国政において、全員が納得するまで、よく話しあって、その上でどう対処するか決めることを民主主義という、と述べているので、びっくりしてしまったことがある。
それは全体主義じゃないの?と述べると、きょとんとしている。
ネット上のことで、ほんとうをいうと顔が見えないので、きょとんとしている、は適切でないが、なんだか、そんな様子がうかがわれる。
全員が納得するまでとことん話しあう民主主義、というが、そもそも全員が納得するというのは、決定の場には、めいめい考え方や利害が異なる個人が集まっているのだから、COVID-19の蔓延なら蔓延という現実に対処できないのは明らかであるとおもうが、そっちのほうは、どうも「明らかである」とは考えないもののようです。
個人主義社会では「全員が納得する」unanimousな事態は例外に属する。
もし、多少の議論を経ても毎度毎度全員一致の結論が出る社会が、職場という小社会にしても国家にしてもあるとすれば、それは参加者がもともと同質性が強い天然全体主義社会とでもいうべき社会をなしているからでしょう。
あるいは全体の趨勢を読んで納得したふりをしているわけで、なんのことはない、かつてのナチのドイツ、いまの中国や北朝鮮とおなじ独裁社会そのものです。
日本は、大変つらい民主主義の歴史を持っている。
戦争に負けて、アメリカという国家からですらない、アメリカ占領軍に強制された民主主義です。
ここまで慣例にしたがって民主主義という言葉を使っているが、考えてみればすぐに判るとおり「民主主義」というのは実体がない、なんだかヘンテコな言葉で、民主制や自由主義はありえても、「民主主義」は気分語でしかありえない。
主義として民主であろうとしても、なんの意味もないからです。
でもまあ、固いことを言わずに、ここでは、日本の人がなれた言葉の「民主主義」でいこう。
衆愚、という。
誰にでもわかる考え、というのは通常、近視的で洞察を欠いている。
特に「大衆はバカだ」と述べているわけではなくて、日本でいえば例えば「七博士意見書」というものがあって、これは当時では叡知の殿堂そのものであるとみなされていた帝国大学の、七人の博士たちが政府に「はやくロシアと戦争を始めろ」と強硬に迫った、おっそろしい建言です。
言うまでもなく当時の「博士」は世俗的な権威がある存在で、号はとってみたものの、ポジションがなかったので、オックスフォードから、わざわざ地球の反対側のクライストチャーチまでやってきてリンゴ拾いをしていたりする現代のPhDとは到底同列に語ることはできない。
自分の学寮と名前がおなじだからといって、あたたかく受け入れてもらえるとおもっては困るのです。
なんちて。
この「七博士意見書」は明治大衆に、やんやの喝采で迎えられた。
ほれみろ、頭のいい博士たちだって「早くロシアと戦争を」と言っているではないか、くよくよ迷ってないで、イッパツやっちまおうぜ。
周知のとおり日露戦争で「勝った」というのは言葉の綾のようなもので、もともとドイツのケーハク皇帝にそそのかされた気の良いロシア皇帝が気まぐれに始めて、のっけから後悔した戦争で、やる気のない戦争でロシア軍が必ずやる「戦線後退補給集結」を繰り返しているあいだに、イギリスのメディアが「勝った勝った日本が勝った」と嫌がらせのような報道を連日繰り返して、腐り切っていたところにツシマで、これは世界中が茫然となるような正真正銘の完勝を日本海軍が果たして、この海戦におけるたったの一勝で、ロシア皇帝はやる気をなくしてしまった。
なんのことはない、なにしろ日本などは軍事おばけの非力な小国にしか過ぎなかったので、ロシア軍が、ほんのちょっとでも反転して、どこかの小戦線で攻勢に出れば、そのまま日本は国家ごと瓦解したが、ロシアは後半はあれほど気の良い皇帝みずからが「黄色い猿」と呼ぶようになっていた日本人たちに顔に泥を塗られた恥ずかしさと悔しさで、戦争が嫌になってしまって、放り出して、なかったことにした。
そういう経緯なので、ほんとうはロシアとの戦争は、これから国の近代をスタートさせようとしていた日本にとっては重大な判断ミスだった。
満州と朝鮮半島が生命線だ、とこのあとも続く日本人全体の判断は、落ち着いて考えれば根拠がなくて、ずっとあとで「貿易立国」を主張して狂人あつかいされた石橋湛山と政敵たちとの議論を読めばわかるとおり、つまりは国家としての自信がなかったので、満州と朝鮮というもともとは人のものである「領土」をとって、いわば強盗した冨で国を運営するほかはない、あんたはイギリス人か、な非道な国家経営方針にしがみついて、それだけが日本の生きる道だと、国民全体が信じていた。
そのほとんど直截の結果が、年柄年中GDPの70%から80%に達するというとんでもない軍事費をかけた戦争国家の成立であり、ちゃんと賞味期間が存在する兵器の性質に従って、年柄年中戦争を起こして、挙げ句のはてには、世界中の国を怒らせて、1945年には石器時代にもどされた、と表現される瓦礫の山の国土に、悄然とたちつくすことになっていきます。
ところで、ここまでの歴史を「軍部の暴走」と表現することを日本の人は好むが、なんのことはない、いまと変わらない、国民の「戦争やろうぜ」の要望が国を突き動かしていたので、いまの日本の社会が民主社会ならば、戦前の日本社会も、また十分に民主社会だった。
民主制社会ではマスメディアがおおきな役割を担っている。
いまの英語世界に目を転じると、ふつうの、特に政治に関心があるわけでもないオーストラリアのおっちゃんやおばちゃんは、アメリカやイギリス、カナダ、インド、香港、…の新聞にオンラインで目をとおしている。
典型を述べれば、講読を申し込めばウォールストリートジャーナル(WSJ)もただになるThe Australianを有料購読して、The AustralianとWSJを毎日、バタとベジマイトを塗ったトーストを食べながら読んで、午後のヒマを持て余した時間にはデイリーメールやテレグラフも読む、というくらいでしょう。
そうやってボリスが古典にかぶれたオオバカをぶっこいていたり、ビヨンセが結婚するまで処女だったことを知ってタメイキをついたりしている。
戦前の日本では「戦争はやらないにこしたことはない」という記事が出ると、その新聞は売り上げが激減した。
「どんどん戦争をやって、がんがん中国人を殺しちまうべ。
全部やっちまえば、中国人の土地はおれたちのものではないか」という記事を書くと、売り上げが爆発的に述べた。
なにしろGDPの半分以上は必ず軍事に行ってしまうお国柄で、戦争をやらなければビンボなだけなので、「あるものは使おう」ということだったのでしょう。
ほぼ国民が一致して戦争をやることは良いことだと信じていた。
それが衆愚にすぎないのがわかったのは、戦争にボロ負けして、食うや食わずの数年が終わったあと、来し方をふり返る余裕がやっと出来て、峠で過去を振り返った、やっとその時でした。
日本人は、そのとき、全体主義よりももっと恐ろしいもの、「誤解された民主主義」こそが自分たちを、あそこまで徹底的に破滅させたものの正体だと気が付くべきだった。
COVID-19では自由社会で基本的人権から始まって、個人の天賦、人賦の権利が当然のように守られている社会ほど、国民の私権の制限が速やかにおこなわれた。
簡単にいってしまえば「首相」や「大統領」や「議長」の一存で、移動の自由のような、ごくごく基本的な権利が制限された。
それはなぜかというと国民が信頼していたものが「民主主義」ではなくて「民主制」という手続きの堅牢さであったからです。
緊急時には自分たちが民主制の手続きにしたがって択んだリーダーが、毎日の決断を次々にくだして、それに従って行動する。
緊急な事態が切り抜けられて、そこで初めて批判が起こり、ロックダウンの法的根拠や、補償の額の妥当性への批判が起こる。
ニュージーランドでいえば、収入を失った国民やスモールビジネスに補償を支払いすぎで、いったいなんでそんなにオカネを払ったんだ、ビンボ国なのに、と議論の真っ最中です。
おかげで、すんごい借金ができちったでないの。
民主制が欠陥だらけの、いわばオンボロ制度で、まったく良いものではないのは発達した民主社会の国民ほど、よく知っている。
世にもダメな制度で、民主制の国の国民は年中愚痴ばかりこぼしている。
あの野党のブリッジスのチンコ頭はいったいなんなんだ。
いったいなにをどうしたらトランプのCOVID政策にも良いところがあるなんて言えるんだ。
ジョン・キーがトランプとおなじゴルフチームに入って喜んでいるのを見て、おいらは泣きたかったぜ。
ジャシンダはジャシンダで、いったい経済回復をどう考えているのか。
このままじゃ国ごとオシャカになりかねない。
民主制が世にもサイテーな制度であるのは、当の民主社会の人間がいちばんよく知っている。
じゃ、なんで民主制やってるの?
コンジョがないの?
それともバカなんですか?
答えはいろいろな人がおなじことを述べていて、「民主制よりマシな政体がないから」です。
多分、国権国家という存在自体が道理にかなっていないせいで、デッタラメといいたくなるポンコツ制度の民主制が、おどろくべし、他の政体よりはマシであることを、少なくとも西洋の人間は歴史的経験を通じて知っている。
いままた歴史的な試練がやってきているが、そこまで書くと記事ではなくて一冊の本になってしまう。
オンボロシステムである民主制が日本において特に機能しないのは、日本文明の特性によっていて、見ていると、そもそも日本の人には「起きてから寝るまでわがままでいたい」という自由への欲望がない。
民主制はもともとオンボロなりに採用されているのは、国民ひとりひとりが強烈にわがままで、やりたいことを、やりたい放題にやる欲求をもっていて、その個人の内奥から来る圧力を調整する圧力得制御弁の役割を中心にしているのに、日本の人にはそもそも個人の自由への渇望というものが存在しない。
日本の人のおおきな美点は内省的であることだとおもうが、日本人の場合は、個人の奥底から社会に向かう「なんで、やりたいことがやらせてもらえないんだああああ」という欲望のベクトルがないもののようで、自分の内側で、ぼそぼそと自分自身と相談して、まあ、みんなとおなじようにしたほうがいいよね、と個人の身内で解消してしまうもののようでした。
別に民主主義などはなくても、あんまり困らない国民性に見えます。
ところが1945年以来、民主主義をやらなければならないことになっているので、投票率に端的にあらわれているように、民主制そのものが機能しなくなってしまった。
民主制は、ダメ制度なので、選挙だけで機能するほどちゃんと出来ていないので、なにごとかがあれば国民が通りに出て、百万人というような単位で通りを埋めることになる。
それでも政府が動かなければ、社会がぶっ壊れるリスクを冒して、石を投げ、覆面をして火焔瓶を投げつける。
そういう個人が国家という何千トンという巨大な岩を素手で動かす努力が「民主主義」の一面なので、その行動に自分を駆りたてる自由への欲望をもたない人間ばかりの社会では民主制は絶対に成り立たない。
誤解された民主主義は必然的に国家社会主義者の擡頭をまねくので、その結実が現在の安倍政権なのだということでしょう。
日本のひとたちの奮闘を眺めていて、その(そういう言い方は失礼だが)健気さに触発されて、とつおいつ書いているうちに、ブログ記事としては長くなって、書いている本人も、午前4時半で、眠くなってきたので、続きは、次にしたいとおもうが、いまは「戦後民主主義」と名前がついた民主制の衰退であるよりは、ようやっと日本にも自覚的に「自分は自由でいたいのだ」と感じる人が増えて、自分たちが「民主主義」という名前で教わってきたものが日本型の全体主義に他ならないことを漠然と感じ始めた「自由社会のはじまり」なのだと感じています。
だから、ほんの少しでも足しになるように、よそものの目に映る、いまの日本の「民主」社会を、何回かに分けて書いてみようと考えました。
では。
また。