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更新日:2011年4月4日
日本一の茶もみ名人
小笠東地区は茶の産地として歴史の深い地域であり、お茶は郷土自慢のひとつになっています。
今では、お茶の製造は全て機械化されています。しかし、手揉み茶はお茶の製造技術の原点であり、湯を注ぐと元の茶葉の形(一針二葉)が現れます。その茶は山吹色で、手揉みならではの深い香りと味わいがあります。
川中に、茶業会の歴史の中で、手揉製茶技術者として全国的に知られた漢人恵助(本名半次郎)がいました。
嘉永4年(1851年)、川上で生まれた恵助は、13歳で製茶技術の研究を始めます。各地で勉強した後、職工40人余りを連れて、現在の静岡市梅ケ島に入り、製茶技術を伝えました。
県下各地でも製茶技術にあたり、手揉製茶技術が認められて、外人商館より「天下一品茶製所」の扁額を贈られます。そして、天下一製法を確立、さらにそれに改良を加えて、青澄流と名付けました。
また、茨城県、愛媛県や富山県などを製茶の巡回教師としてまわりました。明治35年(1902年)には、当時の農商務省より技術指導を命じられるなど、生涯を茶業発展につくし、多くの茶業組合から感謝状を受けました。
恵助は、茶の葉の持つ香りや味によって、その茶の生産地を適中させることができたという話が残っており、鋭い鑑定力を持っていたと言われています。その名声は全国に広がり、日本一の茶もみ名人として、茶業史の中に漢人恵助の名は残されています。川中の太田の谷にある半隆寺の墓地に漢人恵助の墓があります。
扁額:門戸や室内などに掲げる横に長い額
(出典:クスリンの里小笠東地区100選、小笠茶業誌)
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