娘は5月12日(火)20時に亡くなりました。
眠るような最期でした。
死因等については前日の記事をご確認ください
■5月12日の朝
朝食の買い出しに出かけた時、電話が鳴りました。
「じわじわと血圧が下がってきたので、お昼前には必ず来てください」と。
すぐに病院に向かうと、昨日100前後で低空で安定していた血圧が50程度まで落ちていました。
もう、いつストンと心臓が止まるか分からない状況で、旦那と2人、ずっと付き添っていました。
「生きてるうちにやれることをやってあげてほしい、家族にしかできないことだから」と、
お見舞いに来てくれている私の母や旦那の両親たちと、交代で娘を抱っこして、写真を撮りました。
オムツも変えてあげました。普通よりは水っぽいうんちだったけど、たしかこれくらい緩い日もあったなあ、心配してたなあと思い出しました。
肛門のあたりを少し押して拭いていたら、肉が弛緩しているのでずっとうんちが出てきちゃうそうです。ああ、もう、自分では動けないんだなあと思いました。
■少しの間、病院周辺を散策する
15時頃、看護師さんの交代の時間なのでいったん娘のそばから離れて、旦那と2人で病院の周囲を散策しました。
急に暑くなった気温にびっくりしました。
コンビニで買ったおにぎりを陽の当たるベンチで食べて、私は少しそこでお昼寝をしてから病院に戻りました。
電話が鳴らなかったので、旦那は「意外と血圧50くらいでずっと安定してくれているのでは?」と少し希望的観測を持って会いに行きました。
■下がり続ける血圧
でも、やっぱり徐々に徐々に下がってきていて、17時頃で35くらいの血圧でした。
それから何度も20台に落ち…その度に夫婦で縋り付いて戻ってきてと呼びかけました。
すると奇跡的に、血圧が45~50台へと持ち直しました。
「もうずっとこれを繰り返そう、いなくならないように」と旦那は言いました。
■娘に投入していた薬の量について
ちなみに娘に注射している薬ですが、昨日医師と相談し、「今以上の積極的な医療行為はしない」ということで話をまとめていました。
これ以上薬を増やしてしまうと、もっと顔が腫れてしまうかもしれないし、徒に苦しみを長引かせるだけかもしれないから、と。
ここは色々な考え方の方がいると思います。
脳死状態でも体があったかくて、それでお世話できるならそれもいいと思います。
でも娘は…これ以上苦しい思いをせずにいて欲しいと私は思いました。
多分旦那は、本当は、できることなら、ずっと強めに薬を入れてずっとずっとずっと娘のそばに居たかったんだと思います。
でも、私の意志に沿ってくれました。
薬の量を限界値まで使うようなことはせず、いまの医療を維持して、娘の体力のままに任せる、という治療方針にしていました。
■最期
19時58分頃から、娘の血圧が20の前半の数値を示し、心拍も60くらいになって徐々に落ちていました。
20時に切り替わるの頃には、もう心拍はほとんど止まっていて、
時々思い出したようにペースメーカーが反応を示すくらいになっていました。
20:11に医師による診察で、瞳孔の拡大、心停止、呼吸停止を確認し、死亡ということになりました。
■それから
「亡くなったらすぐ人工呼吸器を外して抱っこできるようにして欲しい 」と事前にお願いしていたので、その通りに、まだ温かい娘の体を抱きしめました。
たくさん薬を入れたので、搬送時よりずっと重くなってしまって、急激に成長させられたみたいでした。
娘の好きだった縦抱きをしたりとか、一緒にゆーらゆーらしたりとか、旦那と交代で抱っこして、一緒に3人で過ごしました。
病院の先生や看護師さんたちは私達をずっと待っててくれました。
それから看護師さんたちとお顔や体を拭いたり、髪の毛を洗ったり、服を着替えさせたりしました。
よく出来た娘そっくりのお人形さんみたいだと思いました。
■遺体安置所へ、そして警察から聴取
娘を移動できるようにストレッチャーに乗せてもらい、遺体安置所へ行きました。
お焼香をあげた後、娘はいったん警察の方へ引き取りになりました。
病院外で心肺停止して運ばれてきた人間は年齢関係なく検死になるそうです。
司法解剖するかはその検死結果次第とのこと。
娘の遺体の前のソファーで、娘が死んだ日の状況、私は自分の服薬状況等を警察に訊かれるがままに答えました。
この時点で23時を回っていて…疲れたなあと思っていました。
この後警察が家に来て間取り等を確認しに来ました。もう0時過ぎでした。すみませんその時の事はあまりここに書きたくありません。思い出すのがつらかったです。
■終わりに
娘は私の意を汲み取ってくれて、私の誕生日に亡くなりました。
ちなみに結婚記念日も私の誕生日です。
私はこれから毎年自分の誕生日に娘を思い出します。必ず。
頑張り屋さんで母想いの、誰よりも優しい娘のことを。
19時台から20時に切り替わったときの、娘の心停止のモニターの映像と合わせて思い出します。
娘は2度死にました。
家で真っ青になって1人で。わたしのせいで。
2度目は病院で、家族に看取られて。
私は2度目の死こそが本当の娘の死だと思いたいです。安らかな死に顔を覚えていたいのです。
でも旦那は…娘が窒息死しているのを発見した旦那は、あのとき娘が死んだと。
この数日ずっとずっと自らを悔やみ続けていました。
■5月13日
朝、旦那を心療内科に連れていくことが出来ました。薬ももらえて旦那も少し安心したようでした。
お通夜、お葬式までかなりバタバタしそうです。本当はただただ泣いていたい気持ちがありますが…そうも言ってられないです。特に旦那がその状態(ただただ泣いていたい)なので。
部屋の掃除をしたり、色々片付ける算段をつけたり、やることがたくさんあるので、気を紛らわすことができます。
もっと悼む時間が欲しいです。