日本人と民主主義 その1

国政において、全員が納得するまで、よく話しあって、その上でどう対処するか決めることを民主主義という、と述べているので、びっくりしてしまったことがある。

それは全体主義じゃないの?と述べると、きょとんとしている。
ネット上のことで、ほんとうをいうと顔が見えないので、きょとんとしている、は適切でないが、なんだか、そんな様子がうかがわれる。

全員が納得するまでとことん話しあう民主主義、というが、そもそも全員が納得するというのは、決定の場には、めいめい考え方や利害が異なる個人が集まっているのだから、COVID-19の蔓延なら蔓延という現実に対処できないのは明らかであるとおもうが、そっちのほうは、どうも「明らかである」とは考えないもののようです。

個人主義社会では「全員が納得する」unanimousな事態は例外に属する。
もし、多少の議論を経ても毎度毎度全員一致の結論が出る社会が、職場という小社会にしても国家にしてもあるとすれば、それは参加者がもともと同質性が強い天然全体主義社会とでもいうべき社会をなしているからでしょう。

あるいは全体の趨勢を読んで納得したふりをしているわけで、なんのことはない、かつてのナチのドイツ、いまの中国や北朝鮮とおなじ独裁社会そのものです。

日本は、大変つらい民主主義の歴史を持っている。

戦争に負けて、アメリカという国家からですらない、アメリカ占領軍に強制された民主主義です。

ここまで慣例にしたがって民主主義という言葉を使っているが、考えてみればすぐに判るとおり「民主主義」というのは実体がない、なんだかヘンテコな言葉で、民主制や自由主義はありえても、「民主主義」は気分語でしかありえない。
主義として民主であろうとしても、なんの意味もないからです。

でもまあ、固いことを言わずに、ここでは、日本の人がなれた言葉の「民主主義」でいこう。

衆愚、という。

誰にでもわかる考え、というのは通常、近視的で洞察を欠いている。
特に「大衆はバカだ」と述べているわけではなくて、日本でいえば例えば「七博士意見書」というものがあって、これは当時では叡知の殿堂そのものであるとみなされていた帝国大学の、七人の博士たちが政府に「はやくロシアと戦争を始めろ」と強硬に迫った、おっそろしい建言です。

言うまでもなく当時の「博士」は世俗的な権威がある存在で、号はとってみたものの、ポジションがなかったので、オックスフォードから、わざわざ地球の反対側のクライストチャーチまでやってきてリンゴ拾いをしていたりする現代のPhDとは到底同列に語ることはできない。

自分の学寮と名前がおなじだからといって、あたたかく受け入れてもらえるとおもっては困るのです。

なんちて。

この「七博士意見書」は明治大衆に、やんやの喝采で迎えられた。

ほれみろ、頭のいい博士たちだって「早くロシアと戦争を」と言っているではないか、くよくよ迷ってないで、イッパツやっちまおうぜ。

周知のとおり日露戦争で「勝った」というのは言葉の綾のようなもので、もともとドイツのケーハク皇帝にそそのかされた気の良いロシア皇帝が気まぐれに始めて、のっけから後悔した戦争で、やる気のない戦争でロシア軍が必ずやる「戦線後退補給集結」を繰り返しているあいだに、イギリスのメディアが「勝った勝った日本が勝った」と嫌がらせのような報道を連日繰り返して、腐り切っていたところにツシマで、これは世界中が茫然となるような正真正銘の完勝を日本海軍が果たして、この海戦におけるたったの一勝で、ロシア皇帝はやる気をなくしてしまった。

なんのことはない、なにしろ日本などは軍事おばけの非力な小国にしか過ぎなかったので、ロシア軍が、ほんのちょっとでも反転して、どこかの小戦線で攻勢に出れば、そのまま日本は国家ごと瓦解したが、ロシアは後半はあれほど気の良い皇帝みずからが「黄色い猿」と呼ぶようになっていた日本人たちに顔に泥を塗られた恥ずかしさと悔しさで、戦争が嫌になってしまって、放り出して、なかったことにした。

そういう経緯なので、ほんとうはロシアとの戦争は、これから国の近代をスタートさせようとしていた日本にとっては重大な判断ミスだった。

満州と朝鮮半島が生命線だ、とこのあとも続く日本人全体の判断は、落ち着いて考えれば根拠がなくて、ずっとあとで「貿易立国」を主張して狂人あつかいされた石橋湛山と政敵たちとの議論を読めばわかるとおり、つまりは国家としての自信がなかったので、満州と朝鮮というもともとは人のものである「領土」をとって、いわば強盗した冨で国を運営するほかはない、あんたはイギリス人か、な非道な国家経営方針にしがみついて、それだけが日本の生きる道だと、国民全体が信じていた。

そのほとんど直截の結果が、年柄年中GDPの70%から80%に達するというとんでもない軍事費をかけた戦争国家の成立であり、ちゃんと賞味期間が存在する兵器の性質に従って、年柄年中戦争を起こして、挙げ句のはてには、世界中の国を怒らせて、1945年には石器時代にもどされた、と表現される瓦礫の山の国土に、悄然とたちつくすことになっていきます。

ところで、ここまでの歴史を「軍部の暴走」と表現することを日本の人は好むが、なんのことはない、いまと変わらない、国民の「戦争やろうぜ」の要望が国を突き動かしていたので、いまの日本の社会が民主社会ならば、戦前の日本社会も、また十分に民主社会だった。
民主制社会ではマスメディアがおおきな役割を担っている。

いまの英語世界に目を転じると、ふつうの、特に政治に関心があるわけでもないオーストラリアのおっちゃんやおばちゃんは、アメリカやイギリス、カナダ、インド、香港、…の新聞にオンラインで目をとおしている。

典型を述べれば、講読を申し込めばウォールストリートジャーナル(WSJ)もただになるThe Australianを有料購読して、The AustralianとWSJを毎日、バタとベジマイトを塗ったトーストを食べながら読んで、午後のヒマを持て余した時間にはデイリーメールやテレグラフも読む、というくらいでしょう。

そうやってボリスが古典にかぶれたオオバカをぶっこいていたり、ビヨンセが結婚するまで処女だったことを知ってタメイキをついたりしている。

戦前の日本では「戦争はやらないにこしたことはない」という記事が出ると、その新聞は売り上げが激減した。
「どんどん戦争をやって、がんがん中国人を殺しちまうべ。
全部やっちまえば、中国人の土地はおれたちのものではないか」という記事を書くと、売り上げが爆発的に述べた。

なにしろGDPの半分以上は必ず軍事に行ってしまうお国柄で、戦争をやらなければビンボなだけなので、「あるものは使おう」ということだったのでしょう。

ほぼ国民が一致して戦争をやることは良いことだと信じていた。

それが衆愚にすぎないのがわかったのは、戦争にボロ負けして、食うや食わずの数年が終わったあと、来し方をふり返る余裕がやっと出来て、峠で過去を振り返った、やっとその時でした。

日本人は、そのとき、全体主義よりももっと恐ろしいもの、「誤解された民主主義」こそが自分たちを、あそこまで徹底的に破滅させたものの正体だと気が付くべきだった。

COVID-19では自由社会で基本的人権から始まって、個人の天賦、人賦の権利が当然のように守られている社会ほど、国民の私権の制限が速やかにおこなわれた。

簡単にいってしまえば「首相」や「大統領」や「議長」の一存で、移動の自由のような、ごくごく基本的な権利が制限された。

それはなぜかというと国民が信頼していたものが「民主主義」ではなくて「民主制」という手続きの堅牢さであったからです。

緊急時には自分たちが民主制の手続きにしたがって択んだリーダーが、毎日の決断を次々にくだして、それに従って行動する。

緊急な事態が切り抜けられて、そこで初めて批判が起こり、ロックダウンの法的根拠や、補償の額の妥当性への批判が起こる。

ニュージーランドでいえば、収入を失った国民やスモールビジネスに補償を支払いすぎで、いったいなんでそんなにオカネを払ったんだ、ビンボ国なのに、と議論の真っ最中です。

おかげで、すんごい借金ができちったでないの。

民主制が欠陥だらけの、いわばオンボロ制度で、まったく良いものではないのは発達した民主社会の国民ほど、よく知っている。
世にもダメな制度で、民主制の国の国民は年中愚痴ばかりこぼしている。

あの野党のブリッジスのチンコ頭はいったいなんなんだ。
いったいなにをどうしたらトランプのCOVID政策にも良いところがあるなんて言えるんだ。
ジョン・キーがトランプとおなじゴルフチームに入って喜んでいるのを見て、おいらは泣きたかったぜ。

ジャシンダはジャシンダで、いったい経済回復をどう考えているのか。
このままじゃ国ごとオシャカになりかねない。

民主制が世にもサイテーな制度であるのは、当の民主社会の人間がいちばんよく知っている。

じゃ、なんで民主制やってるの?
コンジョがないの?

それともバカなんですか?

答えはいろいろな人がおなじことを述べていて、「民主制よりマシな政体がないから」です。

多分、国権国家という存在自体が道理にかなっていないせいで、デッタラメといいたくなるポンコツ制度の民主制が、おどろくべし、他の政体よりはマシであることを、少なくとも西洋の人間は歴史的経験を通じて知っている。

いままた歴史的な試練がやってきているが、そこまで書くと記事ではなくて一冊の本になってしまう。

オンボロシステムである民主制が日本において特に機能しないのは、日本文明の特性によっていて、見ていると、そもそも日本の人には「起きてから寝るまでわがままでいたい」という自由への欲望がない。

民主制はもともとオンボロなりに採用されているのは、国民ひとりひとりが強烈にわがままで、やりたいことを、やりたい放題にやる欲求をもっていて、その個人の内奥から来る圧力を調整する圧力得制御弁の役割を中心にしているのに、日本の人にはそもそも個人の自由への渇望というものが存在しない。

日本の人のおおきな美点は内省的であることだとおもうが、日本人の場合は、個人の奥底から社会に向かう「なんで、やりたいことがやらせてもらえないんだああああ」という欲望のベクトルがないもののようで、自分の内側で、ぼそぼそと自分自身と相談して、まあ、みんなとおなじようにしたほうがいいよね、と個人の身内で解消してしまうもののようでした。

別に民主主義などはなくても、あんまり困らない国民性に見えます。

ところが1945年以来、民主主義をやらなければならないことになっているので、投票率に端的にあらわれているように、民主制そのものが機能しなくなってしまった。

民主制は、ダメ制度なので、選挙だけで機能するほどちゃんと出来ていないので、なにごとかがあれば国民が通りに出て、百万人というような単位で通りを埋めることになる。

それでも政府が動かなければ、社会がぶっ壊れるリスクを冒して、石を投げ、覆面をして火焔瓶を投げつける。

そういう個人が国家という何千トンという巨大な岩を素手で動かす努力が「民主主義」の一面なので、その行動に自分を駆りたてる自由への欲望をもたない人間ばかりの社会では民主制は絶対に成り立たない。

誤解された民主主義は必然的に国家社会主義者の擡頭をまねくので、その結実が現在の安倍政権なのだということでしょう。

日本のひとたちの奮闘を眺めていて、その(そういう言い方は失礼だが)健気さに触発されて、とつおいつ書いているうちに、ブログ記事としては長くなって、書いている本人も、午前4時半で、眠くなってきたので、続きは、次にしたいとおもうが、いまは「戦後民主主義」と名前がついた民主制の衰退であるよりは、ようやっと日本にも自覚的に「自分は自由でいたいのだ」と感じる人が増えて、自分たちが「民主主義」という名前で教わってきたものが日本型の全体主義に他ならないことを漠然と感じ始めた「自由社会のはじまり」なのだと感じています。

だから、ほんの少しでも足しになるように、よそものの目に映る、いまの日本の「民主」社会を、何回かに分けて書いてみようと考えました。

では。

また。

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「日本」に向かって歩いていく

最近、日本という国を自分がどれほど愛していたかに気が付いて、茫然としてしまうことがある。

多分、もう行かない、と決めたからでしょう。

いったい、なにが好きなのか?

日本の人のナイーブさが好きである。
この場合はnaiveと、ほんとは英語で書いたほうがいいのでしょう。
「繊細さ」という意味の日本語のナイーブよりは、例えばdictionary.comならば

having or showing unaffected simplicity of nature or absence of artificiality; unsophisticated; ingenuous.

と書いてある、世知に疎くて、いろいろな現実がよく判っていない、というほどの意味です。

ひどいじゃないか、と言われそうだが、ぼくは世故に長けた人間というものが嫌いなので、立派に好きになる理由になる。

日本語でやりとりをしていると、日本の人は、マジメというのがいいのか、芭蕉が折角発見したのに「軽み」ということには興味がなくて、悲憤慷慨、ものごとを思い詰めて、「そんなことは許されない」というような論調が好きである。

あるいは「役にたつ」ということが、とても好きで、あ、それはこうすればいいんですよ、と軽い気持で述べたりした日には「情報ありがとうございました!」と若い参謀のような答えが返ってきて、面食らうこともある。

どうしてそういう国民性になったのかという詮索には、もうあんまり興味がないが、日本の人がやや過剰に生真面目なのはたしかで、むかしはそういうことが嫌だったが、時間の経過がつくる距離というものは偉大なもので、いまは、日本の人の、そういう風変わりな特性こそ、好ましい、と感じる。

むかしは、といえば、日本語で遣り取りできるようになってから、若いタワシは、日本が表面だけ民主制で、実体は揺るぎもしないほどの全体主義社会であることが不愉快で、よく日本語でカッカしたが、考えてみると、ほぼ同じ国情のシンガポールには腹をたてたことはなくて、つまり、日本にばかり過剰に期待して、いわば「ないものねだり」をしていただけで、全体主義に乗って、またぞろ侵略戦争に乗り出されては困るが、別に民主主義じゃなくたって、日本が日本である魅力には遜色がない、と思うに至った。

日本が全体主義社会であるのは、簡単にいえば、さまざまな日本文化のうち、最も日本人が憧れて、自己像として考えることを好む「武士道の日本人」が、そのまんま、わがままよりも規律を、生の謳歌よりもストイックな死を好むことによっている。

日本文明の最大の特徴は…前にも述べたが…死の側から生を眺めていることで、その哲学に必然的に伴う個人の否定が、日本社会全体を全体主義礼賛の世界として運営されることに役立って来ている。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2020/03/05/bushido/

マヤの文明に大変よく似た価値体系で、日本は、そうして西洋文明によって理解されることを、いまに至るまで拒絶してきた。

言語を習得するということは、その言語を使うひとびとの血のなかに分け入っていくことであるのは、言うまでもない。

この世界は言語の数だけ別々に存在する。
なぜなら「現実の世界」は言語による認識が実体で、言語が異なれば、眼前にある同じフォークでさえforkでありforchettaであり、fourchetteで、tenedorで、fourchetteを考えれば特にわかりやすいかもしれないが、おなじフォークなのに別のものです。

日本文明が小さくとも、あきらかに別個な独自の文明であるのは、いまでは広く認められていることだといっても、日本語という世界への風変わりな認識が日本人とおなじ視点で出来なくては、なぜ日本人がこれほど奇妙でファンタスティックな世界を生きているのかは到底理解できない。

ひとことでいえば、日本は、ほかのどんな文明にとっても

“N’importe où! n’importe où! pourvu que ce soit hors de ce monde!”

と詩人が述べた。
その、「ここではないどこか」の土地の役割をはたしている。

いまは愚かな宰相のもとで、噴飯もの(失礼)の国家運営におちいっているが、
ぼくは、日本人を信頼している。

多分、たいていの日本人より信頼しているでしょう。

理由は簡単で、透谷を生み、谷崎を輩出し、まして、草間彌生や観阿弥や世阿弥を生みだした文明が、たとえ西洋人であるぼくにわかりにくいところがあっても、民主や自由主義、個人主義の価値を苛立たせる日本的な全体主義の道を歩いても、必ず、本来の「日本」へ帰ってくるだろうと考えるだけの理由があるからです。

ほら、西洋で日本を「論評」しているひとたちは、日本語が判らない人ばかりでしょう?

いま、この瞬間にはうまくいえなくても、ぼくの言いわだかまる言葉は、エラソーに述べると、ぼくが日本語を彼らより遙かに理解しているということに拠っている。

日本の知識人たちは、日本語を使って考えているかぎり民主社会の実現など起こりえないということにそろそろ気が付くべきなのではないか。

西洋の骨法ではダメダメな国だが、ぼくの文法のなかでは、そうでもないのさ、と考えることがあるのです。

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災厄日記 その9 5月10日 ノートを閉じたあとで

まだレベル3で最高警戒レベルのレベル4から、ひとつレベルがおりただけだが、拭いがたいというか、人々の心の奥底から染み出すようにして「やれやれ、ウイルス禍がやっと終わった」という安堵の気持ちが社会全体から滲み出ている。

落ち着いて考えれば、大層危険な気分で、現にウイルス対策ではニュージーランドからみれば先生にあたる韓国は、警戒レベルをゆるめた途端に明洞のレストランやカフェにどっと人が繰り出して、見事に新しいコミュニティ感染の集団が出来てしまった。

救いは検査体制に余裕が出来て、新規感染者が発生しそうなスーパーマーケットなどでは入り口でランダムに検査をおこなえるほどになったので、新規感染者ゼロが続いたあとに新規感染者が出ても、ああこれは大変だった老人ホームで介護をしている人、これはコミュニティ感染が発生した高校の生徒、と感染経路がはっきりわかっていることで、これがひとりでも判らなくなると、またレベル4に逆戻りなので、自然、はしゃぎがちなひとびとのブレーキになっている。

ニュージーランドは、なにしろリソース不足で、減圧室ベッドはたった150床、感染経路をいちどに追える人間の数も30人だかなんだかで、ビンボでもあって、ことのはじめから、いきなり国境を封鎖して、家から出るな、レストランとバーはもちろん閉鎖、
テイクアウェイ? 夢を見るんじゃありません、で、たいそう強烈なロックダウン体制に入った。

最近は20年ほど続いたバブル経済のせいで、オカネがどんどん市場に流入して、やや様相が変わっていたが、もともとはビンボ習慣で、外食なんて特別な機会にしか起こらず、まるで昔の連合王国のようにして、なんでもかんでも家のなかですませる習慣で、友達たちと会うのも、テニスも、泳ぐのも家ですませる。

まさか家の庭で40フィートのヨットを走らせるわけにはいかないので、マリーナくらいには行くが、少し裕福な家でいうと、そもそも「価格を観に行く」ときくらいしかスーパーマーケットに出かけることもなく、散歩も家の庭ですませる人が多くて、ロックダウンと言っても、スーパーマーケットから配達される時間帯のスロットがあっというまに埋まるようになって、当初2週間くらいは、誰かが午前零時をまわって新しいタイムスロットがあくのを手ぐすねひいて待つくらいしか、普段の生活と異なることはなかった。

自分の暮らしを考えると、習慣にしていたポケモンGOのジム巡りにでかけなくなって、あとはスーパーマーケットから定期的に配達されてくる肉類とは別に贔屓にしていたハラル肉店に行けなくなり、お気に入りインド料理屋に行けなくなったくらいで、他には変化がなかった。

言語の習得は、その言語が使われている社会への関心を自動的に呼び起こす。

日本語は日本社会への興味を呼び起こすことにおいて、他の言語より強い誘引力があるように見えるのは、日本社会が日本語という理解できる人間の数が少ない言語の壁にみっちり囲繞されていて、秘密の小部屋じみているからでしょう。

COVID-19についても、主にツイッタを通して、誰か日本語の友達が記事を紹介していれば見に行ったりして、主にNHKのサイトと朝日新聞、日経新聞を通じて、日本の状況について日本語で書かれた記事も読んでいた。

期待通り、と言っては日本の人に失礼かもしれないが、日本は独立独歩で、よく言えば我が道を行く、悪くいえば目を放した隙にふらふらとあさってのほうへヨチヨチ歩きでいなくなってしまう幼児の振る舞いで、検査を抑制する、という不思議な方角へ歩き出していた。

他にも検査なんてマジメにやらなくていいや、という国があったのは、この世の中にはherd immunityという多分に優生学的な思想を背景に持つ「感染したがなおって抗体ができたひとの壁をつくって、最終的には弱者も守る」という強者の思想に基づく衛生思想があって、一個の人間を感染確率、感染から治癒する確率、死亡確率、などのデータがくっついた点とみなして、ちょっとおおざっぱに計算してみると判るが、数字の上からは悪くなくもない考えです。

案の定、差別思想は昔から大好きなイギリス人は、これにとびついて、大失敗することになった。

当初考えたほどイギリス人はCOVID-19に対して強くなかった。

同じ人間ながら、当たり前なんだけどね。

Brexit以来、とっくのむかしに死亡した英帝国の長い影のなかで考える習慣がついてしまっていた連合王国人は、ここでも、意識にのぼってすらこない優越の思想に拠って、オオマヌケな方針をとってしまう。

そういう国がいくつも出てくるのは、特に「おれたちつわもの」が好きな白い人主導の国において予想できたが、日本は意外だった。

極めて優秀な全自動検査機が日本製なのを知っていたからで、これとドイツ製だかなんだかしかなくて、比較すると優秀なのは日本製なんだよね、という話を訊いていたからでした。

ところが始まってみると、意外や、どころではなくて、一向に検査をやらなくて、どうも記事やセンモンカのひとびとの話を読んでいると世界でただ一国、この全自動検査機を信頼がおけないと敵視しているのは日本のひとびとで、例の自分でこさえた標語、
「何もしないためなら何でもする」ひとびとという表現を自分で思い出したが、あとのことはあまりに面妖なので、それきり、ニュースを見ても、へえ、と思う程度で、日本の状況について考えるのをやめてしまって、いまに続いている。

ただ「何もしないためなら何でもする」日本の人の国民性が、以前に考えたような失敗を恐れる気持や縄張り主義、減点主義の評価方法の混淆体というような判りやすいものではなくて、ちょうど幕末の老中会議に似た、文化のもっと奥深い場所に根ざしたなにごとかに淵源をもつことがわかって、また日本文化について考える楽しみが増えてしまった。

日本のCOVID-19対策の印象は、ここからあとは希望的観測ということになるのかも知れないが、神経症的と述べたくなるほどの、細心な普段の生活での気の配り方から見て、イタリアやアメリカのような、アウシュビッツさながらまとめて屍体を処理したり、通りに駐めた冷凍トラックに屍体を放りこまねばならなくなるような感染爆発が起きるようにはおもわれない。

D-dayを上陸舟艇に身を屈ませて海浜に波をかきわけて走りこんでいった個人の視点から視ると、おおきく運に左右された。

最悪だったのはオマハビーチに上陸したGIたちで、屈むどころか障碍物の後ろに伏せていてさえMG42の弾丸に撃ち抜かれる人間が続出した。

戦争に譬えるのは、本質的によろしくないが、COVID-19の場合は、戦争の比喩が大嫌いだと自ら述べるアーダーン首相ですら「これは戦争だ」と言い切るくらいなので、許してもらうことにしよう。

北イタリアのロンバルディアなどは、オマハビーチそのもので、イタリアのひとたちの、いつもひとの温もりと接しないではいられない個人と個人の物理的距離が近い社交的な社会習慣もあるが、最も濃密でタイプとして強烈なウイルスがたまたまロンバルディアを襲ったのだと考えるのが良いような気がする。

ロンバルディアのコモという町の近くの、スイス国境に面したチェルノビオという、途方もなくおいしいジェラートの店が有る、ちいさなちいさな町には両親の別荘があって、縁があるので少し判るが、ロンバルディアなどはイタリアと言っても「イタリア語を話す欧州」という色彩が強い地方で、公平に述べて、衛生観念も日本の人より発達している。

そういうことは、たとえば「手の洗い方のていねいさ」というようなものを観察しているだけでも、よく判るものです。

だからイタリア人の衛生観念は、という随分盛んだった議論が的を外れているのは、特に考えなくても判る。

手前味噌だが、日本では別名を立てて「スカイプ飲み会」というらしいが、なに、ずっと前の、スカイプがサービスを開始したころからやっていることで、スカイプで話しながら、酒を飲んで、ゲヒヒヒヒと笑い転げたりするのは昔からのことだが、疫学研究者の友達と話したときに、ふと友達が口にした「SARS-CoV-2って、数が多くて密度が高いように見えるんだよね」がイメージになっている。

なにしろこっちはトーシロなので「一定面積あたりのウイルスの数」というイメージが新鮮だったからなのかも知れないが、そのイメージで、ずいぶんいろいろなウイルスの不思議な振る舞いの説明がつくような気がしました。

日本のCOVID-19を巡る状況を検討したり、批判したりする気持は、あんまり起こらなくて、特にいままでやりとりがあった、日本の友達たちの顔をひとりひとり思い浮かべて、ただ「生きていてください」と祈っています。

祈っています、って、もうほんとうにニュージーランドはCOVID禍が終わっているようなことを言っているが、こっちだって、まだまだ判らないわけだけど、社会のムードというものから自由にはなれなくて、勘弁してもらうほかはない。

ありのままに気持を述べて、祈っていて、こういうときは人間は桁外れにわがままで、自分が多少でも知っている日本の人が無事であることを祈っている。

レベル4でも、おもわず庭師のひとに握手の手をさしだしたりしてモニに叱責されたりしている自分より、日本の人のほうが、ずっと気を付けていて、ずっとダイジョブなのは判っているが、それでも、「祈っています」と書かないではいられない気持です。

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災厄日記 その8 4月17日 闇の中の出口

来週の月曜日になるとニュージーランド政府は難しい決断の発表をすることになっている。

昨日(2020年4月16日)の新規感染者数は15人だが、まるでモニター数のように国民が「あ、もう大丈夫かな」とおもうと、数人分、ピンッと数字が跳ね上がる。

一方で回復者数の増え方は勢いがついているので、今朝、台湾は「新規感染者数ゼロ」のニュースに沸き返っていたが、うまくいけばニュージーランドも台湾に追いつけるかも知れない。

台湾に先に新規感染者ゼロを達成されて、くやしがっている人も、もしかしたら、当の台湾系キィウィのなかにはいそうだが、競争であるよりも、ニュージーランドは、集団免疫と寝言を言っていた連合王国や、なあに、こんなものはただの風邪ですぜ、と述べていたアメリカの西洋諸国には目もくれず、初めからアジアの台湾と韓国を先生にすると決めていた。

アーダーン首相自身は、メルケルやTsai Ing-wenのような学究出身の指導者とは異なって、科学的なバックグラウンドを持ち合わせないが、若いということは便利で、「自分には知識がないが、科学者としてどうおもうか?」と虚心坦懐に訊くことができた。

自然の猛威なのだから科学に頼るほかはない、と述べていたそうです。

レベル4のロックダウンはうまくいった。

たいへん厳しい、徹底的なもので、ツイッタで話しかけてきたウェールズ系のニュージーランド人で、ノースショアに住んでいる素晴らしい日本語を使う人が「わたしの家の近所では、みなビーチや公園の散歩はいいことになっている」と述べていたが、リミュエラのわし家近所では、半径500メートルの散歩は禁止、と信じられていて、わし自身は、せいぜい庭を片付けたりして、庭と家のなかでトントントンと動き回って、前に日本の主婦が妻にばかり過剰な家事の偏りがあるせいで、家から一歩も出ないまま一日にいかにたくさん歩くかという記事を読んだことがあったが、
その伝で、家のなかだけといっても、一万歩は歩くもののようでした。

もっとも歩数カウント自体がApple Watchのチョーええかげんな歩数カウンタによっているが。

スーパーマーケット以外は、食料品店でも営業を許されず、ニュージーランドではたいへん普及しているUber Eatsもダメ、持ち帰り、Takeawaysもダメで、わずかにdairyと呼ぶ、牛乳やパン、卵を売っている店が営業を許されるだけだった。

レストランやバーは、もちろん御法度です。

スーパーマーケットにしても、いちど、クルマのバッテリー充電をかねて偵察にでかけてみたが、ラインが描いてあるのでしょう、きっかり2mおきにポツンポツンと立つ人の列が、ぐるりと、普段は人気のない、そのカウントダウン(←オーストラリアのウルワースがこの名前でニュージーランドでは営業している。ロゴはおなじ)の支店の、駐車場のまわりをぐるりと取り囲んで、後で訊いてみると入店もひとりひとり許可されたものだけが入店できて、カップルで楽しく買い物、などは夢のまた夢のありさま。

びっくりしたのは、世界に名高いテキトー国民のニュージーランド人たちが意外にマジメに、真剣にロックダウン・ルールを守り抜いてきたことで、もちろんなかにはマヌケなおっさんがいて、例えばクライストチャーチでは、スーパーマーケットで、わざと他の客や棚に向かって咳き込んでみせて、自撮りしたビデオのなかで「おれはCOVID-19に罹っているんだ」と述べた40代の男の人が逮捕されて、結局は保釈も取り消されて数ヶ月監獄にぶちこまれることになった。

アーダーン首相は演説のなかで、この男を「大馬鹿者」と名指しで非難して、政府がその手の人間を絶対に見逃したり容赦したりしないことを国民に印象づけることになった。

高名の木登りといひし男、人を掟て、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。

 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。

と兼好法師が徒然草で述べている。

兼好法師なる卜部兼好は、人間は早く死んだほうがカッコイイのだ、と述べて、ずっと後生の本居宣長に、そんなこと言って、自分は70歳近くまでへろへろ生きていたではないか、と笑われたりして、なかなかカッコがつかない人だが、ベンジャミン・フランクリンみたいというか、漢意(からごころ)の割にはプラクティカルな知恵に感心する能力があった人で、上の、木登りでいちばん危ないのは、自分でも危ういと感じる高みにいるときではなくて、仕事が終わって、するすると下におりて、もうすぐ地面におりたつというときがいちばん危ないのだ、という記事のように、いまでもサバイバルマニュアルに加える価値がある記述も残している。

いままさに地表に降り立とうとしているニュージーランドが、最大の難所にあることは、つまり、14世紀初頭の日本人でも知っていたことになります。

経済からいうと、言うまでもない、例えば試算によれば、初めの予定どおり4週間で終われば失業率は10%だが、もう4週間のばすと26%になる。

既存経済は、この4週間でも、おおざっぱにいって半分が吹き飛ぶ計算で、もう4週間となると計算のしようもない。

繰り返すと、ニュージーランドは、小国ながらいつもの果敢さで、経済優先の諸国の「専門家」たちが、「ウイルスは根絶なんてできない。共存するしかない」と述べるたわごとに耳を貸さず、「経済よりも国民の生命がすべて」と述べた国の専門家たちに耳を傾けて、賭けに勝った。

それがアーダーン首相にとって、いかに難しい決断であったかは、いったんは「必ずやる」と述べたクライストチャーチのモスク襲撃の追悼集会を取り止めにすると発表したのが前日であったことにもあらわれている。

あとでふり返って、専門家たちが、あそこで追悼集会をひらいてもいいと政府の姿勢を示せば、たいへんなことになっていた、としみじみ述べていたが、コミュニティの結束や経済を優先するか、生命を徹底的に優先するかは、むしろ指導者の哲学の問題で、アーダーン首相は、結局、自己の年来の主張「国家は人間性に依拠すべきだ」で自分自身とニュージーランドという国全体を救ったことになります。

おとといは、83店舗を展開する Burger King NZが倒産するというニュースがあった。

初めの決断はうまくいったが、今度は、ながびけば3倍になると言われている自殺者数や、見当もつかない増え方だろうと言われる生活の不安から鬱病になる人の数、あるいはこの3週間のロックダウンだけで22%増えたアルコールに起因する病気を発した患者、「ウイルスを避ける生活によって引き起こされる生命の危機」の問題と向き合うことになった。

ひとつだけ救いになるのは、ニュージーランド人全体が、労働党支持者も、不支持のひとびとも、アーダーン首相が積み重ねた難しい局面での判断を支持していることで、危機をのりきるリーダーとして、全幅の信頼を寄せている。

いまは、国民みんなが息を潜めて、月曜日のアーダーン首相の決断を見守っているところです。

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災厄日記 その7 夜のもとで防御もなく

山中伸弥さんがつくったCOVID-19サイトが安んじて信用できるのは、このひとの実績よりも、篤実で知られる人柄よりも、思考の過程が、どんな迂闊な人間にも判りやすいように書いてあるからでしょう。

https://www.covid19-yamanaka.com/cont7/main.html

数学でいえば「たしからしいこと」を出発点に、まず、それが疑いもなくたしかであることを前提として出発すればよいが、この人は医学(基礎医学)の人なので、たしからしさの基準にevidenceがどれだけあるかを持ってくる。

しかも簡明に理解させるためにevidence自体は、流布された話の信憑性のランキングのページからは省かれている。

自分の名前が持っている世間からの信用を善用している。

福島第一事故のときは、なにしろ当初は日本だけの災厄と意識されたので、日本のアカデミア文化の悪いところがもろにでて、
アカデミアの側から出た言葉は「おれたちは、なんでも知っている。真実がわかっている。おまえたちは無知なのだから文句を言う前に勉強しろ」ということで、子供をつれて逃げたかった東北の若い母親たちを土地にしばりつける最もおおきな力になった。

あとで、ニュージーランドに逃げてきた当時福島県に住んでいた若い母親から、あのとき、なぜ政府は「あなたが安全だと判断しても、万が一安全でなかったときに困るからこの土地から立ち去れ」と言ってくれなかったのか、とりわけ学者たちは、なぜ「自分達にもわからないことが、たくさんあるから、いまはとりあえず逃げましょう。わかってから戻って来ても遅くない」と言わずに、「怖がるのは、おまえが無知だからだ、もっと核について勉強してから怖がれ」と述べたのか、
わたしは、どうしても、日本の政府と科学者たちが許せないんです、一生許せないとおもうと、具体的な名前をあげて述べていた。

今度は、様相が異なる。
災厄が世界規模で、世界中の人間が均しく脅威にさらされているからで、「専門家にもCOVID-19を引き起こすSars-CoV-2が「わからないことだらけだ」ということがまず前提にされていた。

こういう場合、最も生存の確率が高いのは「まず逃げる」ことです。

福島第一のときに多くの人が爆発する原子炉のそばで「逃げるべきどうか」「メルトダウンではない」と議論していたが、生存の確率を高めるためには、なにか自分の辞書に書かれていないことが起きた場合には、いったん、なにもかも捨てて、思考を停止して、一心不乱に逃げるのがよい。

ところが今回の場合は、なにしろウイルス禍なので、逃げる場所がなくて、単純にどの程度の段階にまで感染の状態が広がっているかの濃淡の違い以外にはないので、逃げても、感染が「濃い」ところから「淡い」ところへ感染者が多数いる集団が拡散していくだけの結果になるのはわかっていた。

それでもロンバルディアからシチリア、というふうに、地獄があらわれた場所から逃げたい気持は、人間の自然の気持で、逃げて、案の定、感染の拡大スピードを速くしただけでした。

例が悪いが戦争の例をつかえば、では逃げられないときはどうするのが次善の策かというと、準備をする時間が与えられないときは、foxhole、日本語では、やや奇妙な感じをうける「たこつぼ」という言葉を使うようだが、ちょっと自分の語感にしたがってfoxholeと呼ばせてください、foxholeにうずくまって、押し寄せてくる敵を待つことになる。
円匙が歩兵の最高の武器だと言われる所以です。

現実の戦争ではfoxholeで押し寄せてくる敵を挫折させうることはほとんどない。

最後はうずくまって、守備側部隊の何分の一かが失われて、頭上を敵が通過して、次の掃討部隊がくるまえに、穴から這い出して、あさっての方向へ逃走する。

準備期間がある場合には、foxholeの代わりに塹壕を掘る。
塹壕というのは、ただ敵に対して横に掘ってあるわけではなくて、食堂があり、医療所があり、司令部も、補給庫もある、持久性をもった防御線です。

この塹壕線があっというまに崩壊したのが1918年に始まったSpanish fluの医療崩壊だった。
医療従事者がまずウイルスの犠牲になってしまった。
その結果、最小の見積もりで1700万人、多い見積もりでは1億人におよぶ死者を出した。

世界中の指導者が、というのは、いまの世界の指導者たちのなかでは最も社会主義的な考えをもつニュージーランドのアーダーン首相から、右翼のごろつきじみたトランプ大統領まで、みながCOVID-19禍を戦争と呼ぶのは、実際に、本質的にCOVID-19禍が未知の、人類が免疫をもたないウイルスの侵略による戦争だからで、比喩であるよりも現実を描写しているに過ぎない。

トランプのような気まぐれで途方もなく頭が悪い老人ですら、ときどき正気にもどったようにまともな危惧を述べて、まともな施策を実行したりするのは、つまりは自分を第二次大戦中のフランクリン・ルーズベルトと自分を頭のなかで重ねて、そのドナルド・ルーズベルトをアメリカ国民に印象づけたいからに過ぎないが、戦争のときにどうすればよいかはアメリカ国民は他国民に比してもよく判っているので、その点では、いいことなのかもしれません。

戦争には国境があるが、自然の力であるCOVID-19には国境がない。

もっとも2020年にもなって、いまだに国権国家を営業している人類は、世界の人間が衆知を集めて強制力のある命令を発令できる国際防疫センターをもたないので、やむをえずに国単位の対応で、現在たしか5つ確認されているSars-CoV-2のうち、最も強力なタイプが、人間と人間の親密を基調にした社会習慣に乗ったのか、そうでないのか、いまは分明でなくて、そんなことはあとで考えればいいなんらかの理由で、すさまじい勢いで拡大した北イタリアをもつイタリアは、気の毒に、たったひとりで、圧倒的なちからを持つ自然の破壊者の勢力と戦わねばならなかった。

マスメディアではキューバや中国からやってきた医療救援隊がイタリア人を感動させた美談として報じられていたが、そんなものはマスメディアがつくった「おはなし」であることは、直ぐに直感されることで、EUはひとつだ、といつもブリュッセル合唱隊が歌っていたのに蓋をあけてみると、イタリアが初めに叩いたドアの家の主であるドイツは「医療器具?そんなものの余裕があるわけはない。
おとといおいで」と応えて、他のEU諸国も、いっさい援助の手をのばしてはくれなかった。

文明の違いに原因して、西洋人の目からは、恩着せがましく、尊大にしか見えない、大声で会話する中国人医師たちを眺めながらイタリア人の感じた惨めさは想像するにしのびない。

欧州の「兄弟たち」は、いったいどこに消えたのか?
なぜ誰も助けに来てくれないのか?

戦争なので、当然、指導者の能力が、あぶりだされるように明然となる。

際立っていたのは台湾の蔡英文と選挙で選ばれた議員はたしかひとりもいないトップ・スペシャリストとトップ・テクノクラートで固めた内閣で、世界中ぶっくらこいちまったぜ、というか、鮮やかとしかいいようがない対応で、中国との結び付きが、香港とならんで、他のどんな国よりも深く、強く、社会の心底まで中国とつながっているのに、いわばエリート特殊部隊を繰り出して敵の心臓部を破壊するように、ITの力と、政府自体、他国のほとんどが政府の持つ力を「規制をするパワー」だとおもっているのに政府のちからは「規制をなくすパワー」だと定義しなおすことで、例えば必要なデータがあっというまに必要なプロジェクトに公開されて、民間でも遠く及ばない速度でCOVID-19に立ち向かって勝利した。

韓国は台湾のような敏捷さはもてなくて、初動がやや遅れたが、この国の特徴は次から次にアイデアが出てくることで、特にドライブスルー検査のアイデアは、世界中の国が即座に有用性を看て取って、いっせいに模倣に走った。

ただビデオをみてマネッコできるというものではないのはもちろんで、ニュージーランドのようなちっこい国にも担当がついて、懇切にノウハウを教えてもらったのだと聞いています。

それまでは、ひとりの患者を検査するのにえっちらおっちら防護服を身につけて、組織サンプルを採取しおわると、またぞろ、えっちらおっちら防護服を脱いで、捨てて、やれやれ次の患者をみるのにまた新しいえっちらおっちらなのか、とうんざり疲労困憊させられていた検査が、ドライブスルーに変えることによって手袋を変えるだけで必要十分な安全が保たれることになった。

一日にがんばっても10件、ひどければ1〜2人しかできなかった検査が、これによって、十倍の数をこなせるようになった。

ただこのアイデアひとつだけでも、世界中の、いったい何人の人が、伝えられる「喉に内側からナイフを突き立てられるような痛み」や後遺症として残る繊維化した肺の呼吸能力から来る苦しさ、あるいはもっとひどければ死そのものから免れたか数がしれない。

インド友は当初「インドは直截手を使って食事をする習慣のせいで、一日になんども手を洗うのが奏功してCOVID禍を免れた」と述べていたが、インドという地域が存在する場所による物理的ななんらかの条件か、あるいは実際に手をひんぱんに洗う社会習慣のせいか、感染拡大が遅かっただけで、免れたわけではなかった。

最後に話したときは、「おれは、いったいどういうバカだ。いったい、なんのために科学を学んだのだろう」と悄気返っていた。

世界をひとつのまとまりとみた有効な防疫体制が存在しないので、やむをえずに世界中のひとびとが「国」という塹壕にたてこもっている。

大統領、首相、と名前がついている塹壕指揮官が愚かな判断をくだすたびに、現在と未来における「戦死者」が増えて、ばたばたと倒れてゆく。

得意のハイテクで乗り切ると首相が言明したという日本や、独裁者の強権で一時は絶望的に見えた感染爆発を止めた中国、アイデアと、おもいきった戦術で死者数を抑えきった韓国、世界の手本になっている台湾、桁違いのオカネのちからで初動のバカバカしいくらいの遅れを取り返して乗り切ろうとするアメリカ合衆国、それぞれのお国柄で、色彩や、指導者の優劣が明瞭にわかって、戦争というものは、こういうものなんだなあ、とむかしから言われて来た「戦争には文明の性格が最もでる」という言葉の真実性をあらためて確認する。

このあと、世界はおおきく変わってゆくのが、もう誰の目にもあきらかになっているが、そのためにはなにしろ「このあと」まで生き延びなければならないので、すべての話はそれから、ということになっているようです。

RISKのボードを広げて、スコーンを焼いて、クロッテドクリームとたっぷりのいちごジャムで、秋の陽射しに輝く芝生をみていると、
なんだか遠くの世界の話を聞いているようだが、

ほら、目の前にあって、まわりにも、海の向こうにも、ウイルスという死がわれわれの文明そのものをびっしりと囲繞していることを考えると、ウイルスが視覚的に見える存在でなくてよかった、とおもうことすらあるのです。

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災厄日記 その6 4月2日 菜園が教えてくれたこと

ブラックスワンに備えるのは愚か者のすることだ、という。

オカネの世界の話です。
世界戦争や地震、疫病パンデミックなどは「起こらない」と前提することで資本主義経済はなりたっている。

予想を越えた、とんでもないことは、起きてから心配することになっていて、いまのように現実にブラックスワンがもたらされると、現実は、結局、いいとしこいたおとなのカネモチやリーダーたちが右往左往することになっている。

家庭菜園拡充計画について、主にツイッタでなんども述べたので、おぼえている人もいるとおもう。

だいたい去年のあいだに計画は完了して、モニも小さいひとびとも、「自分の割り当ての区画」があります。

ぼくは2mX2mX0.8mのマルチで満たした、花壇に似た、完全に地面からもちあげられているブロックを6個、自分用に持っている。

家のひとびとが興味をもたないアジア系の野菜などは、みなここで育てる。

長ネギがあって、コリアンダーがあって、唐辛子がある。

それとは別に、マイクログリーン、カイワレやもやしをキッチンの隅で育てている。

ブラックスワンが起きた時の救荒野菜のつもりだったが、やってみると、新鮮な野菜を補う当初の目的より、毎日、水をやって、いろいろな生命が、少しずつ育ってゆくのを見るほうが主眼になってしまった。

自分だけのオタク菜園区画を別にしても、玄関の脇にあるオリブの木がびっしりと実を付け、なかなか結実しないライムが、たった一個だけ、それでも立派な実をつけると、収穫して、恭しくコロナ・ビールにいれて「やっぱり自分の庭でとれたものは味が違う」とひとりごちる。

自分の庭でとれたって、プロが栽培したって、コロナビールにいれて使うくらいで、ライムの味の違いなんてあるわけがないが、そうやって簡単に理性を失って愚かにも有頂天になれるところが、自分で菜園をもつ楽しみなのであるとおもわれる。

鶏も飼う予定だったが鶏舎を購入して、裏庭に設置したところで、めんどくさくなって放っておいているうちに、今回のパンデミックが来てしまった。

これも庭でとれた、でっかいお芋さんを輪切りにして、天ぷらにしたのを頬張りながら、これでしばらく「新鮮な卵」の夢はついえてしまったではないか、と、がっかりする。

ただし、そこで自分の怠惰を責めたりしないところが、テキトー人生のこつであって、なりゆきまかせというか、自分の場合、人生における最大の不確定要素は自分自身の気まぐれだが、それはそれで、与えられた初期条件ということになっている。

スーパーマーケットに人が押し寄せて、隣国のオーストラリアではトイレットペーパーの取り合いで殴り合いになったふたりの女の人の動画が世界中に流布されて、「やっぱりオーストラリア人は流刑人のなれのはてだけあって粗暴である」と連合王国人たちを喜ばせていたが、次の週には、ロンドンで、ふたりの人の殴り合いどころか、トイレットペーパーの奪い合いで、十数人の集団が入り乱れての乱闘が伝えられて、今度はアメリカやダウンアンダーのひとびとに無上の娯楽を供したりしていた。

我に返って落ち着いてみると、せっかく競争者を殴り倒して手にしたトイレットペーパーを使用するためには、まず食べることが必要で、考えてみると、トイレットペーパーの備蓄はあっても、食べ物の備蓄は心許ないので、今度は、またも延々と行列して、食料を買い出すことになった。

トイレットペーパー騒ぎがおさまると、パスタが真っ先に売り切れたようです。

そのつぎが、世間をちょっと驚かせたことに、米。
ロングライス、ミディアムライス、ショートライス。

バスマティ、ジャスミン、ジャポニカ。

本来、米を食べない人が米を買ったからでしょう。
炊飯器まで売り切れている。

多分、まっさきに売り切れると予想された小麦粉は3番目で、多分、ライフスタイルがいつのまにか変わっていて、パンを焼くという時間が普段の生活から消滅してしまったせいではないかと推測される。

いまは小麦粉が見事なくらい棚から消えてしまったので時間差だけで、やっぱり必需品なのが判ったが当初は買い占められなかったのは「パンはベーカリーで買うもの」ということに、なってしまっていたのかもしれません。

英語ではnosyという。

隣家から話し声が聞こえると、さっと二階の部屋にあがって、カーテンの隙間から、隣をのぞきみて、おやおや夫婦で口論しているな、旦那のジョンに若い愛人でもできたかな、第一、奥さんのアイリーンはこのごろだいぶん太ったようだ、ジョンの不倫のストレスだろうか、というようなことをやる人を「nosyな人」といいます。

ロックダウンちゅうだがスーパーマーケットだけは行ってもいいことになっている、という屁理屈をこねて、モニと一緒にスーパーマーケットへ「偵察」にでかけた。

駐車場をゆっくり走りながら、見たものは、多分、一生、光景として忘れられない。

若い人も、年寄りも、でっぷり太った人も、ガリガリくんに痩せた人も、足下にマーカーが描かれてでもいるのか、きっかり2mの間隔をあけて、じっと長い入場順番待ちの行列にたちつくしているひとたちで、いざとなると、最近のチャライ風潮から我にかえって、伝統のドマジメな姿をみせるKiwiたちの姿を見て、もしかしたらニュージーランドは意外と早くCOVID-19が終熄するのではないか、と述べて、モニさんに「ガメは、あまい」と笑われたりした。

ふと思い出してみると、菜園を始めたときは、つまりはコモ湖の周辺に暮らす人たちが、花などには見向きもせずに、トマトやカボチャ、実用に徹した野菜の栽培に庭のすべてを使っている記憶で、イタリア人のまねっこで始めただけのことで、芽がでても、育っても、トマトの赤い色につられたTuiやマイナーバード、ブラックバードの鳥たちが食い荒らしたときに腹がたったくらいで、感情が菜園に向くことはなかった。

ところがパンデミックの渦中では、生命が芽吹くことの、なんともいわれない美しさに心が動いて、「大地のめぐみ」というような陳腐な表現まで頭に浮かんでくる。

なんだか、自分でもびっくりしてしまうが、大地から生命が生まれることに感動している自分を発見する。

意想外なことに、菜園は、新鮮な野菜よりも心の健康のために最もよかったわけで、自分の生命だけではなく、人間という存在の無条件な生命への愛情の強さが実感される、という不思議な結果になった。

もともと1年分程度の食料の備蓄はある家で、その上に買い足したものができたので、
もっかはウォークイン冷凍庫も、チェスト冷凍庫も、冷蔵庫も食物でいっぱいで、お菓子の家に住んでいるみたいというか、家自体が食べ物だらけで楽しいが、報道を読んでいると、「収束に向かうまで2,3年はかかりそうだ」という予想も出ていたりして、なんだ1年分なんかじゃ足りなかったのか、と、いまさらながら「えらいこっちゃ」と呟いたりする。

ニュージーランドはアーダーン首相が比較的に頭がしっかりした人で、適切と国民が納得する決断を毎日つづけて、それがこのひとの特徴で、断固として、妥協のない態度で徹底的に実行しているが、
なんども書いたように、パンデミックには国境などない。

物理的に人口過密な地帯から遠いので、やや有利だが、欧州からが多い、数千人の帰国者がおおく感染していて、医療施設に負荷がかからないように、個々の良心に信頼した自宅隔離に任せているのでわかるとおり、ニュージーランドも感染の洪水を免れるわけにはいかないでしょう。

いまはさまざまな、現実には願望にしかすぎない「自国文化に特有な理由」で感染爆発をまぬがれていても、やはりパンデミックの理(ことわり)どおり、イタリアやスペイン、アメリカの地獄に足を踏み入れるのは時間の問題であるようです。

自然に国境はないのだから、あたりまえといえばあたりまえだが、これほどあたりまえのことでも、人間の恐怖心と、安心したい一心の心の傾きというのは仕方がないもので、本人は平静に分析しているつもりでも、「もう我が国では感染の危機は終わった」
「結局、我が国だけは感染爆発は起こらなかった」と、愚かな妄想にとびついてしまう。

そういう人間の心の弱さも、地面から、やっと頭をもたげかけた芽を見ていると、すっと、胸にはいってくるように了解される。

ビタミンや繊維だけではなくて、光を求めて生命の限り、のびつづける植物は、見つめているだけで、さまざまなことを教えてくれるもののようでした。

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災厄日記 その5 4月1日 明日は我が身

見たいものしか見ない。

新聞記者ですら、取材する前に、初めに自分の頭のなかでストーリーをつくって、それにあわせて現実を編集する。

恣意と現実が濃厚接触している日本の人の国民性を考えると、統計にあらわれる数字を誤魔化していないと考えるのは、たいへん難しい。

だが誤魔化しなれているというか、通常は誤魔化しの主体である霞ヶ関ゴマカシ団は、未来に起きるブラックスワンについては震災被害予想を50万人から5000人というように、大胆にゼロをいくつももぎとってしまうと過去に当時の通産省から某庁に出向していた人から直截に聴いたことがあるが、現に目の前で起きていることについては、少なめに少なめに見えるようにもっていくという、subtleな通好みの誤魔化しを専らにしているようです。

ロンバルディアやニューヨークを見ていると、COVID-19の死者がおおすぎて、処理に困って、冷凍車に次から次に放り込む、プラスチックで密閉した死体を、穴にまとめて落とし込む、で、数字を誤魔化せても、現実がそこまでいってしまえば、いくらなんでも隠し通せるものではない。

日本がCOVID-19の拡散が遅い国のひとつであることは、だから紛れもない現実で、
簡単にいって、「がんばってね」と述べる以外は、なあんにもしない政府や自治体の、エンドウマメの神様でも腰を抜かすような無対策・無能ぶりはすでに世界中に報道されているのに、それなのに、なんでCOVID-19に罹るのはおれたちで、あんたたちじゃないの?と世界中の人が訝っている。

研究者の論文や、啓蒙文章、USA Todayやテレグラフのようなテキトー新聞に至るまで、JapanJapanJapanと拾い読みしていくと

1  日本で広まっているのは初期の中国型で欧州で猖獗しているものとはウイルス型が違うらしい

2 握手をしないで、離れた距離でお辞儀をしあう習慣

3 皆が皆、マスクをしてあるく、日本名物マスク軍団

4 普段は安倍の馬鹿野郎、麻生のおたんこなすと威勢がいいが、いざとなると、しおしおと政府の言うことに従って、居酒屋も行かず、エッチもせずで、言われたとおりに行動する天然全体主義

というような理由が考えられている。

程度がどの程度かは別にして、日本は感染症がすすみにくい社会であるのは、むかしから知られていて、理由は比較的明瞭で、だいたい70年代くらいから、日本人は清潔であることを志しはじめて、清潔で衛生的であることを現代的であることの指標としてきた。

バルセロナに初めて滞在した人がぶったまげるのは、ホテルに泊まれば、ホテルは外国人観光客用に出来ているので気が付かないが、普通のピソならば
例えばトイレには、トイレットシートの隣に箱がある。
蓋がマジメに閉じてあります。

なんだろう、これは?と開けて見ると、あっというまにおじいさん、なわけはないのであって、なんだか黄色や茶色がべったりついたトイレットペーパーがつまっている。

メキシコやなんかとおなじで、下水管がトイレットペーパーを受け付けない。
だから、ばっちい紙がゴミとして箱のなかに犇めいている。

あるとき、グラシアから坂をおりて、ディアグナルを歩いていたら、向こうからやってきた会社員風のおっさんが、ぐっしゃああん、とくしゃみをする。

カタルーニャの人はくしゃみをするときに手のひらで口を覆う習慣をもたないので、つばの飛沫が、ぴゅんととんで唇についたのがわかる、という珍しい経験をした。

効果覿面、次の日から高熱が出て、寝込んでしまって、一週間ピソで寝ることになった。

一緒にいて懸命に看護してくれたモニも倒れてしまって、ふたりで、このままグラシアで儚くなるのか、とマジメに覚悟しました。

友達ができると、今度は小さなテーブルをはさんで、手をのばせば届く距離で、毎晩、談笑する。

イタリアの人やスペインの人は、とにかく気心の知れた友達と集まって、わいわい言って遊ぶのが好きで、特に週末に限らず、平日でも、なにしろ、バルセロナ人は夕食を午後10時くらいに摂るが、午後9時ころになると住宅地からレストラン街へ向かって「夕飯ラッシュアワー」で混雑するほどで、普通のひとは、そういう身近な社交を生き甲斐にしている。

別れの言葉を述べあって、家路に着く前には、抱き合って、頬に口づけして、またすぐに会うのだけれど、また思わず抱き合ってしまって別れを惜しむ。

ウイルスからすると「しめしめ」な習慣で、あれで流行できなければウイルスとして失格で、神様にお仕置きとしてRNAを抜かれて、殻だけにされかねない。

そうやって考えていると、やはり日本の人の孤独な生活が奏功しているのだとおもえなくもない。

でも、「いいことばかりはありゃしねえ」と忌野清志郎も天国で歌っている。

まず満員電車がある。

ずらっと居並んでいるひとは皆マスクをしているとはいっても、ほら、そこのきみ、そう、吊革につかまっているきみです。

その吊革やポールでCOVID-19を引き起こすSARS-CoV-2は72時間、生き延びている。

隣の同僚がすぐそばに座っていて仕切りで囲ってさえいない職場の席がある。

嫌なことをいうと、きみが席を立っているあいだに、電話片手の急ぎのメモ書きに、隣の、症状は出ていないがすでに感染している同僚がちょっとボールペンを拝借して、そっと戻しておいたかもしれない。

全体に、日本は空間が小さい。

わしなどは古い地下鉄の駅で、天井の配管に頭をしこたまぶつけるという、にわかには信じがたい痛い思いをしたことさえある。

天井が低く、ドアが小さく、全体に狭小な空間にあわせて家具もミニチュアサイズで、家具と家具の間隙も小さい。

「えええー。ガメは、そういうけど、おいらの家の家具はスペイン製ですぜ」と、きみは言うであろう。

ところが、ところーが。

あれはですね。
日本市場向けに小さいサイズを工夫してつくっているのです。

むかし、初めて日本に長期滞在を画策したときに、当座に住む場所として、「高級」マンションを賃貸で借りたことがあったが、
ニュージーランドからもってきたデスクは、な、な、なんと、部屋いっぱいがデスクで、ベッドは寝室が全部ベッドで、入り口からいきなりベッドにあがりこむという不思議な生活になって、1ヶ月で早々に退散することになった。

写真で見ても、実家のラウンジのドアの横にたって上品な微笑みをたたえているわしの横にあるドアは、わし背丈の2倍は軽くあるが、日本では特に天井が高いアパートを買ったにも関わらずドアとわしが背比べしている。

日本にいたあいだ、やったあー、と小躍りしては頭をおもいきり天井にぶつけたりしていたわけである。

義理叔父に頭を天井にぶつけた、と述べると、おまえはシャチか、と言われたが、わしがシャチなのではなくて部屋がチャチなのです。

自分で読んでも、ひどい、センスのないダジャレだが、これもウイルスの蔓延のせいだと言わざるをえない。

そうやって、いやほんとにあのときは痛かったなあ、銀座駅のバカヤロウとおもいながら世界の危機についておもいをめぐらして、日本の状況を憶測すると、多分、「社会習慣によって折角拡散が遅れているのに、それを政府が活かせないでみすみす感染爆発が起きるのを待っている」くらいの状況なのではなかろーか。

twitterで、いまはなにを述べても、日本の人には実感をもって理解されたりはしないことが判っている。

マスメディアに眼を転じると、ひどい人になると、「インフルエンザみたいなものじゃないの?インフルエンザのほうが、たくさん人が死んでるじゃない」というタワケまでいる。

このあいだも、ついうっかりタイムラインの友達のリンクを押してしまって、元テレビディクターで、いまは大学で教師をしながらオピニオンリーダーをやってるんだかなんだかの、ケーハクな老人が、もっともらしい言葉遣いを工夫して、英語世界では「素人さわるべからず」と本人たちが注意喚起しているオックスフォード仮説の集団免疫を「日本では、これがすでに実現しているから、心配しなくてもいい」という、とんでもない無責任な説を述べていた。

社会習慣と国と物理的な位置、それと、ここでは内容を述べないがゼノフォビアとで生まれたチャンスを活かすことはできなかったが、それでも他国よりも数歩おくれて感染が拡大していることには、イタリア人やアメリカ人たちの成功と失敗から学ぶ、ということは出来て、これは巨大な幸運です。

ぼ、ぼ、ぼく、英語が読めないんです、どうしよう?と周章てる人がいるかも知れないが、なにもCOVID-19の情緒やニュアンスを理解する必要はないのだから、こういうときこそ、グーグルの、世界になだたるマヌケサービス、グーグル・トランスレーションを使えばよい。

懸命に読んでいけば、読んだぶんだけ、生存の確率があがってゆくことになります。

だいたい日本の人のなかで慧眼の持ち主とおぼしき人たちが述べていることを読んでいると、「アメリカの三週遅れ」という意見が多いようだ。

感染者数が増え出したことを欧州型が入ってきたせいではないか、と考えている研究者もいるようです。

このブログ記事には「自分という最も大切な友達」がよく出てくるが、今回は、そのきみの最愛の友の生き死にの問題になっている。

すべてを捨てても、まず生き抜くことだとおもいます。

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災厄日記 その4 3月31日 ビンボの跫音

オーストラリアのWoolworthsは、かなり早くからオンラインショッピング宅配サービスを止めていたが、Woolworthsがニュージーランドで展開するスーパーマーケットチェーンCountdownも、到頭、3月31日でオンラインショッピングをやめることになった。

70歳以上のひとびとや障害があって買い物に出られないひとが、あまりの需要のおおきさに買えなくなってしまったからで、たしかに、先週くらいからは見ていると、午前0時を回った途端に、サーバーが極端に重くなって、あるいは停止して、配達時間のスロットが数秒ですべてうまる、ということを繰り返していたので、無理もない。

予定通りの4週間か、あるいは8週間に延長されるか、悪くすれば、更にその先まで続くのか、ロックダウンが終われば、また増強されたサーバーで再開するというが、さて、どうなるか。

スーパーマーケット以外の小売店はすべて営業禁止で、イスラムの友達に訊くと、案の定、スーパーで売られているごくわずかのハラルミート以外は手に入らなくなったので、ひどく難儀しているようでした。

世の中というのは致し方のないもので、人間の世界の理(ことわり)、ダメな人は何をやってもダメで、巧くやっていける人は何をやっても巧くやってしまう、顕著な傾向があるが、こういう非常な事態になると、そういうことが一層顕著に顕れて、右往左往、たいした考えもなく、ストレスに駆られて、おもいついたことを次々にやっては、本来なら罹患しなくてもよかったのにCOVID-19で苦しいおもいをしたり、悪ければ生命をなくしたり、終いには耐えがたくなって、些細なことで、そこはそういう人の常として自分よりも弱そうな人間に向かって怒鳴り散らしたり、精一杯に工夫した嫌味を述べる。

日常では遭遇しないが、やはりそういう人間もどこかには存在しているようで、新聞を開くと、といってもこういう時なので物理的な新聞ではなくてオンラインのNew Zealand Heraldだが、そもそもビーチのすぐそばに住んでいて、ロックダウンルールの範囲で砂浜を散歩していた家族が、イライラおっさんに「ロックダウンなのに、ふらふらしていてはいかんではないか」と、余計なお世話で注意されて、それは、おっさんのほうが誤っているのだと母親が述べると、激昂してしまう。

記憶を比較すると、ニュージーランド人は、声を荒げる人間を激しく軽蔑するので、オーストラリア人アメリカ人や日本人に較べて、あまり声高な口論という場面を公の場では目にしない。

それでも、自己隔離の毎日がだんだん心に来て、それを他人にぶつける人が、これからは、もっと増えていくのではなかろうか。

自分はいつまで仕事についていられるのか。

職を失ったら、ホームローンは猶予されるのか。
教育ローンは、クルマのローンはどうなるのか。

ひとによっては発狂しないのが不思議なほど思い詰めているはずで、ときどきは、まあ、怒鳴るくらいで少しは気が晴れるなら、怒鳴ってみればいいよ、おもわなくもない。

オーストラリアやニュージーランドでは不動産バブルと経済好況の双子の好景気が20年以上も続いているので、例えば39歳のアーダーン首相は、大学を出てから不景気というものを見たことがない。

オーストラリアなどは、クレジットクランチもほとんど影響しなかった30年近い好景気なので、社会の中核をなしているおとなのほとんどが「不景気」というものをイメージできない。

メルボルンで、自分が持っているビルや住宅の管理をお願いしている会社でミーティングを持ったときに、管理会社の、おおきな会社で社長も居並ぶ役員も高等教育を受けた分別があるひとびとであるはずなのに、なんとはなしに、需要が高いからといって、そうそう家賃を上げるつもりはない、という文脈で「これはバブルだから」と述べたら、すかさず担当重役の切れ者で鳴る30代の女の人が、
「われわれにとっては、素晴らしいことではありませんか」と、艶然と、形容したくなる大きな大輪の笑みを浮かべたので、茫然としてしまったことがあった。

これから、あのバブルの申し子の、あのひとびとが大恐慌時に似た不景気を乗り切っていく主勢力なのかとおもうと、暗澹どころではなくて、やれやれ、これはマッドマックス的な世界になるのではないか、とさえ考える。

日本は、古色蒼然として、20世紀的な構造のまま21世紀に移行してしまった、時代遅れの産業国家だが、それでも、日本の人がどう言っても、実際には、単に「上に立つ」ひとびとがマヌケで無能なだけの、優秀な人材もたくさんいる、地力がある産業大国なので、COVID-19のあとの、不景気の、ハードパンチにも、ダウンしないで立っていられる見通しがある。

そういうことは、なにしろ、それが職業なので、はっきり言ってしまえば、経済数字を並べて「日本はもうダメだ」と断言したがる素人のひとびとや、教授や助教授の肩書きで、もっともらしくオオウソを並べる経済学者芸人のひとびとよりは、こちらのほうが、よく判る。

ダメはダメでも腐ってもゾンビなのだと言われている。
屍になっても、まだ、カクカクカックンと世界を歩きまわる経済力をもっている。

日本は、アベノミクスで根底からボロボロにされてしまってはいるが、本来は不況に強い国なのです。

それには従順に従っているふりをしながら、内心ではオカミを信用できずにfrugalなライフスタイルが身についた国民性がおおきいのでしょう。

ニュージーランドなどは経済的には、文字通り吹けば飛ぶような国で、日本が巨大なタンカーだとすると、こちらは25フィートのヨットで、おなじく世界経済のブルーウォーターの荒波を越えていっても、ちょっと油断すると横転する。

それでも70代より上の層は子供のときのホームローンの金利が年24%だった頃の、すさまじい不景気をおぼえているはずで、主に心の健康をたもつスキルにおいて、どうすればいいか判っているが、40代くらいのひとびとになると、あるいは移民してきて20年も経たないというような新移民のひとびとは、
見たことも、想像したこともない、地獄をめぐることになる。

生命がかかっているときに経済の心配をするのは、愚か者のすることで、いまニュージランド人たちが、ただ生き延びることに集中しだして、オカネのことは、生き延びたあとに心配すればよい、という態度でいるのは正しいが、オオガネモチの老人たちを相手にしてよもやま話をしているとき以外は、唇を結んで、ひとことも言わないことにしているが、ビンボ社会のイメージさえ持たないバブル経済のなかで育ったひとたちが、これからどんなふうに難局をのりきっていくのか、あるいは乗りきれずに溺死するのか、楽しみ、では語弊があるが、興味を持っている。

ちょっと今日も、のんびりと長居をしてしまったようです。

モンテーニュのエセーは、なにかに似ているとおもっていたが、根岸鎮衛の「耳袋」に似ている。

そろそろ読み終わりそうです。

宅配の中止でもワインは死ぬまで飲み続けられるほどあるが、気が付いてみるとギネスは6本しか残っていない。

どおりゃ、一本あけて、ずっと昔に予約注文をしていたのをすっかり忘れていて、ほっぽらかしにしていたら成約してしまって、¢250で買って、もっか株価が¢90のAir New Zealand株の燦然と赤く輝く含み損額を眺めて遊ぶか。

それとも、また、グラフィックが気が遠くなるほど美しいAge of Empires II: Definitive Editionで、他の文明を荒らしまわってこようかしら。

では

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災厄日記 その3 3月30日 政治

元気ですか。

と書いてから考えたが、この「元気ですか?」という挨拶が実質的な意味をもつ世界になってしまったんだね。

ニュージーランドも、だんだん欧州とおなじ様相を呈してくるのは判っているが、それでも、後から地獄に飛び込む者は、先に業火を通行したひとびとの後ろ姿から学ぶことが出来るので、少しは荷が軽いようです。

他国の人はジャシンダ・アーダーンを択んだニュージーランド人に敬意をもつ、と言ってくれるが、ニュージーランド人であれば誰でも知っている、アーダーン首相は、ニュージーランド人が選んだというよりは、あのひとの稀有な政治人としての駆け引きの才能を発揮して、当時の与党ナショナルが勝利宣言を出しているあいだじゅう政党間の交渉をして、極右政党のニュージーランドファーストと連携するという、いわばイギリス人的なえげつなさを発揮して、首相の座についてしまった人でした。

ジャシンダ? Who?

と誰もが訝しんだ。

権力を手に入れた手腕は見事だが、半年も保てばいいほうではないか、とクラブやパブでは、皆が述べあっていた。

だが見るからにうつけじみたサイモンよりは、ジャシンダのほうが、対外的な印象はいいだろうさ。

その意見を一挙に塗りかえてしまったのが、モスク襲撃事件で、この28歳のオーストラリア人が起こした銃乱射事件で51人が殺された事件のあと、世界中の政府をぶっくらこかせて、憤慨させたことには、イスラム式にスカーフをして、いまこそ、すべてのニュージーランド人が人間性を基礎にして、団結するべきだ、という素晴らしい演説で、ジャシンダ・アーダーンは一挙に国民の心をつかんで、「若い女の首相」ではない、「われらの首相」に変わっていった。

ニュージーランドは、もともと、プラグマティズムの国で、現実主義的でない人間は相手にされない。

労働党は、日本の共産党などより遙かに左翼的な政党で、冨の再分配を中心とした過激といってもよい思想をもっているが、なにしろ現実として対処できない考えには見向きもしない国民性なので、むかしから、政策だけをみると、保守党であるナショナルと、いったいどちらが資本主義政党なのかと見紛う政策がおおい。

ジャシンダの前に労働党出身の首相として国政を改革したヘレン・クラークは、もともと通りに出て反政府の活動を行っていた人で、
日本ならば過激派みたいなひとだが、いざ政権につくと、やったことは国のシェイプアップで、すさまじいリストラや無駄を削る予算案の嵐で、国は疲弊して、国民は50万人、15%に近い人口が外国に逃亡した。

だがナショナルのボルジャーと、そのコピーと保守派には悪口を言われたクラーク首相との二代で、ニュージーランドは広汎なアジア人移民を受けいれる国として生まれ変わって、かつて望めなかった生産性を獲得していった。

一連の、他国なら「革命」と呼びそうなラジカルな構造改革と白いひとの午後の微睡みのような国の文化から、変化が激しいマルチカルチュラル文化への急激な社会の変化を再構成してみせたのが、もとはメリル・リンチ本社の外国為替部長だったジョン・キーで、
ニュージーランドは、この人のもとで、急速な発展を遂げた。

「いいかげんに首相をやめて、ちゃんと父親として家庭を守りなさい」と奥さんに説教されたという、いかにもニュージーランド人な理由でジョン・キーが、「これからはもっとクルージーに生きないと奥さんにも子供達にも見捨てられてしまうので勘弁してね」とニュージーランド人なら誰にでも納得できる理由を述べて首相をやめると、ビル・イングリッシュがあとをついだが、このひとは極端なくらいのアスペルガー体質で、言葉によって説明するのが下手で、国民のなかでも愚かな層に言葉が届かないという欠点をもっていて、選挙の結果、天才的な政治的テクニシャンであるジャシンダ・アーダーンにしてやられてしまった。

ところが、このひとこそは危機に対処するために生まれてきたような人で、モスク襲撃事件に続いて、こんどはCOVID-19の国家的な危機で、政治家としての明瞭な才能をみせて、国民の、もういちだんの、尊敬を勝ち得ている。

Be strong, be kind, we will be OK.

と、この首相は述べた。

ここにbe kindと述べられるところが、この人の政治家としての天才たる所以で、出来そうで、なかなか出来ないことだとおもう。

アジア系の移民で、ニュージーランド人の心性がよく判っていない人たちは「ジャシンダは貧乏クジを引いたのだ。難局に対処して不満を一身に負って政治から退場する」というが、とんでもない見当外れで、英語人は、危機に際して自分たちを率いてクリアで強い姿勢を示した指導者を決して忘れない。

アーダーン首相は、まるで挙国一致の戦時内閣を率いるウインストン・チャーチルのように、すでにして、ニュージーランドの、女の人なので国父ではなくて国母だが、単語の意味するところからいえば、やはり国父としての地位を確立してしまったのだと思います。

このあと、経済はボロボロになる。

投資家たちのオンライン会議で、不動産会社のひとびとが、
利息はより低くなって固定だし、現況、オークションでの販売は歴史的な好調であるし、ビジネスセクタがへばっても、プロパティセクタは不調になるわけはない、とおめでたい予測を述べていたが、
いかにもバブルのときは愚かな人間ほど成功するという言い伝えどおりで、アホはアホで、そんなことが真実であるわけはない。

ちょうど戦後経済のように、オーストラリアもニュージーランドも、自分達ではちゃんと意識していないが小国なので、小国ほどダメージがおおきい不況の法則に則って、数年は蝗害にのみつくされたような荒地経済が続くだろう。

ニュージーランドは、またまた貧乏地獄の底にむかって落ち込んで居いくのが、100%わかっている。

でもね。

ぼくは、ここにいます。

このニュージーランド経済にとっては死刑宣告のようなCOVID-19禍で、もっとも分明になったことは、自分がいかにこの若い、取り柄がない国を好きか、ということだった。

モニが、それまでは強硬に主張していた「ガメは北半球に移りたいというが、わたしは反対だ」という意見を、ここ最近は言わなくなったのは、このCOVID-19禍と、ぼくの反応を知っていたからだとしかおもえない。

我妻ながら、モニには、そういう神秘的なところがあるのは、きみも知っているとおりです。

きみが家に来たときに呆れ返っていたとおり、ぼくの家は常時、1年分のストックが常備されている。

COVID-19禍が起きたのは、家の電力をすべて太陽光でまかなおうとするプロジェクトの第一段階に踏み出したときだった。

モニとぼくの眼には、この世界は、もう何年も前から乱調で、先行きをあんまり心配する習慣がない、モニとぼくにも、このくらいは手を打っておかないと困ることになるだろう、とおもわせるところがあった。

まさか、SARSバイルスで、変わるのだとはおもっていなかったが、これから10年で起きるはずの変化が、もうニュージーランドでは起きてしまっている。

現実は仮想世界におおきな領域を割譲して、学校の教育はオンライン化され、スーパーのショッピングもオンライン化されて、人間と人間が会うのは、それこそ直截のヒューマンタッチを感じたいときだけになっている。

アーダーン首相が述べたように、われわれは人間性という基礎をもとに社会を再構築しようとしている。

ドライブウェイを、ぶらぶらと歩いていって、郵便箱を見にいったら、「おい、ガメ。聞こえるか?元気か?」という声がしたので、声の方向を見やると、近所のイギリス人おっさんが、バルコニーに立って、呼びかけているところだった。

「なあ、ガメ、ジャシンダに言われて、きみもぼくもオートマティックライフルは警察に売り飛ばしてしまったが、こうなってみると、内緒で一、二丁は隠しておいたほうがよかったとは思わないか?」と言う。

この人は、たまたま近所に住んでいるが、性格的に、ケミストリから言って、ぼくの友達で、仲がいいが、おもいませんよ。

もう半自動ライフルの時代は終わったんだよ、と叫び返す。

不服そうな顔で、その気持ちは判るけれども、新しい時代は、いつも良い理由で幕を開けるわけではない。

もう、神を揺り起こしに来るひとも、稀になっているのだから。

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通りと番地

名前がついていない通りがいくつもあるのに、坂にはみんな名前が付いているなんて、なんてヘンな町だろう、と、よく考えた。

暗闇坂
狸坂
仙台坂
南部坂

家から、あちこちに散歩するのに、よくモニに得意になって説明したものだった。

行人坂
権之助坂

魚藍坂
幽霊坂

日本人の友達に西洋では通りには全部なまえがついている、と述べると、疑わしそうな顔で、

「そんなことがありうるんですか?」という。

怪訝そうな顔です。

たった20メートルしかない通りでも、もちろん名前がある。

Victoria Ave

Peach Parade

Adison Place

Johnson St

片側には奇数の番地で、もう片方には偶数の番地がついている。

「ひゃあ、それは合理的ですね」
というが、合理的もなにも、そうでなければ、どうやって家を特定する事が出来るのか。

坂はシステムではない、ところが面白い。

別に幽霊坂18番、という住所があるわけではないようでした。

ただ名前がついていて、ゆるやかな坂道に情緒が与えられている。

坂から坂へ。
南部坂をのぼって、暗闇坂をおりて、鳥居坂をのぼって、またあのレストランへ行く。

東京に住むためには、西洋的な合理を、いったん捨てる覚悟がいる。

グラシアの、名前がない坂をのぼりながら、東京のことを考えていた。

誰かに軽蔑されても仕方がない言い方をすると、日本語は、ガールフレンドの母語ではないのに、おぼえた、ただひとつの言語だった。

自分にとっては、それは初めから亡霊たちの言葉で、

筒井筒、井筒にかけし わが恋は

われながら、なつかしや、

装束のこすれる音や、異常で、美しい歩き方や、
誰がどう観ても哀しみに歪み、慟哭しているようにしか見えない面が象徴する、死の世界の言語だった。

観阿弥と世阿弥に共通する能楽の言葉の不思議さは、その言語が通俗語で、詩の言葉ではないことであるとおもう。

地に足をつけて、平板な現実を述べる言葉であるだけで、
そこには、
ギリシャ詩劇の昂揚はない。

昂揚はなくて、静まる沈黙があるだけである。

畳が沈み、
部屋の空気が沈み、
光が沈み、
影が沈んでいる。

悲哀は詩のなかにはなくて、日常にこそあるのだ、と能楽は主張する。

地を這うような高み、という矛盾した表現をおもいつく。

能楽は、途方もなく日本で、あの透明で固い悲哀は、実は野卑の美しさなのである。

野卑の美しさ。

反知性の透明さ。

愚かさの光。

近代日本語の難しさは、能楽を考える言葉にまで、西洋の視線が入ってしまうことにある。

近代日本語は日本人の言葉であるのに、西洋人の眼を通して日本を観ている。

原因は日本語がもともと翻訳のために生まれた注釈語だからだろうが、日本語では、日本人自体が、西洋の側からみた「向こう側」に立っているところが難しいのだとおもう。

気の良い主人がいる店でハモン・イベリコを買って、ピソのある坂の手前のベーカリーでパン・コン・トマテのパンを買う。

おおげさに言えば、グラシアに滞在することによって、突然、日本を理解したのだった。

カタルーニャと日本では共通点が何もないからね。

まるで別の世界。

理由は簡単で、手本にしないもなにも、日本人は近代化の過程で、いちどもカタルーニャの存在に気が付かなかった。

そんな「西洋」が存在するともおもわなかった。

カタルーニャのほうでも、おなじ惑星のうえに日本のような国が存在すると考えたことはなかっただろう。

通りと番地のシステムがないのだから、驚くべし、日本の人はみな漂流している。

記憶と地図の情緒のなかで、不確定に存在している。

郵便局の配達の人も、アマゾンの箱をたくさん抱えて右往左往する宅急便の人も、日本式住所という情緒の行き先に荷物を届ける。

日本語では座標すら相対的なのではないか。

別に悪いわけではない。

もちろん、この世界に、あらかじめ「悪い」ものなど存在しない。

住所という現実でさえ曖昧で、陽炎のようで、相対のもたれあいのなかにある日本を面白いとおもう。

イサラーゴの町を抜けて、魚藍の坂をのぼる毎日は、いまになってみると、果たして現実に存在したのか、しなかったのか。

判然としないのだけれど、日本語で日本に滞在した記憶だけは残っている。

記憶は残っているが、それがほんとうの記憶かどうかは、もう判らないくらい不分明な「時」の向こうになってしまった。

自分がほんとうに日本にいたのか、あるいはただ、ちょうど長い長いリアルな夢をみるように、日本語を学んだことが生みだしたimaginaryな体験なのか、正直に述べて、いまでは判別する方法を持っていない。

外国人特派員協会のバーや、鰻の秋本、軽井沢の森、思い出の箱には何葉もの記憶が眠っているが、それは、ほんとうに現実なのかどうか。

たしかに現実なのは、習得した日本語によるいくつもの表現だけで、残りのことは、ただ心に映った影にしかすぎないのかもしれません。

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災厄日記 その2 3月28日

ミラノにヒロシさんといつも呼んでいる日系のデザイナーの人が住んでいて、イタリアのCOVID-19の猖獗は生活習慣に拠るものではない、と述べている。

ヒロシさんという人は、考えるための頭も、観察する眼も、しっかりしている人で、しかも猖獗の中心ミラノに、毎日神経を研ぎ澄まして住んでいるのだから、その意見は尊重されねばならないが、それでも「やっぱり生活習慣がおおきいんじゃないかなあー」と南半球の絶海の孤島に住む唐変木(←わたしのことです)は考える。

イギリス人やニュージーランド人と異なって、アメリカ人はよく握手をする。

やたらと握手する、と言い換えてもいいほどです。

而して、くしゃみをあわせた両手のひらで口を覆ってしたりする。

その同じ手を、後刻、洗いもせで、ぬっと突き出して、にこやかに握手します。

NYC、分けてもマンハッタンはアメリカの他都市に較べても、人間と人間がひっついて暮らしている。

カフェやレストランでも、例えばシカゴのレストランに較べて、おおまかに言って三分の一くらいの距離で、手をのばせば届く距離に隣のテーブルの客が座っている。

東京に住んでいるひとは「テーブルのちっこさも、席と席の距離も銀座の今出来の店とおなじくらい」と言えばわかりやすいかもしれません。

しかもしかも。

21世紀になったくらいから、誰かが東京の居酒屋や蕎麦屋で観て空間のデザインに感動したとかでコミューナルテーブルが、どんどん流行りだした。

communal tableちゅうのは、つまりは長椅子で長机ですね。

かき氷屋さんなんかで、「じゃ、相席でお願いしますねえええ」などと言われて、むさくるしいおっちゃんやおばちゃんの隣で、泣きたい気持になりながらウジミルキンを食べることになったりする、あれです。

神田の「まつや」は万事江戸式の、良い蕎麦屋で、よく天丼を食べにでかけた。

蕎麦屋なんだから蕎麦を食べに行かないとダメではないか、という声が聞こえるが、蕎麦は室町砂場か赤坂の支店なので、まつやは天丼だと決まっていた。

ひとつだけ難点があって、まつやは相席と決まっている。

まあ、いいや、今日は相席でも「まつや」で天丼の上だ、と決めて、たいてい秋葉原で電子部品を買った帰り途にでかけたものだった。

日本の相席は、同席の人に対して知らんぷりをするのが礼儀で、知らぬ同士でちゃんちき天丼は礼を失しているのだと「まつや」で学習した。

ところがですね。

概形だけを日本から輸入したマンハッタンのコミューナルテーブルの店では「相席」そのものの性格ががらりと変わって、見知らぬ他人の隣の人とよもやま話をする習慣になっている。
知らない人と愉快な話をするために通ってくる人までいる。

そういうマンハッタンの生活様式をおもいだして、「アメリカは、うまくやった。スマートにコロナウイルスを抑え込んだ」というドナルド・トランプの演説を聴きながら、

あまい。
うつるぜ、ベイビー

と、ひとり呟いていた。

ニュージーランドでは、年寄りは、アメリカ人なみの頻度で握手をする。

若い世代と、どういうわけか、習慣が異なる。

だいたい、いま70代後半〜80歳くらいの人は、やたらめったら握手したがる。

農場主たちも握手する。

でもおおきな町では、握手をするのはなんだか他人行儀なので、流行らない習慣になっている。
どうしても、なにか親愛のボディランゲージを示したければハグをする。

ガメ・オベールという人のように、いきなりhongiというマオリの挨拶をする人もいる。

鼻と鼻をくっつけて挨拶するんです。

ことのほか、この挨拶が好きである。
普段使いにしている。

等々。

などなど。

とうとう。

うんぬん。

でんでん。

とつおいつ、ではイタリアの次はアメリカとスペインが危ないだろう。

初動政策でオオマヌケをこいてしまった連合王国も生活習慣とは別の理由であぶないが、日本とニュージーランドは展開が他の国よりも遅いのではないか、と、考えても、素人の仮説やすむに似たり、オオマジメな顔をしてテキトーな結論に至っているだけなのに決まっているが、世界の挨拶習慣の動画を観てみたりする。

日本には武士とそれ以外とおおざっぱに分けたくなる、ふたつの文化の潮流があるが、武士は日本刀という、やたら切れ味がいい、ぶっそうなものを腰に差して歩くせいで十分に空間がある場合には、ちょうどsocial dinstancingの2メートルにあたる距離を自然と保つ習慣を持っていた。

その一方では都市計画の失敗、というよりも不在から来た、新宿や渋谷の、犇めくような人波と世界に名高い満員通勤電車がある。

いちど横浜駅の西口のシェラトンで待ち合わせたのに、東口のそごうだと勘違いして、横浜駅の幅の広い地下道を通って西口に急がねばならない羽目に陥ったことがあったが、東口の階段の上に立って、西口まで続く、ぎっしりとパックされた人間の群れを見渡したときの恐怖心が忘れられない。

これを突っ切って行くんでっか?

無理無理無理、絶対、無理、と考えた。
だって、ぎっちんぎっちんに人間が詰まっているのだもの。

おもしろいと思うのは、あの凄い混雑で、窓ガラスにほっぺをおしつけられて、ひょっとこやお多福の、おもろい顔にされてしまいながら数十分も電車に揺られる満員電車で通勤しているのに、「日本はお辞儀の国だから大丈夫」と述べる人がたくさんいることで、多分、わざとではなくて、日本の人に特有な「不快なものは無いことにする」回路がごく自然に作動しているのでしょう。

屋上屋に仮設を重ねて、ゆらゆらぐらぐらしながら、Johns HopkinsのCOVID-19のマップを観ていたら、唐変木理論によれば感染者が少ないはずの、世界で例えばATM待ちやバス停での行列での人と人との間隔が世界一離れているので有名なフィンランドが1041人の感染者を出している。

人口が550万人の国なので、そんなに少ないとは言えないようです。

なんだ生活習慣によって感染の度合いが異なるなんて、嘘じゃん、と自分に悪態をついてみる。

ヒロシさんの意見のほうが正しいではないか。

けっきょく、いろいろに考えても、ジタバタしても、ほんの数秒ちょこちょこと手を洗って「おいらは手を年中洗うから平気だい」と嘯いても、くしゃみをするひとを観て、二三歩あとじさりしても、案外、遅いと早いの違いがあるだけで、ドイツのチャンセラー、アンジェラ・メルケルやニュージーランドの首相ジャシンダ・アーダーンが極く初期の段階で述べたように、人類の8割が感染していく、パンデミックのなかでも1918年のスペイン風邪と並んで思い出される現象になっていくのでしょう。

自分が信頼している医学研究者の友達の「習近平の再開策は致命的な誤りだ」というemailを読みながら、イタリアを戦場に変え、アメリカをのみ込みはじめて、ドイツに押し寄せ、日本もニュージーランドも均しく巻き込んでいきそうにみえるCOVID-19が、どんなふうに社会の構造を変え、人間の思想を変えてゆくか、考えてみる。

でももう、ひねもすのたり、長くなったので、明日。

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災厄日記 その1 3月26日

小さい人たちをみていると、「自分が判っていないということを判っている」ことが叡知の第一歩であることが手に取るようにわかる。

いちど家の小さい人のひとりが、いまよりももっと小さかったときに、

「どうも自分はコウノトリに運ばれてきたのではないような気がする」

と厳粛な顔で述べたことがある。

「そうですか。では、どこから来たのだと、きみはおもうの?」

と訊くと、ふたたび厳粛な顔になって、しばらくジッと沈思に耽ってから

「判らない。世界は謎だらけだ」

と言って、ホールウェイをトコトコと立ち去っていった。

見るからに頭のなかの「未決箱」にいれて、ほかの、たくさんのたくさんの「自分には判っていないこと」の仲間入りをさせたのであって、
父親としては、どうも、やっぱり、おれよりは頭がいいようだ、とニンマリしてしまった。

判りもしないのに、結論めいたことを考えつかないところが、聡明さの萌芽をなしている。

例を挙げても、判らない人には判らないのだから、これ以上例なんか挙げやしないが、専門家が往々にして自分の専門のことについてバカなのは、自分が専門のことについては「判っていない」ということを認める回路にロックがかかっているからだと思われる。

そこに罠がある。

ニュージーランドは、昨日、24日の午後11時59分から国家緊急事態宣言とともに国ごとロックダウンした。

時間が妙に中途半端なのは英語ではmidnightが分水嶺のどちら側に属するか曖昧な単語だからです。

3月26日が始まった瞬間には、もうロックダウンに入っているんだからね、という意味です。

現実主義の知恵は英語文明の国ならどこの国の国民でも持っている、というわけではない。

むかし、第二次世界大戦の前にイギリスの海軍士官がノーフォークで入港してくる軍艦を観ていたら、両舷にでっかく数字が描かれていて、
アメリカ人は海軍軍人の癖に艦艇の名前もおぼえられないのか、と内心で可笑しがったが、いざ戦争になってみると、同型艦がたくさん製造されて、あれとこれを区別するのにたいへん便利で、なるほど現実主義の知恵とはこういうものかとおもった、という話が本に出ている。

疑い深いことをいうと本に書いてあるからほんとうだとは限らないが、イギリス人よりもアメリカ人のほうが遙かに現実をうまく処理するための知恵に満ちているのは、ほんとうです。

アメリカ人の現実主義には、ずっと長いあいだ豊かな国でありつづけてきたことからの「音楽性がある」と呼びたいくらいの小気味よさがある。

今回のCOVID-19禍でも、中国が土臭いドコンジョを発揮してブルドーザーとディガーの大群を並べて病院を急速建造してみせれば、アメリカは、さっさと札束を用意して、ホテルやモテルを買い漁って病院に改装する。

ここで念の為にいうと、躊躇せず、まして「お国のために安く貸し出してくれ」などと言い出したりせずに、バババッと買い取ってしまうスピードが現実主義の現実主義たる所以で、現実主義の根幹は現実に対処するスピードであることは、台湾のAudrey Tangが率いるチームの活躍を観てもあきらかなことでした。

現実主義というものには、根に、聡明さがあって、その聡明さは叡知に根ざしている。

その叡知には「自分には判っていないことを、判っていないのだと明瞭に知っている」という核がある。

これから、出来れば毎日(←ほんとですか?)、この世界的な災厄である相貌がだんだん明らかになってきたCOVID-19禍に席捲されつつある世界を記録していこうとおもうが、まずは出だしにおいて、
対策がうまくスタートした国と、のっけからあさっての方向に歩き出してしまって、「集団免疫」だのと大衆心理をまるごと失念した絵空事を述べたりして、おおきく出遅れてしまっている国を岐ったのは、「自分に判っていないことを、判っていないと、ちゃんと意識していたかどうか」であることは是非書き残しておきたい。

早急に結論を出したがるのは、いわば人間の思考の癖なので、いかんともしがたい、というか、やむをえないことだが、怖がってから正しく考えればいいものを、正しく怖がっていては、いったい何人余計に死ぬことになるのか、想像したくもない。

正しく怖がるためには、怖がる対象を判っていなくてはならない。

判らないことは正しく怖がりようがない。

専門家は「いや、ぼくには判っている」という。

なんという嘘つきだろう。

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パンデミック

いったんベッドに入ったら、COVID-19の話は禁止という非常時命令がモニさんからくだっているが、守るのがなかなか難しい。

報道も一面COVID-19禍のトピックで埋まっている。
北半球の友達たちも南半球の友達たちも、skypeで話題になるのはCOVID-19禍のことばかりで、しかも、身から出た錆、悪ふざけが好きな友人ばかりなので、ありとあらゆるデマ、陰謀説をアーカイブして、お互いにだましっこをやっている。

そのうちのいくつか、というよりも、大半は、インチキとは言っても専門知識を駆使した巧妙きわまる説なので、いくら日本語で、しかもブログにしか過ぎないといっても、ここに書くわけにはいかない。

自由主義世界の攪乱を狙うKGBでも憧れをもちそうなほどの出来です。

陰謀論やデマで頭をいっぱいにしながら、何をしているかというと、本ばかり読んでいる。

日本語もあります。

最近、書籍編集者の友達に教えてもらってツイッタでフォローしている、「森の人」と呼んでいる、まっすぐに聳える大樹のような人がいるが、本を書いて生きてきた人なのに、その人の本を読んだことがないのでは情けないので、集められるだけ集めてもらって、まとめて送ってもらった。

アマゾンジャパンが海外への本の発送をいっさいやめてしまったので、セカンドハンドでしか入手できない本と一緒に書店で買える本も送ってもらう。

アンドレ・ブルトンの「ナジャ」は英語世界では微妙な本で、なにがどう微妙なのかというと、なあんとなく、この本はフランス語で読むことになっている。

いま思い出してみても、英語版のナジャを観た記憶がない。

もっとも記憶自体がないような人間が思い出しているので、あるんだかないんだか、頼りにならないが、少なくとも自分の友達たちは全員がフランス語で読んでいたと思います。

日本語は、簡単に想像がつく、翻訳の格として小笠原豊樹や上田保を思い起こさせる素晴らしい訳で、読んでいるうちに、まるでフランス語で読んでいるような錯覚を起こさせるのは、つまりは翻訳をしている森の人が、この物語を深く愛しているからでしょう。

もうひとつ、いつものことだが、日本の人の幸運さをおもわずにはいられなくて、ずっとブログを読んできてくれた人は皆が知っているように、日本の「翻訳文化」には、21世紀の世界を流通する情報や知識が瞬時に共有される時代にあっては致命的な所があるが、それでも、さっき妹や母親と家庭の団欒において離していた言葉で、この質がめっちゃ高い訳で、ナジャが読めるのは、日本の人が営々と築き上げてきた文明の上に咲いた、信じがたいほどの僥倖というほかはなさそうです。

なにごとによらず集中力が40分しか続かないウルトラプーなので、40分を超えると、脳裏のライトが赤く点滅しはじめて、気が付くとジュワッチになってカウチに寝転がってラップトップを開けている。
英語の記事をだらだらと読んで、そこから飛んでウイルスの構造についての、ほんの少し専門的な解説を読んだり、疫学の概説みたいな学術よりの記事や、疫学の数学モデルをお温習いしたりして遊ぶ。

家のなかをぶらぶらと歩いていって、モニさんにチューしたり、小さいひとびとにご挨拶を述べに行く。

わし家は礼儀正しい家なので、猫さんたちも、一日にいちどは、必ず挨拶にやってきます。

午前6時に寝室にやってきて元気な声で挨拶するのはやめてほしいとなんどお願いしても人語がわからないふりをして、聴いてもらえないが。

雨が降ったので、折角の機会、ベジガーデンのブロックをデザインしなおすことにして、グリーンオニオンはここ、おお、雑草だとおもったらお芋ちゃんではないか、素晴らしい、ではここは全面的にスウィートポテト地帯にしましょう、カボチャはここ、ビートルートは随分立派なのが出来るので、これも拡張しましょう、と見て回る。

庭の隅のベンチに腰掛けて、大空を観て、ふと、隔離された病室で、誰にも看取られず、愛するひとびとに別れを告げることすらできずに、孤独な死を死んでいく、何万というひとびとのことを考える。

文明世界の、特に都市に住んでいる人は、時に、自然の残酷さを忘れてしまっている。

自然はやさしいものだと信じ込んで、そのまま一生を終えるひとたちすら存在する。

冬に、十日間でもトランピングに出れば、自然の苛酷さ、容赦のなさは簡単に実感できる。

まして25フィートのヨットで陸影のないブルーウォーターを行けば、もうダメだ、このままぼくは自然に殺されて終わりだと観念することは幾度もある。

40フィートを越えるヨットを出しているときでさえ、晴れて凪いだ午後に、水平線の向こうがわずかに膨らんでみえて、いったい、あれはなんだろう?と訝しんでいると、平穏な海の、そこだけ意志をもってつくったような巨大な三角波がこちらに向かってきて、必死で逃れる、持ち合わせの自然への知識で金輪際説明がつかない事象に見舞われたことがある。

例えば連合王国には、人の手が入った自然以外はいっさい存在しない。
有名なシャーウッドの森も種を明かせば人間の手による植林で、それ以前は沼沢でしかなかった。

ニュージーランドの南島には、いまでもモアがひそかに棲息しているという根強い噂がある人跡未踏の原始林があって、そこにいけば、本来の自然が、いかに人間に対して敵対的なものか肌でわかる。

気が弱い人は、自然と地球の人類に対する明瞭な嫌悪感と敵意を受け取るでしょう。

COVID-19は、津波と地震とは形が異なる自然の厳しさの表現で、だから、イタリアでは、韓国では、と国境で区別して話をたてたがる人間たちを嘲笑するように、パンデミックになっていった。

医療従事者や政府の対策立案者がつねに考えては、頭から振り払って、考えないことにしているのは、「結局、なにをやっても時間の問題なのではないか」、自然の巨大な力を前にした人間の無力感です。

自然は常に圧倒的で、人間の側の「この社会の握手やハグをしない習慣のせいで、われわれは幸運にも災厄を免れた」「ITの力で迅速に対処できたのが惨禍を最小に出来た理由だとおもう」

インドの人々は、つい先週まで、自分達は手を使って食事をする習慣に、こんなに感謝したことはない、おかげで我々にはCOVID-19の洪水が及ばなかった、と述べていた。

あるいはグローバリズムのせいだ、と説明する人は、1918年のパンデミックは第一次世界大戦中で、グローバリズムどころか、正反対の国権主義のただなかの出来事だったことを忘れている。

現実は、それぞれが属する集団の、国民性や文明の特性によって、ひたすら大丈夫と決め込んで、なぜ大丈夫かという説明を懸命に探したり、あわてふためいて、品物もあろうにトイレットペーパーを買い占めてみたり、はては、奪い合って殴り合いを演じたり、つまりは、自然の、人間の想像力を遙かに越える、巨大な冷酷さ、容赦のなさに、人間の魂のほうはショックを受けて茫然としているだけなのかもしれません。

疫学的な予見においては世界で最も頼りになると思われているLarry Brilliantは、COVID-19のパンデミック化による死者数を1億〜1億6500万人と見積もっている。

アメリカのCDCはBrookingsがもたらす知見をベースにして見積もっているように見えるが、Larry Brilliantよりもずっと控えめな数字で、2020年末までに6000万人が死ぬだろうと見積もっている。

すでに過半の地域は命運が定まったように見える世界のなかで、せめても「ついにCOVID-19の克服に成功した。もうすぐ、春がやってくる!」と喜びにひたっているように見える日本や、素早い初動で立ち向かっている台湾やニュージーランドが、等しく、COVID-19の破壊から実際に逃れうることを、ほんとうに、心から願っています。

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死ぬことと見つけたり

人間の一生は陽炎に似ている。

生まれて、太陽が昇るように成長して、やがて崩れ落ちるように老いて、土に帰る。

そのあいだに、たかだか数種類の言語をおぼえ、オウムのように話し、森の賢者オランウータンのように沈思して、真実を求め、意味のない感情に駆られ、ときには嘘をついて、人間の知力の限界から来る愚かさの海を必死に泳ぎ渡る。

たいていは、途中で力尽きて溺れてしまうのだけど。

夏の午後、近所のクリケットグラウンドで遊んでいる十代のひとびとを観ていたら、一瞬、ふっと半分、透きとおってみえたような気がした。

まるで目の前でクリケットに興じているひとたちが、電波で不安定になって、ふらっと揺れる、粒子も粗い映像のように見えた。

人間のフィジカルな存在を稠密な肉体として認識する感覚は、そもそも間違っているのではないか、と無意味なことを考えた。

考えてみれば直ぐに判るが「現実」とは認識のことで、認識だけが現実であることを、もう近代の人間は知っている。

そして、しかも認識は上下、前後というような基本的な感覚さえ曖昧で頼りない、信頼がおけないものであることは、例えば黄昏どきに小型飛行機を飛ばしてみればすぐにわかる。

ちょっと油断すると、重力というものがあるから判りそうなものなのに、空と海の区別がつかなくなる。

自分が通常の姿勢で飛行しているのか、裏返しの姿勢で飛んでいるのか、降下しているのか、上昇しているのかすら判らなくなることがある。

それはつまり、自分の存在という確からしさのなかでは最大のものですら、ほんとうかどうか判らない、ということを意味している。

日本語の文明では、ひとの一生において最も確からしいことは自分が生きて存在していることよりも、自分が死ぬという現実のほうにあった。

日本人の思想は「死から見た生だけが真実の生なのだ」と主張して、生を軽んじて、たいしたことがない仮の姿だとみなして、旅の恥は掻き捨て、生きているあいだのことは、多少のさもしさや卑しい行動もおおめにみるべきだとされてきた。

日本のたいそう根が深い全体主義思考や、他者に対するempathyの欠如は、要するに、生を軽んじることから帰結している。

日本文明はマヤ文明以来、と言いたくなるような死の文明で、死者が常に生者よりも尊敬され、死者への悪口は宗教的な禁忌であって、人が称賛されるのは死後のことであるのが普通の社会を築き上げた。

近代日本の問題は、死の側に立って生を見る、この独特の文明が現実の間尺にあわなくなってしまったことで、日本文化の西洋化の最も深刻な影響は、そこにあるように思える。

日本人も生を楽しみたくなったが、歴史を遡っても、例えば江戸時代の商人や職人、「江戸庶民」のような、倫理が完全に欠落した野放図な享楽文化以外にはロールモデルが存在しない。

イザベラ・バードが書き遺した「昼間から酒を飲んで酔っ払って小博打を打つ」町人たちの姿くらいしか見あたらない。

社会の側からいえば言うまでもなく、「市民の形成に失敗した」と形容することが出来て、それがいまの、民主主義を標榜する日本の苦しみになっている。

日本の人は、自分を幸福にするためには、いままでの現実でありえない死の文明に立脚した価値観を覆さなければならないだろう。

現代の日本を見渡すと、死の文明が生みだした価値観を最も声高に主張しているのは武士道の名残を信奉するひとびとで、責任を取れの強調が「切腹しろ」「腹を切れ」で、観察では、人間的に卑しい人ほど「武士は食わねど高楊枝」「武士の情け」というような表現を愛用しているように見えます。

よく見ると、同じ人たちが面白いように、判で捺したように「馬脚をあらわした」とも述べるので単に頭のなかで蠢いている語彙が古くさい右翼壮士風の言語で、思考そのものがクリシェ化しているだけなのかもしれないが、そうであったらそうで、結果は同じなのは、人間の意識が言葉そのものである以上、あんまり説明する必要がない。

そう。

異なるいいかたをすれば「言語の潜在意識の隅々を浸している武士道を正面から否定すること」が、いまの日本人には必要なのかも知れません。

西洋の社会全体の屋台骨を支える倫理の概念に激しいコンプレックスと畏怖を感じた新渡戸稲造が、ようやっと「武士道」に抗弁の道を見いだして以来、日本の人は、近世武士道を西洋の倫理の体系に対抗しうるものとみなしてきたが、その選択は、ほぼ自動的に、根深く、揺るがない民族全体にしみついたような全体主義思考を生みだすことになった。

滅私奉公、忠誠、俘囚の辱めを受くることなかれ….等々
いずれも近世武士道の教えから来ているが、おもしろいことに、近世武士道はサラリーマン化したあとの、朝から酔っ払って登城していた武士が山ほどいた江戸時代の武士の世界を背景につくられたせいで、本来の、というのは室町時代までの、武士の生死観や、哲学とはまったく正反対というほど異なっている。

現実の強度テストを受けていない机上の観念なので、考えて観ると、この近世武士道を日本人が信奉するようになって以来、日本人の考えがうまく有効に働いたことは一度も無い。

ただただ個人としての人間を不幸にするだけで終わっている。

人間の一生は陽炎に似ている。

人間の存在の儚さは、およそ知性がある者ならば誰でも感得している。
なんということはない一日の日常のどこかで、自分の肉体が、すうっと透きとおって消えるビジョンを持った経験がないひとは少ないだろう。

だが、その儚さは人間の生への愛おしさにつながっている。
まるで掠れた音楽のように、途切れ途切れに奏でられて、突然終わる、その調べを、誰かが死んでしまったあとに涙と一緒におもいだす人間の良い習慣は、その儚さの意味を知っているからだとおもう。

死の側に立った生では、その儚さの代わりに投げ槍で不貞不貞しい、マナーの悪い旅人としての生があるだけで、短い一生が終わってしまう。

刀をおいて、180度、向きをかえて、生の側から自分と静かにむきあう。

そこからしか日本語人の一生は始まらないのかもしれません。

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