読書人紙面掲載 特集
『イメージの本』のために、現代の作品を選ぶのと同じようにして、アンリ・ラングロワにまで遡り、私の辿ってきた道筋に起因するいくつかの映画作品を選びました。自分自身に向かうよりも、映画に向かったのです。しかし私は、全ての映画を――総てを、全てを、すべてを――好きであったラングロワのようではありません。国家は、ラングロワのそうした一面を理解していませんでした。
可能な時には、ジョスリーン・サアブの本のためのようにして、映画作家たちを手助けすることに喜びを感じていました〔註13〕。することができたのは、僅ばかりの経済的な援助です。ジョスリーン・サアブには、私がパレスチナを訪れた時代に出会いました。『イメージの本』第二部「恵まれたアラビア」の幾つかの映像の撮影のために、私はチュニジアにまで行きました。それにも関わらず、映画を信じていた、または信じようとしていた人々によって作られた映画作品を選ぶことにしました。私が今日行っていることに関して言うならば、そのように信じたいと思う欲望は失われています。チュニジアの若い映画作家たちには、もしくは、そこそこ若い映画作家たちには、私にはより古くからあると感じられる、映画への欲望があります。もし現実を撮影するのならば、それは現実になる、と彼らは信じています。そのようなチュニジアの映画から、私は「ショット(=du plan)〔註14〕」を、ある時代において「ショット」であったものの断片を選び取りました。トリュフォーと一緒になって、「ショット一つ一つによる考えが必要だ」と私たちは言っていました。チュニジア人たちの作品から映像を選びとる際に、そのようなことを感じ取りました。私は、三、四百本のチュニジア映画を見ました。映画しか存在しない瞬間を探しました。私が作ろうとする映画のための「ラッシュ選び」みたいに鑑賞したのです。以前も、すでにそのようにして映画を見ていました。トリュフォーがインタビューにおいて「ジャン=リュックは、三つか四つの映画の断片を一日で見ている」と語っていましたが、それは事実です。
「イスラム国」の映像は、偉大な映画とは言えません。別のものと結びつけなければいけません。例えば、「なんという恐怖」との結びつきはテキストによって行ない、もし人々が覚えているのならば、コクトーの映像を置きます。私には、まだそのような発想力が残っています……今日において、私は別のところへと行く必要があります。私にはもう知識がなく、その蓄えがないからです。少しわき道へと逸れていくか、統一性を得るために、すべてをやり直す必要があるのです。
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更新日:2020年4月4日
/ 新聞掲載日:2020年4月3日(第3334号)
ジャン=リュック・ゴダール
純真な信徒〔フィデル・カンディード〕
『イメージの本』からの発言(翻訳=久保宏樹)
第5回
『イメージの本』のためのラッシュ…
『イメージの本』のために、現代の作品を選ぶのと同じようにして、アンリ・ラングロワにまで遡り、私の辿ってきた道筋に起因するいくつかの映画作品を選びました。自分自身に向かうよりも、映画に向かったのです。しかし私は、全ての映画を――総てを、全てを、すべてを――好きであったラングロワのようではありません。国家は、ラングロワのそうした一面を理解していませんでした。
可能な時には、ジョスリーン・サアブの本のためのようにして、映画作家たちを手助けすることに喜びを感じていました〔註13〕。することができたのは、僅ばかりの経済的な援助です。ジョスリーン・サアブには、私がパレスチナを訪れた時代に出会いました。『イメージの本』第二部「恵まれたアラビア」の幾つかの映像の撮影のために、私はチュニジアにまで行きました。それにも関わらず、映画を信じていた、または信じようとしていた人々によって作られた映画作品を選ぶことにしました。私が今日行っていることに関して言うならば、そのように信じたいと思う欲望は失われています。チュニジアの若い映画作家たちには、もしくは、そこそこ若い映画作家たちには、私にはより古くからあると感じられる、映画への欲望があります。もし現実を撮影するのならば、それは現実になる、と彼らは信じています。そのようなチュニジアの映画から、私は「ショット(=du plan)〔註14〕」を、ある時代において「ショット」であったものの断片を選び取りました。トリュフォーと一緒になって、「ショット一つ一つによる考えが必要だ」と私たちは言っていました。チュニジア人たちの作品から映像を選びとる際に、そのようなことを感じ取りました。私は、三、四百本のチュニジア映画を見ました。映画しか存在しない瞬間を探しました。私が作ろうとする映画のための「ラッシュ選び」みたいに鑑賞したのです。以前も、すでにそのようにして映画を見ていました。トリュフォーがインタビューにおいて「ジャン=リュックは、三つか四つの映画の断片を一日で見ている」と語っていましたが、それは事実です。
「イスラム国」の映像は、偉大な映画とは言えません。別のものと結びつけなければいけません。例えば、「なんという恐怖」との結びつきはテキストによって行ない、もし人々が覚えているのならば、コクトーの映像を置きます。私には、まだそのような発想力が残っています……今日において、私は別のところへと行く必要があります。私にはもう知識がなく、その蓄えがないからです。少しわき道へと逸れていくか、統一性を得るために、すべてをやり直す必要があるのです。
〔註13〕『イメージの本』第二章「サンクトペテルブルクの夜」において、ジョスリーン・サアブ(一九四八―二〇一九)の『戦争の子供達』(一九七六)の抜粋を目にすることができる。その映画作家の死の数週間前には、ジャン=リュック・ゴダールの援助、エリアス・サンバーの序文によって、写真集が出版された(ジョスリーン・サアブ『戦争地帯』二〇一八)。[訳註]エリアス・サンバー=パレスチナ出身の歴史家(一九四七―)。
〔註14〕[訳註]本文冒頭のセリーヌの言葉にある「平面(du plan)」と「ショット(du plan)」は同じ言葉で表現される。
〔註14〕[訳註]本文冒頭のセリーヌの言葉にある「平面(du plan)」と「ショット(du plan)」は同じ言葉で表現される。
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