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PCR検査をめぐる「5つの理論」を検討する

疫学的視点から見た新型コロナ問題

鈴木貞夫 名古屋市立大学大学院医学研究科教授(公衆衛生学分野)

【③寿司屋理論】値段が10倍だと満足度も10倍?

 5月6日、小田垣孝九州大学名誉教授(社会物理学)から『PCR検査を倍にすれば、接触「5割減」でも収束可能?』という内容の研究が報道された。そこには「接触機会を減らす対策はひとえに市民生活と経済を犠牲にする一方、検査と隔離のしくみの構築は政府の責任。その努力をせずに8割削減ばかりを強調するなら、それは国の責任放棄に等しい」とあり、識者のコメントは見当たらなかった。また、テレビ放送でも見たが、特に反論はないようであった。

 これは「社会物理学」の論文なので、疫学が専門の私は内容の詳細については理解できていない。しかし、モデルには前提が必要で、前提が間違いだったり、現実的でなかったりしたときは、出てくる結果も間違いであり、現実的でないことは、社会物理も疫学も同じと考える。私の理解で、この論文の枠組みについて説明すると、流行状態を、人々の接触、隔離、治癒の関数と置き、期間に分けて関数を作成し、接触、隔離、治癒の値を変化させたときに、流行状態がどう変化するかというシミュレーションのようである。

 さて、ここで「モデルの前提」の話である。

 「それぞれの対策の効果を比較するために、行動自粛率をxとし、PCR検査数を増やして隔離率をy倍増加させる対策を取ったときにどのように感染者が減少するかを比較」するとあるので、仮定したことを明示的にしてモデルを再度記述すると、「PCR検査数を(y倍に)増やして(陽性者をy倍にして)隔離率をy倍増加させる」という段階を踏んだ比例関係を前提としているように思う。少なくとも私はそう読んだ。しかしこれは検査の実際を反映していない。

 図4に「枠」ごとの検査前確率の分布と検査の優先順位の模式図を示す。〇は個人を表す。上に位置するほど、感染が疑われることを示し、検査の優先順位は高い。濃厚接触者で構成される「クラスター枠」では検査前確率が非常に高く、一般人で構成される「市中枠」では低い。医師の判断による「医師必要枠」は、様々な要因で確率は広く分布すると考えられるが、原理的、道義的理由で「検査前確率が高い順」に優先順位がつけられ、PCR検査が行われているものと考える。

拡大図4 PCR検査の枠と優先順位

 日本は「クラスターつぶし」の国であるから、濃厚接触者で構成される「クラスター枠」はほぼ全例検査しているであろう。接触のない「医者必要枠」は濃厚接触者より陽性率は低いし、検査前確率が高い順に検査をしているはずだ。したがってPCR検査を増やすほど「クラスター枠」からの検査割合は減少し、増えるのは「医師必要枠」のなかでもさほど検査前確率の高くない層(図の破線で囲ったところ)である。この枠組みでは、検査を2倍にすれば、2倍の陽性者が見つかり、隔離効率が2倍に上がるということにはならない。図4からもわかる通り、検査を増やしたことにより新たに検査される層は事前確率が低く、陽性者は少ない。新たに市中枠にPCR検査を拡充すればこれはさらに下がる。

 私は小田垣名誉教授の意見が間違っていると言っているのではない。私には「PCR検査を2倍にすると(陽性者が2倍になり)隔離効果が2倍になる」と読めるが、その理解は正しいか、ということと、もし理解が正しかったら、比例関係と考える理論的根拠を聞いてみたい。それだけである。あと、九州大学の疫学の専門家にどうしてコンサルトしなかったのかということも重ねて聞いてみたい。

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筆者

鈴木貞夫

鈴木貞夫(すずき・さだお) 名古屋市立大学大学院医学研究科教授(公衆衛生学分野)

1960年岐阜県生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了(予防医学専攻)、Harvard School of Public Health修士課程修了(疫学方法論専攻)。愛知医科大学講師、Harvard School of Public Health 客員研究員などを経て現職。2006年、日本疫学会奨励賞受賞