「望む政治を手に入れるためには声を上げ、行動しなければならない」。コロナ対策が賞賛されている台湾だが、その高度な施政は、市民が「行動」し続けてきた結果なのかもしれない。著書『ポラリスが降り注ぐ夜』で、ひまわり学生運動とLGBTの権利拡大の関係などを描いた作家の李琴峰さんが、台湾の市民運動の歴史を振り返る。
コロナウイルスが蔓延る中、台湾政府の対応が世界中から注目を集めている。
台湾は昨年末からいち早く中国の感染拡大に関する情報を手に入れ、世界保健機関(WHO)に報告した(「既読スルー」されたが)上で、国内でも様々な対策を矢継ぎ早に打ち出した。
水際対策の強化、対策本部の成立、感染地域から/への渡航制限、マスクの増産、マスク輸出禁止措置や実名購買制度の実施、罰則つきの対策法の立法、ITの活用など、ウイルス封じ込めの根幹となる政策は概ね1月中に実施され、その後も状況に応じて強化されていった。陳時中衛生福利部部長(厚生労働大臣相当)は毎日記者会見を開いて最新の情報を提供し、国民を安心させるよう努めている。また、文化・芸術事業従事者を含め、影響を受けた国民に対して様々な補償金を支給している。
その成果として、台湾は感染者数・死者数とも世界最低レベルにとどまり、マスク不足の状況も起きていない。3月下旬以降は1日当たりの新規感染者数が数人程度で推移しており、ゼロの日も続いた。
一方、安倍政権は初動から遅れている。対策本部を設置したのは1月末だが、会合は15分程度で終わり、専門家会議がやっと設置されたのが2月中旬だった。2月下旬に補償や支援策がないまま唐突にイベント中止要請と一斉休校要請を出すも、3月中旬までは「五輪やります!」と突っ走る。
ダイヤモンド・プリンセス号の対応で数百人も感染者を出した上で、「1、2週間が瀬戸際」という決まり文句を何度も繰り返したあげく、台湾や韓国と比較すると感染拡大を許したことは明らかで、マスク不足の事態も解消できなかった。やっとマスクを配るのかと思えばウイルス防止効果のない布マスクで、そんな「アベノマスク」2枚すらロクに配れず、小さいだの縮むだの、異物混入だのペーパーカンパニー疑惑だの、話題に事欠かない。