[ロンドン発]感染症数理モデルは集団免疫理論に基づいています。しかし新型コロナウイルスに感染して抗体を持つ人が一定程度、増えれば、そうした人たちが壁になって流行は本当に終息に向かうのでしょうか。
テレビでもすっかりお馴染みになった免疫学の第一人者である大阪大学免疫学フロンティア研究センターの宮坂昌之招へい教授にテレビ電話を通じて質問してみました。
木村:加藤勝信厚生労働相が15日、献血された血液で新型コロナウイルスの抗体を調べたところ陽性率は東京都の500検体で0.6%、東北6県の500検体では0.4%だったと明らかにしました。
大規模抗体調査を来月から実施するそうですが、どんな意味を持つのでしょう。
宮坂氏:使われたキットがどこのものか公表されていません。抗体検査キットの中には精度も感度も悪いものがあります。今回の陽性率はかなり低く出ており、解釈が難しいと思います。
最近出た論文では14種類の抗体検査キットを調べた結果、満足に使えるのは3つだけでした。つまり抗体検査キットは今の段階では精度も感度も非常に悪い。陽性率が高く出てしまうキットは鼻風邪コロナを引っ掛けてしまう。
陽性率が低く出過ぎるのは感度が悪いのと、新型コロナウイルスの場合は免疫のでき方が非常に悪いことが関係しています。抗体がなかなか上がって来ないし、量も少ない。
これまでに出た論文で抗体のでき方と病気の重症率が調べられています。もし、良い抗体(善玉抗体)だけがつくられていれば、抗体の出現、増加とともに重症化率は下がらないといけないはず。
ところがこの病気では多くのケースで抗体の量が増えているのに重症化率も上がっています。一方、抗体の量が少ないのは軽症の人たちです。
抗体の中には少なくとも3種類のものがあります。善玉抗体と悪玉抗体と役なし抗体です。SARS(重症急性呼吸器症候群)や MERS(中東呼吸器症候群)では善玉抗体とともに悪玉抗体ができることが報告されています。
ネコのコロナウイルスのワクチンでは開発途中に悪玉抗体ができて病気が悪くなったという例もあります。HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の場合には全てできる抗体が役なし抗体で、抗体がいくらできてもウイルスを殺してくれません。
こういう役なし抗体も新型コロナウイルスではできています。ですから単に抗体の量だけを見ても、本当にどの程度、正しい免疫ができたのか、よく分かりません。
じゃあ善玉抗体だけ測ればいいじゃないかという方法があります。
中和抗体測定法がそれです。試験管の中で培養細胞にウイルスをかける時にそこに抗体を共存させたならばどのぐらい感染が抑制されるか、ウイルスの感染度を中和する能力を調べる検査があります。
この測定法はバイオセーフティーレベル3のところでないとできません。培養細胞を持っていてウイルスを培養しているところでしかできません。普通の検査機関ではできません。
普通の検査機関では単にウイルスと結合する抗体の量だけを測っています。新型コロナウイルスの場合は3種類全ての抗体ができているのではないかとみられています。抗体検査キットにはそういう問題があります。
抗体の量だけ測って、機能は測っていません。
HIVの場合は抗体をつくることができても役なし抗体ばかりなので、ワクチンはまだできていません。新型コロナウイルスでも、こういうことが起こり得ます。
今まで見ているところでは、新型コロナウイルスは抗体のつくり方が弱くて、タイミングも遅い。抗体だけ測っていて良いのかということになってきます。
抗体検査による陽性率は、誰が測定するのか、サンプルの保存の仕方にもよります。PCR検査の陽性率から見ると、東京では10%を切っています(筆者注:累計で東京9.5%、日本全国6.9%)。
あれほどPCR検査を実施しているドイツで陽性率は6%ぐらい(筆者注:5.6%)です。100人で6人ぐらいです。このことを考えると、おそらく東京でも感染者は100人に数人かそれ以下でしょう。
ただし、抗体で見るともう少し高く出てくる可能性はあります。というのは、今の抗体検査キットでは鼻風邪コロナも引っ掛けてきてしまう可能性があるからです。どうも、出てくる数字はあまり信用できなさそうです。
一方、つい最近スイスのロシュが出した抗体検査キットは感度99%です。精度も高いので、そういうのを使うと、今の社会で何%ぐらい感染したのかが分かると思います。
フランスで調べたら4.4%しか感染していなかった、最も感染が広がっていたパリでも9~10%だったというパスツール研究所の報告が出ています。スペインでも5%だったそうです。
どの抗体検査キットを使ったのか、感度がどのくらいなのかという問題はありますが、メディアはわずか数%しか感染していなかった、やはりこのウイルスは集団免疫をつくりにくいんだという論調でした。
どうも、このウイルスは免疫を起こす力が非常に弱いし、起こっても遅い。抗体だけを見ていると、判断が非常につきにくい。
今まで集団免疫は、獲得免疫の、しかも抗体というパラメーターだけを見て判断していましたが、私は、それは間違っているのではないかと思っています。
ウイルスに対するからだの防御というのは、獲得免疫だけが規定しているのではなくて、われわれの免疫は自然免疫と獲得免疫の2段構えになっています。
自然免疫が強かったら獲得免疫が働かなくたってウイルスを撃退できる可能性があります。
自然免疫だけでウイルスを撃退することもあるから、抗体の量や陽性率だけを見ていても集団免疫ができているかは判断できない可能性があります。今回はそういうことが起きているのかもしれません。
木村:人間と家畜を比べるのはふさわしくないのかも分かりませんが、恐ろしいのは口蹄疫の教訓です。
英国では新型コロナウイルス対策の感染症数理モデルをつくるインペリアル・カレッジ・ロンドンのニール・ファーガソン教授のモデルに基づき、口蹄疫対策で650万頭もの家畜が殺処分にされました。
口蹄疫ウイルスも変異を繰り返しており、ワクチンは万全ではありません。新型コロナウイルスの致死率はそれほど高くはないものの、経済的・社会的・政治的コストは計り知れません。
悪夢のシナリオに備えなければならないように思えるのですが。
宮坂氏:問題は、集団免疫に対する考え方です。これは「特定の集団の何割が免疫を得たら感染流行が収まるか」を計算するものであって、もし免疫がなかったら何割死亡するのかということを示すものではありません。
そこが間違って使われていると私は思います。
新型コロナでは基本再生産数(Ro)が2.5だとすると、集団免疫閾値は(1-1/2.5)x100 = 60%となり、6割の人が免疫を保持することが流行を止めるために必要であることが示唆されます。
ただし注意すべきなのは、この場合、一般的には「免疫」とは抗体ができることを指していて、「獲得免疫」のことであるというのが暗黙の了解となっています。
しかし、個体レベルではウイルスに対する防御は2段構えであって、自然免疫と獲得免疫がウイルス排除に関与します。
もし自然免疫がうまく働けば、少数のウイルス粒子が侵入してきても自然免疫だけでウイルスを排除できる可能性があります。つまり獲得免疫が働かなくてもウイルスは排除できる可能性があります。
実際、最近の研究結果から、自然免疫はさまざまな刺激によって訓練され、強化されることがわかっています。
例えば、結核ワクチンであるBCGは結核菌に対する免疫だけでなく、一般的な細菌やウイルスに対する反応能力を上げることが指摘されていて、その作用機序として、BCGが自然免疫を強化・訓練することが示唆されています。
その可能性を示すものとして、オランダの研究グループがBCG接種後に生ワクチンである黄熱病ワクチンを投与してその後に出現する一過性ウイルス血症の頻度を調べています。
BCG接種により(獲得免疫の関与なしに)ウイルス血症の出現率が有意に下がったことが示され、自然免疫が訓練・強化されていると、獲得免疫が働かなくともウイルスに対する生体防御が起こることが示唆されています。
つまり、集団免疫のことを語る際には、獲得免疫のことだけではなくて、個人レベルで働く自然免疫と獲得免疫の両方を考慮に入れる必要があると思われます。
新型コロナウイルスの場合、上に述べたように「6割程度の人が免疫を保持することが流行を止めるために必要である」と信じられていますが、実際にそうなっているでしょうか?
例えばこれまで激しい流行があった中国湖北省武漢市でも、またクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」でも感染した人は全体の2割程度でした。集団の6割も感染をするようなことは観察されていないのです。
その理由は大きな流行が始まると、人は隔離措置をとり、接触制限をするようになるからで、それとともに上記の基本再生産数が小さくなるのです(これを実効再生産数と言います)。
接触制限によってR値が1.2まで下がると、上記の公式で集団免疫閾値は20%以下(筆者注:16.7%)となります。これが、実際に武漢市やダイヤモンド・プリンセスで起きていたことではないかと私は考えています。
つまり、一部の人たちは自然免疫と獲得免疫の両方を使って不顕性感染の形でウイルスを撃退したのかもしれませんが、かなりの人たちは自然免疫だけを使ってウイルスを撃退した可能性があるのかもしれないということです。
そのために多くの人は感染が成立する前にウイルスを撃退したという可能性です。
これについては感度、精度の高い抗体測定キットが出てくると、何割の人が本当に抗体を獲得したか(感染したのか)が分かるようになると、この考え方が妥当性であるか、判断できることになるでしょう。
次に、この集団免疫の考え方を援用して言われてきたのが「われわれはこのウイルスに対して免疫を持たないので、無防備の状態で感染が広がると集団の中の60%ぐらいの人たちが感染するであろう」ということです。
実際、イギリスのファーガソン教授もスウェーデンの疫学者アンデシュ・テグネル氏も、さらには厚生労働省クラスター対策班の北海道大学大学院、西浦博教授もこの数字を挙げていました。
しかし、私はこの仮定は違うと思います。前述したように、このようなことは武漢市でもダイヤモンド・プリンセスでも起こってはいません。これはスペインでもイタリアでも起きていません。
大きな感染症の時には人は必ず都市封鎖などの強い交通制限策をとるので、感染は抑制され、これとともに実効再生産数が下がるからです。そして予想よりもずっと低い集団免疫閾値に落ち着くのです。
特にこのウイルスが起こす免疫はあまり高くなく、持続も短いようなので、免疫学者の目から見る限り、集団の60%もが免疫を獲得するような状況は、余程良いワクチンが出てこない限り起こり得ないでしょう。
ウイルスに出会わなかった可能性は否定できません。しかし都市封鎖や社会的距離が導入される前からウイルスは広がっています。
それでもファーガソン教授や西浦教授が言っているような何も対策をとらなければ集団の6割が感染してしまうというような状況は起こっていません。
私は西浦教授の理論自体は正しいと思っているのですが、「このウイルスは何も対策を立てないと人口の6割が感染して何十万もの人が死ぬかもしれない」という前提は間違っていると思います。
どちらが正しいかどうかは良い抗体検査キットが出てくると、本当に感染した人が2割だけだったのか分かります。
集団免疫を獲得すればこの感染症を克服できるとファーガソン教授が言ったのは結局、間違っていたと私は考えています。それを示すことに、スウェーデンは外出制限を厳しくせずに北欧の中で断トツに多い人口100万人当たりの死者を出してしまいました。
【人口100万人当たりの死者数】
ノルウェー 43人
フィンランド 53人
デンマーク 93人
スウェーデン 361人
集団免疫閾値はこの新型コロナウイルスの場合、60%は成立しない。たぶん良くて20%だと思います。2割だったら今後ワクチンができてくると確実にそこは到達できると思います。
ナチュラルな状況で人が感染して治るという状況だと、おそらく毎年、このウイルスにお付き合いすることになると思います。
宮坂昌之氏
1947年長野県生まれ、京都大学医学部卒業、オーストラリア国立大学博士課程修了、スイス・バーゼル免疫学研究所、東京都臨床医学総合研究所、1994年大阪大学医学部バイオメディカル教育研究センター臓器制御学研究部教授、医学系研究科教授、生命機能研究科兼任教授、免疫学フロンティア研究センター兼任教授。2007~08年日本免疫学会長。現在は免疫学フロンティア研究センター招へい教授。新著『免疫力を強くする 最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ』(講談社)。
(つづく)