読書人紙面掲載 特集
映画作家の共和国は、すでに終わりを迎えています。ここロールでは、同じくロールに住んでいるストローブにさえ会うことはまったくありません。私が彼について知っている全ては、彼が病気である、もしくは、私のようにして優れた健康状態ではないということです。彼と一緒になって、何かを本当にできたということは一度もありませんでした。最初に一度だけ手助けして、彼が感謝の気持ちを示したことは覚えています。しかしそれを別とすれば、私の作品の四分の三を、彼は好きではないと思います。私は、彼の作品が好きです。ストローブは、彼の晩年の作品と共に、古典的意味において、現存している唯一の彫刻家 です。彼は、ロダンもしくはミケランジェロが石または大理石を攻撃したように――例えスクリーンが平らでしかなかろうと――映画を攻撃しています。もしくは、カミーユ・クローデルのようにといってもよいのかもしれません。そうやって、私はストローブの映画を考えてきました。そのことに関しては、誰も指摘していません。そして彼自身もわかっていないのだと思います。しかし私は、彼にそのことを話せません。彼は「まさか…!」と振る舞うでしょう。
たった一人で、映画とともにいるためには、それに値する能力が本当に必要です。まるで画家のようです。四分の三の画家は狂うか、酒に溺れてしまいます。多くの偉大な画家は……狂ってしまう。私は、私に関して感じるのは……人々は私も気が狂っているように言います。かつてマルグリット・デュラスに「あなたは狂っているのか、呪われているのかだわ」と言われたことがあります。しかし彼女は「あなたは、頭が常軌を逸している」という意味で狂うという言葉を用いていました。あなたはこうであるから、そうである。今では違います。狂う。そうあるだけです。今では異なるのです。私は狂うかもしれません。私は、自分がそのようになるとは思いません。しかし、それは危ういものです。そのうえ、身体というものはそれ自体が狂気を孕んでいます……映画が、私の狂気の見張りともなるのでしょうか。しかし、狂気の見張りによって、私たちは囚人のようになります。
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更新日:2020年4月4日
/ 新聞掲載日:2020年4月3日(第3334号)
ジャン=リュック・ゴダール
純真な信徒〔フィデル・カンディード〕
『イメージの本』からの発言(翻訳=久保宏樹)
第2回
映画作家たちの共和国
映画作家の共和国は、すでに終わりを迎えています。ここロールでは、同じくロールに住んでいるストローブにさえ会うことはまったくありません。私が彼について知っている全ては、彼が病気である、もしくは、私のようにして優れた健康状態ではないということです。彼と一緒になって、何かを本当にできたということは一度もありませんでした。最初に一度だけ手助けして、彼が感謝の気持ちを示したことは覚えています。しかしそれを別とすれば、私の作品の四分の三を、彼は好きではないと思います。私は、彼の作品が好きです。ストローブは、彼の晩年の作品と共に、古典的意味において、現存している唯一の
たった一人で、映画とともにいるためには、それに値する能力が本当に必要です。まるで画家のようです。四分の三の画家は狂うか、酒に溺れてしまいます。多くの偉大な画家は……狂ってしまう。私は、私に関して感じるのは……人々は私も気が狂っているように言います。かつてマルグリット・デュラスに「あなたは狂っているのか、呪われているのかだわ」と言われたことがあります。しかし彼女は「あなたは、頭が常軌を逸している」という意味で狂うという言葉を用いていました。あなたはこうであるから、そうである。今では違います。狂う。そうあるだけです。今では異なるのです。私は狂うかもしれません。私は、自分がそのようになるとは思いません。しかし、それは危ういものです。そのうえ、身体というものはそれ自体が狂気を孕んでいます……映画が、私の狂気の見張りともなるのでしょうか。しかし、狂気の見張りによって、私たちは囚人のようになります。
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