※※※注意※※※
今日の記事にはややグロテスクな表現がございます。灰色にしておきますが、見たくない方は飛ばすか、このままブラウザバックしてください。
何卒、よろしくお願い致します。
2020年5月14日(木)、
今日は長く疲れた一日でした。
■最近のわたし
人といると、明るく振る舞うことができます。
娘のことを一時的に忘れることができます。
でも、ひとりになったときは必ず泣いてしまいます。
■朝~午前中
9時頃には、旦那の両親もうちの母親も自宅に揃っていました。(心配かけてますね)
本当は元気な顔を親たちに見せたかったんですが「今は省エネしとこ…」と、寝室で引きこもりしていました。
12時前にご飯を食べ、支度をして警察署へ向かいました。
娘の死亡診断書をもらうためです。
私と、私の母と、旦那の両親の4人で行きました。旦那はおうちで旦那の妹と2人でお留守番です。旦那は、つらくてつらくてお葬式のこととか考えたくないそうです。
そういう意味では私は娘に薄情なんでしょうか。
いや、顔を見る度泣いてしまうので、違うと思います。(反語)
悲しさというものは、比べるものではないのだと私は思います。
呼び出しの時間に警察署に行ったのですが、
娘はまだ解剖から帰ってきていないということで1時間ほど待たされました。
■娘に服を着せてあげた
娘は検死の末、司法解剖に回されました。
解剖から帰ってきた娘が何も着ていないということで、お洋服を着せにいきました。
数日前とはまた変わり果てた娘の姿。
顔色には赤と青の斑点のような模様が浮かんでいました。
臓器を見たりしたのでしょう。
ツギハギだらけの体でした。
首と頭は糸でくっついてるだけみたいに見えて
縫い目の隙間から臓器が少し見えそうでした。
T字に切られた胸はガムテープのような色のテープで止められていました。
1度バラバラにした人形を太い糸で繋げ合わせただけみたいだと思いました。
顔は青白く硬直し冷たかったです。
こんな風にしたのは…私です。
私はそれを忘れてはいけません。誰が許しても、私だけは。
■娘を霊安所へ
娘が乗っている車に同乗させてもらって、
お通夜の日程まで娘を預かってもらえるところに行きました。
15時くらいだったと思います。
■長い話し合い
お通夜やお葬式でたくさんのことを決めなくてはならなくて、話し合いが終わるまでに3時間半ほどかかりました。
どういうお花で飾るのがいいのかとか、お坊さんのお手配とか。
たぶん、直葬だったり一日式だったりすればもう少し話し合いは短くなると思うのですが。
私も、私の母も、旦那の両親も、みんな「成人のお葬式みたいに全部ちゃんとやりたい」って思ったため、決めることがたくさんあったようです。
私は話し会いを抜け出して娘に会いに行ったり、戻ってきてまた話を聞いたり、自分もこうしたいと意見を述べたり、と心休まる暇がありませんでした。
■旦那が心配
自分の母親や、旦那の両親とたくさん話をしていて、とても仲良くなりました。
ざっくばらんに話せる関係ですね。
前はここまで仲良くはなかったです。
それが、最近のなかで少し良かったな、と思った出来事です。
一方で、旦那は塞ぎ込みがちになっています。
旦那の妹が家にいてくれるとはいえ…妹ちゃんもまだ若いので、初めて見る憔悴しきった兄の姿に戸惑いを隠せないようです。
私は、今ここで頑張らないと、と思って、気を張っています。
それが私の贖罪になると信じて。
娘をきちんとお空に送ってあげるまで。
その後のことはまたその時に考えます。
今はただ、骨になる前の娘と過ごせる時間を貴重に思うだけです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
もし、よければ、娘がお空に旅立つまで応援してください。
私が天国に送ってしまったのですが。それでも私しかママはいないので。私が、私だけがあの子のママなので。