読書人紙面掲載 特集
『イメージの本』は、『映画史』のいくつかの瞬間の脚注であると言うことができるでしょう。「為すことを除いて」、為さないことを除いて……私たちはなんでも言うことができる。そういうものが、言語の倒錯です。
言語のおかげで、自分自身の非力さを許すことができます。『イメージの本』の第二部「恵まれたアラビア」は、第一部よりも「映画的」ではありません。それでは、正当ではないと考えました。うまくいかないものがありました。そして「ああ、そうだ。アラブ人たちが好かれていないのだから、私が第二部を好きではなくても、当然だ」と考えました。自己弁明するために、私たちはいとも簡単に論拠を見つけてしまう。「なんでも言ってしまう」。そして第二部は、そのようにして作られなければいけなかったのだと、私自身思い込もうとするのです。私の引用したアラブ映画の断片も同じです。それらはほとんどチュニジア映画(これらの映画にはお金を少し支払いました。他の映画とは一緒にできないものだったのです)からの引用でしたが、何かしっくりこないと感じても、ああ、アラブ世界だからだ! と言って済ませていたのです。ところが引用したそれらの映画の断片は、場違いなのではなく、おそらく他のものよりも具象に向いていなかったのです。実際、それらにはショット が少ない。その結果として、彼らは写真に回帰します。おまけに、彼らはしばしば写真をそのまま映画に使用していました。
『イメージの本』の二つのパートは、コスリーの小説から手をつけて〔註15〕、続けて第一部が導入部のようにして不可欠なものとなりました。私が映画を二つに、二つのパートに、二つのジャンルに分けるようになったのは大昔のことです。もしくは、ヌーヴェル・ヴァーグの時代以来、その当時私が書いたジャン・ルーシュの映画への記事のようにして、ドキュメンタリーとフィクションを――志を同じくする仲間のようにして――結びつけて来ました。
比較関連させることは、例えば、ヴァルタ―・ベンヤミン――引用したもの全文を読んだことはありませんが――から学んだところがあります。点在するものを接近させること。単純な関連づけは、まだメタファーによる関連づけではありません。『イメージの本』の第一章「リメイク」は単純な関連づけ、脚韻化を提起しています。『大砂塵』と『小さな兵隊』は、かつての単純な関連づけという意味で、まさしく一つのコラージュを形成しています。私はカイユボットの絵画〔註16〕を覚えており、僅かな教養があるので、コラージュが思い浮かびました。基となったものを強調しようとするのではなく、「パルケ磨き」であり、その当時の公訴省は「パルケ」と呼ばれていたのです〔註17〕。私は語源学の専門家ではありません……。
第五章「中央地帯」にて、ドヴジェンコの『大地』の切り返しの映像上に、ブランショのテキストが聞こえてきます。そのテキストは『アワーミュージック』の中で撮影しようとしたが、うまくいかずに、没になったものです。テキストが戻ってきたのです。ベルナール・アイゼンシッツに「この中央地帯とは何だ」と尋ねられました。「ベルナール、それは愛だ」と私は答えました。
『イメージの本』の終わりのテキスト〔註18〕は、ページを何度もめくり返しながら一度だけ読んだペーター・ヴァイスの『抵抗の美学』から採られたものです。その表題が、思春期頃に読んだマキシム・ゴーリキーの一節「美学は、将来の倫理となるだろう」を思い出させました。ペーター・ヴァイスが、ナチスドイツから何とか逃げ出したあと、何よりも先にしたことは、ルーヴルに行くことでした。(おわり)
〔発言は、二〇一九年九月二五日ロールにて、ダヴィッド・ファルーにより収録された〕
〔モルガヌ・ナタフ、ニコル・ブルネーズ、ジャン=ポール・バタッジア、及びルイ=リュミエール国立高等映画学校に感謝する〕
★ジャン=リュック・ゴダール=フランスの映画監督。一九三〇年、パリ生まれ。『カイエ・デュ・シネマ』誌等に映画批評を書きながら短編映画を数本撮った後、一九五九年『勝手にしやがれ』で監督デビュー。ヌーベル・ヴァーグの先頭にたつ。作品に『女と男のいる舗道』(一九六二)『はなればなれに』(一九六四)『気狂いピエロ』(一九六五)『アルファヴィル』(一九六五)『中国女』(一九六七)『東風』(一九六九)『6×2』(一九七六)『勝手に逃げろ/人生』(一九八〇)『パッション』(一九八二)『カルメンという名の女』(一九八三)『ゴダールのリア王』(一九八七)『ヌーヴェルヴァーグ』(一九九〇)『新ドイツ零年』(一九九一)『ゴダールの決別』(一九九三)『ゴダールの映画史』(一九九八)『愛の世紀』(二〇〇一)『アワーミュージック』(二〇〇四)『ゴダール・ソシアリスム』(二〇一〇)『さらば、愛の言葉よ』(二〇一四)など。
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
映画の関連記事をもっと見る >
更新日:2020年4月4日
/ 新聞掲載日:2020年4月3日(第3334号)
ジャン=リュック・ゴダール
純真な信徒〔フィデル・カンディード〕
『イメージの本』からの発言(翻訳=久保宏樹)
第7回
イメージの本
『イメージの本』は、『映画史』のいくつかの瞬間の脚注であると言うことができるでしょう。「為すことを除いて」、為さないことを除いて……私たちはなんでも言うことができる。そういうものが、言語の倒錯です。
言語のおかげで、自分自身の非力さを許すことができます。『イメージの本』の第二部「恵まれたアラビア」は、第一部よりも「映画的」ではありません。それでは、正当ではないと考えました。うまくいかないものがありました。そして「ああ、そうだ。アラブ人たちが好かれていないのだから、私が第二部を好きではなくても、当然だ」と考えました。自己弁明するために、私たちはいとも簡単に論拠を見つけてしまう。「なんでも言ってしまう」。そして第二部は、そのようにして作られなければいけなかったのだと、私自身思い込もうとするのです。私の引用したアラブ映画の断片も同じです。それらはほとんどチュニジア映画(これらの映画にはお金を少し支払いました。他の映画とは一緒にできないものだったのです)からの引用でしたが、何かしっくりこないと感じても、ああ、アラブ世界だからだ! と言って済ませていたのです。ところが引用したそれらの映画の断片は、場違いなのではなく、おそらく他のものよりも具象に向いていなかったのです。実際、それらには
『イメージの本』の二つのパートは、コスリーの小説から手をつけて〔註15〕、続けて第一部が導入部のようにして不可欠なものとなりました。私が映画を二つに、二つのパートに、二つのジャンルに分けるようになったのは大昔のことです。もしくは、ヌーヴェル・ヴァーグの時代以来、その当時私が書いたジャン・ルーシュの映画への記事のようにして、ドキュメンタリーとフィクションを――志を同じくする仲間のようにして――結びつけて来ました。
比較関連させることは、例えば、ヴァルタ―・ベンヤミン――引用したもの全文を読んだことはありませんが――から学んだところがあります。点在するものを接近させること。単純な関連づけは、まだメタファーによる関連づけではありません。『イメージの本』の第一章「リメイク」は単純な関連づけ、脚韻化を提起しています。『大砂塵』と『小さな兵隊』は、かつての単純な関連づけという意味で、まさしく一つのコラージュを形成しています。私はカイユボットの絵画〔註16〕を覚えており、僅かな教養があるので、コラージュが思い浮かびました。基となったものを強調しようとするのではなく、「パルケ磨き」であり、その当時の公訴省は「パルケ」と呼ばれていたのです〔註17〕。私は語源学の専門家ではありません……。
第五章「中央地帯」にて、ドヴジェンコの『大地』の切り返しの映像上に、ブランショのテキストが聞こえてきます。そのテキストは『アワーミュージック』の中で撮影しようとしたが、うまくいかずに、没になったものです。テキストが戻ってきたのです。ベルナール・アイゼンシッツに「この中央地帯とは何だ」と尋ねられました。「ベルナール、それは愛だ」と私は答えました。
『イメージの本』の終わりのテキスト〔註18〕は、ページを何度もめくり返しながら一度だけ読んだペーター・ヴァイスの『抵抗の美学』から採られたものです。その表題が、思春期頃に読んだマキシム・ゴーリキーの一節「美学は、将来の倫理となるだろう」を思い出させました。ペーター・ヴァイスが、ナチスドイツから何とか逃げ出したあと、何よりも先にしたことは、ルーヴルに行くことでした。(おわり)
〔発言は、二〇一九年九月二五日ロールにて、ダヴィッド・ファルーにより収録された〕
〔モルガヌ・ナタフ、ニコル・ブルネーズ、ジャン=ポール・バタッジア、及びルイ=リュミエール国立高等映画学校に感謝する〕
〔註15〕アルベール・コスリーの小説『砂漠での野望』(一九八四)が『イメージの本』第二部の物語内容を成している。[訳注]アルベール・コスリー=エジプト出身の作家(一九一三―二〇一八)。
〔註16〕『イメージの本』第四章「法の精神」において、ギュスターヴ・カイユボットの絵画『床削り』が、オノレ・ド・バルザックの引用(『娼婦たちの栄光と悲惨』第四部十二章「数多の生者から司法が切り離した男は検事局のものとなる。検事局は最高権力である。何者にも従属しない。自らの良心に従うのみである。牢は検事局に属する。検事局が絶対的な支配者なのである。」)と突き合わされる。
〔註17〕[訳註]パルケ(Le parquet)はフローリングの床を意味する。そこから意味が転じて、検事局もパルケ(Le Parquet)と呼ばれていたことがある。
〔註18〕「たとえ何一つとて我らが望んだようにならずとも、我らの希望を何も変えることはなく、それは不可欠な理想郷として残り続け、希望の領域は今日よりも広大になるだろう、同じくして、過去が不変であるのと同様に希望は不変であり続けるだろう」。
〔註16〕『イメージの本』第四章「法の精神」において、ギュスターヴ・カイユボットの絵画『床削り』が、オノレ・ド・バルザックの引用(『娼婦たちの栄光と悲惨』第四部十二章「数多の生者から司法が切り離した男は検事局のものとなる。検事局は最高権力である。何者にも従属しない。自らの良心に従うのみである。牢は検事局に属する。検事局が絶対的な支配者なのである。」)と突き合わされる。
〔註17〕[訳註]パルケ(Le parquet)はフローリングの床を意味する。そこから意味が転じて、検事局もパルケ(Le Parquet)と呼ばれていたことがある。
〔註18〕「たとえ何一つとて我らが望んだようにならずとも、我らの希望を何も変えることはなく、それは不可欠な理想郷として残り続け、希望の領域は今日よりも広大になるだろう、同じくして、過去が不変であるのと同様に希望は不変であり続けるだろう」。
★ジャン=リュック・ゴダール=フランスの映画監督。一九三〇年、パリ生まれ。『カイエ・デュ・シネマ』誌等に映画批評を書きながら短編映画を数本撮った後、一九五九年『勝手にしやがれ』で監督デビュー。ヌーベル・ヴァーグの先頭にたつ。作品に『女と男のいる舗道』(一九六二)『はなればなれに』(一九六四)『気狂いピエロ』(一九六五)『アルファヴィル』(一九六五)『中国女』(一九六七)『東風』(一九六九)『6×2』(一九七六)『勝手に逃げろ/人生』(一九八〇)『パッション』(一九八二)『カルメンという名の女』(一九八三)『ゴダールのリア王』(一九八七)『ヌーヴェルヴァーグ』(一九九〇)『新ドイツ零年』(一九九一)『ゴダールの決別』(一九九三)『ゴダールの映画史』(一九九八)『愛の世紀』(二〇〇一)『アワーミュージック』(二〇〇四)『ゴダール・ソシアリスム』(二〇一〇)『さらば、愛の言葉よ』(二〇一四)など。
久保 宏樹 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
芸術・娯楽 > 映画の関連記事