鈴木貞夫(すずき・さだお) 名古屋市立大学大学院医学研究科教授(公衆衛生学分野)
1960年岐阜県生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了(予防医学専攻)、Harvard School of Public Health修士課程修了(疫学方法論専攻)。愛知医科大学講師、Harvard School of Public Health 客員研究員などを経て現職。2006年、日本疫学会奨励賞受賞
疫学的視点から見た新型コロナ問題
東京新聞の1面トップ記事(4月30日付)にまでなった「感染状態を評価する」調査研究は、診断や隔離を目的としないPCR検査や抗体検査を、一定規模以上の集団に施行することで行われた。
私の把握している限りで時系列に書くと、①慶應義塾大学病院の入院、手術例のPCR検査によるユニバーサルスクリーニング(医療者の安全を第一目的とした患者の感染調査)、②ナビタスクリニックの希望者抗体検査、③神戸市立医療センター中央市民病院の外来受診者1,000人の保存血による抗体検査、④山梨大学医学部付属病院の全入院患者と入院予定の患者370人のPCR検査によるユニバーサルスクリーニングの4つが挙げられる(表1)。
陽性者の出た調査①~③について、研究者は揃って「PCR検査で公式に発表されているよりはるかに高率である」とし、市中感染率を表している可能性について言及している。
ここに潜むのは「代表性」の問題である。「代表性がある」とは、サンプルの割合や平均値が、母集団と同じと考えられるということで、健康事象の分布を記述する「記述疫学」の妥当性の源である。今回の調査は、市中感染率を知りたいためのサンプル調査と考えられるので、これらのサンプルが市中感染をあらわす母集団、すなわち、当該市民を代表しているかどうかという問題である。言い方を変えれば、サンプルが母集団を代表していなければ、結果は市中感染率とは言えないということである。
例えば、①の慶應大学病院の結果について、東京新聞は、「67人は都民からの無作為抽出ではなく、この結果をもって都民の10%程度が感染者ということにはならない。また数も少なく、偶然の影響も排除できない(鈴木貞夫名市大教授)」と「にわかに信じ難い衝撃的な数字だが、米国では発熱した人の検査で5%が陽性という報告があるので、海外よりも深刻だ(上昌広医療ガバナンス研究所理事長)」のコメントを掲載している。
鈴木教授(私である)は、ユニバーサルスクリーニング目的の調査が市中感染を表しているとは言えないという立場であり、上理事長はこの値が市中感染率を代表していることを前提にコメントしている。教科書的には、代表性が担保されていない以上、解釈には注意が必要で、結果はあくまでも「目安」に過ぎない。③の神戸市民病院についても感染者が多くいる可能性があるという結論であるが、「調査の対象が外来患者に限られることや検査の正確性に一定の課題がある」という記載もあり、バランスはそれなりに取れた記載と言える。
問題は②のナビタスクリニックの報道で、東京新聞の1面トップ記事として大きく掲載され、記者による「解説」が付されていた。特に井上靖史記者による記名解説は、すでに報道された慶應大学病院の結果も近い値を示したことを引用し、「国内で感染が確認された人数を何十倍も上回る人がすでに感染した可能性を示している」と報じ、「これまで検査数を絞ってきた世界でも珍しい日本式のやり方は見直しを迫られている。いったん決めた政策に固執せず、転換を図るべきだ」と結論付けている。
代表性の担保なしで、このような断言は間違いであることは明白で、報道と同時に抗議の電話、メールが殺到し(私も出した)、東京新聞は、杉谷剛・社会部長名義で「『誤解を与える』批判について」とのコメントを出さざるを得なくなった(5月12日)。内容は以下のとおりである:検査を希望した人たちは、無作為に抽出した検査と比べてもともと偏りがあり、広く一般の人たちを代表しているとは言えません。「記事は、一般の人たちの5.9%が感染したことがあるとの誤解を与える危険性がある」というご批判を重く受け止めます。
ここまで、サンプルが母集団を代表しているかという意味での「代表性」について述べたが、代表性はもうひとつあり、それは「このような研究が、その結果にかかわらず、同じように出版、報道されるか」という意味での代表性であり、疫学ではこれに関する誤差を「出版バイアス」と呼んでいる。
今回、ひとつ問題になるのは④の山梨大学病院のケースである。これは、①と同じく、ユニバーサルスクリーニングを目的とした調査であるが、全例が陰性であった。ここでの島田真路学長のコメントはユニバーサルスクリーニングの結果に関するものだけで、この0%が市中感染率を示すなどのコメントは一切していない。また、この記事にも、市中感染率に関する記載はなかった。報道は、高い陽性率を期待しており、その時には「市中感染率」を代表しているという可能性について報道するが、今回のように陽性率0%のときには、そういう伝え方をしない。一種の出版バイアスと考える。
より深刻なのが、①の慶應大学病院の事例である。大学病院のホームページに、ユニバーサルスクリーニングの結果が掲載されているのだが、新聞記事のデータとなった4月13日から19日のもの、5/67 (7.46%、その後陽性が判明した患者が1人あった)の前に、4月6日から12日の結果、0/97(0%) とある。報道された時点で、すでに結果の出ている前の週のもの(全員陰性)を報じずに、当該週の6.0%だけを報じるのは、バイアスという言葉で片づけるにはあまりに悪質と考える。これは、説明が必要な事例と個人的には考えている。
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