたいに上層部が1年ごとに変わるという人事の仕組みでいいんですか。そんなことも恐らく議論の中で,一般的な意味でのいわゆる能力開発的な話,それからもう一つ大きいのは,やはり倫理というのは作るのは簡単なんですけれども,どうやって全員に徹底的に時間をかけて根付かせるかというのは,どちらかと言うと人事,教育とかそのイメージの部分,組織の部分に落ちてくる。だから,重なりますよね,そこの議論になると思います。 5 その他 ○千葉座長 宮崎委員からの御提案についてお諮りしたいと思います。宮崎委員から,本検討会議として韓国の捜査・公判の運用の実状の調査の問題の御提起をいただいております。宮崎委員の御提案について,委員の皆さんから御意見ございますでしょうか。 ○但木委員 日本の録音・録画の問題と韓国の録音・録画の問題は相当違う面があるような気がします。例えば,裁判所がそれに対してどう思っているかというのはまるで違います。しかし,そういう実状を隣の国で見てみようというのもそれはそれでいいんだろうと。ただ,やる場合にそれだけで行くのですかと言うと,やや問題が小さくなり過ぎちゃうんで,もう少し,韓国のノムヒョン政権以来,韓国で検察制度の改革が幾つかあったように思うんです。それから,ノムヒョンさんが自殺されたことを契機にして,検察改革がまた行われたように聞いているので,そこら辺の韓国の動きもあわせてということであれば調査対象が少し広がるけれども,と思いますが。 ○千葉座長 今,但木委員から御指摘をいただきましたことも,私たちもいろいろ知ることができれば,また大変意義のあることではないかと思います。御賛同いただいている委員の皆さんも多々いらっしゃいますので,宮崎委員から御提案をいただきました視察について,できるだけ前向きに検討させていただきたいと思います。ただ,これは日程と受入れ側の問題等もあろうかと思いますので,次回の会合までに事務局を通じて,皆さんの日程や御希望などを調整させていただきたいと思います。どうぞ問い合わせがございますれば,よろしくお願いをしたいと思っております。その結果を踏まえて,最終的に次回にまた皆さんにお諮りさせていただくということにしたいと思います。 ○江川委員 その件に関してなんですけれども,いろいろなことを見るに越したことはないので,できれば大いにやればいいと思っているんですが,ただそれ以上に私は国内の問題をきちんと把握することが大切ではないかと。今,ヒアリングがすごく限られた人数になっているので,やはり国内の人のヒアリングを丹念にやるということが,私は何より優先順位が高いのではないかなという気がします。韓国も行って,そのヒアリングも十分にやるということであれば大賛成であります。   ヒアリングのことなんですけれども,今日,お配りした聴取書という書面があります。これは「凛の会」の関係者のHさんに私が聞取りをした概要を書いたものです。なぜかと言うと,これは最高検の検証結果では検事しか聴取をしなくて,この問題についてはP1検事しか聞いてないと。P1検事は公判でいろいろ述べたけれども,Hさんは言ってないじゃないか,ということだったので,改めてHさんに話を聞いてきたら,P1さんの言っていることは全く違うと,偽証であると言って憤慨していらしたと。その内容を概要を書き取ってきましたので,御覧いただきたいと思います。こういう人の話をもう一度ちゃんと聞くということが大事ではないかと思います。 ○千葉座長 今,江川委員から他のヒアリングのお話もございました。これも前回申し上げましたように,今後の課題,議論のテーマと合わせまして,時間的な制約の中ではありますけれども,また関わりのあるヒアリングなどは検討していきたいと思います。   それでは,ほかにございませんでしょうか。以上をもちまして今日の議事は終了いたしましたので,終了したいと思います。   重ねて申し上げませんが,次回の会合は2月10日,次回は午前10時からということになりますので,大変厳しい,長丁場になりますが,お昼を挟みまして先ほどの御議論,御指摘があった二つのテーマにつきまして,4時30分ごろまで予定して議論を進めてまいりたいと思っておりますので,よろしくお願いいたします。それでは,以上で会合を終わらせていただきます。 −了−