沖縄女子中学生強姦殺人事件)1996年6月21日
発生拉致・監禁・強姦・窃盗・殺人事件の犯人の
通名 柳末盛と上野勝は、在日韓国人である。
在日特権で死刑を回避し釈放ありの無期判決!!
沖縄県民が忘れてはいけない名護市で18年前におこった在日韓国人による拉致監禁強姦殺人。
事件概略
1996年・平成8年6月21日午後7時頃、沖縄県名護市の農道で下校中の女子中学3年生の
I・Mさん(当時15歳)に住所不定で自称建設作業員の柳末盛(通名)(当時41歳=韓国籍
・種子島出身)と同・上野勝(通名)(当時40歳=韓国籍・網走市出身)の2人がワゴン車
(盗難車)から降りて道を尋ね、柳と上野は隙を見て、I・Mさんを無理やりワゴン車に乗せて拉致
監禁した。午後8時、国頭村の私道上で嫌がるI・Mさんに暴行し財布から200円を奪った。
この時、I・Mさんは、泣きながら命乞いをするが、柳らは笑いながら何回も暴行を繰り返した。
暴行、陵辱の限りを尽くした柳、上野はI・Mさんの顔めがけて石を何十回も振り下ろし顔を潰した。
更に紐をI・Mさんの首に巻いて絞殺し、ガードレール先の崖下に投げて逃走した。
柳と上野は沖縄全土に渡って逃走したが、犯行に使用した盗難ワゴン車が発見されたという
ニュースを知り二人は別行動で逃走することにした。柳は九州から中国地方を転々としたが、
犯行車輌窃盗で指名手配されていることを知り、12月に故郷の種子島に戻り警察に出頭した。
柳の自供で翌年の1月1日にI・Mさんの死体が発見され、12日には上野が逮捕された。
1996年12月 - 犯人の柳末盛は九州から中国地方を転々とするが、
犯行車輌窃盗で指名手配されたことを知り、種子島で出頭。
1997年1月 1日 - 柳末盛の自供で被害者の遺体が発見される。遺体は既に白骨化していた。
1997年1月12日 - もう一人の犯人 上野勝 も逮捕される。
1998年3月17日 - 那覇地裁の一審判決で無期懲役の判決(求刑、死刑)。検察側は控訴。
1999年9月30日 - 福岡高裁那覇支部の二審判決でも無期懲役の判決。
検察側は上告を断念し、無期懲役判決確定。
(刑期が定められておらず15年~25年で仮釈放)
罪もない女子中学生が強姦、強盗目的で拉致され、泣きながら命乞いしても理不尽に殺された。
この殺人鬼は死刑は嫌だと人権を盾に命乞いし無期減刑されて釈放。これでいいのかよ!!
逮捕後は供述を二転三転させ、反省の様子は見られなかったが、 殺意をもった拉致を認めた。
しかし判決は不当にゆがめられ最初から殺すつもりではなく犯行は杜撰だったと一審二審とも
無期懲役で確定した。実際に最初から殺す計画で残忍な犯行内容を供述していたのにである。
判決直後、弁護士と柳末盛は「我々の勝利だ」と笑ったらしい。
弁護士はいわゆる「人権派」で「死刑は憲法違反だ」とか被害者にあるはずのない落ち度が
あったとか常識外れなことばかり並べて判決を勝ち取ったという。
この判決後「人権派」を称するある政党や議員は死刑廃止の契機になると喜んだらしい。
「人権派」として喜んだ政党や議員は自分の愛する娘や妻がこのような事件に遭って、判決が
無期ならどう思うのか。許せるのであろうか?その身にあてがわれても判決を喜べるのだろうか。
在朝鮮人・在韓人・在中国人が水面下で暗躍している沖縄では、そのマスメディアによるミスリード
により在沖米軍人犯行説が流布されたが、目撃証言で米軍人犯行ではないと判明後はダンマリ。
自転車に乗るI・Mさんに白いワゴン車から降りてきた男2人が近づき車へ押し込めたのを、近所の
男性が目撃し現場へ駆けつけるが間に合わなかった。すぐに警察へ通報し、沖縄県警は緊急配
備を敷くもI・Mさんの行方は発見できず、8日後には公開捜査で広く情報を求め、異例の捜査本部
を設置。住民らも捜索を行い、当時の太田沖縄県知事も会見で情報を求めた。
一方犯人である在日韓国人の2人は犯行後国頭村のビーチで遊んだ後、辺戸岬の山中にワゴン
車を隠し、100キロもの道を歩いて那覇市内へいくが、犯行に使用した盗難ワゴン車が発見され
た事をニュースで知り、その後別行動で逃走をはかる。上野は県内に残り、柳は本土へ渡るが、
犯行車輌窃盗で指名手配されていることを知ると種子島で出頭。同事件を自供し、柳の供述に
よりI・Mさんの白骨化した遺体が発見された。遺体の首にはロープがかかったままで、カバンなど
が散乱していた…上野も翌9年1月に浦添市内の市営球場で野宿している所を逮捕された。
この事件の犯人逮捕記事、解決後の裁判や経過など、県内二紙及び他県内マスメディアは
記録として残し伝えていません。在日韓国人の犯行を知られたくないので、過去の詳細記事
も削除しております。あたりさわりのない記事及び在日米軍関連事件として誤解を誘う記事
へ誘導する報道をしております。
発生拉致・監禁・強姦・窃盗・殺人事件の犯人の
通名 柳末盛と上野勝は、在日韓国人である。
在日特権で死刑を回避し釈放ありの無期判決!!
沖縄県民が忘れてはいけない名護市で18年前におこった在日韓国人による拉致監禁強姦殺人。
事件概略
1996年・平成8年6月21日午後7時頃、沖縄県名護市の農道で下校中の女子中学3年生の
I・Mさん(当時15歳)に住所不定で自称建設作業員の柳末盛(通名)(当時41歳=韓国籍
・種子島出身)と同・上野勝(通名)(当時40歳=韓国籍・網走市出身)の2人がワゴン車
(盗難車)から降りて道を尋ね、柳と上野は隙を見て、I・Mさんを無理やりワゴン車に乗せて拉致
監禁した。午後8時、国頭村の私道上で嫌がるI・Mさんに暴行し財布から200円を奪った。
この時、I・Mさんは、泣きながら命乞いをするが、柳らは笑いながら何回も暴行を繰り返した。
暴行、陵辱の限りを尽くした柳、上野はI・Mさんの顔めがけて石を何十回も振り下ろし顔を潰した。
更に紐をI・Mさんの首に巻いて絞殺し、ガードレール先の崖下に投げて逃走した。
柳と上野は沖縄全土に渡って逃走したが、犯行に使用した盗難ワゴン車が発見されたという
ニュースを知り二人は別行動で逃走することにした。柳は九州から中国地方を転々としたが、
犯行車輌窃盗で指名手配されていることを知り、12月に故郷の種子島に戻り警察に出頭した。
柳の自供で翌年の1月1日にI・Mさんの死体が発見され、12日には上野が逮捕された。
1996年12月 - 犯人の柳末盛は九州から中国地方を転々とするが、
犯行車輌窃盗で指名手配されたことを知り、種子島で出頭。
1997年1月 1日 - 柳末盛の自供で被害者の遺体が発見される。遺体は既に白骨化していた。
1997年1月12日 - もう一人の犯人 上野勝 も逮捕される。
1998年3月17日 - 那覇地裁の一審判決で無期懲役の判決(求刑、死刑)。検察側は控訴。
1999年9月30日 - 福岡高裁那覇支部の二審判決でも無期懲役の判決。
検察側は上告を断念し、無期懲役判決確定。
(刑期が定められておらず15年~25年で仮釈放)
罪もない女子中学生が強姦、強盗目的で拉致され、泣きながら命乞いしても理不尽に殺された。
この殺人鬼は死刑は嫌だと人権を盾に命乞いし無期減刑されて釈放。これでいいのかよ!!
逮捕後は供述を二転三転させ、反省の様子は見られなかったが、 殺意をもった拉致を認めた。
しかし判決は不当にゆがめられ最初から殺すつもりではなく犯行は杜撰だったと一審二審とも
無期懲役で確定した。実際に最初から殺す計画で残忍な犯行内容を供述していたのにである。
判決直後、弁護士と柳末盛は「我々の勝利だ」と笑ったらしい。
弁護士はいわゆる「人権派」で「死刑は憲法違反だ」とか被害者にあるはずのない落ち度が
あったとか常識外れなことばかり並べて判決を勝ち取ったという。
この判決後「人権派」を称するある政党や議員は死刑廃止の契機になると喜んだらしい。
「人権派」として喜んだ政党や議員は自分の愛する娘や妻がこのような事件に遭って、判決が
無期ならどう思うのか。許せるのであろうか?その身にあてがわれても判決を喜べるのだろうか。
在朝鮮人・在韓人・在中国人が水面下で暗躍している沖縄では、そのマスメディアによるミスリード
により在沖米軍人犯行説が流布されたが、目撃証言で米軍人犯行ではないと判明後はダンマリ。
自転車に乗るI・Mさんに白いワゴン車から降りてきた男2人が近づき車へ押し込めたのを、近所の
男性が目撃し現場へ駆けつけるが間に合わなかった。すぐに警察へ通報し、沖縄県警は緊急配
備を敷くもI・Mさんの行方は発見できず、8日後には公開捜査で広く情報を求め、異例の捜査本部
を設置。住民らも捜索を行い、当時の太田沖縄県知事も会見で情報を求めた。
一方犯人である在日韓国人の2人は犯行後国頭村のビーチで遊んだ後、辺戸岬の山中にワゴン
車を隠し、100キロもの道を歩いて那覇市内へいくが、犯行に使用した盗難ワゴン車が発見され
た事をニュースで知り、その後別行動で逃走をはかる。上野は県内に残り、柳は本土へ渡るが、
犯行車輌窃盗で指名手配されていることを知ると種子島で出頭。同事件を自供し、柳の供述に
よりI・Mさんの白骨化した遺体が発見された。遺体の首にはロープがかかったままで、カバンなど
が散乱していた…上野も翌9年1月に浦添市内の市営球場で野宿している所を逮捕された。
この事件の犯人逮捕記事、解決後の裁判や経過など、県内二紙及び他県内マスメディアは
記録として残し伝えていません。在日韓国人の犯行を知られたくないので、過去の詳細記事
も削除しております。あたりさわりのない記事及び在日米軍関連事件として誤解を誘う記事
へ誘導する報道をしております。
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