読書人紙面掲載 特集
映画を、ときおり違った見方をすることがあります。もしテレビがギャバン出演のドラノワ〔註9〕の映画を放映するのならば、「その当時の映画」のようにして見ます。アーカイブとして見ます。面白いものではありません。
昨日か一昨日、オーソン・ウェルズの『黒い罠』を見ました。映像と演出にとても見惚れてしまいました。シェークスピア翻案の作品は文学的であり過ぎて出来がよくないと思いますが、作品自体は非常に申し分のないものです。『黒い罠』は本当に映画的であり、当時B級映画と呼ばれていたものでした。ええ、驚くべき作品であり、「いかにしてウェルズはチャールトン・ヘストンのばかを動かすことができたのか」と考えることになりました。
今日になって、ヒッチコックの映画で邪魔に感じるのは、音楽です。一〇倍ほど多過ぎます。バーナード・ハーマンでさえ、多過ぎる、多過ぎるのです。もしヒッチコックを見るのであれば、音を消した状態で見ます。いつでもというわけではありません。しかしながら、断片的に無声にします。音のない状態では、わざわざ強調する必要のないこと、起きていることをよりよく理解することができます。そして、台詞は本当に役に立っているわけではありません。「一体何が起きているのか」「彼はこれから何をするのか」を自分で考える必要があるのです。その方が、より面白くなるのです。物語に結びつき過ぎていた初期の無声の作品にはなかった、より興味深い隠れた内容があります。今日の世界では異なります。もしBFM―TV〔註10〕を無声で見るならば、何が起きているのか理解できません。それとも、何かが書かれているか、加えて世界で起きていることには字幕がついているようであるか…私はLCIの方が好きです。人々に、同じ顔ぶれに、つまり「演者」に興味を持つことになるからです。
現実の名残とは、つまり映画の変遷においてもその一部が維持し続けられたものは、テレビ、メディア、タブレット、幾千ものイメージではありません。そうではなく、私たちに残されたものとは「映画と写真に存在していたものにとどまり続ける」ことなのです。グーピル〔註11〕は、ダニエル・コーン=ベンディットと共に別の道を選びました。彼は、ボタンを押せば現実があると考える他の映画作家たちの一部をなしています。それが彼らを見つめる…その「それが彼らを見つめる〔註12〕」という表現の中の、「それ」がどなたなのか私にはわかりません。カインの眼でしょうか。
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更新日:2020年4月4日
/ 新聞掲載日:2020年4月3日(第3334号)
ジャン=リュック・ゴダール
純真な信徒〔フィデル・カンディード〕
『イメージの本』からの発言(翻訳=久保宏樹)
第4回
ラッシュを選びとるように映画を見る…
映画を、ときおり違った見方をすることがあります。もしテレビがギャバン出演のドラノワ〔註9〕の映画を放映するのならば、「その当時の映画」のようにして見ます。アーカイブとして見ます。面白いものではありません。
昨日か一昨日、オーソン・ウェルズの『黒い罠』を見ました。映像と演出にとても見惚れてしまいました。シェークスピア翻案の作品は文学的であり過ぎて出来がよくないと思いますが、作品自体は非常に申し分のないものです。『黒い罠』は本当に映画的であり、当時B級映画と呼ばれていたものでした。ええ、驚くべき作品であり、「いかにしてウェルズはチャールトン・ヘストンのばかを動かすことができたのか」と考えることになりました。
今日になって、ヒッチコックの映画で邪魔に感じるのは、音楽です。一〇倍ほど多過ぎます。バーナード・ハーマンでさえ、多過ぎる、多過ぎるのです。もしヒッチコックを見るのであれば、音を消した状態で見ます。いつでもというわけではありません。しかしながら、断片的に無声にします。音のない状態では、わざわざ強調する必要のないこと、起きていることをよりよく理解することができます。そして、台詞は本当に役に立っているわけではありません。「一体何が起きているのか」「彼はこれから何をするのか」を自分で考える必要があるのです。その方が、より面白くなるのです。物語に結びつき過ぎていた初期の無声の作品にはなかった、より興味深い隠れた内容があります。今日の世界では異なります。もしBFM―TV〔註10〕を無声で見るならば、何が起きているのか理解できません。それとも、何かが書かれているか、加えて世界で起きていることには字幕がついているようであるか…私はLCIの方が好きです。人々に、同じ顔ぶれに、つまり「演者」に興味を持つことになるからです。
現実の名残とは、つまり映画の変遷においてもその一部が維持し続けられたものは、テレビ、メディア、タブレット、幾千ものイメージではありません。そうではなく、私たちに残されたものとは「映画と写真に存在していたものにとどまり続ける」ことなのです。グーピル〔註11〕は、ダニエル・コーン=ベンディットと共に別の道を選びました。彼は、ボタンを押せば現実があると考える他の映画作家たちの一部をなしています。それが彼らを見つめる…その「それが彼らを見つめる〔註12〕」という表現の中の、「それ」がどなたなのか私にはわかりません。カインの眼でしょうか。
〔註9〕[訳註]ジャン・ドラノワ=映画監督(一九〇八―二〇〇八)。『ノートルダム・ド・パリ』『メグレ警視』のシリーズなどで知られる。
〔註10〕[訳註]BFM―TVの報道は、事件現場の映像を見せながらオフの声と画面上の文字によって、事件の概要を説明する傾向がある。一方でLCIは、アナウンサーとゲストがスタジオで、事件について説明する傾向がある。
〔註11〕[訳註]ロマン・グーピル=映画監督(一九五一―)。ゴダール のかつてのアシスタント。『三十歳の死』(一九八二)などで知られる。五月革命の指導者の一人であった政治家ダニエル・コーン=ベンディットは、グーピルの古くからの友人。二〇一八年には『横断』を共同監督。
〔註12〕[訳註]「それは彼らの問題である」「それは彼らに関わる」と意訳できる仏語の慣用表現。
〔註10〕[訳註]BFM―TVの報道は、事件現場の映像を見せながらオフの声と画面上の文字によって、事件の概要を説明する傾向がある。一方でLCIは、アナウンサーとゲストがスタジオで、事件について説明する傾向がある。
〔註11〕[訳註]ロマン・グーピル=映画監督(一九五一―)。ゴダール のかつてのアシスタント。『三十歳の死』(一九八二)などで知られる。五月革命の指導者の一人であった政治家ダニエル・コーン=ベンディットは、グーピルの古くからの友人。二〇一八年には『横断』を共同監督。
〔註12〕[訳註]「それは彼らの問題である」「それは彼らに関わる」と意訳できる仏語の慣用表現。
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