番外編①~神林くんは語る~
今日、どうやら亮が瓦割りをやるらしい。
先週の金曜日、練習が終わった時に郷田主将が連絡事項として伝えきた。
なんでも亮が瓦割りをすると鈴木さんから聞いた主将が見学させて欲しいと頼むと、ならばとその時にこの道場を使わせてもらいたいと、そういう話になったらしい。
私情が混じってそう話をつけてしまったことを詫びてきたけど、それ以上に、武道家として一見の価値はあるだろうから、是非、皆で見学させてもらおうと主将が話すのを聞いた皆は、特に反対することなく頷いた。
そして、その際、この事は前と同じく部員以外には話さないようにと頼まれた。
亮と同じ中学校の俺と千秋は、主将がそう言う理由はわかるけど、他の部員はそうもいかず首を傾げていた。
何故かと質問する部員に、主将は率直に亮が学校で目立ちたくないかららしいと答える。
皆、は? と言いたげに怪訝な顔をしているが、それ以上に答えた主将の方が訳がわからないと首を捻っていたのが印象的だった。
そうなるのも当たり前だよな、あの藤本さんと付き合ってるんだし。
あんな常時、輝かしいオーラを撒き散らしている人と一緒に登下校して、まったく何言ってるんだろうなって話だ。
けど、その訳わからないっぷりがひどかったせいか、部員達から「なんで?」といった声は飛ばなかった。主将が答えを知ってなさそうなのもその要因だろうな。
そして主将が、構わないだろうかと再び問うと、以前のこともあったせいか、皆反対することなく頷いた。
心のどっかでビビってるせいもあるんだろうな、女子の方は千秋が上手いことフォローしてるおかげでそうでもないみたいだけど。そもそも女子連中は亮の悪口言ってなかったしな。
男子の方は亮がもう怒ってないと聞いても、本当にそうなのかと疑っているやつがチラホラいる。
何度も言ってるんだけどな、亮がそう言ってるなら本当に怒ってないって。
主将の話が終わって、解散し、着替えてる時にまた聞いてくるやつがいたので、亮が本当に怒ってないという俺の根拠を――中学の時の話を少ししてやることにした。
亮は中学校に入学した頃からあのふてぶてしい態度は健在していて、よく絡まれていた。
と言っても、本人は絡まれてる自覚は無かったらしい。
その当時から亮と親しかった石黒くんの話によると、どう考えても、どうやっても自分に喧嘩で勝てそうに無いやつから喧嘩を売られても、一体何を考えているのかと、とにかく不思議がってたらしい。
亮の心情はどうあれ、殴り掛かられたら流石にやり返していた。殆ど反射的な形だったらしいけど無傷で返り討ちにし、呆気なく倒れる威勢だけよかった生徒。
何をしたかったのかとますます亮は首を捻っていたようだ。
その後も他の生徒に絡まれては返り討ちにし、不意打ちを受けても返り討ち。
どうやら腕力では敵わないと遅すぎる結論をだした中学生達は、逆恨みで亮の悪口を流し始めた。
この時でも亮は自分にまつわる噂を気にする様子は無かった。耳にしなかっただけなのかと思ったけど、石黒くんがそれとなく話していたらしい。
噂のせいで少し亮と距離を置くやつもいたけど、石黒くんだけはいつも亮の隣にいた。だから気にしてなかったのもあるんだろうな。
そのせいもあって石黒くんも絡まれたりしたけど、石黒くんは亮の幼馴染だけに亮の道場に通っている……いや、幼い頃から通っていたから幼馴染なのかな? どっちだったっけな、まあ、いいや。
ともあれ、小さい頃から鍛えている石黒くんは
でも、絡まれたとは言え石黒くんが喧嘩したというのは事実。先生から注意されかけたらしいけど、石黒くんは声を荒げることなく、論破して逆に注意してきた先生に謝らせたというのは、うちの学校のちょっとした伝説だ。
成績も良く、正に文武両道を体現し、眉目秀麗で優等生な幼馴染と一緒にいるせいか、亮の噂は次第に沈静化した。
結局、亮は最後まで噂に対してリアクションを取らなかった。
噂の元が誰だったのか聞いても、やっぱり変わらなかった。
そこまで男子部員達に話すと、あからさまにホッとした顔となった。
やっと信じてくれたらしい。
俺が満足していると、ふと誰かが聞いてきた。
「じゃあ、何したら怒るんだ?」
これに関してはわかってることだけハッキリと伝えた。
「亮の前で女子に暴力を振るわないことだな」
「へえー? んなの、この年でやることないけどな……もし振るったら?」
「蹴られて飛ぶな」
「へ、へえ……」
「あ、わかってると思うけど、藤本さんを傷つけたりしたら、それだけじゃすまないと思うぞ」
「……だろうな」
「あと、もう一つ、これだけは絶対にやるなって言うのがある」
「な、なんだよ、それ」
俺は出来うる限り真剣な顔で言った。
「亮の持っている食べ物を盗むな、隠すな、だ」
「? ……なんだ、そりゃ?」
「いや、中学の時にそれをやった馬鹿がいたんだよ。また逆恨みしてるやつでな、亮が体育の授業受けて外にいる時、教室に忍び込んで、本人はちょっとした悪戯のつもりだんだろうな、亮の弁当を隠したんだよ」
「ふむ、それで?」
「うん……まあ、これは色々と重なってしまったから余計ひどくなったと思うんだよな」
「ふんふん」
「亮はその日、朝稽古が遅くなって、碌に朝飯を食えずに学校に来たんだ」
「ほうほう」
「普段なら早弁したんだろうけど、タイミング悪くて出来なかったらしい」
「そりゃキツイな」
「うん、それで昼休み前の授業の体育が終わった後、亮はもう空腹でヘトヘト、ヨロヨロで飢え死にしそうな
「まあ、朝に稽古して昼まで食えなかったら確かにキツいだろうが、でも大袈裟な」
そう言って笑い合う男子達。
「まあ、そんな状態で亮は着替えもそこそこに弁当を食べようと鞄を開けたんだ」
「そこで弁当が無かった訳だな」
「うん、机周りも探して見つからず呆然とする亮に、誰かが言ったんだ『もしかして盗まれたのか?』って」
「そしたら?」
「亮が幽鬼のごとく振り返って、静かに『誰が?』って聞いたんだ、それと同時に嫌な予感がしたんだろうな、石黒くんが音を立てず教室から出てった、いや避難した」
「……ほう」
「聞かれた男子も同じように嫌な予感したようで、焦りながら『さ、さあ? でも、体育の時間に無くなったんだろ? それなら他のクラスのやつじゃないか?』って言ったんだ」
「……」
「そしたら、亮はフラフラと教室を出て……」
「……出て?」
「『誰がやりやがったー!?』って叫んで猛然と走り出したんだ、今まで碌に力出ないように見えたのに」
「まあ……そりゃ怒るよな」
「うん、実際、亮があそこまで感情剥き出しにして怒ったの見たのはあれが初めてだった」
「……んで、その後、どうなったんだ?」
「その後は……」
そこまで言って、俺は気づいた。
やばい、話し過ぎた。
目が泳ぐのを自覚しながら、俺は咳払いした。
「え、えっとだな……詳細は省かせてもらう」
「なんだよ、それ!」
「とにかくだ! 俺の口からは詳細は話せない!」
「お前、ふざけんなよ! そこまで話しといて!」
「あーちょっと待てよ! その後、亮が何をしたか詳細は省くけど、それからどうなったかだけは話す」
「ちっ……何だよ」
渋々な様子の皆に、俺は口を開く。
「そうだな、えっと……この時に亮がしたことによってだな、うちの学校ではこんな言葉が生まれたんだ」
「何だよ?」
俺は静かに頷いて言った。
「『地震、雷、火事、
「……はあ?」
いまいち、伝わらなかったらしい。
これは本来なら地震、雷、火事、おやじと、怖いものをその順に並べたものだ。
その中にうちの中学校は、亮を挟んだ。
「亮は学校から、あ、生徒会からか、災害に指定されたんだよ」
「さ、災害って、おい……」
俺の言ったことが伝わってきたのか、引きつったように笑う男子達。
「この言葉って、危ない、怖い順に並べたものってのは知ってるよな?」
「あ、ああ……」
「この言葉が学校で流れ始めた時、『いや、おやじより火事の前に入れるべきじゃないか』って、ひどく議論された」
「か、火事より危ないって、おい……」
「うん……まあ、この
「な、何だ?」
聞きたいような聞きたくないような、そんな顔で冷や汗を流す連中に俺は言った。
「桜木亮の食べ物を決して盗まない、隠さない、だ」
あんぐりと口を開ける皆に、俺は続けて話す。
「とにかくな、亮の前で女の子傷つけたり、食べ物とったりしなければ、本当にそれ以外で怒ったとこは見たことないぞ、俺は」
「お、おう……」
「それにあいつが怒ってないって言ったら、本当に怒ってないんだって、何度も言うけど」
「お、おう……」
「だから安心しろって」
俺が自信を持って伝えると皆押し黙った、かと思えば一斉に叫んだ。
「いや、出来ねえよ!?」
……だよな、やっぱり話し過ぎたか。
それから数日、余計なことさえしなければ危険の無いやつだと俺は何度も言って、部員達を宥めるハメになった。
……いや、自業自得だけど。
けど、本当に亮はさっき言ったようなこと以外で怒ることは滅多にない。誰かに絡まれても面倒くさそうにあしらうだけだった。
中学校の時でも、親しくなったやつは亮が喧嘩が強いと知っても、ビビることなく接していたし。
後は俺が稽古をつけてもらっている内に千秋も含めて仲良くなっていった話なんかを、千秋と一緒に話すと、部員達はようやく安心したような顔になった。
すると、亮につけてもらった稽古の内容なんかを聞かれたので、それも話してやることに。主将の食いつきっぷりがひどかった。
それにしても亮に稽古をつけてもらった時のことを思い返すと、本当に石黒くんには感謝しきれない。無駄に土下座と涙を重ねるところだった……。
まさかうちの焼肉の食べ放題で一発オッケーになるなんて思わなかったよ。
あ、思い出しただけで、また泣きそうになる。
「んで、どんな稽古つけてもらったんだよ、お前? ……あれ、お前もしかして泣いてねえか?」
「え、いやいや、ゴミが入っただけだって」
「? そうか、で? 桜木にどんな稽古つけてもらったんだよ?」
「ああ、そんなに複雑なものじゃないよ、ひたすら地稽古したのとあと一つ」
「ほう、桜木とひたすら地稽古か、羨ましいな」
「……いや、主将ぐらいやれたら楽しいかもですけど、当時の俺からしたら地獄でしたよ」
主将、顔近いです。
「そういや、その時のお前って、補欠だったんだよな。で、あと一つって?」
「ああ、抜き胴を練習しまくったな」
「抜き胴……? それって、お前の得意技じゃねえか」
「うん、当時、練習しまくったからね……いい手本があったし」
「いい手本……? 何を手本に……って、桜木か!」
「そう、亮がやるのを見せてもらいながら練習したんだ」
亮の動きって、羽が動いているみたいに軽くて、それでいて素早いんだよな。
何回か見せてもらった時は、その度に見惚れてしまって、亮に注意されたりした。
そんな亮の抜き胴をイメージして練習してると、自然と必要な体の力の抜き具合、入れ具合がわかってきて、早く動けるようになって嬉しくなって夢中に練習したんだよな。
思い返していると、誰かが突然叫んだ。
「ああ! そうだ、桜木が主将に放った抜き胴、何か見た覚えがあったと思ったら、お前のに似てるのか!」
「ああ……そういや、確かに俺も既視感あったの思い出したわ」
「……そうなのか?」
その亮の抜き胴を食らって外から見ていない主将だけが首を傾げる中、俺は苦笑しながら首を横に振る。
「いや、違うぞ。亮が俺のに似てるんじゃない、俺が亮のに似てるんだよ」
皆が感心した風に頷いている。
「……でも、何で抜き胴なんだ?」
「んー、当時の俺って、まあ、補欠なだけに自信とか無かった訳なんだけど、その辺のことを亮に話したら、何か一つ、これだけは絶対誰にも負け無いっていう、自信を持てるひと振りをもてって言われてさ」
「ははあ、なるほどな……いや、でも、だから何でそこで抜き胴が選択されたんだ?」
「いや、俺も練習始めてから亮に聞いてみたんだけど、なんとなく、って言われてさ」
結局教えてくれなかったんだよな、答えてる時の亮、なんか目泳がせてたから何かしら理由はあったんだろうけど、未だにわからない。
当時の疑問に思いを馳せていると、どこからかぶはっと吹き出す音が聞こえた。
「おい、どうしたんだよ、成瀬」
どうやら吹き出したのは千秋みたいだ。
「あっはっはっは!!」
何が面白いのか目尻に涙をためながら腹を抱えて千秋が爆笑している。
「なんだよ、千秋……って、お前、何か知ってるのか!?」
このタイミングで千秋が笑う当たり、きっとそうだ。
「あっはっはっは! く、苦しい……! っはっはっは!」
「ちょっ、千秋、何か知ってるなら教えてくれよ! ずっと気になってたんだよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ……あっはっはっは!」
暫く俺達は千秋の発作の如き笑いが治まるのを待った。
「はーはー、あー、面白い」
目を拭い、息を整える千秋。
「なあ、千秋、亮から聞いたんだろ? 教えてくれよ、亮が俺に抜き胴の練習させた理由」
「えー? 言っていいのかな、これ? ふふっ」
「いいってもう、結構経ってるんだし!」
俺が急かすと、千秋は「まあ、いいかー」と笑って話し出した。
「あたしもさ、将志がずっと抜き胴練習してる姿見た時、亮に聞いてみたんだよね、なんで抜き胴にしたのって」
「ああ」
「そしたら亮さ……」
千秋はイッシッシと口に手を当て、笑いながら言う。
「『ああ、あいつと稽古始める前の日にロードショーでルパン四世やっててな、その中で六衛門がシャキーンって、胴切るシーンを思い出してな……それでいいかって思って』って……で、その後に『それに抜き胴って、見かけ格好良くね?』だもん……あーもう無理!」
口にしたせいか、またも発作に襲われて爆笑する千秋。
「な、な……」
ひ、人が真剣に頼んだ稽古の内容をそんな適当に決めたなんて……! あ、ちょっと待てよ。
「じゃ、じゃあ、亮も一緒に抜き胴練習してくれてたのって……」
俺も一緒に練習するから、手本にしろよと並んで素振りしてくれたあの姿は……!
「六衛門の動きを追求してたんじゃないの? ……あっはっはっは!」
あんぐりと口を開く俺に、皆が気の毒そうな視線を向けてくる。
「ははっ……あーでも、将志、亮が一緒に抜き胴練習してた理由は遊び半分かもしれないけど、実際にやってる時は真剣だったからね、怒っちゃダメだよ」
「そ、そうは言ってもな……」
確かに並んで一緒に練習している時の亮は、時間を無駄にしたくないと言わんばかり、真剣な顔でやってた。
それに、そんな亮を手本にして練習して、自信を持てて格段に強くなれたのも確か。
文句を言うのは筋違い……なんだろうな。
「はあ……」
肩を落とす俺に、皆から慰めの言葉が飛んでくる。
「そ、そう気を落とすなよ、将志」
「そうそう、実際、お前の抜き胴ってすごいじゃないか」
「うむ。確かにな。流れるような動きで、素早く隙がない」
「俺なんて、お前の抜き胴、手本にしてやってるんだぜ……?」
「そ、そっか、ありがとう……」
引きつった笑顔で俺が礼を告げると、焦ったように質問が飛んできた。
「そ、そうだ、地稽古はどんなだったんだよ?」
「うん? ああ……あれが一番実感しにくかったよ、俺の攻撃は掠りもしないし、亮には容赦なく滅多打ちにされるし……」
一時間はノンストップでやらされて、後半は足がガクガク震えながらだったな。
「へ、へえ……」
「十手の内、一手だけでも捌くか避けるかしてみせろって言われてさ……」
「ま、まあ、桜木だったら仕方なくね?」
「だ、だよな?」
「しかも二刀流でもなくさ……やっぱ主将はすごいですよね……」
「むう……しかし、それはお前が中学の頃の話だろう?」
「ええ、まあ……でも、その時は亮も(・)中学生なんですよね……」
「む、むう……」
かける言葉がみつからない様子の主将に、俺は苦笑した。
「いや、いいんですよ。途中から五手に一手は何とか防げるようになりましたし、実際、自分でも呆れるほど強くなれたんですよね」
「ほう……」
亮と練習してる時は亮が強すぎて自分の成長が自覚出来なかった、けど――
「大会前に部員総当たりの試合やったんですよ。その時です、強くなれたと実感出来たのは……だって、亮の動きに比べたら、部のレギュラーの動きがスローモーションに見えましたからね。隙が良く見えるようになって、鍛えた抜き胴が本当アッサリと決まるようになって、そしてレギュラーになれて、自信もついたんですよね」
あの時は、こっそり誰かにドーピングでも施されたんじゃないかと思ったほどだ。
「へー、確かに桜木の動きって、速いってもんじゃなかったよな……」
「人間技じゃねえよな、あれ」
「たまに瞬間移動してるように見えたぜ、俺は」
「俺も」
「そんな桜木に稽古つけてもらったら、確かに強くなれそうだよな……」
「なあ……」
「うむ」
ソワソワし始めた部員達の中で、最近レベルアップを実感した主将が強く頷いている。
「あれぐらい強くなりてえなあ……」
誰かがそう呟くと、あちこちで同意するように頷いている姿が見える。
そうだよな、男なら誰だってあの姿に憧れるよな。
それから部の中で今まで以上に気合入れて練習に取り組む姿が増えてきた。
……俺も負けてられないな。
◇◆◇◆◇◆◇
亮が道場にやって来た。
後ろには藤本さん、山岡さん、と小路だっけな? 三人いる。
主将の案内を受けて隅の方で亮達が座る。
主将が若干落ち込んで見える。きっと亮に稽古頼んで断られたんだろうな。
女子主将の古橋さんが亮達の応対しているのを横目に練習していると、鈴木さんがやって来た。
瓦を運ぶ人員が必要だそうで、鈴木さん派の連中が嬉々として着いていった。
少ししてまた誰かやって来た。
あの三人は以前、亮に絡んだけど、何故か意気投合して仲良くなったって一時、噂になった人達だな。まあ、どう考えても亮がシメたんだろう。それで事を大袈裟にしないため、亮に脅されて亮と仲の良い振りしている、と。
うちの中学出身なら、考えるまでもなく、その結論にたどり着くはずだ。
亮が藤本さんと山岡さんに何か頼んだのか、二人が出て行くと、亮が三人に向かって声を上げた。
「お前らーこっち来い!」
うん、やっぱり、力関係がハッキリわかるな。
上級生三人が怯えてるように見える。何やらかしたんだろう……ああ、藤本さんにちょっかいかけようとしたのか。だから主将が険しい顔してたんだな。そして亮の逆鱗に触れたと……そのベクトルに怒った亮は見たことないな……いや、絶対見たくないな……さぞ恐ろしかっただろう、ご愁傷さまです。
俺と千秋以外の部員達は唖然とその光景を見てる。
噂の実態が実際はどうなのか理解したやつもいるみたいだな、どこか納得した風に頷いている。
呼ばれた三人はそそくさと亮の前まで来ると、お手本のように綺麗な正座をした。
主将がその姿を見て、感心しているほどだ。きっと亮に調教されたんだろう。あいつ、家の道場じゃ跡取りで実力も伴った師範代だし、あれでいて稽古には自分自身へも含めて厳しいしな。何回か見たことあるけど、ひどかった。俺への稽古は相当手加減してくれてたんだなって、後になってわかった。
うん、見てはいけないものを見てる気分になってしまうよな。
だって正座しているのは三年生で、それを向けられているのは二年生だしな。
てか、亮のやつ、ここでは自重するのやめるつもりだな……ここだけでなく、目立ちたくないなんてもう諦めたらいいのに。
入学前に同じ中学出身の連中との、亮が目立ってしまうのはいつかという予想が大きく外れて長く続いたのは本当に意外だった。おかげで長くとも一ヶ月で化けの皮が剥がれると賭けた俺は、千円外してしまった。三ヶ月はもつと賭けた千秋の一人勝ちだった……それでも外してるけど、一番長く予想したのが千秋だったための一人勝ちだ。一週間が一番多かったか、三日に賭けてるやつもいたな。千秋の三ヶ月なんて賭けを始めた当時は「ないわー」って笑われてたぐらいだしな。
横目で見てみると、亮と三人は何か話してるようだけど、練習しているこちらにはサッパリ聞こえない。
気にしても仕方ない、体を動かすことに集中する。
そうしている内に鈴木さん達が帰ってきて、瓦をセットし始めた。
終わると、手伝った男子は練習に戻り、鈴木さんはゆっくりと亮のいる一角へと向かい、三人の先輩の後ろに立つと、堂々と立ち聞きをし始めた。流石だな。
それから間もなくして話は終わったようで、三人は緊張から解き放たれたように足を崩した。
亮と鈴木さんと小路の三人が雑談している。
これを見ていて、最近よく聞くことを思い出した。
なんでも鈴木さん派の人が増えてきたとか。藤本さんが亮と付き合ったから藤本さん派から流れてきたんだろうということだけど、それだけじゃない。鈴木さんが可愛くなったとよく聞く。
鈴木さんは話しかけたら普通に対応してくれるけど、ちょっと近寄りがたい雰囲気がある。
あの美人具合だから仕方なしかもだけど、それが最近はそうでもないように見えるとか。
亮と話していることが多く、その時に見せる笑顔が堪らないと、熱く噂されている。同時に亮への怨嗟が増えたようだけど。
少しして藤本さん、山岡さんが帰ってきた。それぞれ手に缶ジュースを抱えている。
亮と、三年の三人に配っている。
三年の人たちがものすごく恐縮していて、藤本さんが戸惑っていた。
それから亮は古橋さんが出した茶菓子を全部平らげると、腰を上げ、瓦の前に向かった。
てか、瓦の高さ凄いな。何十枚あるんだろ、え、三十枚が二列? いくらなんでも多すぎるだろ、亮なら割るんだろうけど。
主将が皆に呼びかけて練習を中断する。
瓦から距離を置いて、盛り上がってきた部員の皆と正面に並ぶ。
どこか不機嫌な様子の亮が瓦の前に立つと、徐に藤本さんを手招きして、耳打ちし、イチャイチャし始めた。藤本さんの顔が赤く、笑顔がすごい。思わず見惚れそうになる。
いや、何やってんだあの二人。
男子からヤジが飛ぶ。鈴木さんが突っ込むと亮は表情を改めて瓦の前で構えた。
周りから固唾を呑む音が聞こえる。
ふと亮がどこかにを目を向けた。なんだろうと同じ方向に視線をやったが何もない。
改めて亮を見ると、何やら一歩後ろに下がって瓦をマジマジと見ている。何やってんだ、あいつ。
鈴木さんが俺も含めて皆が思ったことを不審に問う。
亮は瓦が割れてないか確認してたとか、次いで鈴木さんに皆の前で割れてないか確認しろと言ってきた。
瓦を運んだ連中が割れてないけどなと首を傾げている。
前に立った鈴木さんは、亮に言われて瓦へ向けてちょこんと手刀を落とした。
その瞬間のことだ。
瓦が一気に全部割れた。
皆、唖然としている。俺も同様だけど、一番驚いたのは鈴木さんだろう。すげえビクってしてたもんな。
亮のやつ何か細工しやがったな……あの鈴木さんに対してなんということを。
その瞬間の写真を藤本さんが撮ったようで、我に返り顔を真っ赤にした鈴木さんが藤本さんから携帯を奪おうとする。二人の美少女が亮を中心にグルグルとまわり始めた。
いや、すごい光景だな。亮が居心地悪そうにしているが、役得なポジションだろう。
亮が鈴木さんを宥め始めた。後ろ姿でもわかるほど怒っている鈴木さんに追及されて、亮がとうとう謝った。
その後、鈴木さんが亮の胸倉を掴み、足払いをかけた。
あ、倒れる、と思ったら亮がくるんと回って足で着地しやがった。
相変わらず身軽なやつだ。皆驚いている。技を仕掛けた側の鈴木さんなんかものすごく呆れている。
鈴木さんは亮の文句を軽く聞き流すと、帰りに亮に奢らせる約束をして、それで亮がハメたことはチャラになったようだ。
藤本さんにも追及して、何か約束をしたようだ。藤本さんがしょんぼりしている。何をするのだろうか、すごく、気になります。
それから鈴木さんが先ほどの瓦について亮に問いただす。亮の話によると、何か勁の技で瓦に割れる寸前までダメージを与えたとか。なんだそりゃ。相変わらず非常識なことをサラッと言うやつだな。てか、いつやったんだ?
改めて亮が瓦の前で構える。
掌を置こうとしたけど、何かに気付いたようになってやめる。
それから少し悩んだ様子を見せた。
うん、そりゃそうだよな。亮の腰の高さまであるし、普通にやったら手が下まで届かないだろ。
そんな今更なことに今気付いたんだろう。いや、遅いって。
それでも亮なら割るんだろうと見ていると、亮が中腰になって、手刀を瓦の上に置いた。
そして軽く息を吸う。と、亮は手を振り上げずに、そのまま手刀を落とし、ガガガガガッと破砕音を鳴らしながら瓦を割ってしまった。
――なんだそれは。
割るだろうとは思っていたが、そんなやり方で割るなんて……俺もそうだが、皆驚き過ぎて声が出ない。
そしたら亮が「あ」と声を漏らした。
気付けば、亮の手の下に瓦が一枚残っている。
亮は気まずそうにチラッとこちらを見た。
いや、そんな顔しなくても、十分に凄すぎるから。
そして亮は何気なく、残った一枚の瓦を割った。
手の動きがまるで見えず、どうやって割ったのかわからないが、多分、手刀だろうな。
そうして顔を上げた亮は、制服にかかった瓦の破片を払うと立ち上がった。
そこで山岡さんがハッとなり、その小さな手で大きな拍手を鳴らし始めた。
皆も我に返り、ぎこちなく拍手をしだした。
皆、すげえすげえと言っている。てか、すげえしか言ってないな。いや、わかるけど。
そんな中、鈴木さんが難しい顔で亮の元へ足を進め、今しがた瓦を割った亮の手を掴みあげた。
どうやら、亮の手首を心配したらしい。
ああ、そうだよな。普通、あんな形で割ったりしたら手首の方が先にいかれるもんな。うん、普通はな。
亮は普通なんて言葉とは縁遠いやつだから、もちろん大丈夫だろう。無理があるとしても、そんな無理をこんな場ではしないやつだ。
そしたら大丈夫だと安心させるためか、言葉の綾で亮が腕立て伏せをして見せることになり、亮は片手を地面につけて、軽やかに片腕で逆立ちをし、そのまま逆立ち片
呆然とそれを見る鈴木さんと藤本さん。
部員の皆もだ。本職は体操選手なんじゃねえのと囁いている。
そこから何故か、亮が宇宙人だという結論に達していた。うん、無理がないな。
一応腕立ての分類に入る腕立てを五十回終えた亮は、体を曲げて両足を地につけた。
碌に息を乱していない、これも相変わらずだな。
俺に稽古つけてくれてた時なんか、俺より動いてた癖に碌に息乱してなかったからな。
そうして、部員の皆を散々驚かせた亮は、藤本さん達と瓦を片付けると、主将や男子部員からもやっぱり稽古をつけてくれという言葉を聞こえない振りして帰っていった。
……今度、俺も頼んでみるか。