たっちさん達の本名について:アインズ様と謁見する際に本名を名乗らせる予定でしたが、話の都合上、今回の話から本名を名乗る事にしました。なかなか彼らの名前に慣れないかも知れませんが、どうぞ宜しくお願いします。
その悪魔は待っていた。
時が満ちるのを、ただ只管に待ち続けていた。
この長き時の中で、世界には多くの悪が生まれ、そして消えていった。
彼は封印されていながらも、その気配を敏感に感じ取り、彼らの悪のエネルギーを静かに、静かに、蓄えていったのだ。
それは、常時この封印を守り続けていた、たっち・みー達でさえ気付かぬ程に。
本来、善属性に傾いているたっち・みーならば、その異変に気付いても可笑しくは無かった。
だが、彼は蟲人になった事で、その善性も僅かに変化していたのだ。しかし、それを本人が気付く事は無かった。
その違和感に気付かない事こそ、異形へと変貌してしまった弊害だったと言えよう。
つまり彼は、人間だった頃と比べると、悪属性への探知能力が幾分か劣っていたのである。
結果、彼はウルベルトが着々と魔力を蓄えていた事に気付く事無く、時は流れた。
――そして500年。
遂に悪魔は、目を覚ます。
・
ウルベルトの呪いによって異形へと変わってしまった、たっち・みーとあまのまひとつ。
二人は勿論衝撃を受けたが、まずはウルベルトの封印が上手くいったのか確認する事が先決だった。
たっち・みーによると、この封印は彼自身でさえいつまで保つのか分からないものだと言う。もしかしたら直ぐに解けるかも知れないし、何百年も保つかも知れない。つまり、不確定要素が大きいのが現状である。
「……あまのまさん、私はこの封印を守り続けようと思います」
暫し考え込みながら、たっち・みーは告げた。
「これはあくまでも封印です。何かの拍子に魔法が解ける可能性だってある。ぶっつけ本番の魔法だって、以前お話しましたけど、本当にそうなんですよ」
ウルベルトを封じた結晶を眺めながら、たっち・みーは苦笑を浮かべる。あまのまひとつは、彼がそう決意したのならば、自分もそれに従おうと考えていた。
「たっちさんがそのつもりなら、勿論私だってそうしますよ。覚悟はしていますからね」
そうあまのまひとつが告げると、たっち・みーはホッと息を漏らした。
「しかし、四六時中ずっとこの場に居続ける訳にはいきません。時折人間の街へと下りて、外の世界の情勢等は確認しておいた方が良いでしょう」
たっち・みーは顎に手を当て、暫し考え込んだ。
異形種という種族に寿命は存在しない。その為、人間とは時間の感覚が異なる可能性があった。
二人は蟲人と蟹の異形種へと変貌したが、その法則は恐らく二人にも適応される筈だ。
ずっと森に籠っている間に、気付けば100年経っていた、なんて事もあり得る。
「――人間との時間の感覚のズレは注意しなければなりませんね。どの位ウルベルトさんを封印したのか分からなくなるのはマズイです。私の封印術がどの程度効果があるのか、きちんとそれを把握しておく必要がありますから」
「そうですよねぇ……となると、やはり定期的に人間の街へは行った方が良いと思いますが――」
あまのまひとつは、己の大きな蟹の爪を動かした。
「どう考えても、私はこの身を隠す事は出来ません。なので、街へ行くのはたっちさんにお任せします。たっちさんなら、ヘルムを被れば後は問題無いでしょうし」
「確かにあまのまさんのその体では、変装も出来ませんしね」
そう言うとたっち・みーは自分の荷物の中からヘルムを取り出した。
普段、たっち・みーはヘルムを被る事は殆ど無い。
聖騎士達がヘルムを被るのは、式典に参加する時くらいだ。なので、実用性より装飾性重視のデザインになっている。一応、防具としての機能はそこそこあるのだが、実戦で使う事は殆ど無かった。
そんなヘルムなので、たっち・みー自信はあまり気乗りしなかったのだが、上層部からそう指示されては従うざるを得ない。その為、出来るだけシンプルかつ美しく見えるデザインを、以前あまのまひとつに頼んで作って貰ったのだ。
ウルベルトとの戦いに備えて、念の為そのヘルムを準備したのだが、式典用という事もあり保存状態はそこそこ良かった。なので、今回鎧を特注した際、新たなヘルムの注文はしなかったのである。
結局戦闘では使用しなかったが、持って来ていて正解だったと言えよう。
顔を隠す事もそうだが、何より複眼のせいで急に広がった視界に慣れるまでは、此処でも時々ヘルムを被っていた方が良さそうだからだ。
「一先ずはその流れでいきましょう。私が街へ行っている間は、あまのまさんに此処をお任せしますが、何かあれば直ぐに
「了解です。気を付けて見張っておきますね」
「やる事が多いですが、そうしなければ私達はどうにかなってしまいそうですからね……」
ポツリとたっち・みーが零す。
「あまのまさん、私が何を恐れているか分かりますか?」
「それは――」
たっち・みーの問いかけに、あまのまひとつは言い淀んだ。
彼が何を言いたいのか分かったからだ。
たっち・みーはウルベルトを封じた結晶体へと視線を向けつつ、静かに口を開けた。
「……私は異形へと変わってしまった事で、自分の人間性を失う事が怖いんです」
絞り出すように呟かれた内容は、あまのまひとつが無意識に視線を逸らしていた懸念そのものだった。
ウルベルトは悪魔となった事で、確実にその人間性を欠如させていた。
自分達も、もしかしたらそうなってしまうかも知れないという恐怖が、二人に重く圧し掛かる。
「彼の場合は悪魔だったから、余計にそうだったのかも知れません。ですが、我々とてそうならないとは言い切れない。人外になってしまった段階で、人間とは別の精神構造をしている可能性だってあります」
「そう、ですよね……」
先の見えない恐怖が、心の中に沸き上がる。
この恐怖を抱えたまま、自分達は気の遠くなる程生きなければならないのだろうか?
それはまさしく呪いと言えよう。
震えるあまのまひとつに、たっち・みーはハッとして顔を上げた。
「すみません、今は悩んでる場合じゃないですね。兎に角、出来る事をしましょう。それと――」
「?」
たっち・みーは口に手を当て、暫し考え込んだ。
「――村の慣習に従って今の名を名乗っていましたけれど、もうこの名は使わない方が良いと思います。自分の理想を込めた大切な名前ですけど……もう、既定の10年は経っていますからね」
それに、と彼は続ける。
「人間だった頃の理想を異形の身で名乗るのは、どうも居心地が悪くて」
今の自分には、眩し過ぎるんです。
「……!」
そう語るたっち・みーに対し、あまのまひとつは思わず大きく目を見開いた。
・
二人は、とある小さな村の出身だった。
その村では成人した際、本名とは別にもう一つ名を付ける慣習がある。それは成人した事で、どんな大人になりたいのか、その目標等を名前に込める意味合いを持っていた。
その名前は、成人してから10年は名乗る決まりになっている。その10年の間に、自分の掲げた目標に向けて精進するんだぞ、という訳だ。別にそれが達成されなくてもお咎めは無い。ただ、慣習として現在まで残っているだけだった。
因みに、その名は他所の都市へと出た場合も名乗らなければならない。なので、偽名と疑われるのを防ぐ為に、公的文書が村長から手渡される事になっていた。これを見せれば、取り合えずは問題無く活動が出来る。
だが、自分の目標等を名付けるという事もあり、わりと奇抜な名を付ける者も多かった。そしてそれは、たっち・みー達も例外では無い。
たっち・みーは、誰かに頼られるような人間になりたいという願いを込めて、西方の国で『私を頼れ』という意味を持つこの名を己に付けた。安直だとは思ったが、これ位分かりやすい方が良いだろうと自身は思ったのだ。
友人等からは「センスが無い」と散々言われたが、たっち・みーはそれでもこの名を押し通した。結果として、無事に村長から承諾されたが、恐らくたっち・みーの熱意に負けたのだろうと彼らは語る。
あまのまひとつは、鍛冶の腕を上げたいと思っていた事もあり、南方の国で鍛冶を司る神の名を己に付けた。以前、各地の鍛冶に纏わる本を読んでいた際、偶然見つけたものだ。どうせなら、夢は大きい方が良いだろう。
しかし、神の名を人間如きが名乗っていいのかと正直悩んだりもした。だが、神という存在は偉大である。きっと許してくれるだろうと、持ち前の前向きさであまのまひとつはそう解釈したのだった。
兎も角、そんな理想を込めた名を、二人は既に10年以上は使っていた。
村での成人は15歳。それを考えると、もうとっくに本名に戻しても良い頃合いだったが、その間に二人は村を出て大きな都市へと行き、目まぐるしい日々を送っていた。なので、本名に戻す機会を逃していたのだ。
・
「――そういえば、もうとっくの昔に10年以上経ってましたね」
あまのまひとつは、ぼんやりと遠くへ視線を向けた。
「区切り、という意味で名を戻すのが丁度良いかと思うんです。これからは人間としてではなく、異形へ変わった元人間として、本来の名を名乗ろうかと。そうすれば、自分が何者であるかを忘れずに済みますから」
深く息を吐きながら、たっち・みーは真っ直ぐにあまのまひとつを見据えた。
「『アノマ・メアト』さん」
久々に聞く自分の名前が、酷く新鮮なもののように思える。
あまのまひとつ――アノマは、ゆっくりと口を開けた。
「『ドラーク・シュネーヴァイス』さん……ハハッ、何か、不思議な感じです」
本来の名で呼ばれたたっち・みー、もとい、ドラークはむず痒そうに肩を竦めた。
「それで、どうですか? ドラークさんは、この10年で理想の自分を目指せましたか?」
アノマの問いに、ドラークは憂いを帯びた表情を浮かべた。
「……私は結局、理想には追い付けませんでしたよ。この名を己に付けた時は、もっと輝かしい誇りのようなものを持っていた気がするんですがね。ウルベルトさんの事だって、私は手を差し伸べる事が出来る筈だった。誰かの助けになるような、誰かに頼られるような――そんな、正義の味方になりたかった筈なのに」
そう言って、ドラークは己の手を見つめる。
救えた筈の人を、自分は救わなかった。その結果がこれだ。
何が正義の味方だ。きっと自分は、都合の良い理想を描いていたに過ぎない。世界の汚い部分を、見て見ぬ振りをして。
「それでも私は、その理想を捨てられないんです。この名はもう使えませんが、心の中に刻んでおくつもりですよ。嘗ての私は、確かに本当の正義を目指していた……その証として」
静かに語る姿を見て、アノマはそっと声をかけた。
「きっとそれで良いんだと思いますよ。私も、こんな御大層な神様の名前を付けちゃいましたけど、結局、まだまだ自分は力不足だなって思いますし。これからは、異形となった自分達の性能をよく調べて、それにあった装備を作っていきたいですね」
アノマの言葉に、ドラークはふと周囲を見渡した。
「でしたら、此処に工房でも作りましょうか? ウルベルトさんを監視しつつ、色々と作れるように。材料等は街で揃えれば良いですし」
「え、いいんですか?」
ドラークにばかり無理をさせてしまうのでは、とアノマは心配した。だが、彼は大丈夫だと頷く。
「良い装備が出来れば、それに越した事は無いですからね。もしもに備えるのは大事です」
封印がいつ解かれるか分からない。だからこそ、万全の状態を維持しておく必要がある。その為に色々と準備するのは大切だとドラークは説明した。
その説明にはアノマも納得した。何が起きるか分からない状態では、自分達で出来る事をしておくしかない。
――こうして二人は、異形としての道を歩き始めた。
二人が危惧していた精神の変容も、この時点ではそこまで大きなものではなかった。
しかし、時が経つにつれて、自分達が人間だったという認識が、確かに薄れてきている事に気付いてしまう。
それが何よりも恐ろしく、そういう時は二人の子供時代の事を語り合う等、出来るだけ昔を思い出すよう心掛けた。記憶までは消える事が無いと思っていたのもある。
実際、所々朧気ではあるが、二人は昔の事を覚えていたし、それを思い出すと自分は確かに人間だったのだと安心出来た。
そうやって精神の変容を抑え込みながら、二人は100年、200年と生き抜いた。その間、ドラークは様々な人間達と交流していたが、人間に対しての同族意識というものが無くなっている事を理解した。だが、別に彼らへの嫌悪感等は無い。だから、きっと自分達はウルベルトのようにはならない筈だ、とアノマにも伝えていた。
アノマは森の外へ出る事は無かったが、ドラークが話す人間達の話を聞いて、確かに自分も、人間への同族意識が消えている事が分かった。
しかし、恐らく自分はドラークと違って、今後人間と関わる事は無いだろうと考えていた。
魔法が使えればこの身を隠せたのだろうが、自分は魔法職では無いし、第一そんな魔法が込められている
だからこそ、アノマは自分よりもドラークの事を心配していた。
彼は元々善性が強い人間だった。それが異形へと変わってしまった事で、何かが変わるのではないかと不安だったのだ。しかし200年が経っても、彼は相変わらず彼のままだ。人間達に対しても、以前と変わらずに接しているらしい。
それならば多分、彼の善性は失われてはいないのだろう。
そう信じるしか、今のアノマには出来ない。
言いようのない不安を抱えたまま、更に時は過ぎていく。
そして気付けば、500年が経とうとしていた。
・
「そういえばアノマさん。実は、街で興味深い話を聞いたんですけど」
ある日、ドラークがいつものように街から戻って来ると、開口一番そんな事を言い出した。
「何ですか、その話ってのは?」
「それがですね、結構前に、アインズ・ウール・ゴウン魔導国という国が出来たらしいんです」
「アインズ・ウール・ゴウン魔導国……?」
魔導国と付くからには、魔法に力を入れている国なのだろうか。不思議そうに首を捻ると、ドラークは更に言葉を続けた。
「その国の王は、なんとアンデッドらしいんですよ」
「え⁉」
驚愕に声を上げると、ドラークも同感だとばかりに頷いた。
アンデッドと言えば、生者を憎み殺す存在。
そんな存在が王になるなんて、どれ程恐ろしい国なのかとアノマは恐怖で体を震わせた。
「そ、そんな存在が王様なんて大丈夫なんですか⁉」
焦るアノマに対し、ドラークは真剣な表情を浮かべた。
「――それがですね。とても平和的に統治しているらしんですよ」
「……は?」
嘘だろ、と叫びそうになった。
どう考えても有り得ない。
その思いが伝わったのか、ドラークは「ここからが大事です」と念を押してきた。
「実は彼、
「‼」
今度こそ、アノマは声にならない声を上げてしまった。
そんな事、信じられなかったからだ。
まさか自分達以外にも、元人間の異形がいるだなんて。
「彼の場合、膨大な魔力の暴走によってアンデッドになってしまったそうですが……種族の特性を考えると、彼が王としてきちんと国を統治しているというのは、非常に重要な事ですよ。彼は、人間性を失ってはいないという事ですから」
それはまるで、一筋の希望のように思えた。
アンデッドとは、悪魔とは違うベクトルで人間性が著しく欠如している存在だ。
そんな存在が、人間性を失わずに王として君臨している。
きっと何か理由がある筈だった。
「彼が人間性を失わずに済んでいる『何か』――それが分かれば、我々にとって非常に大きな一歩に繋がると思うんです」
グッと拳を握りしめて、ドラークは告げた。
「因みにその情報は誰から聞いたものなんですか? 街の人間がそんなに詳しく知っているとは思えないんですけど……」
「あぁ、それはですね。その魔導国から派遣されたという冒険者の方々から聞いたんですよ。話を聞いてみると、魔導国は冒険者の育成に力を入れているらしく、彼らの他にも様々な地へ送り出されているそうなんです。それにしても、彼らの話は驚きの連続でした」
ふっと複眼が何処か遠くを見つめた。きっと、そのアインズ・ウール・ゴウン魔導国を思い描いているのだろう。
「魔導国の王、アインズ・ウール・ゴウン魔導王は、多くのアンデッドを生み出し、それを国の警備に使っているそうなんです。にわかには信じ難い話ですが、全てのアンデッドは魔導王の支配下に置かれているので、暴走する事もなく、都市の治安はとても良いらしいですよ」
「凄い国ですねそれ……」
唖然として呟くと、ドラークは更に話を続けた。
「それと、魔導国は亜人のような異種族も受け入れているらしいんです。極僅かですが異形種も中にはいるとか。最近では、土地を追われてしまって保護を求めてきたゴブリン達や、食糧難で身内同士争うのを避ける為に、魔導国に救いを求めたリザードマン達が住み始めたと聞きました」
亜人も異形種も受け入れる。そんな国は今まで聞いた事が無かった。
魔導国はそれをやってのけているという事だろう。
それが如何に困難な事か、二人は理解しているつもりだ。
何せ、現状自分達はその身を隠して生きているのだから。
だが、どうやら魔導国では、そこに住む人間達が、亜人や異形種達へ一定の理解を示し、共存出来ている。
それは不可能と言われた話だった。
(これがきっと、真の平等な世界だ)
不意にドラークは、嘗てウルベルトが語った言葉を思い出した。
世界を一から作り直して、悪魔達に支配させる。
それでこそ平等な世界が出来ると彼は笑っていた。
だが、彼が本当に望んでいた平等とは、そんな世界では無かった筈だ。
それこそ魔導国のように、身分も関係無く、全ての種族が平等に暮らせる世界。それがウルベルトが願っていたものだと、ドラークは考えている。
「彼らはまだ暫く街に滞在するみたいです。せっかくですし、もう少し話を聞いておきますね」
「えぇ、是非ともお願いします!」
こうして二人は、魔導国へと想いを馳せながら夜を明かした。
翌日。
ドラークは先日の冒険者達にまた話を聞こうと街へと下りて行った。
アノマはある程度工房の掃除を終わらせてから、いつもの日課である封印のチェックを行う。
「うん、結晶に罅割れも無いし、何処かが欠けてる様子も無いな」
ドラークが書き記してくれた聖なる呪文も唱え終わった。
一先ずは大丈夫だろう。
そう判断し、再び工房へと戻ろうかと思った時だった。
「アノマさん!」
かなり焦った様子で、何故かドラークが戻って来たのである。
そのただならぬ雰囲気に、アノマは何事かと驚いた。
「どうしたんですか⁉」
「それが――」
チラッとドラークは、ウルベルトが封印された結晶へと視線を向けた。そして、小さく頭を振る。
「……街に、悪魔達が現れたんです」
「えぇ⁉」
予想外の発言に、アノマは動揺を隠せなかった。
今まであの街がモンスターに襲われたという話を、聞いた事が無かったのも大きい。
ましてや悪魔に襲撃されるだなんて。
「私は街の人々の避難と、悪魔達の撃退に向かいます。此処までやっては来ないと思いますが、念の為、それを伝えに来ました。何かあったら直ぐに
「――分かりました。私も周囲への警戒はしておきます。ドラークさんもお気をつけて!」
「はい!」
ドラークは用件を伝えると、直ぐに街へと向かって走り去っていった。
「よりによって悪魔だなんて……でも、野良の悪魔ってそんなに居なかった筈なのに」
一体何が起きているんだ?
ぞわりとした悪寒が走り、思わず身震いをしたその時だった。
「――相変わらず正義面してるだな」
ハッキリと。
あの男の声が聞こえた。
「な、」
直後、ウルベルトを封じていた結晶体が、内側から破壊されるように砕け散った。
それと同時に爆風がアノマの身を襲う。
「ッ!」
咄嗟に地面に転がり、何とか爆風の威力を抑える事は出来たが、それどころではない。
あの悪魔が、目覚めてしまったのだから。
恐る恐る顔を上げる。そこには、辺り一面に散らばった結晶の欠片を踏み潰しつつ、優雅にコチラを振り向く悪魔の姿があった。
「久し振りだな。あまのまひとつ――いや、アノマ・メアトさん?」
「ど、どうしてその名を」
震える声で問いかけると、ウルベルトは「あぁ」と笑みを浮かべた。
「お前達の会話は全部聞いていたからな。しかし傑作だったぜぇ? アイツが未だに自分の掲げた正義に縛り付けられてるってのはさぁ!」
一歩、ウルベルトはアノマに近付く。
「なぁ、何で俺が封印を解けたか、分かるか?」
「……ッ」
無駄だと思いつつも、アノマは己の大きな爪を目の前に構えてウルベルトへ視線を向けた。
「この世界にはさ、沢山の『悪』が存在する。そいつらのエネルギーってのが俺には分かるんだよ。だから、その気配を絡め取って、少しずつ、少しずつ蓄えていったんだ」
ウルベルトは己の手を空へと翳し、力強く握り締めた。
「気の遠くなるような作業だったが……復活する為には必要な事だったからな。地道に500年、それを続けてきたってワケさ」
アノマの目の前まで、彼はやって来た。
こちらを見下ろすウルベルトの瞳を見て、アノマは直観する。
彼は、全く自分を相手にしていない。
だからこうして、ベラベラと話しているのだろう。
彼に対抗できるのは自分ではない。ドラークだけだ。
「そんでまぁ、そこそこ力も溜まった事だし、封印を解こうと思ったんだ。だが、此処にはたっちさん――あぁ、今はドラークさんでしたっけ。彼もいるだろう? 彼が厄介なのは身に染みてよく分かってる。だから、どうにか暫く奴を此処から遠ざけようって考えたんだ」
「まさか、それで悪魔達を?」
封印されている状態で、そんな事が出来るのだろうか。
その疑問を、ウルベルトは直ぐに答えた。
「俺は悪魔になった事で、数々の悪魔達を召喚出来るようになった。例え封印されていたとしても、魔力さえあればそれは可能だったのさ。だから、召喚場所をあの街に設定して、後は呼び出すだけで良い」
金色の瞳が楽し気に歪む。それはまるで、闇の中にぼんやりと浮かぶ三日月のようだった。
「アイツなら絶対に助けに向かうだろう? まぁ、異形になった事で多少善性が変化しているようだったが……元々の善性が高いからな。どうやら、ちゃんと俺の思惑通り街へと向かってくれたワケだ。そしてアイツがいない今、俺はこうして無事に復活を遂げた」
ウルベルトはニタリと笑みを浮かべたまま、ゆっくりと首を傾けた。
「それにしても、なかなか面白い話を聞かせてくれたな。アインズ・ウール・ゴウン魔導国だっけ?」
「!」
ハッとしてアノマはその場を飛び退く。
次の瞬間、闇を凝縮したような巨大な複腕が、先程までアノマがいた地面を勢い良く抉っていた。
「――本当に人間が、自分とは違う存在と共存出来ると思ってんのか……?」
唸るようにそう呟いたウルベルトの表情は、様々なものが入り混じっている。
人間と違って、表情が分かりづらい山羊の顔だというのに、アノマにはそれが分かった。
恐らく自分も同じ異形だからだろう。
ウルベルトは複腕を地面から引っ込めると、苦々しげに口を開いた。
「同じ人間でさえ地位や名誉で争うんだぞ? それによる差別だって腐る程ある。そんな中で亜人や異形種と共存だなんて――信じられっかよ」
吐き捨てるようにそう言うと、ウルベルトはふわりと宙に浮かんだ。
「ウ、ウルベルトさん!」
慌てて立ち上がると、ウルベルトは複腕をアノマの目の前に突き出した。
「あのクサレ正義野郎に伝えておけ。俺が復活したってな。それと、理想は理想だ。そんなもの、叶う筈が無いと」
それだけ言うと、ウルベルトは己の後ろに
「じゃあな」
咄嗟にアノマは手を伸ばしたが、己の爪が虚しく宙を切るだけだ。
その爪の先で、ウルベルトは虚空へと姿を消したのだった。
・
その後、アノマは急いで
『――色々話し合わねばならないようですが、先ずは悪魔達を倒してからそちらに向かいます!』
「えぇ、その方が良いと思います。ウルベルトさんが何処へ消えたのか分からないですし」
あの様子なら恐らく魔導国へ向かいそうだが、まだ復活したばかりだ。何処かで力が安定するのを待ってから、行動を開始するだろう。ウルベルトの性格を考えると、その筈だとアノマは考えた。
『では、さっさとこちらは片付けます!』
そう叫んだのを最後に、
それから暫く経ち、ドラークはアノマの元に姿を現した。
その顔は、やはり焦燥感に駆られている。
地面に砕け散った結晶の残骸を、苦々しげに見下ろしながら、ドラークは口を開けた。
「遂に、目覚めてしまいましたか」
「……えぇ。どうやって目覚めたのかは、
「世界に蔓延る『悪』ですか……」
実に悪魔らしい復活の仕方だ。
そればかりは、ドラークの手でもどうしようもなかった。
「多分、ウルベルトさんは魔導国に向かうと思います。でも、まだ目覚めたばかりですし、直ぐにとはいかないでしょうけど」
不安そうにアノマがそう告げる。
「恐らくそうでしょうね。だとしたら我々がすべき事は、魔導国へ赴き、魔導王へ彼の事を伝える事でしょう」
先程までの焦燥感を消し、ドラークは力強く頷いた。
「例の冒険者の方々は、私達と共に悪魔退治に協力してくれました。彼らはまだ街にいるので、魔導国へ案内して欲しいと頼んでみます」
「彼らにウルベルトさんの事を話すんですか?」
「いえ、余計な不安を与えてはいけませんし、その事は伏せます。ただ、私とアノマさんが異形種である事は告げておきましょう。魔導国の住民なら、我々の姿を見せても問題は無いでしょうし」
それもそうだとアノマは思った。
魔導国の人間ならば、恐らく異形である自分の姿を見ても、あまり取り乱したりはしない筈だ。
「それで、一度彼らにこの森の麓まで来て貰って、アノマさんと合流させる形でどうでしょうか? そうすれば、他の人間に見られる心配はありません。彼らにだけアノマさんを見せる事になるので、心配は要らないかと」
「でも、道中は大丈夫なんですかね?」
「それも問題無いと思いますよ。魔導国では、冒険者にも亜人や異形種が混ざっているそうです。彼らの仲間という形で同行すれば、周囲に何か聞かれたとしても誤魔化せますし」
そうドラークが答えると、「でも」とアノマは疑問符を浮かべた。
「冒険者はプレートを下げてますよね。あれ、私達は持ってませんけど」
するとドラークは事も無げに言い切った。
「簡単な話です。偽造すれば良いんですよ」
「……え⁉」
まさかそんな事を言うとは思わず、アノマはまじまじとドラークを見つめてしまった。
ヘルムを被ったドラークの表情は勿論見えない。だが、きっとこのヘルムの下では、平然とした表情を浮かべているのだろうと、その声色から察せられる。
「冒険者の方々からプレートを見せて貰って、それに近い物をアノマさんが作れば良いんです! アノマさんの実力なら、それ位出来る筈ですから」
ね? と尋ねるドラークを見て、アノマは「そう、ですね……!」と言わざるを得なかった。
今までのドラークならば、いくら緊急事態と言ってもこういった偽装工作をしようとは言わなかっただろう。
ウルベルトが話していた、ドラークの善性の変化なのだろうか?
(でもまぁ、この位ならまだ大丈夫だろうし)
元々が善性の強い人間だった事で、恐らく異形となっても、そこまでそれが損なわれ無かったのかも知れない。
(念の為、様子見はしておいた方が良いかもな)
ドラークには自覚が無いようなので、自分が気を付けて見ておくべきだ。密かにアノマはそう決意した。
「では、私は彼らと話をしてきます。アノマさんは今の内に、偽プレートを作る準備をしておいて下さい。因みに彼らは
「
こんな僻地まで来る位だ。そこそこ実力はあるのだろうとは思っていたが。
「それじゃあ私は工房の方に戻ります。麓まで来たら、連絡下さい」
「了解です」
――その後、二人の異形種は魔導国へと旅立つ。
彼らがアインズ・ウール・ゴウン魔導王と接触する事で、一体何が起こるのか。
この時はまだ、誰も知る由も無かった。
あまのまひとつ→アノマ・メアト……本名:天野真一説から。天野をアノマに変えた感じです。あとはそれっぽく付けました。
たっち・みー→ドラーク・シュネーヴァイス……本名:龍巳説から。ドラークはオランダ語で龍という意味。シュネーヴァイスはドイツ語で白。純白の鎧を装備している事から、この名にしました。
原作とは全然違う名前なので、慣れないかとは思いますが、今後は世界観を踏まえこちらの名前で通します。