
臨床検査専門医や臨床検査技師らによる日本臨床検査医学会は「新型コロナウイルスに関するアドホック委員会」(暫定的な委員会)を発足させ、感染の有無を調べるPCR検査の実施が進まない背景などについて調査し、いくつの理由を指摘している。同委員会の委員長を務める、長崎大学の柳原克紀教授(病態解析・診断学)に詳細を聞いた(5月8日取材)。
――日本臨床検査医学会は2月、新型コロナウイルスに関するアドホック委員会を立ち上げた。
「新型コロナウイルス感染症のPCR検査の拡充が進まなかったことが背景にある。この感染症は症状に基づいて診断するのが難しい。臨床検査が大きな役割を果たすことが分かってきたことから、臨床検査医学会として、どう対応するか検討した。正しい意見・情報を発信しつつ、厚生労働省や感染症の関連学会と協力するため、委員会を立ち上げた」
「PCR検査について、臨床検査医学会としては、検査数を増やすのが大切だという認識は持っている。と同時に、遺伝子関連検査については、法令で精度管理など様々なルールが定められており、それらを無視して増やすことはできないと考えている」
――日本臨床検査医学会では、PCR検査の実施が進まない背景などについて、学会員に情報収集や意見聴取を行い、4月13日付で報告書を公表している。PCR検査が増えない理由について、どう分析しているか。
「PCR検査を増やす方針については、学会員も同意している。それでも実施数が増えない理由は、(1)検体採取がどの医療機関でもできるわけではない(2)機器や試薬が不足している(3)経験や知識のある人材が限られる――という、大きく3つがあると考えている。検体の搬送などの問題もあるが、機器や試薬の不足、人材が限られるといった問題が大きい」
「(1)の検査採取については、最近では全国でドライブスルー方式などで検体採取を専門に行うセンター(PCR検査センター)ができ、専従の医師が検体採取を行っており、状況はだいぶ改善してきた」
「さらに今後は、検体として唾液(せきをした後の唾液)を用いるPCR検査が、国内でも認められる見通しだと聞く。そうなれば、感染が疑われる患者が自分自身で検体を採取できるようになり、(1)の検体採取の問題は改善されると期待できる。これまでの論文から、(鼻の奥から採取する)鼻咽頭拭い液などに比べ、唾液中のウイルスの量は少ないと考えられるが、PCR検査をする分には十分な量だといった論文も出ている。自宅でせきをした後の唾液を自己採取することも考えられる」
「(2)の機器や試薬の不足だが、海外の試薬については、欧州や米国で流行していると国内に入ってきにくい。欧州、米国での流行が落ち着けば、もう少し入ってくるだろうと想定している」
「(3)の人材については、臨床検査技師の育成が必要になるが、それには時間がかかる。かといって、知識や経験のない人材が検査をしてずさんな検査結果を出すと問題なので、自動化などを活用しつつ対応していくことではないかと思っている」
「個人的にも、PCR検査は一貫して増やすべきだとは考えている。もし、増加に伴って精度管理などの問題が生じたら、それはそれで対応すればいい。(実際は感染しているのに陰性と判定する)偽陰性も(実際は感染していないのに陽性と判定する)偽陽性もある程度は出るが、感染拡大を防止するためには、感染者の活動を止めることが重要だ」
――鼻咽頭拭い液などから新型コロナウイルスのゲノム(RNA)を検出する「PCR検査(遺伝子検査)」、鼻咽頭拭い液などから新型コロナウイルスのたんぱく質を検出する「抗原検査」、血液から新型コロナウイルスに対するIgG抗体やIgM抗体を検出する「抗体検査」が相次いで開発されている。抗原検査、抗体検査の位置付けについて聞きたい。
「抗原検査については、既に国内で承認申請中の企業があり、近々承認されると思う(編集部注:5月13日付けで承認)。一般的に、抗原検査の(陽性のものを正しく陽性と判定する)感度は70%ぐらいではないかと考えられるので、PCR検査に比べると若干劣るだろう。逆に言うと、感染者の30%ぐらいは取りこぼす可能性がある。ただ、抗原検査で陽性が示されれば、その感染者の検体中にはウイルス量が多いという意味でもある」
「これまでの研究から、ウイルス量が一定以上多い感染者が重症化しやすく、感染させやすいことが分かっており、抗原検査によって総合的にリスクが高い感染者を捕まえられると考えられる。抗原検査は、鼻咽頭拭い液など検体の採取ができれば、診療所などで簡易迅速検査として実施できるので、その点でも役に立つ」
「ただ、抗原検査で陰性判定はできないだろう。PCR検査の前段階で、1次スクリーニングとして陽性判定に使うという位置付けではないか。それによって、PCR検査を減らせる可能性もある」
「抗体検査については、疫学調査の意義が大きいと考えられる。これまでに幾つかの地域で新型コロナウイルスの抗体検査が実施されているが、それらのデータからは、PCR検査で診断された感染者よりも、実際の感染者が10倍、20倍いる可能性が示唆されている」
「現在、国内の新型コロナウイルス感染症の致死率(死亡者数を感染者数で割った値)は4%程度だが、感染者が10倍、20倍いるとなれば致死率が10分の1、20分の1になる。抗体検査によって、ウイルスの全貌が分かるメリットがある」
「また、抗体を持っていれば再感染しにくいということが明確になっていることが前提だが、一般的に70%程度が感染すれば集団免疫が確立されるので、抗体検査によって集団免疫の状況を調べることもできる」
「もっとも、抗体検査で陽性となったからといって、それが(行動制限の緩和を認める)『免疫パスポート』になるかどうかについては、難しいところだ。抗体検査で検出される抗体が、意味のある免疫なのかどうかは、まだ分からない」
「ただ、我々は感染後回復した患者の血漿(けっしょう)と新型コロナウイルスを用いて、(ウイルスの感染力を調べる)プラークアッセイを行ったところ、(ウイルスの感染や増殖を防ぐ)中和抗体ができることは確認済みだ(検出法が異なるので、抗体検査で検出できるかどうかは別)」
――新型コロナウイルスの感染者では、同ウイルスに対するIgM抗体、IgG抗体がいつ頃から増えてくると考えられているか。日本臨床検査医学会のアドホック委員会が4月17日に公表した抗体検査の基本的な考え方では、フィンランドからの症例報告をベースに、IgM抗体、IgG抗体ともに、9日目に初めて検出されたとしている。
「これまでの論文や報告などを総合すると、IgG抗体は、発症から20日後には感染者の90%以上で上昇することから、既感染の判断には使えるのではないか(意味のある免疫かどうかは別)」
「一方で、発症後早期に上がってくるIgM抗体によって、早期診断ができるかどうかは一つの鍵になるだろう。通常の感染症では、重症化する感染者はすぐ悪くなるので、IgM抗体が上昇するころには進行しているが、新型コロナウイルス感染症の感染者では発症から1週間後と、重症化のタイミングが遅い傾向がある。もし、重症化するころにIgM抗体が検出できる抗体検査が開発されれば、早期診断にも利用できるかもしれない」
「もっとも、研究者の中には新型コロナウイルスに対してはIgM抗体が産生されにくいのではないかという意見もある。単に検出法が悪いとか、IgM抗体の量が少なすぎるとかいうことかもしれないが、ひょっとすると、何らかの理由でIgM抗体ができにくいという見方もある。このあたりについては、さらなる研究が必要だ」
――新型コロナウイルスの抗体検査は、さまざまな国の企業・研究機関が開発を進めているが、分析性能が分からないものが多い。
「今は玉石混交な状況だ。欧州では、抗体検査を輸入後、品質の悪さから返品するところも出てきている。個々の抗体検査の性能が明らかになり、大手企業の抗体検査などが出てくれば状況が改善されるのではないか」
――抗体検査に求められる感度・特異度は。
「IgG抗体を基に感染したかどうかを調べる目的では、感度は100%近く必要だろう。IgM抗体に基づく早期診断の目的であれば、感度は60%、70%でもいいかもしれないが」
――抗体検査の評価などを行う予定はあるか。
「長崎でも色々検討を進めようと考えている。その際は、抗体検査の対象者について、過去に症状が全く出ていないかどうか、濃厚接触者との接触歴が無いかなど、病歴や接触歴の情報を合わせて収集することが重要だ」
(日経バイオテク 久保田文)
[日経バイオテクオンライン 2020年5月13日掲載]